第58話 顔のない淑女の肖像


 箱の上昇がふわりと留まり、開いた扉の向こうにあったのは巨大な洋館のホールだった。


「ここも無人か……本当にこれが『天界の砦』なのか?」


 ホールに足を踏み入れるなり、ブルが訝し気な口調で言った。恐らく俺たちの侵入はすでに察知されているはずだが、それゆえに物音ひとつしないのが不気味だった。


 ホールは吹き抜け構造で、正面に大階段があった。敵の待ち伏せに留意しつつ効率的にデイジーを探さなければならない。


「よし、ジェイムスンはひとまず置いておいて、デイジーの居場所を探そう。俺とクレアは二階に行ってみる。残りの四人はホールを中心に捜索を頼む」


 俺は指示を飛ばすと、クレアを伴って二階へと上がった。大階段から右側の通路を進み、扉を開けるとそこは左右に無数の扉が並ぶ長い廊下だった。


「とりあえず奥まで行ってみよう。警戒を怠たるな」


 俺たちは左右の部屋を無視して廊下の突き当りまで進んでいった。突き当りの扉はなぜか赤く塗られ、複雑な意匠が施されていた。


「ここから調べてみよう」


 俺はクレアにそう告げ、取っ手に手をかけた。力を込めた瞬間、赤い扉は何の抵抗もなく動き、俺は思わず目を見開いた。当然、施錠されている物とばかり思っていたからだ。


「どうする、クレア?」


 俺が振り返って尋ねると、クレアはなぜか険しい表情で「行きましょう」と答えた。


 おそるおそる室内へと足を踏み入れた俺は、目の前に広がった風景に思わず絶句した。


「これは……」


 豪華な調度で埋め尽くされた室内は、さながら貴族のプライベートルームと言ったしつらえだった。中でも俺が目を奪われたのは、奥の壁に掲げられた二枚の肖像画だった。


 片方は俺がいつか夢で見たクレアと思しき女性の絵、もう一方は髭を蓄えた威厳のある中年男性の絵だった。


「クレア……あの絵はひょっとして、君か?」


 俺が尋ねると、クレアは間髪を入れず「ええ、あれは私。そして隣が私の父」と言った。


「クレア……なぜ君の絵がこの『天界の砦』にあるんだ?君は何者なんだ?」


 俺はついプライベートを詮索しないという不文律を破り、問いかけていた。


「父はここがかつて『新世界アカデミー』という研究施設だった時の理事長だったの。ここにマリウスを呼んで『ティアドロップシステム』の研究をさせたのも父」


「そうだったのか。……しかしそれがなぜ、あのスクラップ置き場に?」


「マリウスがシステムの研究を中止したいと言った時、父はそれを許可したわ。でもスポンサーたちが私設軍隊を派遣して、私たちを監禁しようとした。父の部下たちの助けで私とマリウスは脱出に成功したけれど、私設軍隊は外の世界でも私たちを追いかけてきた」


「まさかその時に、サイボーグ手術を……」


「ええ。マリウスは最終手段として私に『顔』を捨てるという策を提案してきたの」


「なんてこった、いくら何でも『顔』を捨てさせるなんて」


「私は監視カメラの前に立って、自分で自分の頭を撃ち抜いたの。マリウスから事前にどういう角度で撃てば即死せずにすむかを聞いた上でね。私の身体はすぐに回収され、マリウスによってサイボーグ化されたの」


「よくそんなことを……」


「その後も私は追いかけられ、とうとう最後は顔を取り外し、壊れた機械のふりをしてスクラップの山に紛れ込むしかなかった。あなたと出逢ったのはそんな時よ」


「知らなかった。クレア……そうと知っていれば今回の仕事に君を加えたりはしなかった」


 俺が詫びるとクレアは頭を振って「ううん、むしろここにはなんとしても来たかったの」と言った。


「この絵の私は理事長の娘だった時の私。ここにいる私は、はるか昔に死んだ私なのよ」


 俺が返す言葉を見つけられずにいると、クレアがおもむろに一丁の小型拳銃を取りだした。


「ゴルディ、もし私が正真正銘のピンチになったら、これで私のロザリオを撃って」


「ロザリオを?」


「そう。そうすれば私の緊急モードが発動することになっているの。マリウスからはよほどのことがない限り使うなと言われているけど、あなたに託すわ」


「クレア……」


 拳銃を手渡された俺が返答をためらっていると、ふいに端末が鳴ってノランの声が飛びだしてきた。


「ボス、一階には何もないぜ。まるで空き家みたいだ。……えっ?ドアが開かない?」


「どうしたノラン、何かあったのか?」


「変なんだ、さっきは開いたドアが戻ろうとした途端、閉まって……わああっ」


「ノラン、なにがあった?答えろノラン!」


 悲鳴を最後に端末は沈黙し、俺とクレアは顔を見あわせた。


「いったん戻ろう、何か予想外の事態が起きたようだ」


 俺たちは部屋を出て廊下を引き返すと、ホール側に通じているドアの前に立った。


「……たしかノランが言っていたな。さっきは開いたドアがなぜか開かなくなったと」


 俺は恐る恐る取っ手に手をかけると、向こう側へ押し開けようとした。だが、どういうわけかドアはびくともしなかった。


「くそっ、こっちも同じか!クレア、このドアは駄目……なにっ?」


 振り向いた俺の目に映ったのは、廊下の床に沈みこんで行くクレアの姿だった。


「クレア!」


 俺が手を差し伸べようとするより一瞬早く、クレアの姿は流動化した床に呑み込まれていった。俺は屈みこんでクレアが消えた部分を弄った。床は元の硬さを取り戻しており、その下がどうなっているのかうかがいようもなかった。


「畜生、いったいどうすればいいんだ」


 俺が頭を抱えているとふいに、どこからか壁を叩くような微かな音が聞こえてきた。


 ――どこだ?


 俺は近くのドアに耳を寄せ、一つ一つあらためていった。……だが、どこからもそれらしい音が聞こえてくる様子はなかった。やがて俺はあることに気づき、音の出所にのみ神経を集中させた。そして、ドアとドアの間の壁から音が聞こえていることに気がついた。


「ここか?」


 俺は音のした壁の前で屈むと、壁に思考モジュレーターを押し当て、あちこち移動させた。やがてかちりという音が聞こえ、壁が四角く切りとられたように開き始めた。


「隠し部屋か。……だとしたらあの音は?」


 壁に開いた穴に顔をつっ込んだ俺は、目の前に現れた人影に思わず目を瞠った。


「――デイジー!」


 隠し部屋とおぼしき暗い小部屋の中でうずくまっていたのは、少し痩せてはいたが、紛れもなくデイジーだった。


「……テッドおじさん」


 俺は暗がりに両腕を伸ばすと、信じられないという表情の少女の手を取った。


「もう大丈夫だ。おじさんがついてるから怖がらずに出ておいで」


 俺が優しく声をかけるとデイジーは部屋から飛びだし、俺の首筋に抱きついた。


「やっぱり来てくれたんだ。私、おじさんが私を盗みに来るってずっと思ってたの」


「そうか、遅くなってごめんよ」


 俺がデイジーの蜂蜜色の髪を撫でながら震えが収まるのを待っていると突然、デイジーが俺の背後を見て「おじさん、後ろ!」と叫んだ。


 はっとして振り返ろうとした瞬間、首筋にちくりという痛みを感じて俺の意識は闇に呑みこまれていった。


             〈第五十九回に続く〉

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