第87話 送還

 足元に現れた魔法陣を、椿はとっさに踏みつけた。魔力で描かれたその陣は、椿の白い魔力で簡単に掻き消える。破れた円環は力を失い、風に巻き上げられる砂のように消えていった。


 茜に続き、椿と来たのだ、すぐに魔王と魔女グラディスを探して視線を巡らす。


 案の定、2人の足元にも魔法陣が出現している。椿のように自力で陣を破る手段がないのだろう、まるでこの世の終わりのような表情をしていた。魔法陣が何のためのものか理解わかっているに違いない。共に過ごす時間を引き裂かれる恐怖が2人を支配しているのだ。


 椿が駆けつけるより早く、2人の姿は薄くなっていく。お互いに伸ばし合うその手は届かないまま、あっと言う間に消えていった。


 辺りから一切の音が止み、あらゆる気配が消え去る。


 一体、何をされたのだろう。床に転がる同じ顔をした男たちを始め、カザンに3馬鹿などの親しい友人たち、ニジニの精鋭たち、この場に居た皆が皆、石像と成り果ててしまっていた。


 あまりの状況に頭がついて行かない。幾ら椿が無神経で図太くとも、身近な人たちが害されたのだ、ショックが無いはずない。


 ――どれくらい呆然としていたのか、椿は自分が床に座り込んでいるのに気付いた。お尻がとても冷たい。


 ずいぶん身体が冷えたせいか、意識も覚醒してくる。

 まだちゃんと働かない頭に頭に浮かんでくるのは、くだらない事ばかりだ。


 茜は家に帰れたのだろうか。戻った彼女が「椿と一緒に居た」などと周りに漏らそうものなら、椿が誘拐犯にされてしまいそうだ。彼女は受験生だったはず、1年以上のロスは堪えそうだな。まあ、調理師免許を取れば、両親の店を引き継げるだろう。


 魔王と魔女グラディスは、再会できただろうか。目と鼻の先に居たのだ、今頃は抱き合って呆然としているかもしれない。いや、そもそも何処に戻されるのか、分かったものではなかった。別々に戻されたり、何だったら海の上になる可能性がある。


 自分が戻されるときは、何処になるのやら。


 ……ちゃんと戻れるのだろうか。


 少しばかりの後悔が湧いて出た。何故、魔法を拒んでしまったのか。あれが送還の魔法陣だと、すぐ分かったのに。一緒が居心地の良いシェロブたちと離れがたかったし、やりかけの仕事を残すのが嫌だった。でも、帰る手段を失ったのではないか?


 駄目だ、だんだん考えが悪い方に向いてきた。足も痺れてきた。


 このまま考えていたって仕方ない。


 ……よし、出来ることから片付けよう。まずは、石像になった皆を元に戻せないものか、治療を試さなければならない。あれが魔法によるものなら、椿の魔力で打ち消すことができるかもしれない。


 椿が立ち上がると同時に、霊穴の中で何かが動く。やばい、忘れていた。人影があったのだ、誰かが潜んでいるのかもしれなかった。茜は、あれに向かって「マーリン」と呼びかけていた。そして、それは間違いなくマーリンであったようだ。現れた人影が、椿に声を掛けてくる。


『やれやれ……

 やっと制圧できたと言うのに、

 よりによって貴女が残っているのか』


 霊穴の中にいたのか? 何をしていたのだろうか。動き出した椿に気付いて出てきたようだ。


『コレ、ぜんぶ貴方の仕業なの?』


 椿の問いかけに答えるでもなく、マーリンが周りを見渡す。


『……酷い有様ですね』


 いつもの感情に乏しい顔ではなく、明らかに苛立ちが見て取れる。


『皆に何をしたの』


 なお問いかける椿に、やっとマーリンが視線を寄越す。


『何を?

 そうですね、邪魔者を排して

 霊穴を制圧してきたのです』


 制圧とは何だ。邪魔者とは、ここに居たとされる黒いヒトのことか? 石像の男がそうだよね? マーリンがそれを討ち倒したのか?


『ここに居たのは貴女と同じ、

 異世界から喚ばれた者です』


 神々から、その存在に何の言及もないあたり、随分と昔に喚ばれたのだろう。大方、寿命のない体を得て、元の世界に帰りたくないと考えたのかもしれない。男神の真似をして、霊穴から亜人を生み出し、自分の配下として使っていた。そうして自分の国でも創ろうとしたのではないか。元々、使命など、押し付けられただけだけ、何の強制力もないのだから。


 つらつらと、マーリンがそんな想像を述べてみせる。


『何故、そんなことが分かるの?』


『簡単なことです。

 私もそうですから』


 はあ? マーリンも勇者だったのか? ……女神よ、考えなしに喚び過ぎではないか? ことごとく役に立っていないではないか。見る目が無さ過ぎるよ。


 そう言えば、彼は鑑定の魔法を使う時に、緑の魔力を見せていた。しかし、得意な魔法は赤い魔力による火球であったな。索敵や盗み聞きなど、青い魔力の性質の鱗片も見せていたっけ。なるほど、黒い魔力、つまり全属性を持っていたわけだ。


 マーリンと同じなら、黒い人も勇者なのか。南大陸に転がっていた石像は、自分で生み出した亜人の成れの果てか。更には勇者として発現させた、けったいな固有魔法で皆を石にしたのか。椿に効かないのは、白い魔力のお陰だろう。でも、魔法であるなら、皆も治せるはず。石化の効果が表面に留まっていてくれれば良いのだが……


 まずは霊穴を閉じてしまおう。邪魔な明かりがなければ、簡単に椿の白い魔力をばら撒けるのだから。そう思い、魔法銀の薙刀を掲げて、霊穴へ向き直った。


『あれほど帰りたがっておいて、

 貴女は何故、留まったのですか』


 そんな椿に、マーリンが吐き捨てる。


 ――ヒュッ!!


 不穏な気配に振り向くと、マーリンが目前で槍を突き出していた。鋭い突きではあるが、所詮は優男のへっぴり腰だ。とっさに身を捩り、やり過ごす。


『同じだと言ったでしょう!』


 何がだ? 黒いヒトと同じ、と。 目的が?

 霊穴を制圧したんだから、今度はマーリンが亜人の王国を創りたいと?


『馬鹿じゃないの?』


『どちらが馬鹿だ。

 霊穴がどれだけ貴重か分らないのか!

 これで、失われた魔法を取り戻せる』


『そんな魔法、

 価値がないから廃れたんでしょう』


『価値なら私が知っている。

 ヒトはもっと繁栄できる!』


 多少の利便と引き換えで、住めなくなっては意味がないでしょうに。椿を論破したければ、まずこの灰色の世界をどうにかして見せるべきだ。どうせ、出来やしないのだろう? 話にならない。


 椿たちに世界中を廻らせて霊穴を閉じさせたのは、一番大きなここだけを占拠できれば良かったからに違いない。独りで、すべての霊穴を管理できやしないのだから。それとも、惑星ほしの寿命を少しでも伸ばす、幼稚な抵抗か? そうして霊穴を占拠した今、晴れて異世界人は用無しとなった訳だ。茜たちを退場させた送還の魔法は、マーリンの仕業だろう。最初に行使された召喚の魔法、あれもマーリンの仕事だったしな。この眼鏡の性格上、危険な人物を召喚してしまう可能性があるのだから、送還する手段を準備していないはずがない。


 段々と腹が立ってきた。


 そもそも、この糞眼鏡は、どうやって椿に勝つ積もりなのだ? 魔法が効かない、2mを超える魔力でできた筋肉の塊を身にまとっている、特技が白兵戦と言う聖女なのだぞ。数百kgの鉄の塊を振り回すカザンや、斬鉄剣を持った石川五右衛門みたいな強さの魔王を相手にするならともかく、このヒョロ眼鏡に負ける要素などない。


 そんな椿の思いとは裏腹に、マーリンは何の躊躇もなく、槍を手に踏み込んでくる。面倒臭いな! もう、とっとと終わらせて良いよね?


『――せいっ!』


 不用意に肩ごと突き出された槍を石突でカチ上げる。返す刀でマーリンのがら空きになった胴を薙ぎ払った。2つに別かれて崩れ落ちる肉塊を捨て置いて、その場を離れる。すぐに皆を治療しないといけないからね。


 石像となった皆に向き直と、すぐに魔力を練り始めた。

 まずは邪魔な霊穴を閉じてしま――


 ――ズグッ


 脇腹に激痛が走る。続けて、右腕、右肩と、次々と鋭い痛みが襲ってきた。


『……なっ――』


 何だ?!


『同じだと言ったでしょう』


 マーリンが増えていた。ひとりやふたりどころではない。今も尚、増え続けている。先程の石像の男と同じだ。霊穴から次々と走り出てくるマーリン、すでに自分のものとした霊穴で国民を増やしていたのか!


『これは亜人などではありません。

 全部、本物です――』


 なんとか槍から逃れた椿を追うように、次々とマーリンが殺到してくる。


 これは卑怯だ。


 ポーションを服用しながら、迫るマーリンの何人かを薙ぎ払った。


 もしかして、1人でも残っていたら、幾らでも湧いてくるのではなかろうか。これはきっと、どこかに隠れているマーリンが居るぞ、絶対に! この場で全滅させても、安全な場所に居る残りがどんどん霊穴から国民を生産する流れだ。


 その証拠に、マーリン王国の民たちは捨て身で襲いかかってくる。腹を割られたって、平気で槍を突き出してくるのだ、厄介極まりない。


 恐怖より、面倒臭さが際立つ。凄まじいストレスだ。胃がキリキリする。


 ええい、出来の悪いホラー映画を見続ける趣味はない!


 こうなったら、ビジュアルが最悪なので封印していた身体強化魔法の第三弾を試してやる。――巨熊モードだ!!


 常識的な範囲に留めていた、魔力を編んで纏う筋肉を極限まで増やすのだ。それも、大怪獣と呼ばれるに相応しいサイズまで。着ぐるみ自体が目視できないので、中の椿が浮いて見えるため採用しなかったものだ。


 もう誰も見ていない、天井ギリギリまで大きくなっても差し支えあるまい。


 大きく! 大きく!! 大きく!!!


 マーリンの槍が届かなくなるサイズで勝ちは確定だが、それ以上のサイズを選ぶ。片足で踏んで霊穴に蓋をできる大きさが必要だ。そして、石像になった皆を破損しない気遣いも。下手に動き回ると、立ったまま固まっているシェロブたちを倒したり壊したりしてしまいそうだし。広場の中心から、全体に手が届くほどになれればよい。そうすれば中心から動かなくて済む。


 霊穴から漏れる明かりが少なくなっていく。どうやら踏みつける足が、霊穴をぴったりと塞ぐに十分な大きさへと至ったらしい。もうマーリン王国民たちは出てこない、ざまあみろである。


 熊の手でぷちぷちと、すでに湧いているマーリンを潰していく。


 恨みがましい目で見上げてくるが気にしてはいけない。私は使命を果たすのだ。大サービスで魔王が受けた男神の使命も果たして差し上げよう。そう、霊穴に巣食うヒトたるマーリンを排除するのだ。そして、大手を振って帰還してみせる。


 効かないと分かっているはずだが、マーリンは必死に火球を飛ばして抵抗してくる。見えない椿の熊の手を払うように槍を振り回し、唾を飛ばしてこちらを罵倒する。もう打つ手がないのだろう。さあ、諦めろ!


 ――そうして、すべてのマーリンを潰して消した。


 よし、次は霊穴だ。


 この競技場っぽい、すり鉢状の構造は、椿の魔力を場に満たすのに都合のよいものであった。どのような意図があって、この構造にしたのかは知らない。霊穴を利用し易くするためかもしれない。でもその構造は皮肉にも、椿の仕事をもし易くしてくれた。建物の内部と、霊脈に届くほどの深さまで満たされた魔力だけで、この場に同調することができたのだ。


 熊モード越しとは言え、直に霊穴に触れているのも良かったかもしれない。


 霊穴は見る見る癒えていき、これまでがそうであったように、周囲の雰囲気も一変していく。こちらを威圧するような教会の厳粛な雰囲気から、神社の境内のような静謐な雰囲気に変わっていく。霊穴が完全に癒えたことを示すように、霊脈はより深い位置へ遠ざかっていく。


 そして、場に充ちた椿の魔力は、皆に掛かった石化の魔法も融かしていった。


 ――やった、やり遂げた!




 少しよろめきながらも、白侍女シェロブが一番に駆け寄ってきた。白磁のように美しかった肌が、ヒビだらけになり、血まみれになっていた。その装束も、ほつれてボロボロになっている。不幸中の幸いか、皆の目を見る限り、意識ははっきりしているようだ。


『お嬢様!!

 見えていました、ぜんぶ』


『茜さんは、立ち会えなくて残念でしょうけど。

 まずはお祝いしましょう』


 少し遅れて駆け寄ってきたオリガ嬢も祝福してくれた。友人マーリンの暴走を目の当たりにした、弟殿下だけは複雑な表情をしているが。ニジニ兵たちは皆、使命を果たした喜びを露わにしている。


 3馬鹿にポーションを与え、すぐに治癒する。女神の使命は果たしたが、まだ禍根が残っているな。どうせなら、徹底的に女神の心配事は排除しておいてあげよう。


『ポーシャ!』


『はい! お嬢様』


『城から離れる人影を探して。

 絶対に逃しては駄目!!』


 魔王の助言でグーグル・マップなみの探索能力を得た覗き魔女ポーシャが、すぐに遠視の魔法を発動させる。意識をほぼ周辺の監視に割くため、ポーシャの身体的な補助はスターシャに任せる。


 さて、マーリンが城から出ていないのなら、ごく付近から彼を探す必要がある。


『カザン、お願い』


 地面から壁を作ることができるのだ、だってできるだろう? この魔王城と、続く地階の壁と言う壁を取っ払うのだ。隠れているマーリンを炙り出せ。放っておいたら、また増えてしまう。絶対に仕留めなければならない。


『そこまでかよ……

 何をやらかしたんだ』


 血にまみれ、ボロボロになった椿の衣服や外套に視線を向けながらも、カザンが魔法を準備する。石化のその瞬間、カザンは目でも瞑ってしまったのだろう、椿の身に置きたことは見ていなかったらしい。


 後方に控えていたオリガ嬢なら、全容を目にしている。後で聞けば良い。


 さあ、山狩りだ!

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