読点の男
@emiko1970
第1話
私はぎょっとした。
専業主婦である私は、ライターの仕事を請け負った。
600字以上、ひと記事50円。
それを毎日×5記事×一週間で納品。
計算するまでもなく、いくらもならない。
が、在宅翻訳の仕事を相手方の倒産で失い、
そしていくつかのトライアルも不首尾に終わったいま。
何かしら書くことを続けないと、腕がなまって仕方ない。
テーマは「恋愛」だ。
書くからには、自分自身の恋愛を掘り起こしてみよう。
とっくに忘れていた独身時代の、苦かったり、切なかったりした
恋愛のひとつひとつを、恥ずかしながら書き綴って提出した。
気恥ずかしい気もするものの、クライアントはプロなのだろう。
「OKです」という返信メールがくると、毎回ホッと胸をなでおろした。
クライアントは、ビジネスライクな人だった。
どう考えても、このライティングのとりまとめ(Shufti)だけで生計をたててるはずがない。ユーザー名を algorithm. いくつかの ジョブの実績があり、ワーカーからの評価も高い。
「恋愛」もかなりなボリュームの記事を書き提出したころ、
algorithm さんから、あらたなオファーが舞い込んだ。
「ひとり旅」を新しいテーマに書いてみませんか?
一人旅。私の十八番だ。
独身時代の私は海外一人旅を好み、イギリス、フランス、ハワイと旅行した。
ぜひに、と二つ返事。
いまとなっては懐かしい海外を旅したときの、つぶさな記憶を書き起こす。
ホルストの生家と間違えた地元の教会。
てっきり展示室かと、ドアを開けるとそこには
澄んだ歌声のおじいさんおばあさんが歌を歌う姿が現れた。
地元の聖歌隊だ。驚きながらも、全員が外に出て、道を説明してくださった。
それは、2月の雪の日のこと。
Have a good day!! と、元気よく全員で手を振ってくださった。
ホルストの生家は素敵だったけど、私の胸に刻まれたのは、そのいくつもの笑顔。
もう全員亡くなってしまったかもしれません。
でも、うら若き20代の日本人女性だった私のこの胸の宝石箱にキラキラ光って生きています。
フランスでは、道を訊いた警察官の皆さんがカンカンラインダンスを披露してくださった。ひとりの警察官に、Can I ask the way ? と尋ねると、おどおどした感じでそれを目撃した警察官数人が「ガンバレ―」って大喜びで応援に駆けつけて、それからダンスが始まって・・・・フランス人はおしなべて英語が苦手だから・・・・
フランスで、私はChannel のパリ本店に行きました。
店構えに圧倒されながらも私は、意味不明など根性でネクタイを購入。
すると、犬が私の足元にやってきた。
試着していたお金持ちの女の子が連れてきていたのだ。
レジで私にいやいや対応していた店員女性は、蜂蜜がとろけるような顔を見せていた。で、女の子は興味なさそうに、どのドレスにも首を振っていた。
あたかも、「もっといいのはないの?」とでも言いたげな様子で・・・
時を忘れた私は、いくつ書いても書きやまなかった。
algorithm さんは、いつのときも冷静にビジネスライクに
「OKです」や「検収いたしました」など、淡々と受け取る。
が、やがて私は一抹の不自然さを嗅ぎ取った。
まずそれは、彼、algorithm さんの返事のスピードだった。
どう割り引いても、彼は仕事がデキる切れ者だ。
おそるべき注意深さで、どんなミスも見逃さない。
厳しいな、と最初は思うも、それが安心感へと変わるのに時間はかからなった。
つまり彼からのOKが下れば、それは確実にOKなのだ、と。
粛々と彼は仕事を進めた。返事が遅れそうなときは、必ずその旨を事前に伝えてくださる。それは、つまりスケジュールの完全把握。自己管理能力に長けた人なのだった。ごく自然にこちらのスケジュールも伝え、ごく自然に互いのスケジュールを把握しあう連絡の良さへとそれは発展していった。
そして、ここが良かった。この文章が良かったと、具体的な評価をくれた。
内容に関する感想がないゆえ、却って、のびのびと筆が進む。
いいな。
こんな人、上司に理想的な人だな。私はデキる上司をもったことが嬉しくてならなかったのです。簡潔明瞭な連絡メール。生じそうな質問に対するあらかじめの回答。
そして、ある日私は彼のひとつの特徴に気づいたのです。
読点が、ひとつの文章に決まって、三つ。ほら、このように。
これは、このわりに特徴的な文章上の癖は、見覚えがありました。
以前、派遣社員で就業していた職場の同僚男性。
同僚というより、上司にすらあたる独身男性・・・
慶応大学出身のあのエリート男性だ。
よほどに、身元を問うてみようかと思いきや・・・
そうすれば、いままでの個人的な内容がバレてしまう。
私だとバレてしまう。
無用な対人関係は避けたいのが、主婦。
依然として黙ったまま、algorithmさんからのネットクラウド 仕事を請け負い続けたのでした。
え、そうだよね?
え、私だって気づいてるよね?
白々しく沈黙が、広大なネット空間に広がったのでした。
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