第53話 ばらばら

 レノーは一人で海岸の岩の陰にいて、目でクルルを探していた。彼はもう赤い腕をしていなかった。服を着替えたいが荷物がない。金も何もなかった。腹も空いていたし、のども渇いている。泣きたいくらい身体が痛んだ。


 太陽は彼の肌を容赦なく焦がした。もうすこし見通しのいい岩の陰まで、こそこそと移動した。足の裏が熱い。ごろごろした石の上を歩くので、ひどくこっけいな足取りになった。レノーに気づいただれかが笑う声を聞いた。レノーはそちらの方を見ようともしなかった。


 (クルルはどこにいるのだろう? フェミやアルルがトーンドーンに来ているとフィルが言っていたが、あれは絶対にうそだ。二人はビックリフだ。俺が見た夢のような、海岸の二人は、やはり幻だったのだろうか? フィルに飲ませられた薬は、いったい何だったのだろう?)


 岩の上を、一匹のカニが歩いている。奇妙な生き物を目の当たりにして、彼は自分が幻想の動物の国に入ってしまったような錯覚に陥った。いったいいつから幻想の中に入ってしまったのだろう?


 彼は今朝体験したことが現実であることを認めていた。ミル……。


 (ミルは俺を守り、敵を倒した。自分の命と引き換えにして……。彼もまた、いったいだれだったのか、クフィーニスだということ以外、何もわからない。どうしてフィルたちに捕らえられたのか、その理由さえも……。いずれ三人の遺体は発見されるだろう。その前に、早く他の観光客にまぎれて、この町を出なければならない)


 カニが岩の上に置かれた石と石の隙間すきまに入って行く。この奇妙な生き物を、食べられないだろうか? 石はもう一つの岩の上にもかかっている。レノーは迷った、しかし食べようと決心すると、自然に腕が延びて石を取り除いた。何かが岩の間に落ちている。もう一つの石もどけた。

 見覚えのある荷物がそこにあった。


 (なぜこんなところに……? クルルはこの近くにいるんだ)


 レノーはかわいらしいペタリンの姿を探した。どこにもそれらしい者はいない。

 彼は隙間すきまから自分の荷物を取り出すと、中から着替えを取り出した。半そでのシャツと長いパンツ、金もある。


 その場で着替えをすませると、荷物を持ってアグロウの干物ひものを買いに行った。焼き立てのアグロウを一度に三枚買って、がつがつと食べ始めた。ここに長居は出来ない。魚を焼いていた中年男が声をかけて来た。


「兄ちゃん、食欲おおせいだな」

「おじさん、ここがチギレだって、ほんとうかい?」

「そうともさ。昔のことだけどな」

「じゃあこのへんにクフィーニスはいるのかい?」

 ははは、と男は笑った。

「心配はいらないよ。クフィーニスなんかいない。いたら、牢屋の中か、処刑だから。そんなことよりも、金色の河口はもう見たかい?」

「見たよ。きれいだった」

「そうだろう? クフィーニスなんかいなくたって、金色の河口を見てアグロウの干物を食べりゃ、ここがチギレだって納得がいくものさ。焼いたアグロウ、うまいだろ?」

「うまかった。ごちそうさま」

「金色の河口をもう一度見て行けよ」

「そうする。ところでおじさん、今日このへんで何か事件なんか起きていない?」

「さあ、知らないな。まあ、ここの夕暮れが毎日の事件みたいなものだ」

「それもそうだね。じゃあね」

「あ、それから」

 中年男が声をひそめて言った。

「……カフェの中には入るな。その方がいい」

「……わかった。カフェの中には、入らないよ」


 レノーは最後の質問はよけいだったと思った、でも質問せずにはいられなかった。

 荷物が隠されていた岩の所に戻り、彼はクルルへの手紙を書いた。クルルの荷物に金の一部を入れてもとに戻し、手紙をその上に、さらに手紙の上に重しの石を置いてから辺りを見回して安全を確認した。二つの岩の隙間にまた二つの石をはめこむようにせてふたをした。

 もうレノーは一人で駅馬車に乗ってトーンドーンを去るつもりだった。


 (とりあえずあの分岐点ぶんきてんまで行く。クルル一人なら安全だ。クルルは追いつくだろう。アルルとフェミが分岐点に来たら事情を話す。皆、きっと驚くだろう。それから……? やはり、都に帰るしかないのだろうか?)


 レノーは駅馬車を拾いに向かった。


 ぴょこたんと海の中からクルルが飛び出て岸に上がった時、すでにレノーの姿は海岸にはなかった。ぺたぺた歩いて左右を見回す。荷物を隠した岩はどのあたりだっただろうか。  

 彼女は目印にして記憶しておいた背後のを見つけ、そこを探し当てた。二つの岩と二つの石。


「ここでちね。よち、よち」


 石を取り除いたクルルはギャバッと声を上げた。レノーの荷物がなくなっている! 自分の荷物の上には石ころを重しにした手紙がせられている。手紙を読んだクルルはもう一度ギャバッと小さく叫んだ。


 レノーは昨日の日没から起きたことを淡々と説明していた。そしてあの分岐点ぶんきてんで皆を待つと書いてある。クルルは迷った、だがいまはレノーをそっとしておこうと決めた。彼女はもう一度海に入ってアルルと交信した。


「あたち、その医者の家をさがす。ほんとうにレノーがそんな目にったのかどうか、たしかめる」


アルルから返事が返って来る。

「その医者の家は危険だ。クルル、君でもだよ。その家のまわりをしらべるんだ。もう事件が起きたことが発覚しているかも知れないし、そうなれば人だかりくらいしているだろう。君までが疑われることのないように。くれぐれも慎重に。何もわからなくたっていいんだ。それなら僕たちも駅馬車でトーンドーンから去ろう」


 そして、海岸の近く、岩山と樹木に隠れるようにして建つ医者の家をさがし始めた。

 まず初めに目についた道を町の反対側までずっとたどった。家は何軒か建っている。でも岩山と樹木に囲まれた家なんて、ない。それとも見落としたのだろうか?

 つぎに商店街からさっきの通りに出るいくつかの道をくまなくしらべた。やはりそんな家はない。レノーの妄想か、あるいは自分がカフェで体験したように、幻を見たのだろうか?


 もう一度最初にしらべた、町の外側を大回りする道の途中に、一本見落としていた細い横道があった。道の左右にが生い茂っているので、道だと気づかなかったのだ。比較的海岸の近くに、その家はあった。アルルが危惧きぐしていた通り、人だかりがしている。

 あまりじっとしているわけにも、さっさと通りすぎてしまうわけにもいかなかった。だがちょっと立ち止まっただけで、おおよその事実は聞いて取ることが出来た。


「あのフィルさんが……地下室に牢屋だって」

「いったいどういうこと? それに、診察室だなんて……。怖いわねぇ」

「鎖でつながれた男? なんでフィルさんたちがそんなこと」

「レルムまで……三人も死んでるなんて……」


 クルルはそれだけ聞き取ると、きびすを返そうとした。だれかの小さな手がクルルの手を優しくにぎった。振り返ると、一人の老婆がそこに立っていた。

「こんにちは……ドブシャリさん」

 老婆は微笑んでいた。


 駅馬車の中は快適とは言えなかった。一緒に乗っているのは老夫婦だ。二人とも大汗をかいている。暑いのはレノーも同じだ、だが彼は無感動だった。無口なレノーに、老夫婦は気まずく感じているようだ。レノーは会話するのがめんどうなのだった。ミルやフィル、レルムの亡骸なきがらが横たわっている光景が頭からはなれなかった。やがて年寄りたちは彼らだけにわかる話題について話を始めた。レノーは平気で、そのうち疲れからか眠り込んでしまった。

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