第2話
――まさか二十一にもなって、再び学生服を着ることになるとは思ってもみなかった。
あの事務所でのやり取りから三日後、景清は学ランに身を包んで、とある高校へとやってきていた。
登校の雑踏に紛れているつもりではあるが、心なしか周りの視線が痛い気がする。
……いや、これバレてないか?
マイナス思考を払拭できないまま、前日に曽根崎に言われた女の子の姿を探す。彼の言によると、その女の子が今回の事件の鍵になるというのだ。
「まず、犯人は男として考えよう。スカートめくりを欲望として思いつくのは大体男だからな」
景清は、曽根崎の推理を思い返していた。
「で、非常用ベル。これは景清君にも心当たりがあるだろうが、誰しも一度は鳴らしてみたいと思うものだ。しかし、わざわざ使い魔に叶えてもらうほどのものじゃない。では、何故そんな欲望が実現してしまったのか」
記憶の中の三十路男は、指を一度だけ鳴らして目を細める。
「――暴走してるんだよ。召喚者と使い魔の連携に、何かしらの齟齬が発生している」
それから彼は、その学校で起きた些細な事件をしらみつぶしにかき集めた。結果、奇妙な事件はどうも一人の女の子を基点に起こっていると分かったのである。
彼女が水泳の授業に参加すれば女子の下着が複数盗難される事件が起き、彼女の下校するタイミングで雨が降れば傘が何本か壊される事件が起き、とこういった具合だ。
……ささやかな欲望がだだ漏れるって、めちゃくちゃ恐ろしいな。機会があっても僕は、絶対に使い魔を呼ばないようにしよう。
景清は、人知れず誓ったものである。
ともあれ、今は女の子探しだ。校門にもたれてキョロキョロと辺りを見回していると、幸運なことにすぐにその子を発見した。
「ちょっと、いいかな」
突然の呼びかけに驚いた女の子は、大きな目を開いて景清を見た。いわゆるこの高校のアイドル的な存在で、確かに他の生徒よりも垢抜けた外見をしている。
「な、なんですか?」
「突然ごめんね。僕、今日からここに転校してきた山田タケルっていうんだ。だけど、職員室の場所がわからなくて……良かったら、案内してもらえないかなと思って」
そう言って微笑む景清に、女の子の目は釘付けになっていた。
それもそのはずである。
しっかり女の子の調査もしていた曽根崎は、今彼女がハマっている乙女ゲームの攻略キャラクターを完全に把握し、それを景清に叩き込んでいたのだ。
まるでゲームから抜け出てきたような男子に、意中のキャラと同じセリフを言われた彼女は、すっかり舞い上がってしまっていた。
――当の景清のセリフが、信じられないほど棒読みであることにすら、気づかぬほどに。
「……あれ。君の手、怪我をしてるよ」
乙女ゲーム通りのセリフをなぞりながら、景清は女の子の手を取る。女の子は、顔を真っ赤にしてされるがままになっていた。
「これ、タヌキの油。癖のある匂いだけど、びっくりするぐらい傷に効くんだ。職員室に案内してもらうお礼になるかわからないけど……」
景清が形の良い指先で、女の子の手にただの軟膏を塗ろうとしたその時である。
彼女が、景清の背後を見て悲鳴を上げた。
「危ない!」
振り返った景清の目に、バットを振り上げた男子高生が映る。しかし攻撃を予期していた景清は、慌てる事なく素早い動作で彼女を庇いつつ横に飛んだ。
地面に女の子と転がる景清だったが、すぐに別の男子生徒が彼を殴打しようと鞄を持ち上げる。
「君は逃げて!」
景清は言い捨て、すぐに身を起こすとその男子生徒にタックルをくらわせた。女の子は涙目で一つ頷くと、砂埃にまみれた服を払おうともせず、一目散に逃げていく。
「曽根崎さん! 特定はできそうですか!?」
男子生徒を突き飛ばした景清は、学ランの内側に装着していたマイクに向けて大声で問いかける。するとすぐに、耳につけたインカムから返答があった。
『無事に目星がついたよ。まったく、君というヤツは私の予想以上に優秀な仕事をしてくれるね』
「どうも。じゃあ僕もそっちに行きますね」
『そうしてくれ。犯人は体育館の裏に逃げたようだから……』
しかし景清は、その言葉の続きを聞くことはできなかった。
どよめきと悲鳴に辺りが急に騒がしくなる。異変に気付いた景清が見たものは、鈍く光るナイフを握りしめ、こちらに走ってくる女子高生だった。
――まずい。ここで逃げては、周りを巻き込んでしまうのではないか。
甘い考えに支配された脳は、彼の反応を鈍らせた。その隙をついた女子高生は、瞬く間に景清に距離を詰め――。
「アーメン!!」
――一人のエクソシストの、容赦ない鉄拳に沈められた。
ぽかんとする景清に、いつのまにか隣にいた柳谷が心配そうに声をかけてくれる。
「大丈夫ですか、景清さん!」
「ええ、僕は全然……。むしろあの子が大丈夫なんですか」
「ああ、今の京さんの拳は、僕の詠唱で悪魔だけにしか効かない特別製になっています。なので女の子は無事かと」
「うわ、本当に悪魔を殴る人なんだ。知らなかった。エクソシストってすごい」
「京さんをエクソシストの基準にされたら、同業者である僕としてはちょっと心外なんですが……」
複雑そうな柳谷に、女子高生からナイフを奪い取った京町が叫ぶ。
「柳ィ! 仕事!」
「はい、今行きます! ……では、景清さん。召喚者の方はお願いしますね」
「わかりました。助けてくれてありがとうございます」
頭を下げた景清は、曽根崎がいる体育館裏に向けて走り出した。
――恐らく京町が大暴れしているであろう騒音を、背中に受けながら。
+++
なぜ、こんな事になってしまったんだ。
一人の男子生徒は、殆ど泣き出しそうになりながらその足を動かしていた。――自分を追いかけてくる、やたらと足の速い不気味な男から逃れる為に。
最初は、ほんの暇つぶしのつもりだったのだ。たまたま古本屋で見つけた本に書かれてあった、“ 六本の指 ” 。使い魔を召喚して自在に操れるなど、ワクワクするような話ではないか。
それが、本当に召喚できてしまった時には、流石に震えが止まらなかった。恐怖だけではない、自分は選ばれた特別な人間なのだという高揚感がそこにはあった。
六匹の使い魔は、男子生徒のささやかな欲望を次々と叶えてくれた。
宿題を片付けたり、テストでカンニングをしたり、からかってきたヤツを懲らしめたり。
まさに人生は順風満帆で、このまま全てがうまくいくものだと思っていた。
それがいつからか、使い魔の行動と欲望に歯止めがきかなくなり……。
「追いついた」
「わああああああああ!?」
哀れなる男子高生の回想は、後ろから現れたもじゃもじゃ頭の不審者に遮られた。男は彼の襟を掴み、尊大に言い放つ。
「さあ、とっとと今回のからくりを吐いてしまえ。うちのアルバイトに手を出した罪は重いぞ」
「あ、アルバイト……?」
「君が使い魔に襲わせた男だよ。まさか知らないとは言わないな?」
「あ……」
男に迫られ、ようやく男子生徒は片思いの彼女に馴れ馴れしくしていた転校生の事を思い出した。途端に、胸を焼くような怒りがこみ上げてくる。
「あいつが悪いんだ! あの子には僕がいるのに、手なんて握るから……! そういう邪魔者は消えてしまえばいい!」
「そういう理屈はどうでもいいんだ。君は何らかの手段を用いて、うちのアルバイトに使い魔をけしかけた。……反省の色が見えない君に、彼の身に何が起こったか教えてやろうか」
男の口角が持ち上がり、歪んだ笑みになる。男は男子生徒の肩を片手で掴むと、耳に唇を寄せた。
「……君の使い魔の一匹は、彼の指を折った。一匹は、目を抉った。一匹は、肺をナイフで貫いた。一匹は、鼓膜を木の枝で破いた。一匹は、動脈を爪で裂いた。一匹は、頭をバットで潰した」
「……え……」
「君の欲望が生んだ罪だ。君の衝動が奪った命だ。……ただの魔法使いだった君は、とうとう殺人者に成り下がったんだ」
「……!」
ぐらりと男子生徒の視界が揺れる。それを必死で振り払い、彼は男に向かって叫んだ。
「そんな……そんなことはない! だって、呪い殺すことは罪にならないんだろ!?」
「ふふ、よく知ってるな。お利口さんを褒めてやらないといけないが、生憎と今はそんな気分になれない」
男の長い指が、男子生徒の首に巻きついていく。叫ぼうとしたが、男の囁いた呪文が耳に届くと同時に、喉が潰されたように声が出なくなった。
「君が法に裁かれるかどうかなんて、私にはどうでもいいんだよ」
首にかかる指に、力がこもる。
「……何故なら、私が今ここで、君を裁くからだ」
――殺される。僕は報復にあい、この不気味な男に殺される。
男子生徒は、目前に迫った自らの死に、恐怖した。
――使い魔は何をしてるんだ? 主人が狂人に殺されようとしてるんだぞ?
まさか、来ないのか? なんで? 何のための使い魔なんだ?
僕は、特別なんじゃなかったのか?
ああ、こんな事なら、あんな使い魔なんて呼ぶんじゃなかった。転がり落ちるように万能感に溺れていってしまったのだ。ごめんなさい。ごめんなさい。だけど助かった所で使い魔の帰し方なんて分からない。どうしたらいい。命乞いすらできない状態で……。
男子生徒の頬を一筋の涙が伝った時、突然割り込んできた張りのある声が、緊迫した空気を叩き潰した。
「やり過ぎだ曽根崎!!」
それは、今しがたまで想像の中で殺されていた男だった。
呆気に取られる男子生徒の前で、イケメンに蹴り飛ばされた不審者は地面に倒れこむ。
「アンタ高校生相手に何ガチ脅ししてんだよ! 三十越えてんだから、もうちょい大人になれ!」
「元気そうで何より」
「全くだ! ああもう、ほら、君大丈夫? ちゃんと謝ってくれたらいいからさ、何があったか話してくれないかな?」
イケメンに真摯な顔を向けられ、ようやく男子生徒は自分が助かったのだという実感がわいてきた。涙がボロボロと溢れ出し、嗚咽に膝をつく。
――本当は怖かったのだ。加速していく欲望が。それが全て勝手に叶えられてしまう環境が。
泣き出した男子生徒を見て更に勘違いしたイケメンは、もう一度男を強めに叩いたのであった。
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