第5話 夜陰 5
おぼろげな意識のなか。
唇に、何かが触れ、ゆっくりと痛みが和らいでゆく。どこかで聞いたことのある言葉が聞こえる。
「お願い……目を開けて……私を……守ってくれた人……」
ローラ! もしかして、ローラが居るのか!
希望に胸を高鳴らせて目を開いたが、そこにはローラではなく知らない少女の顔。
しかし栗色の巻き毛には見覚えがあった。その隣に、やはり栗色の巻き毛の、幼い女の子もいる。この子が彼女の妹か。何故か目隠しをしている。
「ああ、良かった! 気がついたのね」
「ここは……?」
「館のはなれの小屋。妹と必死に逃げていたら、あなたのお仲間の人たちが私たちを見つけてくれたので、馬車で戻ってきたの」
こんなことをしてくれそうな人物は、1組の双子しかいない。ローラの異母兄弟、ラケルとリデルが、館を脱出した姉妹と合流したのだ。
脇腹の傷はまだ痛いが、だいぶましになっている。上体を起こそうとして手をつくと、木製の床板が少し撓った。この小屋はおんぼろだ。
「きみが手当てしてくれたの?」
「いいえ。……リデルさんていう銀髪の女性の方が、あなたに薬を飲ませて、私の顔の傷も治してくれたのよ」
ここにローラのいない現実を思い知る。けれど、ローラを探す希望が残っていることを有難く思うべきだろう。
彼女の笑顔を初めてみた。瞳の色も髪と同じ栗色だ。下がり眉で困ったように見える。
亡者の僕も治っているということは、少なくとも飲み薬のほうは回復魔法と違うのだろうか? 何にせよ感謝すべきことだ。
それから、気絶していた間の出来事を聞いた。馬車がここに着いたときには、既に野良の亡者が血のにおいに惹かれて母屋に入り込んでいたこと、賊の何人かは亡者に襲われたらしいこと、「二人のお仲間」は姉妹とともに僕をこの小屋に運ぶと、母屋に入ったこと。
双子がなぜ母屋に行ったのか知らないが、双子と賊にそれぞれ違う意味で大きな借りがある。ぜひ返してやりたい。
「行かないで」
かわいい声と同時に妹のほうが僕の袖を掴んだ。目が見えないはずなのに、勘が鋭い。彼女たちを放り出して良いものか?
考える必要はなかった。
何者かが、壊れかけの扉を破って飛び込んで来たのだ。
「畜生! あんたのたちのせいで!」
それは半裸の耳族の女だった。緑の宝石が禍々しく光る。どす黒く血に塗れた刃物を持っている。
後ろで毅然とした声がした。
「メリッサ! 目を開けて」
「なっ……」
女の動きが止まった。
「さあ、よく見なさい。これがあなた達の暴こうとした、私たちの秘密」
動かぬ女の顔も体も、色鮮やかな首飾りも、見る間に色彩のない灰色の塊に変わってゆく。
「石化の魔力を持つ、この子の目よ!」
女の肉体ばかりではない。片手に押さえられ体の一部を隠していた布までも石になっていく。
女の短剣が床に落ちた。手に力が入らなくなったのか。それとも、石になりきる前に指先だけでも動かそうとしたのか。
安心するのはまだ早い。石像は、重みでゆっくりとこちらへ倒れてくる。
「避けろ!」
衝撃に次いで、バリバリと音を立てて腐りかけの床板が割れる。
僕も栗色の巻毛の姉妹も、どうにか床の残っているところに退避できた。
石像の薄く尖った耳の部分が、木の床に鋭い一撃を加えながら、それ自体もひび割れてしまったのが痛々しい。でもそれは僕らがひとまず助かったことに比べれば、どうでもいいことだった。
「私達が、怖い……?」
「少しね。でも助かった」
助けてもらってわるいが、本当は少しどころでなく怖い。石にされては不死身も形なしだ。
けれど、怖がられることを恐れる気持ちは痛いほど分かる。
「この子の魔力は、一度使うと戻るまでしばらくかかるの。何日も……。だから、あなたは大丈夫」
いまの話で、姉妹が今しがたまで、魔力を使って逃げることが出来ずにいたのも合点がいった。上手くやらねば、敵の動ける奴に殺されてしまうだろう。
「メリッサの目が見えないのも本当。魔力を人に使ったのは初めてよ……」
ぽつりぽつりと話しつつも、手際よく妹に再び目隠しをつけさせ、後ろでリボンを結ぶ。
「東都近くの尼僧院に行こうとしていたの。魔力持ちを受け入れない宗派もあるけど、その尼僧院は違うみたいだから……私達みたいな者でも救われると思ったの……」
彼女らに同情するが、それより双子が気になる。再会という条件こそ満たしたが、倒れたところを拾われた身。手を組む条件にあやをつけられはしないか? そもそも、なぜ彼らは東都で待っていなかった?
不意に、少女は僕の目を覗き込んだ。
「私はエレン。あの……本当に……覚えてない?」
(続く)
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