第2話 city escape

 校門を出ると、緩やかな下り坂が続く。


 枯れたように白いアスファルトの道の両脇には、同じく古びた家が建っている。

 家と家との間にはもう一軒家が建てられそうなスペースがあって、車が停まっていたりするのだけど、敷地の境目は無くてどこからどこまでがどっちの家の土地なのかわからない。

 道と家を遮る石垣さえ少ない。


 そんなのびのびと土地を共有している風情の町に昔から住んでいる私と紗季は、平気でべちゃくちゃ喋りながら人様の敷地を横断する。

 悠介もこの町に生まれ育ったのに、彼だけは声量を控えめにしていた。

 声だけでなく足音も立てないように緊張した歩き方をしているのが可愛らしい。


「そういえば昨日、超ショックなことあったんだよね」


 と紗季が言う。


「えー、なになに?」


「去年さ、BSで面白いバラエティ番組あったんだけど終わっちゃったって話、したじゃん?」


「あぁ、聞いた聞いた。かなりへこんでたよね」


 紗季は好きな番組が終わってしまうと大袈裟なくらい落ち込んで、一ヶ月は尾を引く。

 そういうことが去年にもあったのだ。

 その頃はまだインコが紗季の家にいて、悠介はまだ紗季の彼氏だった。

 だから落ち込んだ紗季を悠介は慰めようと寄り添うのだけど、紗季は落ち込みっぱなしだから困ったように悠介はさらに寄り添うという、それはそれは面白い二人の姿も見ることができたのだった。


「あれがなんか、いつの間にか地上波でやってた。昨日テレビ見てたらたまたまやってて。昨日まで気付かなかったから、一ヶ月分くらい見逃してたんだよね」


「え、BSから地上波に移ったの? そんなことあるんだ?」


「あるみたい」


 紗季も納得していないふうにうなずいた。

 やるならやるってCMとか流してほしいよね、と紗季は文句を言う。


「でもよかったね」


「うん。今度は死ぬまで終わらないでほしい」


 冗談のようなことを、真面目に紗季は言った。


「それは無理だと思うけど」


 私は苦笑する。

 死ぬまでは無理だろうね、と悠介も同意した。


「そうかね?」


 と紗季はおどける。

 無理だということは当然紗季もわかっていて、でも終わらないでほしいのも本心として持っている。

 だから、おどけることでピュアな本心を守るのだ。


「そうだよ」


 と私は笑う。


 悠介は、紗季になにか言いたそうに彼女を見ていたけれど、結局なにも言わなかった。

 だけど満足そうだった。

 掘り下げることができなくても、会話ができているだけでも幸せ、みたいな雰囲気を悠介は放出していた。

 美しい彼がそういう顔をしていると、見ている私も嬉しくてたまらなくなる。


 もしかしたら紗季も、悠介と同じような幸せを感じているのかもしれない。

 そうであるなら、二人の恋を応援したいと思っている私はこの上なく嬉しい。


 私は、悠介と紗季がよりを戻すことを願っていて、だけど二人がくっ付いたら私は二人と距離を置くと思う。

 二人きりにしてあげたいのと、色々なことが絡み合っていたとはいえ紗季の悠介を取ってしまっていた気まずさとで。

 私たち三人は幼稚園からの付き合いの幼馴染みだけど、その関係も終わる時が迫っている。

 三人で帰ることのできる今この時は夕日みたいに眩しい。


 その眩しい帰り道の前方に、茶色い犬が歩いていた。


「あ、チャイロさんだ」


 と紗季が言った。


 チャイロさんはこの町に暮らしている野良犬だ。

 野良犬なのだけど、チャイロさんは町のみんなに特別扱いをされていて、実質的に町全体のペットとなっていた。

 チャイロさんは、私たちが物心ついた時からこの町にいる。

 それどころか昔からこの町に暮らしているお爺さんやお婆さんたちは、自分たちが小さい時からチャイロさんはいたのだと言っている。

 犬の寿命を考えればそんなはずはなくて、元々チャイロさんと呼ばれていた犬が産んだ子犬がいつの間にか新しいチャイロさんになっているだけなのだろう。

 だけどチャイロさんは不老不死の犬だということで縁起ものとして見て、町の人たちはチャイロさんを大切しているのだった。


「チャイロさんってさ、どこに住んでるんだろうね」


 私は疑問を口にした。

 ペット扱いを受けていても野良犬だ。

 だから不老不死の噂に限らず、謎が多い。

 餌だって、みんながあげると肥満の原因になるから、誰も与えてはいけないことがルールになっている。

 仮に餌をあげようとしても、チャイロさんは全然興味を持たず、食べないらしいという噂もある。

 チャイロさんは噂だらけだ。


 ちなみに噂によると、チャイロさんは大きな木に暮らしているそうだ。

 太い幹の下の方が二つに分かれて洞窟のようになっている大木があって、そこでチャイロさんは寝るのだという。


「なあ、チャイロさんの後をつけてみないか」


 と悠介が言った。


「そうしたらどこに住んでるか、わかるかもしれないだろ?」


 彼の笑顔もまた整っている。

 彼にはこの世界で最も素敵な人生がどういうものかわかっているかのような、甘やかな提案だった。


 私と紗季は互いの表情をうかがって、嫌だという顔はしていなかったので、


「やってみようか」


 と答えた。


 私たちは悠介を先頭にし、チャイロさんの十数メートルくらい後ろを歩いた。

 尾行に気付かれないように、と言っても犬は嗅覚とかで私たちの尾行になんかとっくに気付いているかもしれないけど、とりあえず足音を立てないように歩く。

 チャイロさんは振り向くことも止まることもなく歩き続けた。

 とはいえ、どこかに向かっているふうでもなかった。

 交差点で左に曲がり、右に曲がって古い小屋のすぐ脇を通り抜けた先でまた右に。

 チャイロさんはまだ寝床に帰るつもりはさらさらないのかもしれない。


 段々と遊ばれているような気がしてきたけれども私は無言を貫いた。

 悠介も紗季も、一言も口を開かずにチャイロさんを追った。


 そして狭めの道を左、左、右と曲がって進んでいくと。

 随分前から人の出入りのない大きな家の生け垣にチャイロさんは入っていった。

 あれっと思ってチャイロさんが入っていったところを見ると、手入れされていない生け垣のそこだけにくり抜かれたように綺麗な真四角の穴が空いていた。


 生け垣の穴は大きく、ハイハイすれば私たちでも通り抜けられそうだった。

 その穴の向こうを覗いてみるとチャイロさんは既に穴を通り抜けて進路を変えたようで、その姿は見えない。

 そして向こう側には桜の木の根元が見えたが、その木は噂のような二股の木ではなかった。


「どうする?」


 と私は聞いた。

 今ならまだチャイロさんを追いかけられると思った。


 だけど紗季は私と悠介の後ろに立って、生け垣の穴を覗き込むこともせず、


「いや、やめておこうよ」


 と言った。


「流石に敷地内はヤバいって」


 そんなこと言ったら、これまでの道のりでも他人の家の敷地に何度も無断で入っているのだけど。


 でも生け垣という形で明確に敷地が囲われているこの家は他の家とは違って入りにくいという気分は私もよくわかる。

 敷地の内外を明確に線引きする垣根は、縄張り意識が強そうな印象を私たちに与える。

 きっとこの家にはもう誰も住んでいないというのに、なおも拒絶の緊張感を私たちに向けていた。

 つまるところ、のんきが過ぎるようなこの町ではかなり異質な家なのだった。


「いや、行ってみよう」


 そう言うと悠介はハイハイして生け垣に入っていった。


「えっ、嘘でしょ?」


 紗季が戸惑うのをよそに、私も悠介の後に続いた。


 生け垣は外から見た時よりも不思議に厚くなっていた。

 見た印象と違うとかいう話ではなくて、私にはわからないなにかしらの理由によって、あからさまに伸びていた。


 二メートルくらい進んで、やっと向こう側に出る。


「これは、一体どういうことなんだろう」


 悠介が辺りを見回し、不可解そうに眉を寄せた。

 困った顔もまた良い顔をしている、と思ったが、辺りを見てみると確かにどういうことなんだかわからない光景だった。


 私たちが出た所は、外から見ていた家の敷地ではなかった。

 穴を覗いた時に見えた桜の木もなかった。

 私たちは鬱蒼とした山道に立っていた。

 さっき私たちが出てきた生け垣を見ると、そこは生け垣ではなくて、幹の下の方が二股になっている大木になっていた。


「不思議なことが起きているみたいだね」


 と私は言った。

 そうとしか言いようがなかった。


 どうしてこんな所に出てしまったのかはともかくとして、山道を上っていくチャイロさんはすぐに見つけられた。

 チャイロさんはこの道を知っているのか、辺りを見る様子もなく道沿いに歩いていた。


「きっと、チャイロさんがここに招いたんだ」


「冷静だな」


 と悠介は笑った。


 でも冷静って言われるのは違和感があった。

 私はただただ目の前で起きている不可思議な現象を受け入れているだけだった。

 不思議は不思議だけど、そういうものだと認めている。

 冷静さというよりかは一種の思考停止に近いと思った。


「紗季、来ないね。どうする?」


 大木の股を覗いてみるけれど、暗くて奥の方が見えない。

 だけど私たちに続いて生け垣の穴に入ったのなら、後ろの大木から出てくるはずである。


 紗季を呼んでみるけれど、返事はなかった。


「どうしよう、戻る?」


 もう一度悠介に聞いた。

 悠介は首を振った。


「行こう。チャイロさんがどこに行くのか、確かめよう」


 彼がそう言うのなら、私は従うだけだ。


 私たちが立ち止まっている間に、チャイロさんとは距離が随分空いてしまっていた。

 小走りになって追うと、チャイロさんは道から外れ、石の階段を上り始めた。


 階段には、両脇の木々の枝葉が複雑に絡み合って、緑色と茶色の混じり合ったアーチがいくつも作られていた。

 人為的なものを感じさせる造形が、あたかも自然発生したかのような不器用な色合いで存在している。

 この木々のアーチの階段も、さっきの生け垣と同じ類いの道だということが、なんとなく察せられた。

 私たちの町からもっと遠い場所へ行くことになるのだろう。


 それでも構わずに私たちは薄暗い階段を上った。

 悠介の足取りには迷いがなくて、私はそれをぼんやりと追っていた。


 どれだけ上ればいいのだろう、と見上げたところで角度が急で頂上は見えない。

 それでもやがてアーチがほのかに照らされているのが見えた。

 日の光が当たる、開けた場所に出るのかと思ったが、頂上にたどり着いてみるとそうではなかった。


 そこは階段のアーチのように、いくつもの木々がしっちゃかめっちゃかに絡み合って作られたドームだった。

 そして至る所にウツボカズラのような形の植物が垂れ下がっていたり、横たわっていたりしていて、そのウツボカズラらしきものが薄らと光っているのだった。

 ウツボカズラらしきもの一つひとつの光は弱いのだけど、それが無数にあることで、あたかも日の光が充満している空間のような風情をかもし出していた。


 いよいよ別世界みたいな所に来ちゃったな。


 そう思ったけれど、そんな別世界にも人はいた。

 女性だった。

 綺麗だけど、精霊とかではなく、人間だとわかった。

 モデルさんみたいな美しさで、それは私たちに親しみのある雰囲気だった。

 そういう美しさは、悠介という身近な例もあるから、よく知っている。


 お姉さんはラウンドネックの白いTシャツにジーンズというラフな格好で、線の細いアンティークの椅子に座っていた。

 肘を突いているテーブルも華奢で、そういった家具に馴染んでいる彼女はこの空間の主だとわかる。


 チャイロさんも、彼女の足下でしっぽを振っていた。


「久々のお客さんね」


 お姉さんは微笑み顔で私たちを見つめた。

 そして彼女は親しみを込めた声で、


「“死なない人間”になりに来たの?」


 と言った。

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