8月

33,残酷に満ちた世界

 夏休みに入っても雨や曇りの日が続いた。


 ようやく晴れたと思ったらこんどは台風が接近して、雨にはならなかったものの海が大荒れ。夏の一大イベントである‘1回目’の花火大会は中止になった。


 笑と幸来はこの世界に来て初めての花火を楽しみにしていたが、これはがっかり。とはいえ海上で打ち上げる花火に荒波は禁物。安全確保のためには仕方ない。


 しかし茅ヶ崎では年2回花火大会が開催される。2回目は世界最高峰の超豪華な花火で、10月の澄んだ空に打ち上がる。こちらは中止にならないことを願う。


 花火大会が中止になった翌々日、月曜の朝。笑と幸来はリビングのソファーに座ってワイドショーを見ていた。


 この世界は想像を遥かに絶するほど残酷で、二人はときに涙しながら、口を一文字に締めていた。嗚咽を漏らした日も何度かあった。


 自分たちのいた世界は、実はとても平和だった。ブラックサイダーを加味しても。ブラックサイダーはイキイキとした日々は奪うが、命までは奪わなかった。


 他方この世界では、毎日誰かの命が奪われる事件や事故があって、どこかの国ではずっと戦争が続いている。ちょっと外に出ただけで、暴走自動車や悪質自転車に轢かれて、誰かに襲われて命を落とす危険性がある。事件や事故は、まったく他人事ではない。


 平和な世界で暮らしてきた笑と幸来にとっては、常に戦々恐々の日々。


 もう、手も足も出ない。


 それをこの世界に転移してから毎日痛感させられている。


 気丈に振る舞う二人だが、メンタルは危険な状態。そもそも二人は家族やほかの仲間とはぐれている。それだけでも極めて厳しい状況なのに。


「ほらほら、テレビばっかり見てないで、せっかく夏なんだからセミの声でもお聴きなさいな」


 言って、紗織は二人に背後から近寄ってテーブルに置かれたリモコンを手に取り、テレビの電源をオフにした。


 事実から目を背けたくない。だから二人はテレビやネットニュースを見る。外を歩いて、社会の流れや自然の仕組みを観察する。


 しかしこの世界はどちらかといえば負の要素が強いから、ときには強制的に『見る』や『知る』を遮断して、メンタルバランスを保つ必要がある。


 外ではミンミンしゅわしゅわジリリリリとセミが鳴いている。テレビをオフにすると、その音がエアコンの稼働音に混じってよく聞こえてくる。


 やる気が、出ない。


 アニメの世界にいたころは、遊びや勉強、何かしらのやる気がみなぎっていた笑と幸来。けれどこの世界では、誰と闘わなくても、攻撃をされなくても、心がどんどん闇へと引きずり込まれてゆく。


 強いな、この世界の人は。


 こんなにも苦しくて残酷に満ちた世界でも、夢や希望を追っているんだ。

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