幕間:醜くて美しい世界

 5月4日、残りわずかのゴールデンウィーク。


 アニメの世界から転移して一週間が過ぎた笑と幸来はその間、この世界の一般教養を学んだり、逢瀬川家の三人と横浜よこはま東京とうきょうなどに出かけて街の雰囲気を掴んだ。


 どこの街もアニメの世界より遥かに殺伐としていて、笑い合いながら横に広がって歩く人の群れの周りには、道を塞がれ迷惑そうに顔をしかめる人がいた。


 バスに乗れば運転士が「止まるまで席を立たないでください」と言っても構わず立ち上がり出口へ向かう人が大半。窓の外は逆走自転車だらけ。


 駅のホームでは目の不自由な人に歩きスマホをしている人がぶつかって、前者が線路に転落、負傷。電車には轢かれなかったが、目の前で急停車した。


 この世界は、自分たちの育った世界と比べて身勝手な人があまりにも多い。


 笑と幸来はそれを痛感した。


 その他、この世界で暮らすための一般教養として具体的には総理大臣や大統領、国王、人気の芸能人などの名前と顔、各都道府県の庁所在地、神奈川県内の市町村、茅ヶ崎を通る東海道線の東京から熱海あたみまでの駅順などを暗記。


 茅ヶ崎駅は相模さがみ線というローカル線の起点になっているが、地元にずっと住んでいてもその駅順を覚えている人は少ない。故に笑と幸来も追い追い覚えることにした。


 逢瀬川家のリビング。ソファーに腰を下ろし勉強をする二人。テーブルには社会科資料集やカレンダー、鉄道時刻表、聡一のタブレット端末が置いてあり、それらを駆使して勉強した。


 ただしタブレット端末はこの世界ではスタンダードでも、アニメの世界にあったものとは比べ物にならないほどの高性能で、二人は使い勝手がわからずしばし戸惑った。


「カレンダーを一通り見てみたけど、祝日はどっちの世界も同じみたいね」


「じゃあきょうは『みどりの日』だね」


「えぇ、そうみたい」


 こんな感じで勉強を進めている間に、聡一は市や学校の関係者と相談して笑と幸来の住民登録および住民票の取得、それをベースに生徒登録を進めた。


 高校入試は昨日受験。学科試験、クレペリン検査、知能テスト、作文、面接を実施。その成績に基づき、見合ったクラスに配置する。


 他方、先日撮影した動画の再生回数は百回を突破。あまり多いとは言えないが、今後も新作を披露して視聴者の裾野すそのを広げ、なるべく早いうちに笑と幸来の大切な人たちと再会できるようにしたいところ。


 一通り勉強をしたところで気分転換をと、笑、幸来、思留紅、沙織の四人はマニュアルの黒いミニバンで茅ヶ崎市北部の里山公園を訪れた。マニュアル車にしたのは聡一がまだ大学生だったころ、アクセルとブレーキを踏み間違えて近所の家の壁に激突しかけたというヒヤリハット体験があったため。


 その甲斐あってか聡一、沙織とも無事故無違反ゴールド免許。慣れればオートマ車よりマニュアル車のほうが安心して運転できると、聡一は実感している。


「うーん! 山側は風が気持ちいいね、潮がなくてベタベタしない」


 沙織は両手を天に伸ばし、里山の空気で深呼吸。


 眼下にはなだらかな初々しい緑の丘と小川、数十の鯉のぼりが対岸まで連なり、初夏を華やかに彩っている。


 それを見た笑と幸来は、背丈の異なる草花の一本一本がふわっふわっと揺れるそのなめらかさと鮮やかさに、一瞬で心を奪われた。


 自分たちの世界よりずっと殺伐とした胸が苦しくなる世界なのに、広がる景色は、なんて美しいのだろう。


「ほんと、気持ちいい」


 幸来もさやかな風を浴び、ふわふわ髪をなびかせている。


 思留紅ははためく鯉のぼりの群れと、小川ではしゃぐ子どもたちを観察している。


 私も5年前までは、あそこで遊んでたな。懐かしい。


 たった5年でも、子どもにとってはとても長い歳月。


 5年前といえば、ラブリーピースのアニメがちょうど完結したころ。


 隣にいる二人はアニメに出ていたころより大人びたお姉さん。時の流れを感じずにはいられない。


「茅ヶ崎って『へいわ市』となんとなく雰囲気似てるよね」


 笑が言った。


 へいわ市。笑と幸来が暮らしていたふるさと。沿岸部に位置した年間を通して温暖な街。冬でも雪は滅多に降らなかった。


 街は住宅地を中心に構成され、駅の近くには市民で賑わう商店街があった。


「そうね、海があって、低い山があって、シラスが名産で。よく似ているわ」


 私たちがふるさとのへいわ市に近い環境の茅ヶ崎に転移したのは、きっと必然的な意味がある。


 そう思わずには、いられなかった。


 ゴールデンウィークが終わると、いよいよこの世界の正式な住民として学生生活が始まる(現在は住所不定無職)。


 この世界の有り様を見ていると、精神崩壊せず暮らしてゆけるか不安で仕方ないが、世界を救った戦士として、肝を据えて普通の暮らしに臨む。

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