ジゼルさん、そこ、窓です

 なにか喋ると、声がひっくり返りそうだ。ぷるぷる震える僕を満足そうに笑い、立ち上がったセシルさんが扉へ向かう。

 ぱたん、閉じた音に弾かれ、両手で顔を覆った。


 うわあああああッ!!! なんなんだ、あの人!?

 なんて声で囁いてるの! 声が甘いって、ああいうこと!?

 師匠の持ってた本に『甘い声』とか載ってて、声が甘くなるわけないじゃん。とか思ってた僕がいたよ!

 あああッ、耳がこそばゆい! 突然の対応にどうしたらいいのかわからない!!

 セシルさん、これまでの清廉なお兄さんの印象から、だいぶ実力行使な方向にシフトチェンジしてきたね!?

 あっ、実力行使は元からか! なんだ、なにひとつ変わってない!!


 変わってる変わってる!! うっかりしないで、僕!

 これまで腰に手を添えられることとかあったけど、ここまで近づかれることなんて、なかったから!

 ん!? 腰さわられたの、結構前のことだよな?

 えっ、うそ!? そんな前から!? あれっ、最初に花あげたのって……そんな前からッ!?


「……そういえば、セシルさん、ドレスがどうとか言ってた……」


 今まで不思議な人だなーとは思っていたけど、それって、その、……ううっ。気がつかなくてごめんなさい……ッ。

 だって今まで男の人だと思っていたんだもん。

 失礼だけど、この優男め、って何度も思っていたんだもん……。


 ……待って。これまで僕、女の人と同室で過ごしていたの?

 なにしてるの、僕。えっ、これからは部屋をわけてもらおう。あ、でもお金セシルさんの……。うううっ。


 ベッドの上で、じたばたする。

 身体が火照ったり、血の気が引いたり、自分でも慌しいと思った。

 これで「冗談でした」とか言われたら、確実に僕は傷つく。いたいけな純情がもてあそばれたって、木のうろに閉じこもる。樹海に埋もれて、二度と人里に行かない。じたばたしている自分が恥ずかしい。

 でも、セシルさんみたいなキレイな人が、僕なんかを選ぶなんておかしいし……。


 ……あれ? 僕、セシルさんに「お嫁さんになって」って言われたよね?

 セシルさんの中で、ウエディングドレス、誰が着ることになってるんだろう……?


 ざっ、と血の気が引いた。

 ……いやだ。僕、そんなの着たくない……。

 いや、きっとセシルさんの言葉のあやだ。きっと……!


 なんでだろう!? セシルさんが着てくれる想像が一向にできない! あの見た目優男め……!!

 そもそも僕、セシルさんのことどう思ってるの!? ちょっと展開についていけてない。時間がほしい! 時間がほしいよお!!


 コツコツ扉が鳴る音がし、心臓が飛び跳ねた。裏返りそうな声をなんとか正して、応答する。

 扉を開けた人は、セシルさんととても顔が似ていた。直前まで考えていたことがあれだったから、とてもびっくりした。


「よ! 具合、どうだ?」

「えっと……、あ。ジゼルさん」

「ははっ、そうだったな。直接は一回しか会ってなかったな」


 そうだ、セシルさんのお兄さんのジゼルさんだ。

 僕の元までやってきたジゼルさんが、わしわしと頭を撫でてくる。

 ……あれ? ジゼルさんの手、すごく冷たい。白の手袋しているのに……。前に握手したとき、こんなに冷たかったっけ?


「ジゼルさん、手……」

「わりぃ。冷たかったな」


 ぱっと離れた彼は人好きの笑みを浮かべていたけれど、どこか無理をしているようにも見えた。

 ……どうしたんだろう。心配になってしまう。

 宙に浮かされたジゼルさんの手を両手で包むと、想像していた以上に冷え切っていた。……真冬の手みたいだ。

 一瞬目を見開いたジゼルさんが、悲しそうな顔で微笑む。


「……お前、あったけぇな」

「ジゼルさんが冷え切っているのだと。……なにか、あたたかいものを」

「あー、いい、いい。それよりさ! 俺と散歩いかねぇ?」


 ひんやりしたクランドを膝から退けて、今自分が使っている毛布を被せようとした。

 手を振って笑ったジゼルさんの提案に、はたと瞬く。

 セシルさんにここで待つよう言われているし、僕もろくに動けそうにない。断ろうと口を開くも、先にジゼルさんがにこにこ笑っていた。


「――って、本当はルーカスに呼んでこいって言われてるだけなんだけどな」

「ルーカスさんが?」

「おう。連れてってやるよ」


 ルーカスさんが呼んでいるなら、なんだっけあれ、抑制剤? とかの話かな。

 床に足をつけてみた。……ううん、やっぱり力が入らない……。重いというか……。このまま立ち上がると、つんのめって転びそう……。


「ジゼルさん、僕、今動けないんですけど……」

「へーきへーき。連れてってやるって」

「え」


 膝裏と背中に腕を入れられ、軽々と身体を持ち上げられた。

 ……ショックで言葉が出ない。……今日だけでふたりの人から横抱きにされた。屈辱だ。つらい。涙が滲んできた。プライドぎたぎただ。

 震える僕のことなどお構いなしに、ジゼルさんが窓を開ける。

 うん? 窓?


「しっかり掴まって、口閉じてろよ」

「えっ!? 待ってここ2階!! まってまってま……ッ!!!!」


 ぴょんと弾む衝撃があった。次いで、内臓が浮く感覚に襲われた。

 しっかりとジゼルさんにしがみついて、固く目も口も閉じたけれど、最後にがくんときた衝撃は痛かった。


「ッ、ふぇ」

「はは! 泣き虫」

「うるっさいですよ!! なんだって玄関使ってくれないんですか!? 窓から飛び降りるなんて、横着がすぎます! 死ぬかと思いました!!」

「わりぃわりぃ!」


 愉快気に笑ったジゼルさんが、僕をキルシュ姐さんに乗せる。

 咄嗟にセシルさんの暴走運転を思い出して震えたけれど、僕を抱えるようにして乗ったジゼルさんの運転は、とても緩やかなものだった。

 ……なんだ、この肩透かしのような感覚。どうしよう、毒されている……。

 唖然と背後のジゼルさんを見上げる。さらに後ろの建物に、人影が見えた。


「ジゼル!! 何の真似ですか!?」

「はわわー! ジゼルさんっ、なんてことをー!!」

「あれ、セシルさん? マチルダさん?」

「あー、やっぱ気づくの早ぇーな、あいつ。わりぃな、速度上げるわ」

「え? ジゼルさん?」

「ジゼルッ!!」


 聞いたこともないくらい怒っている声で、セシルさんが2階から飛び降りる。……この人たちの身体能力、どうなってるんだろう?

 ひたすら困惑する僕を片腕で抱き込み、ジゼルさんがキルシュ姐さんの腹を踵で叩いた。駆ける速度が上がる。


 ――え? まさかジゼルさん、ついていっちゃいけない人?


「ま、待ってください、ジゼルさんっ、降ります! セシルさんが……!」

「ごめん。無理」

「なんでっ、降ります! 降ろしてください! ジゼルさんッ!!」

「……ごめん。本当は俺も、こんなことしたくなかったんだ」


 ジゼルさんの腕を解こうともがくも、彼の腕はびくともしない。

 景色が過ぎる。血の気の引く音がした。彼の身体は、驚くほどに冷たい。


「なあ、同情してくれよ。話すから」

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