そういうのって、ありですか?

 セシルが降り立った大樹の根元に、アオイはいた。生きもののように大きく盛り上がった根に座り、幹にもたれたままぴくりともしない。

 簡易照明で辺りを照らしたセシルが、真っ先にアオイへ向かって駆け出した。


「アオイくん!!」

「こないでください」


 ぴしゃりとした硬い声に、セシルの脚が止まる。うすらと開かれた少年の目は、薄暗さに紛れない金色をしていた。


「……僕、ずっと違うと思ってたんですけど、本当にバケモノだったんですね」

「違います! きみは、……ッ」

「ずっと、普通の人間だと思っていました。……普通の人は、植物で家壊したりなんか、しませんよね」


 自嘲の混じる声音で呟き、アオイが目を伏せる。


 アオイは自身を魔術師だと認識していなかった。セシルに指摘されて、はじめてその存在を認知した。彼はそれまで、『普通の人』として生活してきた。


 気まずく視線をさ迷わせたセシルの視界に、周囲の様相が映る。

 地下室だったそこは、もはや部屋とは呼べない状態へと成り果てていた。植物の根が絡む人工的な床が辛うじて残り、ざわざわと草木が揺れている。

 固く手を握り締めたセシルが、一歩踏み出した。伸び上がった茨が交差し、彼女の行く手を遮る。


「それは肉かッ、ジネヴィラがきみに強要したためです!」


 寸でのところで『肉塊』の言葉を飲み込んだセシルが、懸命に声を張る。

 小さく首を横に振ったアオイが、ぽつりと唇を開いた。


「花なんて編めなければいいと、何度も思いました。役立たずだと、これのせいで殺されそうになるだなんて、馬鹿げていると、ずっと思っていました。……でもっ」


 少年の声に涙が帯びる。両手で顔を覆った彼が、深く俯いた。


「本当に、僕のこと、殺した方がいいのかもしれません。自分でも得体がしれないッ」

「アオイくん、落ち着いてください。これは、一時的な魔力の暴走です!」

「花で他人を傷つけました!! 喜んでもらいたくって編んでいたのに! こんなっ、人を傷つける道具にしてしまった!!」

「……っ、私は! きみからはじめて花をもらいました!!」


 はじめて聞いたセシルの大声に、アオイがびくりと身体を強張らせる。苦渋に満ちた顔で、セシルが言葉を続けた。


「嬉しかったんですッ。きみから花をもらう度、私は幸福を感じていました! きみを隣に感じることがしあわせだったんです! きみの『いってらっしゃい』と『おかえりなさい』が、とても心地好かった!」

「っ、」


 ぐすり、アオイが嗚咽をもらす。セシルの並べた言葉の中に、彼がこれまで得ることのできなかったものが含まれていた。


「きみをここまで追い込んだのは、私の責任です! きみから目を離してはいけないとわかっていたのに、ひとりにしました!」

「それは……僕が、セシルさんを疑ってるせいです。……セシルさんも、騎士団の人、なんですよね」


 勢いをなくしたアオイが、静かに目を伏せる。

 彼は騎士団への信用をなくしていた。当然だろう。彼を監禁したのは、騎士団の重役だ。


 悔しそうに手を握り締めたセシルが、自身の胸に手を当てた。彼女が声を張る。


「私を信用できないのでしたら、それでも構いません! 疑ったままで結構です。それでも、責任を取らせてください!!」

「せきにん……?」


 セシルがその場でひざまずく。状況についていけていないアオイが、驚いたように瞬きを繰り返した。


「アオイくん、きみのことが好きです。お願いです。どうか私のお嫁さんになってください」

「……え」


 ぴたり、空気が硬直する。

 おろおろと困惑を示したアオイが、悪くなった顔色で両手を上げた。


「あっ、あの、すみません、セシルさん。あのっ、……僕、男です」

「はい。存じてます」

「ええっと、……セシルさんも、男の人、……ですよね?」


 ぴしり、空気が硬化する。

 じっ、とセシルとアオイが見詰め合った。お互いが抱いている誤解について、鈍くなった頭がゆっくりと思案する。

 そもそもアオイがここまで振り切れた背景には、ジネヴィラに襲われたことが切っ掛けにある。

 事情を知らないセシルが、静かに口を開いた。


「……混乱させましたが、訂正させてください。私は女です」

「……はい?」

「アオイくんでしたら、どこを触っていただいても構いません。どうぞ、ご確認ください」

「は!? い、いえ!!」

「これで誤解が解けるのでしたら、いくらでも!! くっ、残念ながら胸はないので、直に触っていただくか、ないものを確認していただければ、理解もはやいかと……!!」

「ま、待ってください、セシルさん!! かなり大胆なこと言ってます! や、やめてください……!!!」


 真っ赤な顔を背け、涙目で震えるアオイへ、立ち上がったセシルがずんずん近づく。

 運動神経の優れたセシルにとって、神木のような木を登ることなど造作もない。軽やかに足場を蹴り、あっという間にアオイの元まで辿り着いた。


 びくりっ、少年が肩を震わせる。動きの悪い身体を幹へと寄せた。彼は怯えた顔をしている。

 その幹に腕をついたセシルが、薄らと整った顔を笑ませた。今にも泣き出しそうな少年へ、顔を近づける。


「どうぞ。ご納得いただくまで」

「だっ大丈夫です!! わかりました! ごっ、ごめんなさい、勘違いして!!」

「構いません。それでは、返事をいただけますか?」

「あ、この場で答える感じなんですね!? な、なるほど!?」


 震えるアオイの耳許へ唇を寄せ、「返事は『はい』か『これからもよろしくお願いします』でお答えください」セシルが囁く。


 女性経験もなければ、他人との接触も少ないアオイは、大混乱だ。鳥肌が止まらず、おろおろしている。

 せめてもの心の距離にと、間に両手が立てられる。

 セシルの片手が、彼の両手首をまとめた。ひえっ、小さな悲鳴が上がる。


「アオイくん、返事は?」

「はっ、はい!!」

「……ふふっ、嬉しいです。やっと確約を得られました。二度ときみを離しません。これからは、どんな災厄からも私がきみを守ります」


 幸せそうに頬を染めたセシルが、誰もが見惚れる笑みを浮かべ、アオイの背に腕を回す。

 一度きつく抱擁されたそれに、少年はひたすらに動揺していた。


 ――どうしよう、返事のつもりで返した言葉じゃなかったのに……!

 こんな感じで将来を決めて、大丈夫なのかな!?

 もしかするとセシルさん、僕を連れ戻すために一計を案じているのかも……いや。ここでセシルさんに「冗談ですよね?」なんて聞く勇気なんかない。

 とりあえず、落ち着いてからもう一度聞いてみよう。

 ……落ち着ける場所なんて、あるのかな……?


 自身が起こした騒動を振り返り、アオイが落ち込む。

 そんな彼をひょいと横抱きにしたセシルに、少年がげげっ、と顔を歪めた。


「せ、セシルさん!!」

「ひとまず地上へ出ましょう。クランドくんに、きみの無事を伝えなくては」

「そうだ、クランド! クランドは無事ですか!?」


 はっとしたアオイがセシルに縋りつく。

 地上での様子を思い返したセシルが、難しい顔で沈黙した。


 あのドラゴンに敵う戦力などないだろう。むしろ、周囲への被害が甚大なのでは……。


 そこまで考えた彼女が、微苦笑を浮かべた。

 さて、逃走経路を確保しなければ。行き当たりばったりのセシルが頭を悩ませる。


「クランド、ここに来てから、花も水も口にしていないと言われたんです! それで花を編んだのに、ナントカモーガン先生にあげるって、全然クランドに食べさせてくれなくて!」


 アオイの訴えに、ぴたりとセシルの動作が止まった。驚いた様子で、彼女が少年を見詰める。


「アオイくん。それはもしかして、ブランドン・モーガン氏のことですか?」

「あっ、はい! その人です! セシルさんが前に新聞で読んでくれた名前だって、思ったんです!」


 表情を明るくさせたアオイが、何度も首を縦に振る。

 唖然としたセシルが、ゆるゆるとその場に屈み込んだ。右腕と膝でアオイの身体を支え、左手をピアスに添える。


「……ジネヴィラが、モーガン氏に、ですか」

「あ! あの男の人、セシルさんのとそっくりなピアス、襟につけて話していました! えっと、お茶会がどう……とか。それで花がたくさんいるって……」

「わかりました。情報提供、ありがとうございます」


 一度やわりと微笑んだセシルが、「こちらカーティス」鋭い目でピアスへ向けて話しかけた。

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