こういうの、誘拐っていうの知ってる

 積荷に凭れながら、後ろ手に縛られた体勢でアオイが顔を伏せる。

 立てた膝にはぐったりと眠るクランドが乗っており、少年の足首は腕同様に縛られていた。


 屋根つきの荷馬車には見張りの男も同乗しており、大きな傷跡の残る顔を顰めている。

 その手にはクロスボウが握られ、腰のベルトには見るからに物騒なナイフがぶら下がっていた。


 どれほど走っただろうか? 足場の悪い道は時折積荷を弾ませ、乗り心地の悪い振動を与える。

 帆布を差す日差しも色が変わり、日没が間近なのだと知らせた。


 御者席から笑い声が響く。

 静かな荷台を占める音は、馬の蹄と土を蹴る音、荷台を支える滑車の軋み、そして下卑た高笑いと、ぐぎゅるるる……といった異音だけだった。

 はたと顔を上げたアオイが、ちらと見張りの男を窺う。鋭い眼光に晒され、即座に少年が俯いた。

 ぎゅぎゅううううう、再び少年の膝から異音がする。


「……クランド?」


 きゅるるるる、返事するかのように、白い爬虫類が腹を鳴らす。

 その切ない音色に、アオイが腕を動かした。びくともしない縄に、困惑の顔をする。


「……あ、あの」


 掠れた声で見張りの男へ呼びかける。ぎろり、その鋭い眼光が射殺さんばかりに向けられた。

 ひえっ、アオイの身体がびくつく。

 けれども訴え続ける腹の虫に、少年は懸命に勇気を振り絞った。


「あの、すみません。……縄を、解いてもらえないでしょうか……?」

「あ?」

「こ、この子が、おなか、すかせて……」


 ぐぎゅるうううううう、呼応するかのようにクランドの腹が鳴り、一層アオイが肩身を狭くする。

 がたがた揺れる荷台の中で、のそりと立ち上がった見張りが少年を見下ろした。


 頼りなく震える肩と、今にも泣き出しそうな蒼白な顔。

 薄っぺらい身体は喧嘩とは無縁そうで、萎縮し切った少年を取り押さえることは容易そうだと男は判断した。


 引き抜かれたいかついナイフが、少年の眼前に晒される。

 ゆったりと振られる幅広の刃物に、引き攣った悲鳴が上がった。


「おかしな真似したら、どうなるかわかってるよな?」

「っ! っ!!」


 耳許で放たれた低い恫喝に、何度も首を縦に振り、アオイが目に涙をいっぱいに溜める。

 男が少年の縄を裂いた。ぶちりぶちりと不穏な音を立て、解放された手首を少年が痛そうに擦る。

 そのまま獰猛な刃物を首筋に添えられ、商品の彼が身を強張らせた。


「さっさとしろ」

「は、はい!!」


 ひたひたとナイフの側面で首筋を叩かれ、ぎこちない動きでアオイがクランドの背を撫でる。

 閉じた手を開いて青いバラの花を編み、幼獣の鼻先へかざした。

 ふんふん動いた鼻が、のろのろと口を広げる。瞬間、ばくん! その口がバラを丸呑みした。


「く、クランド!? 一気に食べちゃ、まだ食べるの!?」


 はみ出した青い花びらをもしゃもしゃと飲み込み、クランドが元気にかぱりと口を開ける。

 しかし魔女の言いつけは『一日に一輪の青バラ』であり、アオイは困惑した。

 悩み抜く彼が、懸命に口を開ける幼獣を見詰める。


「……これで最後だよ?」


 輝く黒い瞳に根負けした少年が、小ぶりの青バラを編む。

 威勢良く飲み込まれた花がむしゃむしゃ音を立て、機嫌良さそうに空っぽの口が開かれた。


 再びアオイの膝でクランドが丸くなり、心地良さそうな寝息を立てる。

 一部始終を傍観していた見張りの男が、唖然とした顔で少年の旋毛を見下ろした。


「あ、あの……」

「……何だ」


 恐々と男を見上げた少年が、身を竦ませながら口を開く。

 表情をいかめしく戻した男が低く返した。か細い声で少年が続ける。


「その、縄、……ありがとう、ございます……」

「これから縛る」

「そ、その、……その前にっ」


 一層もじもじと俯いた少年が、消え入りそうな声量で、「トイレに行きたいです……」囁く。

 耳まで真っ赤な様子を見下ろし、男は呆れたように息をついた。


「おい、止めろ」

「なんだぁ?」

「しょんべん」


 舌打ち混じりに御者台へ訴え、男が視線でアオイを指す。

 御者台にいたふたりの男がそれぞれため息をつき、先行く荷馬車からはぐれるように馬を止めた。


「下りろ」


 アオイの足の縄を裂き、男が威圧感ある口調で指示を出す。クランドを抱えたアオイが目線を下げ、その言葉に従った。

 長く固定されていた体勢から解放され、少年の身体がよろめく。

 すっかり夜を迎えた山道は暗く、砂利道の上に降り立ったアオイの背を、ナイフを持った男が押した。


「さっさと済ませろ」

「あの、恥ずかしい……っ」

「うるせぇガキが!! それでもついてんのか!?」

「ひゃっ」


 頭上から浴びせられた恫喝に、震える少年の目に涙が溜まる。真っ赤な顔で硬直する姿に、男が盛大に舌打ちした。

 頼りない身体を足で小突き、細道を囲う木々へ顎をしゃくる。


「そこでしろ」

「はい……っ」

「逃げたらどうなるか、わかってるよな?」


 頬に当てられたナイフがゆっくりと引かれ、アオイの頬に血の玉が浮かび上がる。

 浅く切りつけられたそれに、少年の顔色が益々悪くなった。

 こくこく頷く震える身体が、促しによって木の陰へ隠れる。


「……おい、返事しろ」

「い、います」


 虫の音がりいりい鳴く中、ごそごそと衣擦れと草木の揺れる音がする。

 男が胸中で三数え、再度口を開いた。


「……おい」

「は、はい」


 がさがさ、音がする。

 少年の青い髪色も黒いジャケットも夜闇には映りにくく、男は苛立たしげに木陰へ歩み寄った。


「――おい、いつまで……!?」


 男が覗き込んだ木陰の向こうには少年の姿はなく、彼が憤怒に顔色を変える。

 ――出し抜かれた!!

 憤りのまま、野太い怒声が響き渡った。


「あのガキがあああああッ!!!!」


「逃げたぞぉッ!! 探せぇ!!」

「あのガキ、見つけたらタダじゃおかねえ!」

「骨の一本や二本折ってやる!!」


 荷馬車から飛び降りた男たちも混ざり、血眼になって少年を探す。

 殺気に満ちた怒声が夜闇を震撼させた。

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