フトアゴヒゲトカゲのひんやりエリマキ

 クランドは水浴びがすきだ。

 師匠のアトリエの植物たちに水をまきながら、クランドにも水をかける。

 タライにつかる白いトカゲは心地良さそうで、ぷかぷかとじょうろの水を浴びていた。


 あれからフトアゴヒゲトカゲについて色々調べてみたけど、あんまり資料がなくて困った。

 大きな街の図書館なら、爬虫類専門の図鑑とかもあるのかな?

 この町から結構離れてるんだけどなあー……。


「師匠、大きな街の図書館に、クランドのこと載ってますかね?」


 安楽椅子の方を向いて、師匠に尋ねる。

 ドーリーさんは依頼のために、ここに滞在している。なので今はお仕事中で不在だ。


 しばらく間が空いて、ぶっきら棒な声が「さあな」と返す。むう、肩を落とした。


「師匠は、街の図書館へ行ったことありますか?」

「不用だ」

「一足飛ばしに話を完結させないでください」


 もう。ため息をついて、水の少なくなったタライからクランドを引き上げる。

 広げたタオルの上に乗せると、かぱりと口が開かれた。

 水気をふき取るついでに、真白なお腹をくすぐる。じたばた、短い手足が振られた。


「あははっ、くすぐったい?」


 返事はない。クランドはサイレントだ。

 くすくす笑って、クランドを首に巻く。ひんやりしていて不思議な感じだ。


 上着を羽織って、財布の確認をする。

 じょうろとタライを抱えて、行儀悪く脚でアトリエの扉を開いた。肩越しに師匠へ振り返る。


「それじゃあ、師匠。行商屋さんのところへ行ってきますね」


 返事はない。師匠はサイレントだ。

 諦めて裏庭へ行き、あるべき場所へものを返す。

 ……いってらっしゃいって、言ってもらいたかったな。




 *


 行商屋さんが来る日、町は賑やかになる。

 キャラバンメンバーによる曲芸や演奏、振り撒かれる紙吹雪が鮮やかで、眺めているだけで楽しい。

 この日はオリバーさんや他のお店もお休みして、行商屋さんの赤いテントへ押しかける。

 どうやら僕は出遅れたようで、既にテントの周りは人垣でいっぱいだった。ううっ、のんびりしすぎた!


 談笑と売り子さんの掛け声とはしゃぎ声が華やかだ。人にぶつかって落ちないよう、首に巻いたクランドを片手で支える。

 様子を見ようと踵を上げていると、隣のご婦人がはたとこちらに気付いた。


「あら、アオイちゃん! 元気?」

「こんにちは、フロリアンさん!」

「まあ本当! アオイちゃん、プリンは買えた?」

「まだなんです……」

「あっら大変! まだ残っているかしら」


 ひとりのご婦人から、更に他のご婦人がこちらに気付き、わいわいと手が引かれる。


 この町は過疎地だ。規模も人口もとても少ない。

 特に僕くらいの年齢になると、町を出て行く人の方が多い。

 つまりは、この町の人たち全員が顔見知りなんだ。

 僕が毎回プリンを買っていることは周知の事実だし、先月師匠にプリンを食べられて大荒れを起こしたことも、勿論みんなに知れ渡っている。

 ……口伝ネットワーク、おそるべし。今すごく恥ずかしい。


「あっ、アオイちゃんやん! プリンらすいちやで。ギリギリセーフや!」


 そしてこの売り子のメルさんにも、僕が行商屋さんのプリンに並々ならぬ思いを抱いていることが知られている。

 むしろ、彼女がお菓子職人さんのことを教えてくれた子だ。


 恥ずかしい。頬が熱い。でもここまでしてもらって、恥じらいでプリンを見捨てるなんて、僕には出来なかった。


「買います!!」

「まいど! キャロラさん喜んどったで~」

「本当ですか! だいすきですって伝えてください!」

「ええよええよ~」


 にこにこ笑うメルさんが、小さな箱にプリンの小瓶を詰める。後ろで奥様方が、「アオイくん、熱烈ね~」「今月は買えてよかったわね」談笑している。


 キャロラさんという人物が、件のお菓子職人さんらしい。

 お会いしたことはない。どうやら恥ずかしがり屋さんのようで、人前には出たくないそうだ。


 プリンを詰め終わったメルさんが顔を上げ、ぴしりとその笑顔を固めた。……どうしたのかな?

 財布から取り出した代金を握り締めながら、首を傾げる。ぎこちなくメルさんが唇を開いた。


「……アオイちゃん、首の子、どーしたん?」

「あっ、クランドというんです。フトアゴヒゲトカゲなんですよー!」

「ふ、ふーん!? そーなん!?」


 すっかり首回りに馴染んで大人しいクランドを、よしよし撫でる。えへへ、かわいい。


 狼狽したように視線をさ迷わせたメルさんが、頭を抱えたあとに手を上げた。不思議な動作に、心配になる。

 滑るように僕の傍まできた彼女が、内緒話のように声を潜めた。


「実はな、フトアゴヒゲトカゲって、砂漠の生きものやから寒さに弱いねん。ほら、冬眠とかあるやろ?」

「な、なるほど!?」


 慌ててクランドの様子を確認する。

 のんびりした顔は、冬眠というよりもひなたぼっこに感じられた。


「せやからな、うっかり冬眠させへんためにも、鞄にクランドちゃん入れてみたらどーやろ?」

「オススメの鞄はありますか?」

「あるであるで~! じゃじゃん、ショルダーバッグや!」


 メルさんは手ぶらだったはずなのに、次の瞬間には彼女の手に、革製の鞄が握られていた。……どこから出したんだろう……?

 さっと僕の肩にショルダーバッグをかけた彼女が、ぺろんと鞄の上蓋を捲って中にクランドを入れる。

 黒い目をぱちぱち瞬かせた白いトカゲが、不思議そうな顔で口を開けた。……かわいい。


「どや、アオイちゃん! 目隠しのふたもついてるし、日除けもおっけーやで!」

「買います!」

「まいどありー! プリンと合わせて、お会計するなー!」


 軽やかに弾かれた計算機を確認する。

 予想外の出費だったけど、クランドに冬眠されるのはつらい。夜とかまだ寒いし。


 金額を支払って、メルさんからプリンを受け取る。ついでに茶葉の所在も聞いて、合わせて購入した。

 えへへ! プリン、ドーリーさんとわけっこしながら食べよう!


「そや。アオイちゃん、最近色んなとこでな、人攫いが横行してるんやって。気ぃつけや?」


 思い出したように告げられたメルさんの言葉に、きょとんと瞬く。うっかり苦笑いが漏れた。


「大丈夫ですよ。僕、来年成人しますし。もう子どもじゃありませんよ!」

「……アオイちゃん、童顔やからなあ。お姉さん心配やわ」


 童顔というワードに、内心傷付く。いやでも、将来的に若く見えるなら……貫禄、ほしいなあ……。


 町長さんにも教えたって~。手を振った彼女へ手を振り返し、クランドの入った鞄の肩紐を掴む。

 ……意外に重量があるな、クランド。


「あ! アオイにいちゃん! おはなちょうだーい!」

「わたしもー!」


 人混みから離れたところで、遊んでいた幼い姉妹に声をかけられた。

 彼女たちは花を気に入ってくれたらしく、僕を見かけるとよく話しかけてくれる。


「いいよ。どんな花?」

「おっきいの!」

「わたし、ピンクの!」


 小さい彼女たちの視線まで合わせて屈み、それぞれの要望を尋ねる。

 ううん、大きい花? 色違いのガーベラにしようかな。可愛らしいし、見るからに『花』って感じで、わかりやすいし。

 少女の耳許へ握った手を伸ばし、ゆるく開く。花開いたオレンジとピンクのガーベラに、姉妹の表情が華やいだ。


「ありがとう、にいちゃん!」

「ママにみせてくる!」

「転ばないでねー」


 軽やかに駆けて行った後姿へ手を振り、よいしょと立ち上がる。

 べしょ、重たい音が響いて驚いた。

 地面にクランドが仰向けになって落ちている。何があったんだ!?


「クランド!? どうしたの、何処か怪我してない?」


 クランドの両脇に手を差し込んで抱き上げ、白い身体を検分する。

 じたばたと手足を振るクランドは、とても必死そうだった。きゅるる……、お腹の音が聞こえる。


「……きみ、さては食いしん坊だな?」

「あ! でっかいトカゲ!!」

「アオイ兄ちゃん! それなーに!?」

「ッ!!」


 まさかの食い意地に呆れたところへ、やんちゃ盛りの男の子たちが駆け寄ってきた。

 興味津々とクランドを覗き込む少年たちに、びくりと身体を強張らせたクランドが、背中の羽を広げて飛び立つ。

 あっと思った頃には、クランドは手の届かない高さまで飛んでいた。

 慌てて目の前の少年にプリンと茶葉を押し付け、駆け出す。


「待って、クランド!!」

「兄ちゃん! プリンは!?」

「ごめん、預かってて!」


 一目散に森へと突っ込んだクランドを追いかけ、僕もあまり立ち入ったことのない、『危険な方の森』へ踏み込んだ。

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