タマゴが割れた

 この田舎町は、アストロネシア公国のネーヴェという町だ。

 シエミラ山の麓に位置し、森に囲まれた静かなところにある。


 ちなみに水がおいしいらしい。

 僕はこの町から出たことがないので、水の善し悪しまでわからない。

 大きな街へ出た友達が、里帰りしたときにそのような話をしている。

 時々帰ってきては、土産話を聞かせてもらえるので、とても楽しい。話が逸れた。


 そんなひっそりとしている小さな町にも、賑やかになる時期がある。



 オリバーさんから、行商屋さんの話を聞いた。

 明後日、この町まで販売に来るらしい。嬉しい、楽しみだ!


 娯楽の少ないネーヴェの町は、行商屋さんの来訪を心待ちにしている。当日はそれこそ大賑わいだ。

 行商屋さんは各国を飛び回っていて、珍しい商品なんかも取り扱っている。

 例えば食器だったり、珍味だったり、布物だったり。よくわからない『カケジク』というものもあった。


 あ、そうだ! 茶葉を買わないと!

 今度はどんな茶葉があるのかな。前は、お湯を注ぐと花が開くお茶があったんだよなー。


 そして何より、行商屋さんには名物商品として、プリンが売られている。

 キャラバンメンバーの中にお菓子職人さんがいるらしく、その人が個数限定で手作りしているそうだ。売り子のメルさんが教えてくれた。


 僕はこのプリンが、とてもすきだ。


 基本的に『食べられたらいいや』思考の僕だけど、行商屋さんのプリンだけは別だ。世の中にはこんなにもおいしいものがあったんだと感激した。

 大体月一で行商屋さんは巡ってくるが、僕は必ずプリンを買いに行く。何があっても買いに行く。

 一時期僕の中でプリンブームを巻き起こした行商屋さんのプリンだけど、自力で作ってもあの滑らかさには届かない。カラメルの甘さと香ばしさも絶妙なんだ。


 腹立つことに、先月のプリンは師匠に食べられてしまった。

 しばらくの間、僕は荒れた。相当荒れた。

 町のおばさんたちに話を聞いてもらって、『プリンに名前を書くといい』ことを教えてもらった。


 今月はドーリーさんもいるし、師匠の分も合わせて三つ買おう。

 ……三つも買えるかな? 競争率高いんだよなあ……。


 ドーリーさんは、しばらくこの町に滞在するらしい。嬉しい。

 昨日は強制野菜パーティにしちゃったから、今日はもうちょっと豪華な晩ごはんにしよう。

 そういうわけで、まずは洗濯からだ!



 そよそよと風を受ける洗濯物を眺めて、よしと腰を伸ばす。

 何だかんだ、師匠とふたりしかいないので、作業量としては軽いものだ。

 洗濯カゴを手に取って、ふと辺りを見回す。


 あれ? タマゴ、どこ行っちゃったんだろう……?


 いつからいないのか思い出せないタマゴの存在に、心臓がひやりとする。

 ええと、確か井戸の方でつけ置きしたときにはいた。洗ってるときはどうだったかな? 干してるときは? うう、思い出せない……。


「タマゴー、どこー?」


 口の横に手を添えて呼んでみたけれど、裏庭はしんと静まり返っている。

 そもそもあのタマゴ、ごはんのとき以外はサイレントだ。


 タマゴを呼びながら、シーツの裏側も覗いてみる。

 ……当然いない。どこ行っちゃったんだろう!? そわそわ、辺りを見回す。


「タマゴー? 出ておいでー……」


 ばっしゃあああん!! ぐわんぐわんっ!

 響いた激しい音に、心臓がぎゅぎゅっと竦み上がった。驚きすぎて、心臓が痛い……!!


 飛び跳ねる動悸を服の上から押さえて、音の発信源である井戸の方へと向かう。

 ポンプ式の井戸は垣根の向こうにあるので、覗き込まなければ様子を窺うことはできない。

 恐る恐る覗き込むと、タライがひっくり返って辺りを水浸しにしていた。


 だ、誰がひっくり返したんだろう!? こわい!! 並々に水が入っていたのに!


 そっと近付き、恐々とタライへ手を伸ばす。薄目を開けて、うっすらとそれを持ち上げてみた。

 ゆらゆらと流れてきた水の中に、白くて硬そうな破片が流れてくる。


 ……何だろう、お皿の破片のような……でもお皿なんて、野外に置かないし……。

 あ、あれ? 白い破片?


 がばりっ、表に返したタライの中に、大きな白いトカゲがいた。

 首の周りにとげとげを生やした、何だか間抜けな顔のトカゲだった。

 かぱり、トカゲの口が開かれる。ずんぐりとした四足が踏ん張られた。

 ……あ、背中にコウモリみたいな羽が生えてる。


「えええ!? た、タマゴ……!?」

「あんら、アオイちゃん。どうかしたの?」

「あだっ!?」


 ひょこり、裏庭を覗いたドーリーさんの登場に、飛び上がったトカゲが、濡れた身体でびたんっと僕の顔面に飛びついた。

 ……間違いない。あのタマゴの中身だ。

 強か打ちつけた腰が痛い。濡れた地面から水分を吸収したズボンが、じっとりとして物悲しくなった。

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