死線を越えて

 これまでの道のりを遡り、聖王都へ到着したのは七日後のことだった。喋れるほどに回復したクルビスやオリヴィエと別れ、フランチェスカの待つ執務室へと向かう。黒樫拵えの扉を開けると、熱烈な歓迎が待っていた。


「無事に戻ったこと、まずは本当に喜ばしく思います。カンナ司祭。心配せずとも、すべて聞き及んでいますとも。それよりも、身体に不調はありませんか? また無茶をしたのでしょう。今日一日くらいゆっくり休んでもいいのですよ」


 ぐいっと顔に胸を押し付けられる。ぬう、相変わらずの力強さだ。窒息するかもしれないといつもひやひやしてるってのにまったくお構いなし。


 だがこの抱擁に心地よさを感じていることも間違いない。強張りをほぐし、すべて任せたくなる。が、ついと、フランチェスカの方から解放された。


「そうも言っていられませんね。今回の迷宮鎮圧の一件、第三騎士団の配置や街道の安全確保の観点からも非常に重大な要件です。この後にひらかれる枢機卿会談では、貴女から聞かれた情報をもとに私は報告をするのですから」


 六人の教会権力者で行われる、聖堂教会としての意思決定がなされる場だ。議題によっては王政へ提言されるほど政治的影響力は高く、アタシには無縁の集まり。息が詰まる思いは嫌いだから、頼まれても無関係を貫きたい。


「聞き及んでいるでしょうが、大狼は本来、白枝の森に生息している生物ではありません。はるか北、霧深く人拒むトートネーベ山脈を縄張りとしています。凶暴なまでの攻撃性に残忍極まる特性。貴女が機転を利かせて第二騎士団に救援を要請しなければ、かの街は滅んでいたでしょう」


 森から街へ戻る途中、直感を信じてジニアスに要請書を渡し、駐屯地へ馬を走らせてもらったのはそうだが、研修の事前に騎士団長と交渉し、要請書を準備して持たせてくれたのはフランチェスカだ。この人の深い思慮が、多くの命を救ったのだ。


 それに比べてアタシはどうだ。オリヴィエには偉そうなことを言っておいて、ふたりを救うのが手一杯。鎮圧任務に参加した二十騎のうち、九騎もの命をこぼれ落としてしまった。


 自惚れているわけじゃあないし、どうしようもない状況だったと頭では理解してる。それでも苦々しい、暗澹たる思いが胸に広がり、今もこびりついたままだ。


 フランチェスカはひとつ息を吐いてから、話を続けた。


「第二騎士団の報告から、大狼は『変異体』という変質を遂げた個体だったと推察されています。この変質自体はままあるらしく、迷宮に長く留まり淀んだエーテルを取り込み続けることが要因だそうです。さて、ここからが問題なのですが、なぜ大狼はわざわざ縄張りを離れたのでしょう。生態系の上層に位置する彼らが、住み慣れた住処を捨てた理由とは? 考えられるのは、より強い存在に脅かされ、逃げてきたということ」


「……逃げてきた……」


 アレが? 赤い光を放つ四つ目が脳裏に蘇り、震える。とても信じられない。


「第二騎士団は既に調査へ向かいました。屈強な騎士たちの中から、特に優秀な者たちだけが選ばれた精鋭が集う特別遊撃隊。歴代最強と呼び名も高い彼らならば、最高の成果を持ち帰ってくれるでしょう」


 あの外套の騎士たちを思い出す。明らかに他と一線を画す実力を、まざまざと見せつけられた。止めを刺した光景は、鮮烈な記憶になって残っている。


「それから、貴女には大事なお話をしなくてはいけません」


 改まってなんだ? もしや『癒しの奇跡』を承認なく行使した件か。


「異動です。明日には中央教会所属ではなくなります。本当に残念です」


 思いもしなかったその言葉に、反応ができない。いどうって、どんな意味だっけ?


「断っておきますが、これは懲罰とかそういう意図はありません。もっと言えば、私ですらこの命令をなかったことにはできないのです。この意味が、分からない貴女ではないですね」


 教会の最高権力を担うひとりであっても反故にできない。当たり前に考えるのなら、さらに上位の権力者から指示があったということ。だがそんな者が教会にいるだろうか。


 教皇猊下? いやその線は薄い。直接考えをお示しになることはこれまでなかった。となれば……。


 フランチェスカはぷっくりとした唇の前で人差し指を立てる。


「詳細は後程渡す任命書で確認なさい。ちなみに拒否権はありませんからね」


 気味悪さが腹の底のほうから這いあがって、軽い吐き気を催させる。


「私としても本当に困り果てているのですよ。信頼する教え子を手放せと迫られているのですからね。あまりに身勝手。あまりに突然。あのお方の突拍子もなく行動する癖、騎士団長が剣術指南する際に叩き直してくれていれば良かったのに。王妃様を突然選ばれた時だって、周囲の人間がどれほど慌てたことか」


 いや……それはもう答えなのでは。しかしここまで愚痴をこぼすとは珍しい。余程不満なんだろうな。そこまで想ってくれていることは素直に嬉しい。


「はあ。ほんとうに困りました。どこかに貴方と遜色ない、若くて将来有望な、素敵な人材はいないものでしょうかね。お知り合いに、心当たりはありませんか?」


 ちらりと視線が投げかけられる。機会を窺っていたことを話すよう、促されている気がした。


「ひとり、推薦したい者が。最高司教のもとで学ぶ経験が、をさらに高みへ導く標になると信じています」


「おや。いらっしゃるのですね、そんな方が。手放すカンナ司祭からの推薦となれば、他の司教らもきっと得心してくれるでしょう。では、教えてください。そのの名を」


 言わずとも分かっているくせに。とてつもなく大きい、掌の上で良いように転がされている。畏怖にも近い感覚を覚えながら、その名を伝える。


 別れ際、いつまでも心配した目で見送ってくれた、あの娘の名を。


                                第二部 完

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