信仰のかたち
「人の子らよ。暗き夜に恐れるとも主を求めよ。奉仕の心届くば主の導きあり。神意の道が開けよう」
「教典の冒頭にある一節ですね。聖なる翼を持つ女神、サンアデリス様が遺したとされる言葉」
約九百年前に起きたとされる、神話が語る神同士が争った大戦。導き手として降臨された八柱の神々は大戦の後に姿を消す。共に戦い、生き残った人々は大いに混乱した。その最中、混迷の大陸に女神サンアデリスの遺志を継ぐ初代教皇によって、聖堂教会が起こされる。
大陸に残された者たちから信頼を勝ち取り、新たな導き手として迎えられた教会だったが、間もなく人を導く存在として王を選定し、自らの上に玉座を創り座らせた。
何故わざわざ導き手の役割を王へ委ねたのか。諸説あり議論も絶えないが、教典に記されている、この国の成り立ちだ。
王政こそ最大の権力。それに違いはない。一方で、神話大戦では盟友関係にあった、他二柱の神を崇める民たちも、信仰の引継ぎという形で女神サンアデリスを信仰し、その教えはこの大陸に根差している。
この大陸は二つの権力に支配されているのだ……まぁ、いつどうなってもおかしくない状況なんだけどね。
「オリヴィエ助祭は、教会の教えをどう考えてる?」
「どう、と言われると答えに困りますね……私たち女神様に仕える聖職者だけでなく、この大地に生きるすべての者へ救済を示す、人の寄る辺でしょうか。そう、考えます」
「立派だね。咄嗟にそこまで答えられるなんてさ。アタシが同じくらいの頃は言葉に詰まってうまく喋れなかったよ」
用意されたベッドに腰を下ろし、オリヴィエにも座るように促す。彼女がそのまま椅子に腰かけたことを見届けてから話を続ける。
「人の寄る辺というのは、とても良い表現だね。最高司教も同じ言い方をしていたよ」
「まぁ! フランチェスカ最高司教様と同じお考えを持てていたなんて……とても嬉しく思います」
神妙な面持ちが、ぱっと明るくなる。
「アタシもその考えは好きだよ。でも救済ってなんだろうね。祈れば女神様が人を救うことだろうか」
ある言葉が脳裏に蘇る。夕暮れ時の陽射しが、礼拝堂を朱色に染めていた。新任研修を受けた当時、指導を担ったのはフランチェスカだ。
「祈れば届く。施しかのように享受することができて、苦しみから救われるなんて、都合が良すぎるだろう」
「……救いを求めるからこそ、女神様を信奉し、ただ一心に祈りを捧げる。それではいけないということでしょうか」
「教典通りならそれでいいんだろうさ。ただ、誰の為に、何の為に祈りの言葉を紡ぐのか。覚悟を持って心を託しているのかどうか。それが重要なんだ。納得できない?」
じっと教典の表紙に視線を落とし、オリヴィエは
少しの沈黙が流れた後、オリヴィエは口を開く。
「カンナ司祭が説いていることは、己に信ずるものを持てているのか。例え長い時間がかかったとしても、裏切られようと、それを信じ抜けるかどうか……ということなのでしょうか。だとすれば、私にも分かりません」
耳を傾け、じっと彼女の言葉を待つ。
「女神様への信仰も、救いの手も、私たちには絶対に必要です。私は女神様への信仰を取り戻したい。そう心から願っていますが、その方法も見当がつかないでいます。カンナ司祭の仰る通り、人々が強い信念をもって信奉を続けられれば、若しくは叶うのかもしれません。ですが、教会への信頼が日々失われる現状では、やはり困難な道だと思えて仕方がありません」
吐露する声は微かに震えていた。完成されすぎていると思っていたオリヴィエが抱える、とても柔らかい部分に触れ、揺さぶったのだろう。なんとか気持ちを抑えようとしているのが分かる。思いや考えを口に出して伝えようと、自身を落ち着かせている。
ひとつ間をおいてから、オリヴィエは静かに口を開く。
「……教えていただけませんか。カンナ司祭が信じているものは、なんでしょうか。あるべき聖職者と、信仰の形とはいったい、なんなのでしょう……」
金色の瞳が真っすぐと見つめてくる。言葉からは、既に落ち着きを取り戻したように感じるが、悲壮感すら漂わせる表情が胸を締め付けてくる。
「ごめんよ。それは教えられない。自分自身で見つけるしかないんだ。祈りの意味を自ら見出すことが、アンタを成長させてくれるんだからね」
フランチェスカからも同様の言葉を投げかけられたことがある。この問いかけは、謂わば彼女が後進の成長を願って課す宿題なのだろう。まだ得心のいかなそうに、何か喋ろうと口を動かすオリヴィエを手で制する。明日の出立は早いのだ。ここらで切り上げておかなくてはいけない。
「さあ、今日はここまでだ。明日は朝一番での出立になるし、到着してから忙しいからね。体調を整えることも大事な教務の一つだよ」
不承不承といった様子ながらも、オリヴィエは自分のベッドへ向かう。一足先に横になり「寝るときに明かりを消しておくれ」と伝えると、反対側にあるベッドから「わかりました」と返事が聞かれた。
明かりが消え、目を閉じる。静寂の中で先程の金色の瞳が浮かんだ。その瞳の影に何かひっかかるものがあった。
……この娘はいったい何をそこまで恐れているのか。
きっと想像もつかないような重荷を、あの小さな肩で背負わされてきたのだろう。神話を発祥とする、尊き血脈がそうさせるのだとしたら、なんと可哀想な娘か。
そんな思いを巡らせている内に意識はどんどん睡魔に沈んでいった。
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