おじさんと女子高生の美味しい話

槙田 華

第1話 美味しい物は二人で

目を開けると頭の上ある窓に掛かっているカーテンの隙間から陽の光が入って来て目に掛かっている。朝だ。俺はいつもよりも早く目を覚まして布団から体を抜いた。昔は朝は苦手だったが、歳を取るごとに朝に目が醒める様になってしまった。顔を簡単に洗って真っ先に俺が向かったのはキッチンだ。昨日の朝から仕込んで置いたブツを俺はやっとこの手につかむ事が出来る。いや正確に言えば手では無く箸で掴むのだが・・・。この朝の限られた時間の中でしか味わう事が出来ない”朝ごはんの時間”と言うものをより有意義にするために俺は準備してきたのだ。今、俺は少しばかりの緊張と期待に胸を膨らませながら、冷蔵庫の扉を開けた。百円ショップで買ってきたシリコン製のパーテンションが置かれた小さな皿に丁寧にラップが掛かっている。その皿を水平状態のまま慎重に取り出して静かに冷蔵庫の扉を閉めた。丁寧に掛けられたラップを震える手でゆっくりと剥がす。俺は思わず息を飲んだ。目の前に現れた黄金色の宝石に俺は今、心底感動している。この瞬間の為に俺は昨日の夕方から密かに準備を進め、寝る前にこの時間に飯が炊けるようにタイマーを掛けたのだ。俺は居間のテーブルを軽く拭いて、箸とその小皿を持って行き準備をしていった。間もなくして炊飯器の音が鳴る。炊き立ての飯を茶碗によそい、テーブルまで運ぶ。白く美しく上がる湯気が鼻を霞める。俺は喉を鳴らしながら、片手に黄金色の宝石の入ったパーテンションを飯の上に掲げる。ゆっくりと傾けて飯の上に其の黄金色の宝石を着地させる。勿論、ずり落ちない様に予め飯の真ん中に窪みを作っておいた。抜かりは無い。俺はその光景をこの目に焼き付けて、その光景を自ら突き崩すために箸を右手に持ち、先が触れかけた時、廊下の方から大きな音が響いた。俺は驚きの余り、茶碗を落とし掛けたが、間一髪のところで受け止める事が出来た。ほっとしたところで、俺はその音の発生源と思われる廊下の方へ眼をやると、其処にはパジャマを着た一人の女が居た。女と言えどもまだ乳臭い少女。俺の好みでは無い。体は白くて細っこいし、胸も小さい。まだまだひよっこだ。

「おじさん、起きてたんだ。今日は早いね・・・。今日なんかあったっけ?」

目を擦りながら爆発した髪をゆさゆさと揺らしながら此方に近付いてくる。

「どうやったらそんな髪になるんだ。寝相が悪すぎだろ」

「あれ?おじさん、何食べてるの?」

「あっいや、これは」

しまった。俺は彼女にこの手の中に有る宝石を見られるわけにはいかないのだ。何故なら・・・

「ねえねえ、何食べてるの?あたしの分も有るの?」

そう、真にその点なのだ。俺はこれを一人分しか作っていないのだ。この騒がしい少女から逃れて一人静かにこれをゆっくりと味わう為に昨日からこれを冷蔵庫の中で温めていたのだから。今だけはこの穏やかな時間を乱されるわけには・・・。しかしそんな俺の思いを知らない彼女は俺の方にのらりくらりと近付いて来た。

「ねえ、何食べてるの?見せてよぉ」俺は咄嗟に自分の茶碗を後ろに隠した。

「何で隠すのよ。何?もしかして私に内緒で・・・」

俺の額に一筋の汗が流れる。

「いや、べつに何でもない。それよりお前はお前の準備をしなくても良いのか?その間にお前の飯を作っといてやるから、顔でも洗ってその髪をさっさと直して来いよ」

「そうだね。そんなに時間に余裕が有る訳でも無いし」

そう言って彼女はまた廊下の方に歩いて行った。その姿を横目に見届けてから、俺は自分の茶碗に視線を落として安堵した。変わらずに其処に佇む黄金色の宝石に。俺はいよいよ、この美しい光景を突き崩す事にした。箸の先で割った宝石の中から同じく黄金色の川が流れる。ああ、俺はこの時を待っていたのだ。口元に茶碗を当てて一気に其れをかき込んだ。口に広がるまろやかな味わいに程よい塩味に醤油の香りを感じながら俺はうっとりとしていた。其処に俺の耳元に声が掛かった。

「なあに、それ?そんなに美味しいの?」

俺は驚きのあまり口の中の飯を飲み込んでしまった。もっと味わっていたかったのに・・・。

「驚かせるな!おまえ、顔を洗いに行ったんじゃ」

「やっぱり気になって。で?其れ何?」

「あ、いやこれは・・・」

進退は決まっていた。もう俺はこの少女から逃げられない。彼女は俺の肩に自分の顎を置いて覗き込んだ。

「卵に見えるけど、普通の卵と色が違うね。何かしたの?」

俺は溜息をついてとうとう彼女に自分の秘密を白状した。

「これは卵の黄身の醤油漬けだ」

「卵の黄身を醤油に漬けたの?何それ!すっごい美味しそう!どうやって作ったの?」

「卵を白身と黄身に分けて黄身だけを取り出して小さ目の容器に入れる。それに黄身が被るくらいの醤油とみりんを入れてラップをする。其れを一晩から丸一日おく。これだけだ」

「へええ、簡単」

「待てば待つほど味が濃くなるただ生卵だから其処まで日は持たない。」

「なるほどね。で?私の分は?」

「いや、此れはあくまでお試しに作ってみたんだ。だからその・・・」

「私の分は無いんだね」

「いやその・・・。すまん」

彼女は俺の隣に座って右手を俺の方に差し出した。どうやら俺の茶碗をその差し出した右手に渡せと言いたい様だ。

「此処に同居するときに決めたよね?美味しい物は?」

「二人で分け合う事を絶対にする」

「それから?」

「金曜日の夜は贅沢をしてでも食べたい物を、必ず一緒に食べる」

「なんだ、ちゃんと覚えてるじゃない。でも覚えていて尚一人で食べようとしたことは悪いけど。罰として、明日の朝私の為にこれを二人分作っておいてね」

「二人分?」

「明日はこれを二人で食べるんだから」

にっこりと笑って彼女は俺の茶碗を口元に当てて俺がしたよりも一層勢いをつけて中身をかき込んだ。そしてだらしない顔をして俺に言った。

「美味しいね」

俺の穏やかな朝は何処かへ消えてしまったが、代わりにこの天使のような笑顔が残った。

「悪かったよ。其の茶碗の中身はお前にやるから許してくれ」

米粒を口元に付けながら彼女は満足げに口をもごもごさせながら言った。

「うむ。苦しゅうない」

俺は冷蔵庫の漬物と昨日の残りの味噌汁を二人分、自分の分の白飯を持ってテーブルについて彼女の横で改めて朝飯を食べ始めた。

「やっぱり美味しい物は、二人で食べないとな」

俺がそう言うと彼女は満面の笑みをしながら俺の首に腕を回して抱き着いた。

「分かれば宜しい!」

得意げな彼女の顔は不覚にも可愛いと思ってしまった。

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