第155話 変わり始めた相関図

 マザークラーゲン討伐から一夜が明けた。

 壮絶な戦いで負傷者を多数出したため、クエスト達成報告や損害見積もりなど、もろもろの事後処理は今日に回された。


 怪我については魔王に治療を頼みたいところだったが、自然治癒できるものにはできるだけ手を出さないという自分ルールがあるのだとか。魔王本人も、ミノコに吹っ飛ばされ、海面に打ちつけたりして全身打撲の怪我をしていたけど、これにも特能を使わなかったので、何も言えなかった。

 そのくせ、カリィさんが船の甲板で作った膝の擦り傷には迷いなく使っていた。とことん女性に甘いというか、男に厳しいというか。


 間もなく正午に差し掛かろうという時刻。酒場【オーパブ】には現在、複数の男女がおり、そのテンションは見事に二極化していた。


「カリィさん、元気を出してください」

「…………」


 ギルドで所定の手続きを済ませた後、落ち込んでいたカリィさんを慰めるために店に連れて来たんだけど、声をかけても俯いて黙り込んだままだ。

 でも、女性なら仕方ないと思う。

 大勢の男たちに、丸出しの尻を晒していたことを知ったカリィさんのショックはでかい。中身男のオレでは、彼女が負った心の傷の深さを推し量るべくもない。


 だけど、正味の話、カリィさんの尻は本当に見事なものだった。

 以前、拓斗が言っていた。

 ――カリィの尻は、柔らかさの中にもしっかりと肉々しい弾力が詰まっていて、形も綺麗に整った美尻の中の美尻だ。あれほどの尻の持ち主は、王都中を探してもそうはいない。何度も鷲掴みにして揉んだ俺が言うんだから間違いねェ。

 最低な説得力だったけど、実際に生尻を拝んだ今では頷かざるを得ない。

 だからと言って、そんな励ましができるはずもなく。


「えと……オレとパストさんも似たようなことになりましたし、だから」

「魔王がエリム君に人工呼吸……。私が、そんなお宝映像を見逃すなんて……」


 なんか、落ち込んでる理由がそもそも違うみたいです。もうほっとこう。


「スミレナさんはご機嫌ですね」

「そりゃそうよ。だって可愛い女の子が増えたんだもの。これを喜ばずにはいられないわ。残念ながら、パストちゃんは一旦魔王城に帰っちゃったけど、それを差し引いても一人増えたわけだし」

「増えてないよ! プラマイゼロだよ!」

「あら、エリコったら。女の子がいきなり大声なんて出したらはしたないわよ」

「エリコって呼ばないで! こんなの、ただの女装じゃないか!」


 エリムの言うとおり、女人化したわけじゃない。エリムは諸事情あって、ロングヘアーのカツラを被り、オレと同じくメイド服を着ている。


「ふふ、エリコか。そう呼ぶのも悪くない。なかなか様になっているではないか。さすが、我が少女と見紛ったほどだ。そこそこ愛でるに値しているぞ」


 スミレナさんと同様、ご満悦の魔王はカウンター席に座り、料理の下ごしらえを進めるエリムの姿を肴に酒を楽しんでいる。ちなみに、今はパンツを穿いている。

 そして、エリムが女装することになった原因がこいつでもある。

 魔王にとって、男とキスしたという事実はやっぱり汚点になるらしく、男の姿のエリムを見ていると、無意識に滅しそうになるんだそうだ。

 うっかりで滅されては敵わない。そこで魔王が出した条件が、


『女装で構わぬ。命が惜しくば、我の前では絶えず女の姿でいよ』


 ということだ。

 魔王は命の恩人でもあるため、最後にはエリムも押し切られてしまった。

 カツラとメイド服は、スミレナさんが即日マリーさんの店で調達してきた。


「姉の方はスミレナと言ったか。其方そちもまた麗しい。派手さこそ無いが、瞳の奥に感じる芯の強さは宝石のように輝いている。それでいて、纏う雰囲気は癒しをもたらしてくれる。作る酒も美味だ。我の愛人にならぬか?」


 節操無しという言葉は、魔王のためにあるんだろうな。


「あらあら、魔王さんったら、お世辞がお上手なんだから。でもありがとう。大事な妹を助けてくれたお礼に、今日は好きなだけ飲んでね」

「僕は弟だよ!」

「アタシ、その姿ならエリムのことを愛してあげられそうだわ」

「今までは愛されてなかったの!?」

「姉さんじゃなくて、お姉ちゃんって呼んで。姉々ねえねえでもいいわよ。そしたらもっと愛情を注げる気がするの」

「そんな歪んだ愛情は嫌だよ!」


 知ってたことだけど、ウチの家主は変人です。


「スミレナさん、あんまりエリムをからかわないであげてください」

「リーチちゃんも妹同然なんだから、いつでも呼んでくれていいのよ?」

「や、恥ずかしいので遠慮しておきます」

「そうだ。今日は姉妹仲良くお風呂に入りましょうか」

「それも遠慮しておきます」

「その後は、一緒の布団で寝ましょう。また裸の付き合いがしたいわ」

「それ、お風呂を提案した時に言わないと、やらしい意味に取れちゃいますよ」

「やらしい意味で言ってるんだけど?」

「遠慮します!!」


 ダメだ。エリムにフォローを入れると、こっちにも飛び火してくる。

 せめてエリムに、何か助言できれば。


「……エリム、女装の先輩として、お前に一つ言っておきたい」

「リーチさんのは女装とは言いませんよ……」

「大丈夫だ。そのうち慣れる。少しの我慢だ」

「慣れたら終わりだと思うんですが……」


 失うものは大きいだろうな。でも、カッコイイ人は、どんな格好しててもカッコ良く見えるもんだぞ。フレアさんとかな。


「案ずるな。霊酒はあれ一つしかなかったが、我が元となる泉を探し当て、新たに作ってやる。それまで、しばし男の体で辛抱せよ」

「い、いらないです! 僕は男のままがいいんです!」

「……なんだと?」


 魔王の眉間に険が浮かび、店の中が一瞬にして緊張に包まれた。

 すぐにエリムが失言に気づいた。魔王も気づいたかもしれない。エリムが本当は自分を好きでもなんでないということに。


「エリコ、貴様……」


 殺気を交えた圧を正面から浴びているエリムの表情から血の気が引いていく。

 魔王が立ち上がり、すっ、と右手を持ち上げた。

 この場でエリムをる気か!?

 咄嗟に割って入ろうすると、なんのつもりか、魔王が掲げた右手で、自分の額をぱちん、と叩いて小気味良い音を響かせた。


「そういうことであったか。貴様は、我に挿れたいと思っていたのだな」






 …………。


 ――ハッ!?

 時間停止から我に返ったオレは、ここに一筋の光明を見た。


「あちゃー、エリム、やっちゃったな!」

「え、何がです?」

「けどまあ、オレはすぐにバレると思ってたぞ! だってお前、魔王の尻を見すぎなんだもん! 目とかすげーギラギラしてたし!」

「ちょ、リーチさん、え!?」


 ごめん、ホントごめん。でもこれ以外に方法が浮かばない。


「それもこれも、魔王の色気が男にとっても強すぎるせいなんだけどな!」

「まったく、やれやれだ。我の美は進化を止めることを知らぬ。だが、エリコよ。貴様には悪いが、我とて譲れぬものがある。後ろの処女もその一つよ」

「いや、欲しくないですよ!」

「今さら誤魔化したところで手遅れだ。隙あらば背後から襲い掛かろうとしていたのであろうが、我は断固として挿れる側を主張する。貴様に後ろは取らせぬ」


 何者の侵入も許さんとばかりに、魔王が、きゅっと尻を締めた。

 バカでよかった。


「決めたぞ。我は貴様がエリコの姿で居続ける限り、女として扱おう。さすれば、いずれは挿れたい側から挿れられたい側へと心が移り、女にしてくださいと、自ら我に懇願するようになるであろう。不可能だと思うか? 否、我の雄としての魅力ならば、造作もないことよ」


 清々しいほど傲慢に宣言し、魔王は「馳走になった」と言って身を翻した。

 が、スイングドアの手前で立ち止まり、背中を見せたまま顎を上げ、視線だけをオレに寄越してくる(※シャ●度)。


「リーチよ、妬く必要はないぞ。心の準備ができたなら、いつでも我に操を捧げるがいい。正妻の座は、常にお前のために空けてある」

「鉄拳制裁でよけりゃ、今すぐくれてやるぞ」

「急かしはせぬ。お前が我のモノになるのは決定事項なのだからな」


 わっはっは、と高笑いをして、今度こそ魔王は店を出て行った。

 余談だけど、いつの間にかカリィさんが復活し、話に聞き入っていた。


「リーチさん、どうしてあんなこと」

「悪かったって。けど、ああでも言わないと、ヤバかったじゃないか」

「だからって……」

「それにほら、魔王以外は嘘だって、エリムにそんな趣味はないって、皆ちゃんとわかってるんだし、そんな気に病むことないだろ。な?」

「リーチさんも、わかってくれているんですよね?」

「当たり前じゃん」

「僕の気持ちが誰に向いているのかも、ちゃんと伝わっているんですよね?」

「あ、えと……」


 しまった。この話題はヤブヘビだった。

 昨日のクエスト中に、オレはエリムから好きだと告白された。

 そして、一日経った今もまだ告白の返事をしていない。

 返事を求められたわけじゃないけど、スルーしたままがよくないってことくらいオレにもわかる。でも、なんて返事すればいいのか思いついていない。

 スミレナさんが何も言ってこないところを見ると、告白したこともエリムは報告済みなんだろう。今こそ冷かしてほしい場面なのに。


 じっ、とエリムがオレを見つめてくる。

 うぅ、そんな真っ直ぐ見んなよ。なんか……変な気持ちになってくるだろ。

 顔が熱くなっているのを感じる。

 エリムの眼差しを受け止めきれず、うろうろと視線を泳がせてしまう。

 汗で滲んだわけでもないのに焦点が合わなくなる。


「つ……たわ、てる。伝わってる、から」


 あんなにはっきりと言われたんだ。伝わっているに決まってる。

 なんとかそれだけを言って、顔を背けてしまう。

 目を逸らしたことが気まずくて、オレはひとまずエリムから離れようとした。


「待ってください。僕は返事をいただけるん――」

「わっキャ!?」


 逃げようとしたところを、エリムに腕を掴まれた。

 反射的に、切るようにして振り払ってしまう。

 ともすれば、エリムを傷つけるような行為だ。

 でもそれより、「うお」でも「うわ」でもなく、自分の口から今までに出たこともないような声が出たことに驚きを隠せない。


「リーチさん、今……キャアって言いました?」

「い、いいい言ってませんけど? オレが言うわけないんですけど?」

「顔、めちゃくちゃ赤いですよ?」

「き、気のせいじゃない!?」

「でも、りんごより赤いです」


 りんごよりだと? 大丈夫か、オレ。

 またしばらくエリムと視線が交じり合った。

 今度は逸らすまいとするが、代わりに頭に血が上り、今にも倒れそうだ。

 やがて、エリムがほわ、と表情を和らげ、「そっか」と独り言のように呟いた。


「……そっか」


 もう一度呟き、エリムもまた顔をりんごのように赤くしていった。


「僕のこと、意識してくれているんですね」

「そりゃ……するだろ……」

「ありがとうございます」

「なんで、お礼言うんだよ。オレまだ、何も返事してないぞ」

「リーチさんが、今の時点で僕との関係に変化を望んでいないことはわかります。だから、僕も魔王さんにならって焦るのをやめます。返事もいりません。僕を意識してくれている。今はそれで十分です」


 返事はいらないってのは、正直ありがたいけれど。


「今は、か」

「はい。友達とは別の関係も望んでもらえるよう頑張ります」


 クソ。こういうことって、普通は惚れた方が弱い立場にあるんじゃないのかよ。それなのに、なんとなくエリムに押されている気がする。

 女装してるくせに堂々としやがって。お前なんか魔王とくっついちまえ。

 なんて言っても負け惜しみにしか聞こえないので、心の中でだけ毒づいておく。


「リーチさんの、見たことない顔が見れて嬉しかったです」

「ぐ、オレ、キャアなんて絶対言ってねーから」

「はは、そういうことにしておきましょう」


 こんの野郎……ッ。


「うーん、青春ね。甘酸っぱいわ。傍から見ていると、完全に百合ゆりだったけど」


 スミレナさん、冷やかすのが遅いです。

 上手くかわせる返事を思いつかなかったので、どうあってもエリムとぎくしゃくする未来しか想像できなかったから、結果オーライ……なのかな。

 何はともあれ、この件に関しては一段落ってことにさせてください。これ以上は頭がパンクする。


 ホッと息をつき、店内の清掃でも始めようと掃除用具入れに手を伸ばす。

 が、その手を急に拓斗が掴んできた。思わず「うお」と声を漏らしてしまう。


「いきなりどした?」


 拓斗も魔王と同じく全身打撲で、体のあちこちに包帯を巻いている。

 だけど、常人レベルにまで落ち込んでいた状態でマザークラーゲンの重い一撃を喰らいながらも、この程度で済んだのは奇跡に近いだろう。


「……言わないのか」

「何を?」

「顔、熱くなってきたりしないか?」

「ああ、やっと治まってきた。恥ずかし。さっきの見てたのかよ」

「くっ!」


 悔しさを噛み潰すようにして、拓斗がギリッと奥歯を鳴らした。

 そうして大きな溜息を吐き、オレに何かを言おうとするんだけど、結局は止めて離れて行ってしまう。昨日からこの調子だ。


 そんな拓斗の気持ちが、オレにはよくわかる。

 昨日の討伐クエスト。ここぞという局面で聖神せいかん隊の人たちや、突然現れた魔王に見せ場を持っていかれた。オレも意気込んでついて行ったのに、結局なんの活躍もできなかった。悔しいよな。

 そんな拓斗の背中に、「お互い頑張ろうぜ」と、念によるエールを送った。



 それはそれとして。

 エリムのことを除いたとしても、オレには極めて重大な問題が残っている。

 大げさじゃなく、死活問題に関わると言っていい。

 スミレナさんは、パストさんの帰省を引いても、女の子が一人増えたと言った。

 女装エリムと、もう一人。

 そう。今では〝一人〟と言い表すしかない。

 母屋と繋がっている扉を開け、眠たげな眼差しでそいつはフロアに出て来た。

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