第61話 サキュバスやめたい

 和解したことを伝えるため、事の中心人物であるスミレナさんとカストール――改めカストレータ領主が、二人で騒ぎの収拾に当たった。

 屋敷に集まってくれた大勢の町民へ、スミレナさんが感謝を。

 騒ぎを起こしてしまったことへ、カストレータ領主が謝罪を。


 最初はカストレータ領主の変わりように戸惑う人もいるだろうけど、そこに噓がないことはすぐにわかってもらえるはずだ。

 だってもう、目で、態度で、全身でスミレナさんへの愛に満ち溢れているから。離れて見ていると、完全に主人のことが好きで好きで仕方ない忠犬だ。

 物事の考え方を一つ変えるだけで、人ってこうまで別人になれるのか。

 ついに領主を屈服させたとして、スミレナさん人気はさらに高まるに違いない。


「――リーチさん、リーチさん、無事ですか!?」


 正門前の人だかりを掻き分け、声を張り上げながらエリムが駆け寄って来た。

 滝のような汗。酸欠のように荒い呼吸。この場の誰よりへとへとになっている。

 最後の最後まで町の中を走り、味方を集めてくれていた証拠だ。


「無事だよ。おかげさまで」

「よ……かった……」


 そこで力尽き、膝が抜けるようにしてエリムの体が崩れそうになる。

 オレは咄嗟に、正面から抱きつくようにしてそれを支えた。

 そしてそのまま、ぎゅっとエリムの体を強く抱き締める。


「リ、リーチさん!?」

「ありがとうな。マジで、ありがとうな」

「……お礼なんて。僕はギリコさんみたいに強くありませんから。戦場に立っても足を引っ張るだけなのがわかっていたから、こんなことくらいでしか役に……」

「こんなことくらいなんて言うなよ。こんな凄いことをやらかしておいて」


 今回の一件にMVPをつけるとするなら、それはオレでもミノコでもない。

 間違いなくエリムだ。エリムの頑張りが決め手になってくれた。


「あの、僕……今、汗だくで。離れた方が」

「そんなもん気にするかよ。どんだけ走ったんだ。心臓バクバクじゃないか」

「や、これは、走ったからというか」


 家族のためだっていうのならわかる。

 だけど、それと同じくらい、友人のためにも必死になってくれる奴が、他にいるだろうか。オレはエリムという人間を友に持てたことを誇りに思う。


「――こらこら君たち。こんな人目の多い所で、いつまでくっついているんだ?」


 ミノコに蹴り飛ばされたカースゴブリンの回収や、その他のゴブリンを連行する手配を終えたロドリコさんたちが、続々とオレたちの所へ集まって来た。

 エリムが慌てて体を離してしまう。


「リーチちゃんを助けたいと思って駆けつけたのは皆同じなのに、抜け駆けはよくないなあ。エリム、後で、お兄さんたち全員と話をしようか」

「こ、これは、違うんです! リーチさんが労ってくれていただけで!」

「それはつまり、リーチちゃんの方からエリムに抱きついていたということか? そういうことなら話は早い。リーチちゃん、大変だったね」


 言って、ロドリコさんがオレに向けて腕を左右に広げた。

 ロドリコさんの後ろにずらりと連なる人たちも同様のポーズを取った。

 よく見れば、ほとんどが【オーパブ】で一度は接客したことのある顔ぶれだ。


「皆さん、ありがとうございました。本当に助かりました」


 お礼と一緒に、オレは深く腰を折って頭を下げた。


「あれ? エリムにしていたようなことは?」

抱擁ハグですか? やだな、年上の人に、そんな馴れ馴れしいことできませんよ」


 だってあれは、友情を確かめ合う抱擁ハグなんだから。

 それ以前に、ロドリコさんと抱擁ハグするのは、ちょっと抵抗が……。


「エリム、後で屋敷の裏手に集合ということで。肉体言語で緊急会議を行う」

「勘弁してくださいよ!」


 顔を青くするエリムには悪いが、オレは「あはは」と苦笑いで場を凌いだ。

 でも、こんな普通に会話をしていていいんだろうか。

 オレは、正体を隠して町の人たちを欺いていたのに。

 お礼より先に、謝るべきだったんじゃないのか。そんなことを考えてしまう。


「……あの」

「ん、どうしたんだい?」

「オレの角や翼、見えてますよね?」

「見えているよ」


 ロドリコさんは、普段と変わらない口調で答えた。


「……ビックリ……しましたよね?」

「そうだね。エリムから、リーチちゃんが魔物だって聞いた時は驚いたよ」

「隠していて、すみませんでした」

「サキュバス、なんだって?」

「はい」

「もしかして、後ろの子もそうなのかい? 店で何度か見かけたことはあったが。というか、凄い格好だな」


 ロドリコさんが言っているのはメロリナさんのことだ。

 彼女も今のオレと同じように、翼を外に晒している。


「メロリナさん、隠さないでよかったんですか?」

「別に構いんせん。正体がバレたことで居辛くなったら、りぃちと共に他の土地へ移り住むのも悪くなかろ。後輩に教えんといかんことは、まだまだ山程ありんす」

「……ありがとうございます」


 小さな先輩の優しさに、オレは心から打ち震えた。

 ロドリコさんに向き直ると、こほんと咳払いをしていた。


「リーチちゃんがこの町へやって来てから、まだ十日と経っていないけど、自分はこんな風に思うんだ。早い段階でリーチちゃんが魔物だと明かしたのは、結果的によかったんじゃないかって」

「どういうことです?」

「実は、自分は少し前から、リーチちゃんは人間ではなく、別の種族なんじゃないかと疑っていたんだ」

「え、なんで……!?」

「リーチちゃんの部屋には窓が一つあるね。偶然見てしまったんだ。そこに立ったリーチちゃんは、髪を上げていなかった。家の中、そして風呂上がりということで油断していたんだろう。その時、頭に角らしき物があると知ってしまったんだ」


 ………………。


「一、二点、質問してもいいでしょうか」

「なんだい?」

「オレ、風呂に入るのはいつも店じまいをした後だから、深夜なんですけど」

「知っているよ?」


 なんで知ってるの? 朝かもしれないじゃん。


「あとオレの部屋の窓、大通りとは反対側についていて、そっちには道らしい道も無いから、普通は人が通るはずもないんですけど」

「あれは確か、星を近くで見ようと向かいの家の屋根に上っていた時だったかな。瞬く星々の中に、一際美しい輝きを放つ星を見つけた。リーチちゃんのことさ」


 いやいや、おかしくない? なんで星を見るのに他人の家の屋根に上るの?


「それがどうかしたのかい?」

「…………いえ、別に」


 この件はオレの手に余る。後ほどスミレナさんに報告しよう。


「じゃあ話を戻すよ。自分のような、善良な一般人に知られるだけならいいけど、中には『魔物だってバラされたくなかったら言うことを聞け』なんて脅しをかけてくる輩がいないとも限らない。そんな危険を回避するために、早期に公言したのは正解だったと思うんだ」


 ねえ、これって言葉どおりに受け止めればいいの?

 それとも、善良な一般人というところにツッコミを入れるべきなの?

 もしくは、「そんなこと言って、本当はロドリコさんがやろうと思っていたんじゃないです? 危ないなー、もう」なんて冗談ぽく返せばいいの?

 リアクションに困っていると、メロリナさんが、ツンツンとオレの背中を突き、耳元で囁いてきた。


「りぃちよ、あやつ、ストーカーではありんせんか?」

「……どうでしょうね」

「お前さんは魅了が使えんから、持ち前の器量で男を誘惑はできても、服従まではさせられん。高まり過ぎた好意はまれに暴走する。いらん厄介事を呼び込む恐れは大いにありんす。重々気をつけなんし」

「わ、わかり……ました」


 考えたこともなかった。魅了って、自衛の手段でもあったのか。

 オレには無い知識を教え、注意を呼び掛けてくれる。やっぱりメロリナさんは、先輩サキュバスとして頼りになる。


「それはそうと、あやつ、今の妄想で確実にシコりよるぞ。100パーじゃ」

「そういうことは教えてくれなくていいです」


 とりあえず、ストーカーの可能性についてもスミレナさんに報告しておこう。

 身近に迫っていたかもしれない脅威に慄いていると、屋敷の周りに集まっていた町民をあらかた帰路につかせたスミレナさんが戻って来た。


「どう? 話は進んでる?」


 スミレナさんの服は破られてしまったので、今は上から毛皮のコートを羽織っている。カストレータ領主が自らダッシュで屋敷から取ってきた物だ。


 話は弾んでいるが、進んではいない。

 オレがそんな風に考えている気配を察したのか、スミレナさんが、「皆に話したいことがあるんじゃないの?」と振ってくれた。

 この場にはまだ、五、六十もの人間がいる。彼らを通じて、オレの言葉は町中にちゃんと伝わってくれるだろう。

 スミレナさんが場の空気を整えてくれたおかげで、皆が口を閉ざしてオレの言葉を待ってくれている。

 これが最後だ。毅然とした態度を取ろう。


「魔物であることを隠して町に入ったこと、もう一度ちゃんと謝らせてください。本当にすみませんでした」


 謝罪から入り、本題へと移っていく。


「魔物がどういう存在で、どういう風に思われていて、どういう扱いを受けるのかを聞いても、最初は他人事のように考えていました。悪さをするつもりなんてないんだし、隠していればなんとかなるだろうって、楽観的に考えていました」


 種族の壁を意識するようになったのは、ギリコさんに会ってからだ。

 いや、それでも危機感は足りていなかった。リザードマンとは違い、角と翼さえ隠せば人間に見える自分は、たとえ魔物であっても縁遠い話だと。


「その結果が、このざまです。正体が露見して、こんな事態を招いてしまいました。お世話になっていたスミレナさんには、特に迷惑をかけてしまいました」


 居心地が良すぎた。ずっと浸っていたいと思うようになった。

 だけど、やっぱり住む世界が違ったんだ。


「オレが魔物である以上、領主さんとの問題が片付いたとしても、こういうことは今後も起こり得ると思います。だから……」


 言いたくない。次に言う台詞を頭が拒んでいる。

 言いたくないけど、言わなきゃいけない。ケジメをつけなきゃいけない。

 喉で詰まっている声を、オレは腹を押さえつけることで無理やりしぼり出した。


「この町を……出ます。短い間でしたが、お世話になりました」

「はい、やり直し」


 オレが全身全霊の想いで紡ぎ出した台詞に、スミレナさんは、いともあっさりとリテイクを言い渡した。


「え、やり直しって?」

「何を言おうとしているのか予想はしていたけど。リーチちゃん、皆が聞きたいのはね、そんな台詞じゃないの」


 オレもまた、スミレナさんが何を言わんとしているのか予想できた。


「……だけど、魔物なんですよ? オークやゴブリンと同じ。スミレナさんだって襲われそうになったじゃないですか」

「魔物だから? アタシに、今さらそれを尋ねるの?」

「で、でも、スミレナさんは違っても、怖いと思う人は」

「リーチちゃんが怖いなんて言う人が出てきら、アタシが、いかにリーチちゃんがアホ可愛いかを説いてわからせてあげる。魔物だからと一括りにするような人は、拳で論破してあげる。なんの問題も無いわ」


 実際に問題が起きた後でさえ、スミレナさんはスミレナさんだった。


「でもね、そんなことをしなくても大丈夫なのよ。リーチちゃんのことを知れば、魔物であるかどうかなんて、どうでもよくなるんだから。それは、周りの人たちを見ればわかるでしょう?」


 オレはエリムや、ロドリコさんや、ここに集まっている人たち、一人一人の顔を見つめていった。皆がスミレナさんと同じような表情をしていた。

 オレはおそるおそる尋ねた。


「……絶対、迷惑をかけてしまいますよ?」


 かければいい。その時は、また助け合えばいいだけだ。

 口々に、そんな温かい言葉が返って来る。


「……王都の騎士たちが、怒りに来るかもしれないんですよ?」


 心配ない。俺たちが守る。

 口々に、そんな頼もしい言葉が返って来る。


 本当は、不安と寂しさで押し潰されそうだった。

 親しくなった人たちと別れるのが辛かった。

 知らない世界にまた放り出されるのが怖かった。


「…………オレ……」


 初めは一滴。すぅっと頬を伝って涙が流れ落ちた。

 そこからはもう、止まらなかった。

 オレはぼろぼろに泣いた。

 手で押さえようにも、勢いが強すぎて、指の隙間からどんどん零れていく。

 目からこんなにも水分が溢れて大丈夫なのかと怖くなるくらい泣いた。

 町を出ると言おうとした時より、さらに声が出て来ない。


「焦らなくていいから」


 そう言って、スミレナさんが、後ろからそっと抱きしめてくれた。

 メロリナさんが、カラカラと笑った。

 ギリコさんが、力強く頷いてくれた。

 エリムはもらい泣きしていた。


 顔はくしゃくしゃになり、声はしゃがれている。

 ゆっくり、ゆっくり。

 ちゃんと声になるのを待って、オレは皆が求めてくれていることを言葉にした。



「……この町に……いても、いいですか」








 その後は、割れんばかりの拍手と歓迎の嵐だった。

 五十人を超える男たちの万歳三唱は、おそらく町の端まで届いたに違いない。

 あわや胴上げまでされるところだったが、スカートだったのと、何やら目つきと手つきが怪しかったので丁重に辞退した。

 代わりにアイドルの握手会みたいなことが始まった。

 流れで、エリムとギリコさんが会場スタッフみたいなことをやらされている。


「こういう時、男の人の結束力って目を見張るわね」

「カカ、当然じゃな」


 少し離れた所から、スミレナさんとメロリナさんの会話が聞こえてきた。


「当然って、どうして?」

「なんせあやつら、妄想の中では穴兄弟でありんしょうからな。強い絆で結ばれておるのも頷けるしょや」

「ああ、なるほど。納得ね」



「…………」


 魔物だと明かしても町に受け入れてもらえたのは嬉しい限りだ。

 でも、やっぱり思うわけです。


 ――サキュバスやめたい。

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