第56話 圧倒的チート牛

「その人から離れろ! 次はお前の番だ、チ●カス野郎!!」

「さ、さっきまでふらふらだったくせに、いきなりどうなっているんですかぁ!?」


 カストール領主は、慌ててスミレナさんの腕を引いて立ち上がらせ、強引に壁際――ミノコと対称の位置にある、もう一つの檻へと引っ張って行こうとする。


「リーチちゃん、来ちゃダメ! 逃げて!」


 スミレナさんが、檻の中を見つめて言った。

 何かいるんだ。


「そこを動かないでくださいよぉ! 動けば――……動けばぁ……」


 カストール領主は、武器になるような物は何も持っていない。

 スミレナさんを人質にはできないと踏んだオレは、カストール領主の制止を無視して飛び出した。奴が何かする前に、決着をつける。


「動くなと言っているでしょう! こ、この女のちっぱ――胸を触りますよぉ!?」

「なッ!?」


 オレは思わず急ブレーキをかけてしまった。

 スミレナさんは、なんとか上着一枚を羽織って胸を隠しているような状態だ。

 そんなあられもない姿になった彼女の胸に、いやらしい手つきが近づいていく。

 オレにはそれが、心臓にナイフでも突きつけられているように思えた。

 動けない。


「……うふふ、それでいいんです。そのままじっとしていてくださいよぉ」


 この隙にカストール領主が、檻についている開閉レバーらしき物を握った。


「卑怯だぞ! それでも男か!?」

「卑怯? わたしが、いつアナタと対等な勝負をしましたかぁ? わたしはね……何があろうと目的を遂げますよぉ。そのためには、過程や……! 方法なぞ……! どうでもよいですよォーッ!!」


 完全に悪役の台詞を吐き、カストール領主がレバーを引いた。

 ガチャン、と音がし、鉄格子の扉になっている部分が部屋の内側へと開く。


「さあ、出て来なさい! お仕事の時間ですよぉ!」

「リーチちゃん、早く! ああ、来る、早く逃げるのよ!」


 昨日、いや、もう一昨日か。店に来たカストール領主が言っていた。

 ――ゴブリンの巣を一つ掃討しましてねぇ。その時に何匹か捕えたんですが。


 情報を吐かせた門番も言っていた。

 ――領主は捕えた魔物を私的に飼い慣らして、ペットにしている。


「ゴブリンか」


 その予想は外れていない……と思う。思うが。

 まず視界に現れたのが、大きく突き出した鷲鼻。エメラルドグリーンの皮膚に、充血して真っ赤になった瞳。エルフのような長い耳。

 どれもゴブリンの特徴に当てはまる。

 日本ではゴブリンを〝小鬼〟と訳すこともあるそうだけど。

 こいつは、どう見ても――


「……でかくね?」


 ――〝大鬼〟だった。

 森で見たオークと比べても遜色ない巨体。

 さらには、装飾に凝った胸当てをはじめとした防具類から知性の高さが窺える。


「ゲッ、グゲッ」「ゲゲ、ゲッ」


 しかも、二匹。

 これも種族的特徴なのか酷い猫背だ。だけど鋭い双眸のせいで、いつでも獲物に飛び掛かれるよう、あえてあの姿勢を取っているようにも見える。


「うっふふ。驚いた顔をしてくれていますねぇ。強そうでしょう? このゴブリン二匹は巣のボスで、つがいなんですよぉ」


 ゴブリン。やっぱりあれはゴブリンなのか。イメージと違うな。

 それに番いってことは、どちらか一匹は雌。【一触即発クイック・ファイア】が通用しない。

 よく見ると、一回り小さい方のゴブリンが着けている胸当てには起伏がある。


「あっちが雌か。アンタが飼ってるのか?」


 檻から出てきた二匹はカストール領主の命令を待っているのか、大人しく近くに控えている。なんでだ? その人間は、自分たちの巣を潰した張本人だってのに。


「うふふ。わたしのお気に入りですよぉ」

「お気に入り? ゴブリンって魔物じゃないのか?」

「もちろん魔物ですよぉ。こいつらの群れは特に残忍でしてねぇ。見境なく村々を襲っては略奪を繰り返すような連中ばかりで。雇った傭兵の一人がゴブリン討伐のエキスパートだったのか、彼の活躍がなければ、わたしの私兵団は全滅していてもおかしくなかったそうですよぉ」

「その傭兵って」

「どうやら下で会わなかったようですねぇ。彼はどこか女性には甘いところがあるようでしたから。アナタのことも、戦わずに見逃してしまったのでしょうねぇ」


 ああ、変態紳士のことか。会いましたよ。そして二度と会いたくない。


「なんにせよ、そんなヤバいモンスターを手元に置いてるアンタ、イカレてるぞ」

「この二匹には、ちょっとした思い入れがありましてねぇ。ゴブリンという種族の中でも上位種。特別な名前がつけられているんですよぉ。ご存知ありませんかぁ? その名前を聞いた瞬間、わたしはビビッときましてねぇ」


 上位種ってことは、ただのスライムじゃなく、メタルスライムみたいな感じか。


「うふふふ。怖いですよぉ。なんと、呪いや祟りの意味を持つらしいですからぁ」

「もったいつけるな。言いたいならさっさと言えよ」

「うふ。その名も――【カースゴブリン】!!」

「カ、カース……!?」

「どうです、どうですぅ!? カッコイイでしょぉ!?」


 ……なるほど。

 魔物というだけで、例外無く差別しまくるこいつが、いったいどんな思い入れがあるのかと思いきや。つまり、なんだ? 自分と同じように、名前にカスがついてるから気に入ったと? そういうことか?


「アンタさ、自分が言われて嫌なことを、他人にも求めるのはどうかと思うぞ」

「なな、なんのことですかぁ!? わたしは本当にカッコイイと思ったからでぇ!」


 オレに噓が下手だって言ったけど、アンタも相当だよ。


「そ、そんなことよりも、泣いて命乞いをするなら今のうちですよぉ!? 絶体絶命なんですよぉ!? どうしてそんなに落ち着いていられるんですかぁ!?」


 どうしてって、そりゃ当然だろうよ。

 あいつがいる限り、何があっても大丈夫。根っこでそんな安心があるんだから。


 小物臭垂れ流しのカストール領主から、オレは別の所へ視線を向けた。

 ずっと、見守るような目でオレやスミレナさんを見ていたあいつ。

 何度か、腰を上げそうになっていたのも知っている。


「なあ、ミノコ。オレ、強くなったと思うか?」


 返ってきたのは、言葉の代わりに、モフ、と鼻息が一つ。

 まあまあじゃない。そう言ってくれた気がした。


「んんー? あの動物に話しかけているのですかぁ? アナタ、そんなことをしている余裕があるんですかねぇ。グンジョーさんは、大層警戒していたようですが、大人しいものじゃないですかぁ。この動物のどこに脅威を感じるというのか」

「ミノコはな、我慢してくれてたんだよ」

「我慢? 何にですかぁ?」

「オレが町で暮らすようになったから。人間として生きていけそうだったから」


 もう諦めたけどな……。

 この一件が解決したら、オレは町を出ると決めている。


「何が言いたいのかわかりませんねぇ。要点を言っていただけますかぁ?」

「人の社会で、保護指定されていない種族が人間を傷つけたりしたら、たとえ相手に非があったとしても、お尋ね者にされちまいかねない。だから、アンタみたいなクソ野郎でも傷つけないよう、今まで我慢してくれてたんだよ」


 全部全部オレのためだ。


「うっふふふふふ。何を言うかと思えば、わたしを傷つけないよう我慢? 馬鹿も休み休み言っていただきたいですねぇ。見てわかりませんかぁ? 檻に入れられているんですよぉ? どうやってわたしを傷つけられると言うんですかぁ!?」

「馬鹿はアンタだ。わかりやすく言ってやろうか? ミノコがその気になったら、そんな檻、いつでも簡単にブチ破れるって、そう言ってるんだ」

「ふふん、そんな出任せを言ったところで――」



 グギギギギギギィ……!!



 と、金属が軋む音がした。ミノコのいる檻からだ。

 ブチ破れると言ったけど、訂正しなきゃならない。

 そんな乱暴なことを、ミノコはしなかった。


 ミノコはただ歩いた。その過程で、額に触れた太い鉄格子をひしゃげさせ、腹でひん曲げ、普通に、むしろ優雅に、歩いて檻から出て来た。

 まるで、暖簾のれんを掻き分けるみたいに。

 檻の存在なんて、最初から見えていなかったかのように。


「……は? え?」


 にわかに信じられない光景を前にして、カストール領主はまともにリアクションを取れないでいる。

 そしてスミレナさんも同様だ。強いとは言ってあったけど、彼女が実際にミノコのパワーを目の当たりにするのは初めてなので、呆けたようになっている。


「ミノコ、悪い。ゴブリンは任せていいかな。領主の方は、このままオレがやる」

「あ、ちょ、そ、そいつらを、わたしに近づけさせないでください!」


 オレとミノコを交互に指差し、カストール領主がゴブリンたちに命令を下した。


「グゲゲェッ!」


 雄ゴブリンが跳んだ。

 部屋の端から端――ミノコまで一足飛びだ。あの体格で、なんて跳躍力。

 体つきからして、オークに勝るとも劣らないパワーを持っているに違いない。

 でも、そんなパワーを備えた体で、尚損なわれない敏捷性アジリティーの方が脅威に値する。


 雄ゴブリンは跳躍の勢いに任せてミノコに体当たりし、壁を破壊。大穴を開けて隣の部屋へと二人して転がって行った。

 ミノコを動かした。

 それだけで、オレはカースゴブリンの強さをオーク以上だと評価した。

 雄ゴブリンがミノコに向かって行ったということは、オレをロックオンしているのは、当然雌ゴブリンということになる。

 オレがあんなスタンピング攻撃を受けたら、プチッとミンチであっさり死亡だ。


 ――来る。

 ゴブリンが膝を曲げたと同時に、オレは無我夢中で横っ飛びした。


 ズゴォッ!!


 一秒前にオレが立っていた床が、ゴリリとバターみたいに抉られた。

 板張りならまだしも、カーペットの下は石畳だってのに、それでもだ。


「ゲゲ、おじぃ」


 喋るのか。オークも喋ったし、不思議とは思わないけど。

 そしてこいつも、オークと同じく、獲物をいたぶることを楽しんでいやがる。


 もう一度かわせるだろうか。

 冷たい汗が頬を伝い落ちた。その時、

 雄ゴブリンが体当たりでブチ破った壁――今もパラパラと欠片が落ち、埃が舞い上がっている隣の部屋から、ひょっこりとミノコだけが戻って来た。



 口を、もむもむと動かしながら。



「あ……(察し)」

「お、おやぁ? わたしのゴブリンはどうしたんですかぁ?」


 消えてしまった雄ゴブリンの姿を探すように、カストール領主がスミレナさんを捕えたまま背伸びをして隣の部屋を覗きこんでいる。

 だけど、そんなことをしても無駄だ。

 雄ゴブリンはね、消えてしまったのさ。四次元の胃袋にな。


「ゲ、ゲェ……ゲギャアアッ!!」


 相方の辿った運命を悟ったのか、雌ゴブリンがオレにではなく、ミノコへと特攻して行く。その途中で、部屋の中央にあったテーブルを持ち上げた。

 材質は大理石か何かだろうか。とにかく、でかくて重くて硬そうだ。

 ミノコは、まだ口を動かしている。完全には飲み込めていないんだ。


 2mを超える巨体の雌ゴブリンが、ここでもジャンプ。

 そうして両腕いっぱいに抱えたテーブルを、ミノコの脳天目掛けて叩きつけた。

 けたたましい破壊音と共に、粉々に砕け散ったテーブルの破片がオレの足下まで転がってきた。至近距離からの矢でさえ肉を通さない頑丈さを誇るミノコだけど、あの重量、硬度、速度で殴打されたら、いくらなんでも首の骨が折れるどころか、頭部が丸ごと――――なんていう心配は、一切合切必要無かった。


「……ミノコさん、マジぱねえ」


 瞬きをした形跡すらない。

 というか、平然ともぐもぐ継続中だった。


「ゲ……エ……」


 さすがに、自分との絶対的な力量差を理解したんだろう。

 雌ゴブリンが慄き、一歩後退ずさりした。

 ここで、ごくんと大きく喉を鳴らしたミノコが、不意に体の側面を雌ゴブリンに向けた。何をするつもりだ?

 そういえば、牧場体験をした時、例の変態園長さんが青い顔をして言っていた。


『馬は後ろに蹴るけど、牛はね、横に蹴ってくるんだ。回し蹴りの要領で。だから後ろから近づいたり、横にいたりすると蹴られる場合があるから気をつけようね。でないと、本当に大変なことになっちゃうから。オジサンね、実はタマタマが一個なくなっちゃったんだ。なんでかっていうとね(以下略)』



 ――ゴグシャッ!!



「――――ッッッッ……」


 苦悶の声が、一瞬にして彼方へフェードアウトしていった。

 雌ゴブリンは、オレが入ってきた扉から見て奥にあるバルコニーへと吹っ飛んで行き、その柵を粉砕しても勢いが止まらず、夜の空へと消えて行った。

 遠くで地面に墜落しただろうけど、その音も聞こえないほどの飛距離。


 圧倒的だ。圧倒的すぎる。

 せっかくだから声を大にして、もう一回言っておこう。


「ミノコさん、マジぱねえええ!!」

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