第3話
今朝の綺麗な快晴の空は、どこから現れたのか、薄暗い雲で覆われていた。緋鞠は一人、重い足取りでで誰もいない通学路を歩いていた。銀狼はまだ休息が必要そうだったから、澪にお願いしてきたのだ。
いつもなら数人の生徒が談笑していたり、走って注意されたりしているのを見かける昇降口近くの廊下も人っ子一人いない。始業時間の一時間前ともなれば当たり前なのかもしれないけれど。そのことに、緋鞠はほっとしていた。
今、誰かに会っても上手く笑える自信がない。
とぼとぼと、肩を落としながら職員室に向かって重い足を引きずるように歩いていると、教室の扉が開いた音がする。
顔を上げると、保健室から見覚えのある三人が出てきたところだった。緋鞠は一度下を向いて、頬を両手で押し潰すように圧迫してから顔を上げる。
こうすれば、幾分か増しな表情ができるはず。
小さい頃からの癖だった。
暗い顔は、誰にも見せたくない。
緋鞠の姿に気づいて、瑠衣が小走りに近づいてくる。
「おはよう。体調は大丈夫なのか?」
「うん! もう完全復活だよ!」
力こぶをつくって見せると、「そうか」とほっとした表情に変わる。
「昨日は僕の従者を助けてくれてありがとう」
「軽い捻挫って聞いたけど、具合はどう?」
「まだ痛みがあるみたいで、負担をかけないよう松葉杖を使ってる。大事をとって、明日の模擬試験は休ませるよ」
「そうなんだ……」
もっと早く助けられればよかったのかな……。
気落ちして視線を落とす。コツ、コツ、と松葉杖が近づいてくる音がする。見れば、あのときの少女が緋鞠の前に立っていた。
一見眉間にシワを寄せていて、怒っているような顔にも見えた。けれど、肩がぷるぷる震えていてどちらかというと──。
「あ、あの……た、助けてくださってありがとうございましゅた……!」
……しゅた?
少女は顔が真っ赤になって湯気がのぼった。「か、噛んじゃった……」と涙目になって、今にも逃げ出してしまいそう。
緋鞠は先ほどの引っ掛かりが消えて、小さく笑った。
「どういたしまして。無事でよかった。お大事にね、由利ちゃん」
「あ、な、名前……」
「たい……夜霧先生に聞いたんだ。もしかして慣れ慣れしか」
「いえ! 」
遮る大きな声に緋鞠も、由利本人も少し驚いていた。取り繕うように空いている手をおろおろさせた。
「あの、その……う、嬉しい、です……」
最後の方は小さかったけど、ちゃんと聞き取れた。
もしかしたら敵対視されるかもしれないと不安だったけれど、由利の言葉に安心した。
「よろしくね」
由利はぱあっと表情が明るくなると、こくこくと勢いよく頷く。その様子を後ろで見ていた奈子は、由利を支えるように、肩に手を置いた。
「由利。そろそろいくぞ。瑠衣さまがお話しできない」
「あ、そ、そうだね。えっと……また、ね」
名残惜しそうに何度も振り返る由利に手を振ると、きごちなく手を振り返してくれる。なんだかその様子が、幼い人見知りの妹に似ていて可愛い。
「人見知りの由利があんなに懐くなんてな」
「そうなの? 可愛いねぇ。うちの妹を思い出しちゃう」
「兄弟がいるのか?」
「孤児院で一緒に育った子達で、下に七人いるよ! 男の子が四人で、女の子が三人なの」
「へぇ。にぎやかなんだろうな。僕は兄弟がいないから。……少し、羨ましい」
彼女からそのような言葉を聞くとは、少し意外だった。今まで見てきた瑠衣は、どこか大人っぽくてみんなに慕われてて……自分とは大違いのすごい子。
……彼女みたいになれたら、みんなと並べたのかな。
学園に来てから、ずっと足手まといでいるような気がする。琴音に頼ってばかりだし、翼には関係ないって言われる始末だし……。
だんだん気持ちが鉛のように重くなってくる。ここで、落ち込むわけにはいかないのに。何か、別の話でもに変えようかと、瑠衣を見る。すると、先ほどの表情とは一変して、一線を引いたような視線。
「君に借りができたわけだが、明日の模擬試験では遠慮なんかしないからな。僕の従者を助ければ手を抜いてもらえると思ったら大間違いだ」
瑠衣の言葉に驚いて、緋鞠は否定するように手を振った。
「そんなこと思ってないよ!」
「じゃあなんであの状況で」
「だって困っている人がいたら助けるに決まってるじゃない」
手の届く距離に助けを求める人がいるなら、なおさら。助けたいと思うのが普通じゃないか。
それでも、瑠衣の視線はますますキツくなるばかり。探るような瞳に、またざわざわする。
「それが例え、敵でも?」
「瑠衣たちは敵じゃないよ」
「敵だよ」
「仲間だよ。どうしてそんなこというの?」
「この世界で身内以外信用できない。……いや、身内さえも。結局、みんな自己利益のために動いている。それなのに、他人を信用してる? 仲間?」
はっと小さく嘲笑うと、ぎっと怒りに満ちた目で緋鞠を睨みつけた。
「ふざけるな!」
必死な怒鳴り声に、緋鞠は驚いて思わず目をつぶってしまう。瑠衣はぎりっと奥歯を噛み締めると、苦しげに言葉を吐き捨てた。
「君のような偽善者が一番嫌いだ……!!」
瑠衣はそのまま、降りきるように足早に去っていった。その後ろ姿を、見ていることしかできなかった。
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