第6話

 その場に残された三國は、ずきずきと痛む頭を押さえた。


 ――何のために鬼狩りになった?


 三國はその問いに答えることができなかった。


 思い出そうとしても、思い出せない。

 まるで扉に鍵をかけられたような感覚。かろうじて思い出すのは、断片のみだ。


 でも、それは当たり前のことだった。

 すべてを捨てて、三國は大和ここに来た。後悔してなどいない。


 ――俺は……。


『どうして貴方は、人に優しく出来ないのですか』


 三國の目の前に人が現れた。

 月明かりから、幻のように浮かび上がる。

 いつもは声のみで、めったに姿を見せない月の裁定者、颯月。冠直衣姿は、平安時代の貴公子を連想させる。

 じっと三國を見つめる瞳は、凪のように穏やかだ。


 その瞳が閉じられると、しゃくで隠された口から、長いため息が吐き出された。


『ほ――んのすこし、塩のひとつまみ! いや、塩は不味い? ……ええい、この際塩でいいです!塩ひと粒ほどの優しさを与えることができないんですか!』

「その優しさが人を殺すんだろ」


 人は弱い。

 甘えられる存在がいれば、いくらでも甘え、依存する。

 危険から目を背け、認識出來なくなったときに落ちるのは奈落の底だ。気が付いたら棺桶のなかだったということだってありえる。


「ここは戦場だ。死ぬか生きるかの場だ。ルールに守られている安全圏じゃない」


 今日こんにちに至るまで、どれだけの血が流れたのだろう。

 千年にも及ぶ月鬼たちとの長い永い戦い。

 いったいいつまで続くのか、三國にはわからない。


 (……もう、終わらせなければ)


『だから、復讐を望むと?』


 颯月の瞳が、氷のように冷たくなった。


『――故人に執着しているのは、あの娘ではない。翼の方だ。……なぜ、それがわからない』


 颯月が消えると、急にあたりが静かになる。


「好き放題言いやがって……」


 三國は空を見上げた。

 紅い月でも眺めたい気分だった。


 ◇


 花咲はなさき琴音ことねは、身体を震わせながら月鬼を見上げた。


 幸運なことに傀儡に見つかることなく、無事に契約まで出來た。

 それなのに、いきなり空が割れたと思ったら、身体ごと強制転移をさせられ、気が付いたら月鬼の前に立っていた。


 闘わなければ、逃げなければ……けれども、足がすくんで動けない。


 月鬼が長く鋭い鉤爪を頭上へと振りかざした。


(殺される……っ!)


 琴音はぎゅっと瞳を固く閉じる。


「待ったあああ!」

「えっ!?」


 琴音と月鬼の間に、小柄な少女が飛び込んできた。

 少女は月鬼の鉤爪を受け止めると、流れるような動作で月鬼の身体に霊符を貼り付ける。


 月鬼が見えない鎖で縛られたように、動きを止めた。


「大丈夫?」


 少女が琴音を振り返った。


(わ、あ……)


 意思の強そうな紅色の瞳が、暗闇にもきらめいている。

 宝石みたいだ、と琴音は思った。


「大丈夫?」


 ぼんやりと見とれていたせいで、返事が遅れてしまった。

 怪訝そうに首をかしげる少女に向かって、こくこくとうなずくと、笑顔を向けられた。


「あ、ありがとう」

「無事でよかったよ」


 恐怖で強張っていた身体の力が抜ける。

 少女の手元を見ると、その手には何もない。


(もしかして、素手で月鬼の攻撃を受け止めたの!?)


 ひええ、と驚愕していると、ブチブチと荒縄を引き千切るような音がした。


「ごめん。言いにくいんだけど、私、まだ月鬼との契約が出来てなくて……」

「えっ?」


 少女が止めたはずの月鬼が、霊符を剥がそうともがいている。


「私が月鬼をひきつけるから、あなたは……」

「わ、私、契約完了してます!」


 勢いよく答えると、少女が安心したように笑った。


「それじゃあ、とどめをお願いするね!」

「は、はいっ!!」


 霊符を剥がし、自由を得た月鬼の前に、少女が飛び出した。やはり素手で応戦するようだ。

 琴音はその姿に勇気をもらい、拳をぎゅっと握った。


 ――私は、私が出來ることをするんだ!


 左手に刻まれた封月に呼びかける。

 臆病な琴音の声に答えてくれた優しい裁定者。


弦月げんげつ


 封月が淡い光を放ち、琴音の右手に黒い和弓が現れる。


 弓をつがえると自然と矢が現れる。琴音の準備が整ったことを視線だけで確認した少女が、月鬼の背後を取り膝窩しっかを膝を入れる。


『ぐおおっ!!』


 がくりと体勢を崩した月鬼の心臓に狙いを定める。


「やあっ!」


 カンッと弦音つるねが響いた瞬間、琴音の発した矢は月鬼の心臓を刺し貫いていた。


 ほおっと息を吐くと、空いている手をぎゅうっと握られた。


「すごい! 一撃で倒すなんて、強いんだね!!」

「い、いえ、あなたが来てくれなかったら、私……」


 きっと、死んでいただろう。

 器用ではないし、特別頭がいいわけでもない。今回は、運よく生き残れたけれど、次はどうなるか……。


 うつむくと、いたわるように肩をぽんぽんと叩かれた。


「あなたは私の命の恩人だよ。ありがとうね!」


 晴れやかに笑う少女の姿に、琴音の胸のうちが温かくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る