12 臨海都市ウルトラマリン

 戦艦ストラトスの目的地は本来、軍本部が敷設されているバーガンディーだが、〈ノウア〉での予期せぬ消費に燃料が不足し、急遽、手近な町での補給が決定した。

 それに伴って、乗組員に一日の休暇が与えられる。常駐の仕事があるニナは残念ながら半日の休みだが、それでも仕事は夜からということで、シュリと二の宮はニナの案内で町の見学に出ることになった。三好と四道はヴィクス、ライト少年と共に、最新設備を搭載した新造艦エルグランドの見学に行くようだ。


 戦艦の側面から伸びた長いタラップを降り、熱を帯びた砂地に降り立つと、二手に分かれて町を目指す。歩くにつれて近付く臨海都市ウルトラマリンの町並みは、シュリの知る景色のどれにも当てはまらなかった。


 青い空と青い海、常夏を想起させる椰子の木に似た樹木などからは、いかにも南国らしさがあるものの、遠景には無粋な軍事施設が腰を据えられ、米軍基地近郊の日本に似た特殊な緊張感が漂っている。白っぽい建物が行儀良く並列した道沿いは欧州域を連想させるが、建築資材が異なるせいか、似ているとは思わない。ウルトラマリンの建物はどれもコンクリートに似た素材で既成されており、レンガ造りの家々とは風合いが異なっているからだ。

 その町の一画に、あまり風景にそぐわない物が浮いていた。縦横奥行きどれも六十センチほどの立方体でライトキューブに良く似た緑色のそれは、何かしらの浮力を得て地上一メートルほどの高さをふよふよと浮遊している。

 〈ノウア〉全土をカバーするグローバルネットワークの公共端末だ。

 同型の端末が戦艦の中にもあったが、あれは艦内ローカルネットワークの端末で、グローバルネット端末とは違い、宝石のアクアマリンのように薄い青色をしていた。

 ニナが端末に一歩近づくと、途端に浮遊体が小さく明滅してキュインと変形する。

 上面がぐいっと首をもたげモニターになり、操作者に近い側面には縦に切れ込みが入り割れ、左右に大きく腕を広げた。その内部からは一ミリにも満たない薄氷のキーボードが押し出され、左右に広がったそれぞれの側面にも何かが表示されていたり読み込み装置などが付属されている。表示されている言語は世界標準言語だ。これならシュリにも読める。


「何してるの?」


 首を傾げる二の宮に、ニナは端末から出てきたカードを差し出した。クレジットカードによく似ている。違うのは、十数年前に日本では廃止された磁気テープらしきものが付いているか付いていないかくらいだ。


「これは?」

「lacカードっす。子どものおつかい用なんっすけど、これで買い物出来るっすよ」

「買い物!? ホント!?」


 カードを掴み、二の宮が目を輝かせる。

 その喜びように、ニナは軽く苦笑した。


「ヴィクスが、せっかく町に出るのに金が無いんじゃつまんねーだろって、用意してくれたんっすよ。あんまり無駄遣いしちゃだめっすよ」


 カードを掲げはしゃぎ回る二の宮の耳に果たして届いているかどうかは不安だが、ニナはそれ以上水を挿さず、シュリにも同じものを手渡した。


「……ヴィクスってお人好し」

「あはは。ウチもそう思うっす」


 ヴィクスが用意したということは、カードの中身はヴィクスが稼いだ給金のはず。それを二の宮とシュリとに一つずつ。この調子ではおそらく三好と四道にも一つずつ。合わせて四枚のカードを用意したのだろう。


「じゃあさっそくどこか行こうよ」


 カードをポケットに大事に仕舞い込み、二の宮が賑やかな町の中央部を指差す。

 ヴィクスの人の好さも一歩間違えればお節介だが、これ程までに喜んでくれるのならば本望だろう。


「ねえニナ、メイク道具一式と服とアクセと靴がまとめ買い出来るところはある?」

「さっそく使う気満々っすね。通り二つ向こうに、マイが好きそうな店が並んでいるっすけど――でもその前に、まずはマムに挨拶するっすよ」

「「マム?」」


 二人が声を揃えると、ニナは力強く頷いた。


「およそ数百はいるとされるガーディアンの偉大なる母……。ヒトが〈バイオ〉を追われた時、真っ先に協力を申し出てくれた、始まりのガーディアンっす」


 厳かに告げるとニナは二人に付いて来るよう促し、二人を導くように歩き出した。

 ビッグ・マムと呼ばれるそのガーディアンは、生命が生きてはいけない〈ノウア〉の環境を改善すべく、多くのガーディアン達を産み落とした、まさに「母」なる存在だ。本体は首都の中央部に安置されているそうだが、それはあくまでもマムを〈ノウア〉に留め置く「入れ物」に過ぎず、彼女の意識は常に〈ノウア〉中に散らばっているという。また、〈ノウア〉をカバーしているグローバルネットワークにも接続可能で、国が誇るセキュリティもマムの前では形無しなのだとか。


「戦艦なんかのローカルネットワークでのやり取りも、グローバルネットワークに接続すると自動でログが送られるようになってるんっす。だからマイ達のことは既に知られているだろうけど、やっぱり挨拶は礼儀っすからね」


 確かに。それだけの重要人物――否、ガーディアンであれば、一頻り挨拶はしておくべきだろう。


「二人は、ガーディアンがどうやって〈ノウア〉に来るのか、知ってるっすか?」


 体は進行方向に向けたまま、首だけを後ろに見やってニナが尋ねてきた。


「え? ガーディアンって、始めから〈ノウア〉に居たんじゃないの? ゾウとかキリンみたいに」


 どうやら二の宮はガーディアンを大陸の先住民のような感覚で捉えていたらしい。

 しかし残念ながら当たりではなかったようだ。ニナは首を横に振ってハズレを示した。


「ガーディアンは、喚ぶものなんっす」

「……よぶ?」

「異世界から召喚しされたヒトではない存在、それがガーディアン。ガーディアンは始めから〈ノウア〉にいたわけでも〈バイオ〉から一緒に〈ノウア〉に来たわけでもなく、異世界から喚ばれた存在なんっす」

「異世界から……」


 鸚鵡返しに呟いた二の宮が、シュリを振り仰いだ。やや茶色がかった日本人特有の濃い瞳が、長い睫毛の奥で不安げに揺れ動いている。

 異世界、おそらくシュリ達の世界とは異なった、また別の異世界のことなのだろうが、二者に共通する異なった世界の存在が、シュリ達の小さな不安の火種に風を吹き込んだ。


「もしかして……あたし達も呼ばれたのかな……?」

「それは分からないけど、可能性の一つには挙げられると思うっすよ。あるいは、誰かがガーディアンを召喚しようとして、間違ってマイ達が呼ばれたか……」


 いずれにしろ現段階では証明する方法がない。召喚の原理も分からない。もし召喚されたからだったとしても、故意であるか事故であるかで事情はまた異なってくる。

 万が一、故意であったならば、日本に帰る方法は思いのほか簡単かもしれないのだ。


「ガーディアンが異世界に帰った例はある?」


 ウルトラマリンの町や周辺海上を漂うエオリアが異世界に帰る素振りはない。では他のガーディアンはどうなのだろうか。

 シュリが尋ねると、ニナは半拍の間を空けて答えた。言葉を慎重に選んでいるような雰囲気が窺えた。


「あると思うっすよ。ただしそれはガーディアンと召喚者の契約の内容によって、タイミングが異なるっす。マムやエオリア達のように、一秒でも居なくなると困るガーディアンもいるっすからね」


 なるほど。


「オマケに更にエオリアはビッグ・マムの子どもっすから、直接召喚されたガーディアンとはちょっと勝手が違うっす。でも一応、契約は女王陛下と交わしてるんで、この場合は女王陛下との契約内容と母であるマムの意思が必要なんっすよ。ちなみにマムの契約者も陛下っす」

「〈ノウア〉って女王さまがいるんだ。日本と違って王政なんだね」

「違うっすよ」


 二の宮の何気ない一言を、ニナは間髪いれず否定した。ついでに路を右に曲がる。町並みから推測するに、どうやら中央部近くに向かっているらしい。


「〈ノウア〉の政治は政府が管理してるっす。女王陛下も議会には参加してるっすけど、政府はダースマン代表が統括してるっす」


 ちなみにブルーコートは政府の直轄軍なのだと補足し、ニナは更に続けた。


「女王陛下はこの〈ノウア〉の環境を整備する、マムと、マムの子どもたちの契約者コントラクターなんっす。言い換えれば、マムと契約した者が女王になるんっす」

「え……? じゃあ、女王さまの子どもが次の王さまになるんじゃないの?」

「女王という地位が継がれるんじゃなくて、マムとの契約が世引き継がれるだけっすから、世襲制とは根本が異なるんっすよ。それに、マムの《コントラクター》は女性しか継げないんで、女王陛下は代々「女王」なんっす」


 〈ノウア〉の形態を一度に説明された二の宮は少々混乱気味に相槌を打った。

 ガーディアンの力で護られた〈ノウア〉では、ガーディアンの存在は重要だ。そのガーディアンと契約を結ぶ女王が重要視されるのも特別なことではない。女王と政治が直接結びついていないのも、女王の座を――引いてはマムの存在が政治の道具にされることを防ぐ措置だと考えれば納得できる。女王が適切な政策を打ち出せないような、政治の「せ」も理解出来ない人物だった場合、一から教育するのも面倒だし、逆に勝手が過ぎるのも困る。これらの手間を考えれば、政治を委託するのは至って合理的だ。


「ちなみに、代々の女王陛下みたいにガーディアンとの契約を引き継ぐのを【後継契約】、ガーディアンを召喚して新しく契約することを【新規契約】って呼んでるっす。割合としては、ガーディアンの総数の約半分が【後継契約】っすね。――といっても、その半分の九割以上が女王陛下おひとりの契約なんっすけど」


 と、言うことは、女王の契約はマムとエオリア以外にも何体――あるいは何十体――下手すると百単位での契約を交わし、ガーディアンを〈ノウア〉に留めていることになる。

 ガーディアンとの契約が《コントラクター》に何かしらの負担を強いるのかどうかは不明だが、さすがに数があると色々と重そうだ。〈ノウア〉の民に対する責任、〈ノウア〉を負わせるガーディアンへの配慮、女王という最上級の地位――。しがらみも色々とあるのだろう。


「さ、着いたっすよ」


 ようやくニナが足を止めた場所は、海岸線からかなり遠退いた町の広場だった。真ん中に、跪く女性と舞い降りた天使をモチーフにした大きな彫刻が安置されている以外はベンチがあるだけの、特に何もない広場だ。

 人の数は多くも少なくもない。子どもがボールで遊べる程度に、程よく空いている。

 相変わらずエオリアがあちこちを飛び回っているものの、ビッグ・マムの名に相応しいガーディアンは見当たらなかった。本当にここで合っているのだろうか。


「マム、マイとシュリを連れてきたっすよ」


 母親に友達を紹介するような気軽さでニナが語りかけた相手は、広場中央の白亜の彫刻だった。変哲もない広場の小さな半径の中に、荘厳な空間を作り上げているそれは、しかしやはり単なる彫像でしかない。エオリアのように空を泳ぐわけでもなく、微動だにせずニナの言葉を受け止める。


〔無事な帰還、何よりじゃの、ニナ〕

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