ボッチからジョブチェンジなんてするんじゃなかったな【リメイク】

雲煙模糊

第1章 ようこそ、ボッチの世界観へ

天然巨乳少女の話

第1話 ジョブ:ボッチ

 廊下を木霊する楽器音。野球部の青春掛け声。古びた木の匂いと微かな香水が蔓延する教室。

 高校に通い始め早二ヶ月、中学までとなんら変わらない生活を送っている。強いて言うなら、独りでいる事に教師が煩くない事くらいだ。

 何が楽しくて”クラス皆で一丸になって”活動しなくてはならないのか。

 見るからに分かるだろ、俺のコミュ障オーラ。

 他人と楽しく会話出来る奴に見えるか?


『あと三周ー!」


 学生にとって、学校という”世界”は生活の殆どである。

 だから学校で独り、所謂いわゆるボッチは簡単に言うと常に劣化四面楚歌状態なのだ。

 世界中を見渡しても、敵と他人しかいない。味方なんて探す気も起きない。

 一見すると絶望的な状態だろう。


「……よし、奴はまだ来てない」


 ここで一つ、発想を逆転させてみる。

 周りには敵と他人しかいない世界。


「続きの同人誌……あったあった」


 助けてくれる人はいない。

 助ける人もいない。守るべき存在も、味方として気を付けなければならない者もいない。

 俺の手には、生きていく為に必要な敵を屠る武器。

 

「タダ読みは……」


 これはつまり、敵が現れたら周りを気にせず武器をブンブン振り回しても問題無いという事他ならない。

 なんせ味方も守るべき者もいない。誤って武器が味方に当たる心配も無い。誰かを人質に取られる事も無い。

 よく強大な敵が主人公に対し「○○共々ともども消えてなくなれぇぇぇえ!」とか言って人質を取り、攻撃を避けさせない瀕死フラグを建設する。

 だが、俺にそんな場面は発生しない。誰かが後ろにいても避けられるなら余裕で避け――


「退散ー!」


 後頭部を襲う鈍い衝撃が俺を現実へと戻した。

 犯人は大方予想が付いている。

 というか、俺にこんな事をする人間は一人しかいない。


「一条くん、幾らクラスメイトの親が経営している店だからってタダ読みはだめだよ? 本はちゃんと購入してから読みましょうね?」


「……だったらカバー付けたら良いだろ」


「そんなお金は高砂書店にありません! それに店の前でブツブツ言うのも禁止! お客さんがドン引きしちゃうでしょ?」


「お前がスリッパで俺に一撃お見舞いした行為もドン引きの原因だからな?」


「高砂書店の看板娘である私が皆からドン引きされる? フフッ、寝言は寝てから言ってよね」


 自称高砂書店看板娘、高砂たかさご神奈かんな

 俺のクラスメイトであり、日本人らしい艶のある黒髪に整った顔立ちをしている。

 だが、天は二物を与えなかった。

 整った造形を得た代わりに胸部が紙装甲である。


「おい、誰の胸部装甲が紙だって?」


「ちょっと待て待て待て……落ち着け、話せば分かる」


 いやいやナチュラルに心読むなよ。

 うちは土足厳禁だ。


「……諸君、私は戦争が好きだ。諸君、私は戦争が好きだ。諸君、私は戦争が大好きだ。殲滅戦が好きだ。電撃戦が好きだ。打撃戦が好きだ。防衛戦が好きだ。包囲戦が好きだ。突破戦が――」


「ストッ――プ! そのセリフはろくな文に繋がらないから!」


「――よろしい、ならば戦争クリークだ! 表へ出ろ!」


「お前ただそれ言いたかっただけだろ!」


 高砂と知り合ったのは高校初日。

 ちょうど今日のような何の変哲もない夕方になる。


「あ、言い忘れてた。いらっしゃい一条くん」


「……いつもの続編を頼む」


「おっけー、ちょっと待ってて」


 中学時代の奴らに隣町から来ている連中が混ざっただけの入学式、はっきり言って新鮮味が無かった。

 校長の長話も担任の淡泊な自己紹介も中学と同じ。

 違うところと言えば、学年の人数が倍になったくらいか。


「確か”進み続ける異世界の原点”の”十八杯目”で良いんだよね?」


「それで問題ない」


「オッケー、五百円ね」


 入学式の後はクラスで自己紹介を済ませ、各自部活見学のため解散。

 勿論俺は速攻帰宅した。

 クラスに馴染まない奴が部活で浮かない訳が無い。

 集団行動? なにそれ美味しいの?


「いつも思うが、よくここは同人誌なんて売ってるな。仕入れルートはどうなってるんだ?」


「企業秘密だよ、一条くん」


 今度はシャーロックホームズか。

 よくまぁ、次から次へと……


「まあ、うちにもそういった本が大好きな人がいてね。店に置いてみようっていう軽いノリで始めたら」


「俺みたいな購入者が現れた、と」


「そ、しかも高校入学日の夕方、部活見学をすっぽかして堂々と立ち読みする一条くんがね」


 紙袋に包まれた本を受け取り、金貨を一枚キャッシュトレイに置く。

 年季が随分入っているんだろう、青色のトレイはもはや水色になりつつあった。


「そういえば知ってる? 今一条くんがお金を置いた青いギザギザのマットの正式名称!」


「カルトンだろ」


「ほぉ、中々物知りだね」


「初歩的なことだ、高砂」


 毎度あり、と元気な声に後押しされ、店を出る。

 ここから自宅まではおよそ十分程度。

 陽の光も段々弱まってきた。


「ただいまぁ、っと」


 家主のいない玄関は声がよく響く。

 親の共働きも今となっては慣れたが、最初の頃は妹をあやすのが大変だった。

 今では比べ物にならない程逞しく成長したが。


『てめぇの救いってその程度なのかよ――神は全てを知っている――そのふざけた幻想を――!』


 運の良い事に今日は宿題が無かった。

 これはつまり、趣味どくしょに没頭出来る時間が多いということだ。

 BGMは今や一般家庭の生活音とも言えるテレビのCM。

 それにこの時間は子供たちに向けてアニメやゲームのCMが多いため、二次元情報収集も出来て一石二鳥である。


『だったら、俺がお前を助けてやる――もしもアイツが、自分が死んだ方が良いなんて思っているなら――まずは……その幻想を――!』


 窓から差し込む夕焼けが力を失い、空に散りばめられた宝石が輝きだす。

 時刻は午後七時前。

 流石に腹が減ってきたと思い、台所に立って気付いた。

 妹の弁当箱がボールの中に沈んでいる。


「……帰ってきてたのか。声くらい掛けても良いだろうに」


 冷蔵庫を開け、見切り品シールが張られたむね肉を取り出す。

 朝は親が用意してくれるが、昼と夜は基本各自で作るルールだ。

 妹は早起きして自分の弁当を作るついでに夕食も用意している。

 これを間違って食おうものなら……庭の花壇に埋められるかもしれない。


「野菜はピーマンと玉ねぎがあるし……この量なら腹も膨れるだろ」


 油をフライパンにさっと引き、火の通りにくい材料からどんどんぶち込む。

 どうせ味など期待していない。

 嘔吐を要するような代物で無ければ及第点だ。


「よし、頂きます」


 分厚い週刊誌の上にフライパンを置き、ご飯と一緒に胃に落とす。

 現在家には俺と妹しかいないが、食卓を囲むほど兄妹仲は良くない。

 一般的な視点からはどうなんだろうか。

 ボッチ歴が長いと同学年の標準がよく分からない。


「……了解っと」


 スマホに表示されたメッセージ。

 内容はそろそろご飯が食べたいからリビングを出ろ、という簡素な命令文。

 発信者はここ一条家のもう一人の住人、妹である一条いちじょう千夏ちなつからだ。

 昔はよく一緒に遊んだんだけどなぁ……思春期というやつは厄介極まりない。

 別に仲良くしろ、とは言わないが、せめて同じ屋根の下で暮らしているのだから会話くらいはして欲しい。


「お兄ちゃんは部屋に戻りますよー」


 俺の部屋のすぐ隣に妹の部屋が有る。

 因みに二階。


「……まあ、だろうな」


 勿論返事は無い。

 俺は溜息交じりに自室のドアを開け、本棚から今日買った同人誌”進み続ける異世界の原点”の一巻を取り出す。

 この本は題名の通り異世界シリーズ。

 しかも群像劇ぐんぞうげき作品――転生者、異世界住人、エルフ、ドワーフ、悪魔から天使までの何でもござれ作品だ。

 一話毎に視点を変えるくせに入荷時期が不透明なのは勘弁してほしいが。


 ******


「それじゃ、この前やった小テストを返します。一条いちじょう春樹はるき君ー」


 国語の授業は開始早々テスト返しだ。

 出席番号順の返却らしい。


「はい」


 つまり俺こと一条いちじょう春樹はるきからだ。

 因みに点数は六十九点シックスナイン

 幸先良すぎる……俺は思春期真っ盛りの中学生か。


「平均点は五十二点で、五十点以下の人は後日再テストがありますので、ちゃんと復習しておいてくださいねー」


 不満の声が教室中から上がる。

 優しそうな顔をしていて、何気にこういうところはしっかりしている先生である。


「それは無いですよ若葉ちゃんー」


「えぇー」


「ブーイングは受付ませーん。それに、このテストで合格しておかないと平常点をあげられませんよー? 期末テストで頑張るっていうなら辞退しても構いませんがーどうします?」


 学期末の評価は期末テストの点数と平常点から構成されている。

 教科によって割合は様々だが、国語は平常点が三十点も占めている。流石に無視できる代物ではない。


「それではテストの解説を始めまーす。平均点以下の子と解説聞きたい子は前の席に移動、それ以外の子は後ろの席でペア活動してくださーい」


 俺は初期位置が後ろから二列目、窓側の席を陣取っている。

 点数は微妙だが、前の席に行くほど切羽は詰まっていない。

 それに折角せっかく合法的に昼寝が出来るのだ。

 ペア学習などただの雑談、言ってしまえば時間潰し。

 若葉先生も多めに見てくれるだろうし、ここは春のそよ風に身を任せて夢の世界へ……


「あ、あの、少し良いですか?」


 ところがどっこい、うは問屋とんやが卸さないと。

 誰だ、この三つ編み童顔女は。顔立ちだけなら俺の妹より幼いぞ……胸はJK偏差値を軽く超えているが。


「……何か?」


「そ、その、実は私のペアが、今日はお休みしていまして」


 周りを見渡せば確かに余っているのが俺しかいない。

 この子といつも組んでいる奴が休みだという事は本当らしい。


「ペア、お願い出来ますか?」


「は、はあ……自分で良ければ」


 思い出せ一条春樹。

 コ・イ・ツ・ハ・ダ・レ・ダ?


「あ、あの……向かい側に座っても良いですか?」


「……どうぞ」


 脳内ハルペディアに情報が無い事はさっき分かった。

 話したことも多分無いだろう。

 てかクラスメイトの名前なんて殆ど知らないし。


「ペア学習はこのプリントを埋める事らしいです。これ、一条君の分です」


「お、おぅ、ありがとう」


 相手側はしっかり俺の事を認識してるのね。

 まあ、ペア学習お願いしてくるくらいだし、普通だよな。


「……話は変わるんですけど、一条君って何か部活動をしていますか?」


「部活? 特にしていないが」


「そうですか……何か部活に入る予定とかも無いですか?」


「今のところは、特に何も」


 クラスという集団に溶け込めない奴が部活なんて出来る訳無いだろ。

 帰宅部はステータスだ。


「……朝、よく本を読んでいますよね。小説ですか?」


「小説、と言えば小説だな。軽い小説的な感じだけど」


「も、もしかして」


 ライトノベルは文学です。

 異論は認めません。


「ライトノベルですか!?」


「……ん?」


「良いですよねラノベ! もしかしてもしかして、アニメとかも見る方ですか!?」


 おっとボインちゃんがハイテンションだぞ。

 誰かふしぎなタンバリン鳴らしちゃった?


「今期は何見てます!? 私は五等分の彼女にとある幻想殺しの武勇伝、それに石上優は死にたいと転生したらチートモンスターだった件――」


 確かにアニメは見てる、それもリアルタイムで。

 だがここまで興奮した状態で初対面の人に話しかける程では無い。

 時と場所は一応弁える。


「ま、まぁ、とある幻想殺しn」


「とある見てますか!? 私、実はアニメから入ったんですけど、ハマっちゃって小説買っちゃいまして! 展開知ってるはずなのにハラハラドキドキしながらリアタイでアニメを――」


 一つ、分かったことがある。

 この子はこっち側の住人だ。

 現実でこの趣味を共有出来る事に嬉しさを覚え、ついつい饒舌じょうぜつになってしまう。俺にもそんな時代は有った。

 今となっては共感してもらうなどと露程にも思わないが。


「――はっ! ご、ごめんなさい! わ、私、また変な事をベラベラと……」


「いや、大丈夫。俺もそのアニメ好きだし、途中までなら俺も小説持ってるし」


「ほ、本当ですか? 迷惑じゃなかったですか?」


「……声のボリュームをもう少し下げてもらえれば助かる」


 あっ、と声を上げてボインちゃんが周りを見渡す。

 普段話さない子がめちゃくちゃ饒舌になり、しかも相手が正体不明のボッチときた。

 注目を浴びない訳が無い。

 そして何故か知らないが、高砂の笑顔が怖い。


「えっと、白川さん? お話するのは構わないけど、もう少し音量を下げてもらえる?」


「は、はい……すいません……」


 流石に先生も注意してきた。

 本人はというと顔を赤くしてプリントと睨めっこ中。

 しかし若葉先生、ナイス注意だ。

 このボインちゃんの苗字が”白川”ってことは分かったぞ。

 さっきまでの状況に比べれば大きな前進だ。


「う、うぅ……」


 不特定多数のささやき声が漏れる。白川さんの頬もまだ赤い。

 昨日は買った同人誌を深夜まで読んでいたため、この時間に昼寝が出来なかったのは正直痛手だ。


「あ、とある幻想殺しは何巻まで持ってます?」


 まさかの趣味話再開。

 この子はまだ懲りていないのかしら。


「一応、第一章の終盤辺りまで」


「ということは新約はまだって事ですか?」


「そういう事になる」


「それは……もーったいないですよ! 勿体なさ過ぎます!」


 いきなりギアチェンジするのは最早デフォルトなのか?

 五分前の反省を生かす気は全くないのかな。


「確かに第一章も面白いです面白過ぎです幻想殺しかっこよすぎです片側通行さん大好きです! ですが、新約からの展開も目を見張るものばかりですってユズはユズは貴方を新世界に誘ってみます!」


 手を差し伸べ、新世界意味深へ招待してくれる白石。

 満面の笑みでその手を取ろうものなら、天誅てんちゅうという名の暴力が自称看板娘によって俺に降りかかるだろう。

 授業終了までおよそ三分。

 ヌードカップ麺と同じ待ち時間、つまり体感的にかなり長い。難聴系主人公を演じるには尺が有り過ぎる。

 考えろ、一条春樹。

 このTPOを弁えないノリは趣味の共有が中々出来ない者に発症する病気みたいなものだ。俺もかつて何度発症したか分からない。

 そしてこれを無視、嘲笑ちょうしょう冷笑れいしょうなどされると一瞬で現実に戻される。さっきまで夢の世界にいたように心地よかったのに、たった相手の反応一つでその夢はすぼんでしまうのだ。

 確かにそういう経験も必要だろう。今のうちに学んでいた方が良いと思う。成長するにつれて傷口は広く、深く刻まれる。

 ただ、まぁ……同士しては。


「わ、悪りィが、お前の想いは一方通行だ。侵入は禁止ってなァ。大人しく尻尾ォ巻きつつ泣いて、無様にもとの居場所へ引き返しやがれェェェ!」


 差し伸べられた手を払いのけ、声高々に宣言する。

 再び静まり返る教室。

 授業終了を知らせる鐘の音がよく響いた。

 

「……一条春樹君、放課後職員室まで来てください。以上、解散です」

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