第14話 ポスターと唇
「おっ、みつは手伝いに来てくれたんだ。あと、篠藤さんも」
「うん、準備期間中は私たち暇だしね」
「ありがと、マジで助かる!」
そう言って破顔するのは、中学以来の友人である眞理だ。
スポーツ少女然とした短髪の眞理は意外なことに――と言ったら失礼だが、物理研究会に所属している。残念ながら物理好きの生徒にはなかなか恵まれず、物理研究会は部活ではなく予算のおりない同好会・研究会という立場に甘んじている。
女子校だと理科系の部が全部まとめられて「科学部」みたいなざっくりとした存在になりがちだけど、うちの学校では科目ごとに細かく分かれていた。その分部員がばらけてどこも部活に昇格できないという状況にある。
私たちは今、普段ほとんど立ち入ることのない高二の教室にお邪魔していた。学園祭当日、物理研究会はこの教室を半分借りて展示を行うらしい。教室のもう半分では、地学研究会のメンバーが同じように学園祭の準備を進めていた。
「何か手伝えることありそう?」
「うーん、そうだねえ……じゃあ、そこにポスター用の原稿が印刷されてるから、読んでて不自然なところとかあったら言ってくれる? それが終わったらポスター用紙に書き写そう」
「おっけー。真昼、やろっか」
「……ええ」
私が真昼の名前を呼び捨てした瞬間、背を向けていた眞理が驚いたように振り返った。眞理は「……ちょっと来てくれる?」と言って腕を強引に掴み、私を教室の外へと連行する。
「え、ちょ、な、なに」
「なに、じゃないわよ。どういうこと? ついこの間までさん付けで呼んでたじゃない」
「いやー、まあ、色々あってさ」
流石眞理、情報通だけあって周りの人をよく観察している。
別に隠すつもりはないけど、少し言葉を濁してしまった。
「なによ色々って。みつは、もしかして篠藤さんと……」
「ええ。みつはとお付き合いさせて頂いてるわ」
「ひぃっ」
背後から突然聞こえてきた声に、眞理はびくりと肩を跳ね上げた。私も一緒に振り返ると、教室の出入り口に長身の真昼がぬっと立っていた。
真昼は別に怒っている訳ではないのだけど、感情を表に出さず言うものだから知らない人からすると静かに怒っているように聞こえるだろう。
「そ……そっか。みつはと篠藤さん、とうとう付き合い始めたんだね」
「そうよ。……それがなにか?」
「ひっ、な、なんでもありませんっ」
「そう。それならいいのだけれど」
相変わらず淡々と言葉を発する真昼。……うん、我が彼女ながらこの口調はちょっと怖いな。
眞理はビビりながら先に教室へと戻ってしまった。真昼はその様子を不思議がりながら、「……私の喋り方、そんなに怖いのかしら」とちょっと気にしている様子だった。
* * *
「いいないいなー、観覧車で告白なんてロマンチックで……」
眞理は感嘆の溜め息を漏らす。他の部員たちも、積極的に話の輪には加わらないものの聞き耳をそばだてている様子だった。……と言っても、私たち以外にはあと二人しかいないのだけど。
「眞理にもそういう願望あるの?」
どちらかと言えば眞理は現実主義者かな、と思っていたので意外だった。
「そりゃあ、あたしにだって多少はあるさ。告白された時の雰囲気はさ、やっぱずっと印象に残るものじゃない」
「まあ、それは確かに」
先ほどチェックした原稿を大きな紙に書き写しながら私は答える。
自分が理想を追い求めるタイプかは分からないけど、付き合い始めた日の情景は脳裏に焼き付いていて色褪せそうもなかった。
恍惚とした表情を浮かべたまま、眞理はひとり妄想の世界をひた走っていた。
「こうさ、観覧車がてっぺんに来るかなーっていう手前で告白してさ、相手がこくんって頷いて、二人ともほっぺたを夕焼け色に染めて、ちょうど一番高いところで二人は幸せなキスを……」
真昼の背中がぴくりと小さく反応したのを、私は見逃さなかった。
滔々と妄想を語っている眞理を尻目に、私たちは顔を見合わせ、お互い気まずそうな表情で目を逸らす。
キス。キス、かあ……。
確かにあの日、あの雰囲気だったら思い切ってできたかもな……というのは未だに後悔していたりする。
勢いだけでするのもどうかなとは思うけど、こういうのは時に勢いだって必要だろう。
一度機会を逃してしまうと、なかなかタイミングが掴めないものだ。
真昼の柔らかそうな、赤くつややかな唇……。
意識していると、ついそちらの方へと目がいってしまう。
あのつんと上向いた美しい蕾に口づけるのは、僅かな穢れもないまっさらな雪を踏みにじるような罪悪感があった。
恋人になったからには、誰に咎められる訳でもないのだろうけど……。
「……あ、ところで篠藤さん、たしか物理の成績良かったよね? 憐みを施すつもりで、弱小な物理研究会に入会してくださらない?」
「申し訳ないけど、お断りするわ」
「しゅん……」
真昼は相変わらず、私以外の人には無表情を貫き通していた。
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