第3話 異世界【後編】
「さて、では改めて……」
目の前のソファーには王が座る。
王の斜め後ろにリュカが佇み、その反対にはローブの男が立つ。
フードを外した二人のローブの男はどちらも若い。
歩美よりやや年下、だろうか。
濃紺の髪を切り揃えた、いわゆるおかっぱ頭と、艶のある紫色い髪の男。
どちらもリュカのように顔立ちは整っている。
タイプは、全員違う系統だが。
「まず、先に謝罪を」
「しゃ、謝罪?」
「うむ……あなた方をこの世界に呼び出したのは間違いなく我だ。我……、我が国である。しかしながら、先に申し上げておくが……あなた方を元の世界へと戻す術はない。召喚は一方通行の聖霊術故に、あなた方は元の世界へは帰れない」
「……………………なん……ですっ、て?」
「申し訳ない」
王が頭を下げる。
それに追随し、リュカとローブの二人も頭を下げた。
特にリュカの表情は、悲痛だ。
本当に申し訳なく思っているのが伝わって来る。
……しかし、それとこれとは話が別だ。
「…………か、帰れ、ないって……そんなバカな話……」
「お母さん……?」
「っ……」
だが、蘇るのはあのシーン。
車が目の前に迫った、あの瞬間だ。
もし、例え帰れると言われても……あの瞬間に戻されたなら自分も真美もあの車に確実に吹き飛ばされるだろう。
心が異様なほどに落ち着きを取り戻す。
娘の肩を抱き寄せ、拳を握り締めた。
「……あ、頭をあげてください。……その、真美が聖女、というのは……一体聖女ってなんなんですか?」
「聡明なお母上だ」
王はそう言って頭を上げる。
そして、ローブの二人を見上げた。
どうやら彼らが説明してくれるらしい。
「この世界は『ヘルエデレーラ』。太古より『聖霊』を信仰し、崇めている世界です」
「現在、この世界では悪しき力……厄気が満ち溢れております。原因は隣国『ハルバンド』。『ハルバンド』は幼い王を打ち立て、傀儡とする事で貴族たちが実権を握り、やりたい放題しております」
「そのせいで民より厄気が溢れ、魔物が絶え間なく産み落とされている」
「このままでは、我が国は『ハルバンド』の産み出す厄気と魔物に侵食され、飲み込まれてしまうでしょう」
「…………」
すらすらと、まるでスマホゲームのような事を語る二人。
隣の国が『ヤクキ』なるものを産み、それが溢れ魔物が産まれ、この国まで危機に晒されている。
「っ……ま、まさか、それをなんとかする為に真美を……? そんな事……この子に……」
無理、と言い切って良いのか。
それはこの子を否定する言葉ではないか?
『無理』『この子にはそんな事無理』と。
(やってもいないのに)
それは歩美が幼い頃からなにかを始めようとすると母親に言われた言葉だ。
『あんたには無理』
その度に『まだやってもいないのに』と心の中で反論していた。
言葉にすればもっと否定の言葉を浴びせられる。
だから押し留めて、やりたいと思う事はそのほとんどを諦めた。
真美には、娘には自分と同じ気持ちを味わせたくない。
この子の可能性を否定したくない。
しかし、これは肯定もしたくはなかった。
魔物?
聞いただけでそれが『危険』と分かる。
「…………っ」
喉から声にならない声が漏れる。
もしかしたら、母もこんな気持ちだったのだろうか?
「聖女には聖霊たちの力を100%借り受ける事が出来る、と伝承にありました」
「100%……?」
「はい。聖霊を見る事の出来る者でも50%が限界なのですが、聖女は100%の力を借りられるのだそうです。これは雲泥の差」
紫の髪の青年の言葉をリュカが引き継ぐ。
そして、メイドさんに紅茶を「もっと甘いのがいい」と話し掛ける真美を見下ろす。
完全に我が事ではないと思ってる娘に、歩美は焦りに似た感覚を覚えた。
「母君が娘を案じる心は当然の事と思う。しかし、どうか協力願えないだろうか。先ほども言ったが『ハルバンド』は貴族が厄気を生み出している。恐らく……『ハルバンド』に魔女が住み着いたのだろう」
「……え、魔女?」
「厄災の魔女……イーフェンの血を継ぐ者たちです。魅了の魔力を持ち、男を服従させ、国に取り付き、人々を操って厄気を生み出します。魔女は厄気を得ると力を増し、強力になっていくといいます」
「…………」
「対して聖女と聖霊は厄気を鎮め、浄化する事で聖なる力『霊気』を得る。聖霊は霊気を得る事で力を増します。聖霊が強くなれば聖女も強くなる」
「ま、待ってください」
二人のローブの青年が、王のあとを交互に引き継いで説明を続けた。
しかし、その内容はあまりにもショッキングだ。
頭がまたぐるぐるとしてくる。
「……隣の国が、えっと魔女? に、乗っ取られているから……真美に魔物を……なんとかしてほしい、という、風に……聞こえますけど……それって、最終的に隣国に攻め込んで魔女を退治するとか、そんな話になりそうに聞こえるんですけど……」
「そうしなければならない。……隣国の民の為にも、一刻も早い解放が必要だろう」
「っ……」
王が真顔で頷く。
目の前がクラクラと揺れ始めてきた。
他国に攻める。
それはつまり戦争という事ではないか。
十歳の娘に?
そんな馬鹿な。
そんな酷い事が許されると?
「アリサカ様、もちろん最大限に配慮は致します。聖女にはただそこにいて頂き、我々が聖女を加護する聖霊と眷属契約を交わして、代わりに戦いますので」
「…………」
そう言い出したのは、リュカだ。
頭を抱えた歩美は、なんとかリュカを見上げる。
真剣な眼差し。
彼は、きっと本気でそう思っている。
しかし、彼がそう思っていても王はどうだろう。
己を奮い立たせて、王を見据える。
ここで信じて頷けば、真美はこの人たちに連れて行かれるかもしれない。
(考えろ。考えろ、考えろ……!)
頭が痛む。
この場をどう乗り切るべきか。
そんな話は反対だ。
絶対に受け入れる事は出来ない。
娘を戦争に巻き込むなんて!
(あの人なら……
離婚した夫なら。
そう考えるうちにどんどん分からなくなる。
今ここにいるのは自分だけ。
娘守らなければいけない。
その重圧が歩美一人にのしかかる。
「……、……陛下、聖女と母君は突然の事できっと混乱しておられます。今日のところはお部屋でゆっくりおやすみ頂いてはいかがでしょう?」
「!」
王にそう進言したのはリュカ。
目が合うと微笑まれる。
少しだけ困ったような微笑みだが、その眼差しはとても優しい。
実際歩美の頭はパンク寸前だった。
なんともありがたい助け舟に涙が滲む。
(リュカ、さん……この人は……信じても良いかもしれない……)
娘を抱き寄せる。
確かに、ゆっくり考える時間が……整理する時間が欲しいと思った。
「む……う、うむ、まあ、其方が言うのなら……」
「お待ちください。では最後にお二人の正式なお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか? この国にいる間はお客人として聖殿へのお立ち寄りをお願いしなければいけません。それには名前が必要です」
「……せいでん……?」
聞き馴染みのない言葉。
それに、名前が必要とは一体どういう事なのか。
紫色の髪の青年ではなくつい、リュカを見上げる。
するとそれに頷いて、リュカが答えてくれた。
「聖殿とは聖霊を奉る場所……聖霊が集まる場所です。厄気が増えた為、定期的に聖殿に赴き厄気を払ってもらうのです。そうでないと厄気が体の中に入り込み、病を引き起こします。肉体に厄気が蓄積されすぎると、人でさえ魔物になる」
「!」
「なので、定期的に聖殿で聖霊に厄気を払ってもらわねばならない。そして聖霊に厄気を払ってもらうには簡易契約として名を明かさなければならないんです」
「……簡易契約……?」
「聖霊は意志を持っている。アリサカ様も名を知らない相手を易々と信用は出来ないでしょう? それと同じです」
「……じゃあ、この国の人はみんな聖霊に名前を教えているんですか?」
「というよりも、名付けの登録は聖殿で行われるんです。一度聖霊に名を明かせば、聖霊は忘れない。聖霊に感謝を捧げれば、聖霊は厄気を払ってくれる。そしてまた感謝を捧げるんです」
「そ、うなんですか」
疑ってかかった方が良いのか、判断に迷う。
しかし、リュカの事は今しがた信用出来るかもしれない、と思ったばかり。
それに、その話が本当なら歩美も真美もその厄気とやらが纏わり付いて体調を崩す恐れがある。
なにより、歩美はともかく真美は名前がとうに彼らに知られているのだ。
「えっと、私は歩美……有坂歩美です。この子は、真美……有坂真美です」
「?」
「あ、えーと……有坂は苗字なんです」
「ミョウジ……?」
「ファ、ファミリーネーム?」
と言うと「ああ」という顔をされる。
ファミリーネームで合っていたようだ。
「ではマミ様とアユミ様とおっしゃるのですね」
「分かりました、聖殿にはお伝えしておきます。明日にでも聖殿に足を運んでください。そこで聖霊にそのお名前を直接教えれば、簡易契約は完了です」
「は、はあ……」
濃紺の髪の青年が紫色の髪の青年に指示を出すと、彼はそそくさと退出していく。
腕の中で真美が「お話終わった?」と小声で聞いてくる。
この距離では王たちにも丸聞こえだろうが……。
「ああ、終わりだ。今日のところはな。今日はゆっくり休まれよ。食事は部屋へ運ぼう。なにかあればメイドたちへ申し付けて欲しい」
「は、はい、すみません……」
「いや、こちらこそ申し訳ない。……たが、世界の命運は聖女に懸かっている。それだけは、理解して欲しい」
「…………」
メイドの一人に促されて、ソファーを立ち上がる。
謝罪を聞いて再び頭が冷えていった。
そう、『帰れない』のだ。
帰る術はない。
帰ったところで、あの瞬間に戻るのなら自分も真美も命はない……間違いなく。
(この世界で生きる事を……考えないといけないんだ……)
長い廊下をメイドに先導され、娘の歩調に合わせながら歩いた。
いや、娘に合わせていたのは少し違う。
足がとてつもなく、重かったのだ。
目の前が真っ暗になったような感覚と、身体中に重しを括り付けられたような感覚が同時に襲ってきた。
よく倒れなかったものだと自分を褒めてやりたいぐらい。
(どうしたらいいの……私だけならいざ知らず、真美が聖女……戦争だなんて……。ああ……なんでこんな事に…………)
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