第1話 裸足の自転車
そろそろ日も沈む時間帯、私は前から来る少女に話を聞いた。錆が浮き、ハンドルも車輪も歪んだ大きな自転車を、キックボードの様に運転する裸足の少女に。
「やあ、こんにちは。僕はマイケル」
「こんにちは。私はニケよ」
ニケと言う少女は泥と埃にまみれた足を石の転がる地面につけて、目を丸くさせながらも止まってくれた。
「急に声をかけてごめんね。でも、どうしても君に聞きたいことがあるんだ」
「いいわよ。今日はもう帰るところだもの。でも、帰って弟に料理を作らなきゃいけないから時間はあまりないの、ごめんなさいね」
「すごい! もう料理ができるなんて! ニケは家族想いなんだね」
「何を言っているの? あたりまえよ。産まれたときから父さんはいなかったし、去年の暮れには母さんも病気で死んでしまったんだから。私が作らなかったら、弟がお腹を減らしてしまうわ」
「そんな! ごめんよ。そんな事情があったなんて知らなくて」
「いいのよ。さっき会ったんですもの。変な人!」
ニケは汚れた顔を笑わせてくれた。
「それで、私に聞きたいことってなに?」
「ああ、それはね。僕は今日、この辺り一帯の男の子や女の子にお金を配っているんだけど、配るお金も次の子で最後なんだ。そんなところにニケがやって来た。だから、どうだろう。このお金を受け取ってもらえないかい?」
僕は上着の内ポケットにしまってあった最後のお金を取り出してニケの前に差し出した。一日で一ドル程しか稼ぐことのできないこの地域の子供たちには目玉が飛び出る額のお金だ。
お金を差し出されたニケはその封筒をじっと見つめた。じっと見つめたあと僕を見上げて、こんなことをいった。
「驚いたわ。マイケル、あなたは聖人の生まれ変わり?」
「聖人だなんて、そんな」
「もしちがうなら、あなたはクレイジーだわ」
僕はその言葉に息を飲んだ。
「良い、マイケル。もし私の格好や清潔さで判断してお金を渡す気になったのなら、私はそれを受け取れない。この辺りじゃ私よりお金を必要としている人たちがたくさんいるわ! けれど見て、私には着る服がある。靴はないけど、自転車だってあるわ。病気だってしていない。マイケルから見れば、私たちは同じくらい貧しいように見えるのかもしれない。でも、私から見れば私は恵まれている方よ。なかには、本当に、泥水が一日で口にした唯一の物の子達だって山ほどいる。あなたは善意でお金を配っているのでしょうね。それは素晴らしいことだわ。けれど、そのお金は貧しい子供たち全員に配れるほどあったのかしら? もしそうじゃないなら、マイケル、今あなたが出したお金は私以外の子に渡してあげてちょうだい。それを受けとれば美味しいものを食べられる弟には少し可哀想とも思うけれど、でも私にはそれを受けとる資格がないの。せっかくの申し出は感謝しているわ。ありがとう、マイケル。それは相応しい子に渡してあげてちょうだいね」
ニケはそう言うと笑って帰っていった。
僕はそのあいだ言葉が出なかった。
混乱していた。僕の中の常識が真後ろに倒れた気分だった。
しばらくその場から動けなかった。
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