Part22 憑依
眼を覚ました時、俺の視線の先には白い天井があった。
視界の端に揺らめくクリーム色の布があると思って顔を横に向けると、天井近くに渡されたパイプから垂れ下がったカーテンが、空調が齎す室内の微風で動いている。
俺の腹から下にシーツが掛けられていた。
頭の後ろには、柔らかい感触がある。
保健室に、運ばれたらしいのだ。
「眼は覚めたか?」
ミライの声がした。
ミライはベッドの横に立って、俺に手を振ってみせた。
その姿はやはり、後ろ側が透けて見えている。
「悪かったな、少し頑張らせ過ぎたみたいだ」
「何をやったんだ?」
「昨日と同じさ。お前の身体を借りた」
俺は、この距離でも聞こえなさそうな、小さい声で訊いた。しかしミライはその声をしっかりと捉えて、返事をした。
「借りた……?」
「憑りついた、って感じかな。今の俺は精神体だ。この時代に来る時に、身体は全て失くしてしまった」
タイムスリップ――
ミライは、今から一五年後の世界からやって来たという。
しかし時間には不可逆性があり、本当ならば過去へのタイムスリップはあり得ない。
だがそれは、物質的存在に限った話だ。抵抗ブラッド粒子を作用させるきっかけとなる心、精神に於いては、そうではない。
そんな説明を受けた。
そう考えると、物質的存在である肉体を除いた、精神的物質である魂が抵抗ブラッド粒子の効果を借りて、過去へやって来るというのは、納得出来る話であった。
「そういう事。尤も、イレギュラーな案件ではあるけどな……」
それはそうだろう。
そもそもミライも説明の中で、ブラッド粒子の働きで過去へゆく精神と言っても、それは当人の意識の中の話だけだ。過去へ飛んで、その当時の現実に干渉する事は出来ない。
加えて、
「俺に憑りついたってのは、どういう事だ?」
「そのままの意味さ。俺が過去へやって来た、その時、お前と出会った。だからお前の身体に憑りついたんだ。抵抗ブラッド粒子によって構成された俺の精神体を、お前に憑依させた」
ミライはベッドに上り、俺の足元に立った。そして、俺に向かって真っ直ぐ倒れ込んで来る。
俺の身体はミライと重なるが、その感触はなく――寧ろ、全身の感覚が希薄になった。
だのに、俺の両腕が勝手に持ち上がり、身体に対して垂直に伸ばして、両手を握ったり閉じたりし始める。そしてその手で、俺の顔をぺたぺたと触った。
これをやっているのは、ミライだった。
――さっきも同じ事をしたんだな。
バスケの授業で、俺があんなに動ける訳がない。しかしミライが憑依した俺の身体は、とても軽やかに動いてみせたのである。
「ああ。ちょっとブラッド粒子を操作してね」
――そんな事まで出来るのか……?
「ソウルリバーサル現象の応用だな。今、お前の身体には、お前が本来持つのと、俺が持っているのと、二倍の抵抗ブラッド粒子が宿っている。俺が持っている分のブラッド粒子をお前の身体の表面に放出し、筋力をパワーアップさせたんだ」
ソウルリバーサル現象によって二種類のブラッド粒子の位相が逆転すると、その身体に、心の模様を表出する事が出来るとミライは言った。
ミライが、俺の身体を軽やかに動かしたいと考えたから、抵抗ブラッド粒子が働いたのだ。
――若しかして、ミライが俺の心を読めるのは……。
「そう。お前と一体化しているからだ」
――何か、心の中が筒抜けみたいで嫌だな……。
「だろうな。けど、俺だってその辺りのプライバシーまで踏み入るつもりはない。必要だと感じた時だけ、お前の心を読む事にする」
――そんな都合の良い事……。
しかし、それにしてもどうして俺だったのだろう。
ミライは、リアライバルによって文明が崩壊する未来を救うべく、この時代へやって来たのだろう。この時代に、リアライバルの大量発生を引き起こす鍵となる出来事があったのだとして、何故、俺のような人間に憑りついたのか。
「今、俺が何を考えているか分かる?」
俺が、俺の意思で口を動かしていた。
「心を読むまでもない。当然の疑問だ。どうして自分なのか、と思っているだろう」
ミライは俺の身体から抜け出し、再びベッドの横に半透明の姿を見せた。
「何て事はない。お前の近くにリアライバルがいた、だから俺はあそこへやって来た」
「まぁ……そうだよなぁ」
ミライの目的が、リアライバルによる大量破壊を防ぐ事なら、当然、この時代に出現したリアライバルを見逃す訳がない。
ブラッド粒子によって肉体を消滅させてまで行なったタイムスリップで、場所や時間を指定出来るものなのか分からないが、そこで実体が必要だとなれば、その場にいた手頃な肉体である俺に憑依するのも頷ける。
特別な理由なんてあるものか。
「ああ、そう言えば……あれって、一体何なんだ? あの、クロス……」
「クロスブラッドか。そうだな、これからの事を考えると、それについても説明して置かなければいけないな」
俺は話に集中する為に、上半身を起こした。
だが、昨日の筋肉痛に加えて、先程も身体にダメージを負っており、それだけでも一苦労だった。背中をヘッドボードにもたれさせて、姿勢を維持する。
「クロスブラッドは、リアライバルに対抗する為に造られたパワードスーツだ。ブラッド粒子を利用して形成する強化外骨格で、身体能力を向上させ、リアライバルの攻撃から身を守り、そしてソウルリバーサル現象を中和して、リアライバルとなった人間を元に戻す事が出来る」
あやちゃんが変化したリアライバルは、その身一つで教室の壁やガラスを突き破った。それだけの攻撃力を持つ怪物と相対し、生きて帰れたのはクロスブラッドのお陰だ。
あの時、ミライが現れ、俺にクロスブラッドを装着させていなければ、俺はあの場で、あの壮年の教師のように命を落としていただろう……。
「クロスブラッドはクロスピナーでリバーサルメダルの粒子を解放する事で装着される。リバーサルメダルはブラッド粒子を凝縮したものだ。クロスピナーにはあらかじめクロスブラッドの設計図がインプットされており、回転によってブラッド粒子を舞い上げながら設計図の通りにスーツを構築する。このクロスブラッドは二種類のブラッド粒子を共に持っているが、スーツの構築はブラッド粒子を中和する事によって行なわれる。その為、スーツ構築に使われた粒子は中和されて崩壊してゆく訳だが、お前の身体に合わせたスーツを維持出来るのは、一〇分前後といった所か」
「一〇分……」
意外とあるな、というのが、最初の感想だった。
「とは言え、クロスブラッドの戦闘に必要なエネルギーにも、スーツを作り上げるブラッド粒子が必要だ。それを計算に入れると、そのタイムは半分にまで縮むと考えられる。特に昨日のような、必殺技を使うとなると、な」
リアライバルを一時的にあやちゃんの姿に戻した、ブラッディストライクの事だ。
「あれはスーツを覆うブラッド粒子を一ヶ所に集中させ、対象のブラッド粒子を中和する技だ。ソウルリバーサル現象を引き起こした人間の身体は、二種類の粒子の比率も変わってしまっている。だから抵抗ブラッド粒子を中和して激減させ、流動ブラッド粒子の修正力で元に戻す他にないんだ」
「でも、昨日は失敗した……」
「お前の身体も慣れていなかったからな。それに、俺も他人に憑依するなんて経験は初めてだった。お前の意識がなければ、俺もお前の身体を使いこなす事が出来なかったしな。その不安定さを補うのにブラッド粒子が使われたので、一時的に元の姿に戻すくらいの攻撃しか使えなかったんだろう。何、今の彼女は確かに危険な状態ではあるが、すぐに死んでしまうという訳じゃない。二、三日の間にリアライバルから戻してやらなければならないのはそうだが、昨日の事を失敗と言って気にしていたんじゃ、今日から始まる戦いに耐えられないぞ」
ミライは敢えて明るく言った。俺の方に腕を回すのだが、その感触はない。
「リアライバルから戻すって言うけど……戻れなかったら、どうなってしまうんだ?」
俺は、訊いた。
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