第25話 邪剣が躍る

「……こいつは酷いな」

 デストラの傷の手当てをしながら、ヴィオラは顔をしかめた。

 彼の右腕はずたずたに引き裂かれている。まるで鋸のように連続した刃に、繰り返し切り刻まれたような傷跡。この有様では縫合さえ難しいだろう。下手をすれば切り落とす必要があるかもしれない。


 ヴィオラのできる応急処置の範疇を完全に超えていた。とはいえ、医者に見せるにしても、まずは止血しなければ。ヴィオラは懐から清潔な手拭いを取り出すと、太い血管が通った個所をきつく締め上げる。デストラが苦悶の声を上げた。


「我慢しろ。男だろ」

「俺のことはいい……ローザリッタ殿を追ってくれ……!」

 大量の脂汗を流しながら、デストラは絞り出すように言った。


「そういうわけにいかねぇよ。それにお嬢の強さはあんただって知ってるだろ。易々と遅れはとらないさ」

「だからこそだ……!」

 デストラの鬼気迫る表情に、ヴィオラは思わずたじろいだ。 


「看板娘殿が使うのは、正道の剣ではない……尋常に立ち合えば、ローザリッタ殿は間違いなくやられる……!」



†††



 ファムへ向かって踏み込んだ刹那、強烈な違和感がローザリッタを襲った。

 呼吸。間合い。腕を振り上げる挙動。何もかもが早すぎる。

 違和感の正体を掴めぬままに、ローザリッタは身をよじって、咄嗟に横に転がり込んだ。本能に任せた行動だった。


 刹那、さっきまで彼女の頭があった空間を銀光が走る。

 ――

 急な回避行動に間に合わず、銀線の軌道上に広がったままの黄金の髪が数本、斬れ飛んだ。もし、直感に従わなかったらどうなっていたのか。想像するだけで、ローザリッタの背筋が凍る。


 なぜ躱せたのか、確たる理由はない。

 ただ――あの堕剣遣いと太刀を交えた経験が、彼女に本能に任せることを決断させた。嘲笑う拍子には、必ず何かがあると。


「まるでびっくりした時の猫ちゃんみたいな避け方ね。というか、びっくりしたのはこっちのほうだけど」

 言葉とは裏腹に、ファムは涼しげな表情だ。

 その手に握られた剣の柄から先がなくなっている。消失したわけではなく、刀身だったものは依然として残っている。ただ、


 ――

 柄の部分から伸びる細い糸。それに複数に分解された刀身が連なっている。形状で言えば鞭に近いが、実態はそれよりももっと凶悪なものだった。


「初撃を躱せたのは、あなたを含めて二人目よ。一流の剣士は未来予知じみた危険感知ができるらしいけど、ふふ、ローザちゃんも一流ってことかしら」

「……蛇腹剣!」

 ローザリッタは呻くように、ファムの掌中にあるものの名称を口にした。


「ご明察」

 にこやかに、ファムは伸びた刀身を手繰り寄せる。

 ひゅんひゅんと風を哭かせながら頭上で旋回。彼女を中心に、まるで蛇がとぐろを巻いているようだった。


 ――蛇腹剣。

 幾つかの節に分割された刀身に硬糸を通した、絡繰り仕掛けの剣だ。内蔵された滑車で糸を巻き上げれば通常の剣のように、弛緩させれば鞭のように形態を変化させる。


 シニスの遺体に無数の傷跡があったのも道理だ。あれが一度体に巻き付けば、引き寄せるだけで、いくつもの刀身が何度も全身を切り刻む。出血死、あるいは痛みによる心臓麻痺は免れない。悪辣極まる改造剣。


「なんと邪な……!」

 苦々しく吐き捨てるローザリッタに、ファムは肩をすくめた。


「そういうの、強者の押しつけだと思うわ。戦う理由はともかく、戦い方に正も邪もないでしょ。誰しもがローザちゃんみたいに長い間、修行に取り組めるわけじゃないんだから。その修練の差を覆すために、戦い方を工夫して何が悪いの?」

 ローザリッタは言葉に詰まった。

 真っ当な方法で強くなるには時間がかかる。労働を経験した今の彼女は、民草がただ生きるためだけに、どれほどの時間を費やしているかを思い知っている。強くなりたいと願ったところで、誰もが彼女のように己を高められるわけではない。


「正しい弱者が、悪しき強者を打ち倒すために策を講ずるのは当然でしょ。それともローザちゃんは、卑怯なことするくらいなら大人しく蹂躙されなさいって、弱い人に言うのかしら?」

 弱い者が強い者に抗うために策を講じ、奇襲を仕掛ける。

 野盗の集団と戦った時、数の不利を覆すために彼女自身もやったことだ。弱い者が使えば是。強い者が使えば非。そんな道理などあるはずがない。


 だが――


「戯れ言を! 常に奪う側にいたあなたは、強者でしょうに!」

「あ、そうだった。一本取られちゃったわね」

 ファムは誤魔化しがばれた童女のように、ぺろり、と舌を出した。


「これを使っているのは単なる趣味。ろくに修行もしていない私が、こういう卑怯な戦法で、あなたたち剣術遣いが長い間積み重ねてきたものを奪い、否定するのが好きなだけ。ふふ、考えただけで最高の気分だわ」

「あなたは、どこまで……!」

 邪悪なのか、と叫びたかった。

 だが、そんな暇はない。十分に遠心力が加わった蛇腹剣をファムは振り下ろす。

 ローザリッタはたまらず体を起こし、あたりを逃げ回った。


 剣の術理というものは、戦場のありとあらゆる状況を想定して考案されている。仮想敵も様々だ。敵が槍を持っている場合。弓を持っている場合。だが、ファムの遣う蛇腹剣はあまりにも想定から外れすぎている。


 鞭であれば、最も速度の乗った尖端にさえ当たらなければ、そのまま強引に内側に攻め込むこともできるだろう。だが、蛇腹剣は先端から柄に至るまでの間に幾つもの刃が備わっている。攻撃範囲が鞭の点ではなく、剣の線のままなのだ。内側に踏み込んだとしても、引き戻された刃にやられる。


 これが室内戦であればまだやり様はあっただろう。射程が長い分、狭い空間では軌道が限定されるし、柔軟性が仇となって受け太刀には使えない。

 だが、ここは遮蔽物のない広々とした屋外だ。その持ち味が存分に発揮されるばかりである。


「逃げてばっかりじゃ勝てないわよ?」

 縦横無尽な軌道で襲い掛かる蛇腹剣の斬撃を、ローザリッタは決死の思いで避け続けた。反撃に転じる余裕はまったくなく、このままではじきに体力が底を尽いてしまうだろう。


 対して、ファムは外套を脱いだ位置から一歩も動いていない。手首の返し一つで、ローザリッタを翻弄し続ける悠然とした佇まいは、さながら女王の貫禄だ。


 しかし、ローザリッタもただ手をこまねいているわけではなかった。

 避ける位置を小刻みに調整し、蛇腹剣がどれだけ伸びるのかを測定しているのだ。

 。ただし、それを確実に捉えるためには正確な間合いの把握がどうしても必要だった。


(ようやく観えてきました。最大伸長距離はおおよそ二間。手首の位置から軌道を逆算して、尖端さえ捉えれば――)


 ファムが縦軸の斬撃を放った瞬間、


「――ここだ!」

 ローザリッタは迫りくる蛇腹剣の尖端を木刀で叩いた。

 木刀と接触した瞬間、蛇腹剣は接合点から折れ曲がり、くるくると高速で木刀に巻きついた。


 よし、と心の中で喝采を挙げる。

 多節武器の最大の強みは、仮に防がれたとしても、にある。

 故に、こうして自身の武器に巻きつけるにしても、接触点次第では自身も巻き込まれてしまうおそれがあった。絡め捕るには正確な射程の把握は不可欠なのだ。


 このまま伸びた蛇腹剣を巻き取りつつ、距離を詰めて格闘戦に持ち込めば、まだローザリッタにも勝機は残されている。


 ――しかし。


「残念」

 にやり、と笑ったファムが、足元に脱ぎ捨てた外套を蹴り上げた。

 布を蹴ったとは思えないほどの硬質の音が響く。ばさり、と広がった外套の奥。が姿を現した。


(――まずい!)

 ローザリッタの顔から血の気が引いた。

 ファムが中空の二本目を掴んだと同時に、すかさず木刀から手を離して大きく後方へ跳躍する。


 頬に冷汗が伝う。

 ローザリッタは唯一の武器である木刀を失ってしまった。だが、あのまま固持していれば、迫りくる二本目の斬撃を躱すことはできなかっただろう。ファムの動きを止めたつもりが、ローザリッタの方が止められていたのだ。


「その武器離れの潔さ……乱戦を経験している証拠ね。うーん。やりにくいわ」

 唇を尖らせながらも、ファムは一本目の蛇腹剣を捨てた。この状況で悠長に絡みついた異物を取り除くような隙は見せない。彼女の方こそ、蛇腹剣を用いた戦闘への高い習熟度が窺える。


「でも――」

 ファムが独特な手首の返しをする。それが仕掛けに作用するのか、刃同士を繋いでいた拘束が解除され、しゃらり、という小気味よい音を立てながら刀身が垂れ下った。


「それも時間の問題ね。私も一本失ったけど、あなたはそれ以上のものを失ったわ。徒手空拳の状態で、どうやって距離の差を埋めるつもり?」

「くっ……!」

 ローザリッタの喉が悔しそうに震える。

 打つ手がない。具足を纏っていれば、多少の損害を覚悟で内側に潜り込むこともできるだろうが、今宵、機動力を優先して鎧は着てこなかった。


 ――間合いの外から〈空渡り〉を仕掛けるか?

 いや、ローザリッタが空を駆けることができるのはファムにも見られている。滞空中に狙われたら最期だ。あの蛇が躰に巻き付いて、体を輪切りにしていく様を想像するだけで戦慄が止まらない。


 ――騒ぎを聞きつけた警吏が駆けつけるまで、粘るか?

 徒手空拳の状態で、何度もあの斬撃を躱せる自信はない。こちらが動きに慣れるように、ファムもまたローザリッタの動きに慣れる。そして、一度でも受けてしまえば致命傷だ。殺しはしないというファムの言葉を額面通りに受け取っても、戦闘不能は免れない。


 ――いっそ、逃げてしまうか?

 否だ。それだけはできない。絶対にできない。理不尽を前にして背を向けるという選択だけは、彼女の中に存在しない。


 ローザリッタが歯噛みしながら一歩下がる。

 ファムは微笑みながら一歩詰める。

 それを繰り返すこと数度。それでも妙案は浮かばない。悪い想像だけが膨らんでいく。体の芯が冷え、呼吸が荒くなる。


 その時、月が陰った。

 ローザリッタがはっと息を飲む。

 空色の視線の先。ファムの背後に、こちらへ走ってくるリリアムの姿が見える。


「ローザ!」

「リリアム、来ちゃ駄目!」

 叫ぶが早いか、ファムが振り向き様に蛇腹剣を薙いだ。寸でのところで、リリアムは体を捻って躱す。


 びり、と布が裂ける音。リリアムの服の胸元がざっくり切り裂かれていた。幸いなことに肌にまで達してはいないのか、出血した様子はない。


「……胸が小さいことに感謝したのは、これが初めてだわ」

 膝をついたリリアムは胸元を抑えながら、忌々しそうに呟く。


「……蛇腹剣か。またけったいな得物ね」

「リリアムちゃんも来たのね。うーん。二対一だとさすがに分が悪いわねぇ」

「安心しなさい。別にローザと協力して、あなたを倒そうって気はないわ。そこまでお節介じゃないの、私」

 膝の汚れを払いながら立ち上がるリリアムに、ファムは小首を傾げた。


「助太刀ってわけじゃないの? お友達の危機なのに意外と薄情ねぇ」

「いらないでしょ」

 心底つまらなさそうに、リリアム。


「邪剣っていうのは正統派剣術の裏を掻く騙し技。初撃に失敗してる時点で、あなたの負けは目に見えてるわ」

「なんだ、信頼かぁ。焼けちゃうなぁ。でも、それじゃあ、何しに来たの?」

「届けものがあったのよ」

「……届けもの?」


 その言葉の意味に気づいたのか、今度はファムが息を呑む番だった。

 亜麻色の髪を翻しながら、ローザリッタの方を振り返る。いつの間にか、彼女の手には艶やかな黒鞘が握られていた。


 太刀だ。

 リリアムはローザリッタの名を叫ぶ前に、彼女に向かって愛刀を投げていたのだ。ファムに気取られないように――月影を遮るほどの高さで。


「仕切り直しですよ、ファムさん。まさか、こちらが二本目を使うのが卑怯とは言いませんよね?」

 ファムの顔から余裕が消える。

 真剣を構えたローザリッタは一回り以上、大きく見えた。


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