第15話 古流と我流
今度は三人が押っ取り刀で飛び出す番だった。
村のはずれまで一息に駆けると、少し開けた場所に頭巾の偉丈夫が静かに佇んでいるのが見える。
その視線は足元に注がれていた。地面が不自然に盛り上がっているのは、その下に退治された野盗たちの死体が埋まっているからだ。血の匂いと腐肉が危険な肉食獣を招き寄せるというのもあるが、悪党とはいえ遺体を野晒しにすることに抵抗を感じた村人たちが、総出で夜のうちに埋葬したのである。
目当ての人物の到来に気づいたのだろう、偉丈夫がゆっくりと振り返った。
頭巾で顔が隠されているので表情ははっきりとはわからなかったが、その目元は穏やかなものを感じさせる。昨晩と違って、これから狼藉を働こうという雰囲気ではない。本当に、ローザリッタとの決闘を望んでいるというのか。
「埋めてくれたのだな。感謝する。雇われの身とはいえ、同じ釜の飯を食った者たちだったのでな」
「……雇われ?」
ローザリッタは怪訝そうな顔をする。
「俺自身は雇われ用心棒だ」
「どんな事情があろうと、あなたが悪事に手を貸した事実は変わりません」
少なくとも、彼はこの村の住人を一人斬り殺している。それは紛うことなき事実であり、決して揺らぎようのない罪過だった。
「承知している。もうじき騎士団が動くのだろう? だとすれば、いずれ俺は討ち取られる。その前に、お主と勝負がしたかった」
鋭い眼差しが、ローザリッタを射貫く。
その感触は殺意とは異なっていた。強いて言えば闘志だろうか。
「……なぜ、わたしに決闘を申し込むなどと?」
「知れたこと。名にし負うベルイマンの剣士と立ち合えるなど、それこそ一生に一度あるかどうかだからな。命を賭ける価値はある」
ベルイマン古流は家伝の剣法。一般的な剣術流派と違い、その家系に所縁のある人間にしか伝授されない特殊な流派だ。当代随一の剣士を輩出したこともあって、レスニア王国における剣の大家として扱われてはいるものの、その遣い手は局所的にしか存在しない。偉丈夫が言うとおり、市井に流布する他の流派と比べれば対決する機会は少ないだろう。
「……やっぱり、そうなのね」
リリアムの小さな呟き。
彼女がローザリッタと出会ったのは、王国最強のお膝元であるシルネオの街だ。そこで剣術を学んでいるとすれば、真っ先にベルイマン古流を連想する。しかし、ローザリッタの己の流派を語らなかった。家伝の剣法である以上、それを遣うからには男爵家に所縁があると明言するようなものだからだ。
リリアムが複雑そうな視線を向けるが、ローザリッタはそれに気づかない。目の前の男に集中している。
「……あの集団の中で、あなただけは只者ではないと思っていました。自分勝手な理由で落ちぶれた彼らとは違う。あなたには長きに渡って鍛え抜かれた技がある。そこまで磨いた腕を、なぜ悪事のために遣うのです?」
「俺とて、最初から野盗の真似事をしていたわけではない。若い頃は真っ当に剣の道を歩んでいたさ。その道行は険しいものと覚悟していた。落命することも、不具になることも承知の上。だが、俺はそれ以前だったよ」
その声には、どこか自嘲の響きがあった。
「試合をしようにも、どこも門前払いだった。肩書とやらがなければ、試合を引き受けてはくれぬらしい。名のある師に教えを請うたか、名のある武芸者を打ち倒していなければ、名のある連中とは戦えんのだ。名のある師に学んだこともなく、名のある武芸者を倒したこともない俺は、どうやったら戦える? どうやったら実力を示せる?」
それは武家以外の出自を持つ剣士の懊悩であった。名誉の剣士と戦うためには、名誉の剣士と戦った実績がなければ叶わない。板挟みの堂々巡りだ。
「ある時、気がついた。こちらから挑めぬのならば、向こうから来るように仕向ければいい。悪行を成せば、俺を裁くために名のある剣士が派遣される、とな。俺は野盗に己の腕を売り込んだ。今にして思えば浅知恵だったがな。実戦の機会には恵まれたものの、そのほとんどが野盗同士の縄張り争いで、著名な剣士とは一度たりとも巡り合えなかった。――だが」
偉丈夫は顔を覆う頭巾を剥ぎ取り、放り捨てた。
額に傷のある精悍な面貌が、陽の下に晒される。
「天はどうやら俺を見放してはいなかったようだ。人生の最後になって、俺はお前という名誉の剣士に出会った。戦ってもらうぞ、ベルイマン」
「そんなことを望める立場かしら。あなたの願いを聞く義理はないわね」
リリアムが姿勢を低くして腰に手を回すが、ローザリッタが遮った。まだ問いかけは終わっていない。
「……どうして顔を隠していたのですか?」
素顔を隠すことが目的ならば、ここで頭巾を脱ぎ捨てなくともよかったはずだ。つまり、素性を隠蔽することが目的ではない。別の理由があると考えるほうが自然だろう。
「願掛けだ」
「願掛け?」
「事実、俺は何の肩書もない無名の剣士だ。顔も名前も何ら価値を持たない。ならばいっそ、顔も名も晒さなくともよかろうと思ったのさ。名誉を勝ち取る、その時まではな」
「……その様子では、名前をお聞きしても答えてはもらえないのでしょうね」
ローザリッタは悲しい気持ちになった。
彼は生涯、名誉を手にすることはできない。名のある剣士と戦い、勝利を得たとしても――これまでの悪行がその名誉を貶める。彼は悪に堕ちた時点で、望むものを手に入れる資格を永遠に失っているのだ。
そんな当たり前のことが解らないほど彼は苦しんだのだろう。努力では覆せない出自の差に。生まれ持った環境の差に。その理不尽に。
だからといって、許されるものではない。
理不尽を理不尽で塗りつぶすような真似を看過することはできなかった。
だから、せめて――
「――いいでしょう。その勝負、受けて立ちます」
「おい、お嬢。勝手に決めるな。具足もつけてないんだぞ」
「ヴィオラさんに同意。馬鹿正直に相手をする必要なんてないわ。吐きたくはないけど、三人で仕留めたほうが確実よ」
制止するヴィオラとリリアムに、ローザリッタは首を横に振った。
「これはわたしが始めた戦い。幕を引くのもわたしの役目です。それに――」
きっと彼は自分にしか救えないのだ、と彼女は思う。
正真正銘のベルイマン――王国最強の娘であるという名誉を持つ自分にしか。
「二人とも、手出しは無用ですよ」
心を定めたローザリッタは臆せずに一歩、前に進んだ。
「ミリアルデ=ローザリッタ=ベルイマン。モリスト地方領主にして王国最強の剣士たるマルクスが一子。受け継ぎし最古にして最強の太刀にて、お相手仕る!」
堕ちたる剣士にせめてもの手向けとして、ローザリッタは今の矮小な自分が持ち得る最大の名誉――ベルイマン男爵家継嗣としての名を明かした。
「感謝する」
その声は、念願の好敵手に出会えたことへの歓喜で満ちていた。
両者は太刀を抜き放つと、三間の距離を挟んで対峙した。
互いに正眼に構え、摺り足で間合いを詰める。
一分の隙も無い運足に、ローザリッタは内心で称賛の声を上げる。ヴィオラは具足を着けてこなかったことを不安視していたが、むしろ逆だ。そのような手心を加えて勝てるほど眼前の敵は弱くない。
二人の距離が間境まで縮まった刹那、偉丈夫がくるりと背を向けた。
ローザリッタは息を呑む前に半歩下がって、振り向きざまに繰り出された横薙ぎの一撃を躱す。巻き起こった剣風が産毛を揺らした。
「今のを躱すか……!」
にやり、と偉丈夫は口元を歪める。
今のは無防備な背を見せることで相手の気勢を削ぎ、その一瞬の硬直を捉えて一撃を見舞うという、不意打ちにも等しい一太刀だった。
それをローザリッタが躱せたのは予測していたからだ。
先ほどの会話で、彼が誰にも師事したことがないことが知れた。ならば、その技は恐らく正道を欠くものである可能性が高い。剣術遣いらしからぬ騙し技を使っても不思議ではないと踏んだのである。
しかし、半歩退いたために間合いを損なったローザリッタは反撃に転じることができない。偉丈夫が躍るように間合いを詰め、目まぐるしい斬撃を繰り出す。
彼の太刀筋はどれも型破りだった。
上段から真っ直ぐ振り下ろされたはずなのに、剣尖はまるで八双から繰り出したかのように斜めに走る。小手を狙っていたはずなのに、途中で異様な軌道を描いて喉元を貫かんと切っ先が伸びる。常の運剣とはかけ離れた動きではあるが、闇雲に振るっているわけではないようだ。
(やりにくい……!)
怒涛の如く繰り出される小業を捌きつつ、ローザリッタは内心で呻いた。
彼の動きは凄まじいものの、数世紀に渡って研鑽された流派の型ではない。
同じ道具を用いる以上、動作の理想形は流派の垣根を越えて収斂するものだ。
流派が違っても似たような技があるのはそういうことであり、だからこそ定石が存在し、読み合いが成立する。
しかし、独りで剣を振るってきた偉丈夫の動きにはそれがない。
従って定石はまったく当てにならず、次の動きを読むことが極めて困難だった。
加えて、我流が故の奇妙な技の繋ぎ方は、相対する者の拍子をかき乱す。正統派で慣らした剣術遣いほど相手の動きに引きずられ、自分の呼吸を見失うだろう。本来であれば先ず叩き直されるであろう運剣の癖を、魔剣の域にまで高めたのだ。
――惜しい。歯車が一つ違っていれば、正しい環境さえあれば優れた剣術遣いになっていていたのに。
天才の条件を思い出す。環境、適性、素質の三つの柱。そのたった一つを持ち得なかったばかりに彼は悪に堕ちた。
堕剣が唸りをあげて迫る。
真っ当な剣士ならば七度は落命するであろう奇怪な太刀筋の悉くを躱し、受け、流す。厄介ことこの上ないが、あくまで厄介というだけだ。ローザリッタの実戦経験の少なさが、嘲笑う拍子の影響を最小限に留めている。
なかなか有効打を与えられないことに焦りを覚えたのか、偉丈夫の顔から徐々に余裕が消えていった。逆に、彼の堕剣の拍子に慣れたローザリッタにはゆとりのようなものが生まれ始める。精神戦の天秤は彼女の側に傾きつつあった。
斬り合いとは、何も技の練度だけで決するものではない。心の劣勢は技の切れを曇らせ、体を浪費させる。このままローザリッタが完全に流れを掴めば、遠からず彼は致命的な反撃を受けるだろう。
その前に勝負を決めるつもりなのか、彼は構えを大きく変えた。
太刀を右八双に構え、股を開き、腰を深く落とす。
(介者の構え――?)
基底面を広く取り、重心を低くしてどっしりと構えるのは具足を身に纏った状態で戦うための姿勢だ。重たい甲冑を纏った状態では一度の転倒が命取りになる。故に転ばぬよう、倒されぬように重心を低く構えるのが基本だ。
だが、それにしては膝を曲げすぎている。これでは
体勢を低くした相手というものは厄介なものである。
人体の構造上、自分の重心より下の位置を斬ろうとすると、その威力は驚くほど減衰する。地に低く伏した相手に致命傷を与えることは難しい。それとは裏腹に、相手は立ち合いにおいて最も防御の薄いこちらの足元を一方的に斬りつけることができる。まさに攻防一体の構え。
――と言えば聞こえはいいだろうが、実際はそこまで完璧な構えというわけではない。
確かに、低姿勢の構えは斬られにくく、斬りやすいだろう。
だが、その状態から攻撃を繰り出そうとすれば、その範囲は相手の下半身に限定されてしまう。どれだけ攻撃が鋭かろうと、どこを狙っているかわかるのならば防げない道理はない。また攻撃が失敗すれば、今度は無防備に晒された頭を相手に狙い斬りされてしまう。
何よりも致命的なのは、この姿勢では迅速な足運びができないことである。一度後手に回ってしまえば、避けることも躱すこともできない。守りやすく攻めやすくなるのは相手も同じなのだ。
何故、この構えを取った。
ローザリッタの心にさざ波のような迷いが生まれる。
この場合、下段に構え、足を刈る薙ぎに備えるのが定石だろう。だが、彼は邪道の剣士だ。彼女が下段に構えることを見越してのことだろうか。だとすれば、その裏に何かある。偉丈夫が狙っているのは、おそらく――
だが、偉丈夫は熟慮する暇を与えない。
ぬるり、と爬虫類じみた運足で距離を詰めてくる。
(――よし、誘ってみよう)
いずれにせよ、正眼に構えたままでは足を刈られる。意を決して、ローザリッタは構えを下段に移す。
瞬間。
上半身の守りが薄くなったと同時に、偉丈夫は怪鳥のごとく跳び上がった。
そう。彼は転ぶことを恐れて腰を落としたのではない。跳躍する力を蓄えるために膝を曲げたのだ。
ローザリッタの剣尖は下を向いたまま。防御は間に合わない。数瞬の後に、がら空きになった彼女の頭蓋は叩き割られるであろう。
――彼女が、地上にいれば、だが。
偉丈夫が瞠目する。
飛び斬りは堕剣の専売特許ではない。彼が地面を蹴ると同時に、ローザリッタもまた真上に跳んでいたのだ。
二点を結ぶ最短距離は直線。故にローザリッタの方が先に頂点に到達する。
その高さは、偉丈夫の剣尖の遥か上。
――空渡り。
翼を持たぬ人類が、それでも翼あるものと渡り合うために長い歳月をかけて生み出した準三次元機動。
人の身で、こうも軽やかに空を舞えるのか。
未だ上昇の途上にある堕剣士は、その姿に見惚れた。
「見事。俺も、お主のように羽ばたきたかったものだ――」
偉丈夫の太刀は空を切り、ローザリッタの太刀は後頭部をかち割った。
体勢を崩した偉丈夫は、鮮血をまき散らしながら墜落する。
無名の剣士は、その名を轟かせることもないまま、その生涯を終えた。
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