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 幼い子供の寝息。


 時たま聞こえる寝返りを打つシーツの擦れる音。


 壁にかけられた時計の針が時を刻む音。


 そして互いの抑えた呼吸音。


 真っ暗な通路の中目を閉じながらただ耳だけを澄ませる。


 少しでも動けば衣擦れの音さえ響く様で身動きが取れない。


 座ったまま横目で時折暗い部屋を見るが変化はない。


 ルシウスもキャロルの横に立って腕を組んだまま隙間に目を凝らしている。


 どれ位時間が経ったのかも分からない。


 1人なら発狂していたんじゃないかと言う位緊張で息さえ思う様に出来ない。


 キャロルは緊張を解こうと細く長い息を吐いた。




 ーキィ




 ルシウスの体が僅かに動いたのが伝わる。


 隙間から漏れる光は部屋の中が蝋燭の火で照らされた事を示していた。


 来たのだ。


 とうとう来てしまった。


 息を止めてゆっくりと隙間に目を向ける。


 蝋燭を持つ深草色のドレス姿の女性。


 同じ黒い瞳に黒い髪。


 キャロルがあと数年時を重ねれば瓜二つなんじゃないかと思う程よく似た顔立ち。


 キャロルの母、アイラ・ワインストだ。


 何度も悪夢に見たあの女性そのままだ。


 寒気がして思わず自分の腕を抱き締めてしまう。


 夢の中で断末魔を上げていたあの光景が嫌でも呼び覚まされた。


 震えを抑えながら食い入る様に部屋に目を凝らす。


 目を逸らしてはいけない。


 自分は真実を見に来たのだから。




「…操られているね。」


 ルシウスの小さい呟きがキャロルの耳に届く。


 言われてみれば足取りもふらついている上に目の焦点が定まっていない。


 母親は親指にナイフを突き刺すと床に血を擦り付け始めた。


 魔法陣を書いているのだと手の動きで分かる。


 まるで絵本に出てくる悪魔に捧げる生贄の儀式だ。


 あまりにも胸糞悪い光景に吐き気が込み上げる。


 キャロルは室内に目を凝らした。


 これだけの複雑な魔法陣を書かせるのだ。


 魔術師は必ず近くにいる。


 遠隔でこれを書かせるなど最早神の域だ。


 人間では有り得ない。


 ルシウスも同じ判断をしたのか隙間に顔を近付けて目を動かしている。





「…いた。

 テラスだ。」


 ルシウスに言われ隙間に顔を押し付けテラスを視界に入れる。


 テラスには確かに腕を振る人影があった。


 キャロルの体が熱くなった。


 漸く見つけられた喜びと禁術をかけられた事への恨みや怒りが一気に込み上げる。


 やっと犯人に近付けた。


 恨みをぶつけるべき相手に手が届く距離まで来た。

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