第3話 部隊編成に追われる或る少年少女たちの悲喜惨劇

 陸上防衛高等学校の敷地内にある大講堂ホールは、在学する全校生徒の群れで埋め尽くされていた。入学式、卒業式、始業式、終業式といった式典以外で、全校生徒が大講堂ホールに集まるのは、陸上防衛高等学校創設以来、まれな出来事である。そのため、階段式の大講堂ホールに集まった生徒たちは、学年や性別を問わず、午後の授業開始を知らせるチャイムが鳴り終えても、落ち着きのない雑談を続けている。


「――静粛にっ!」


 大講堂ホールの各所に設置してある大型スピーカから、それを喚起させる注意が響きわたるまでは。

 ややあってから、その通りの状態となった大講堂ホールを、マイク付きの壇上から一望した校長は、『威厳のオーラが出ている』と思い込んでいるうなずきを、両眼を閉じて実行する。そして、それに満足したような得意げさで両眼を開くと、ふたたびマイクに近づけて口を動かす。しかし、立派なカイゼル髭にほとんど隠れているため、その髭が喋っているようにしか、他の教員や生徒たちには見えない。今に始まったことではないが。


「――それでは、一週間後に実施予定の兵科合同陸上演習についての説明を開始する。突然の授業内容と場所の変更に困惑するのも無理はないが、戦場では予定通りに推移しないのが日常茶飯事なので、それをねじ伏せて傾聴するように」


 校長にしては珍しくもっともな内容の前置きに、着席している全生徒は感銘を受ける。


「――では、紹介しよう」


 そう言って壇上から離れた校長の姿を見て、他の教員や生徒たちは心から安堵する。睡魔との熾烈しれつな長期戦を強いられずに済んだと判断して。

 そして、校長に代わって壇上に上がったのは、


「――みなさん、初めまして。このたびの兵科合同陸上演習の実施に当たり、特別顧問教員として、生徒たちみなさんの監督と採点と指導を一任されました小野寺勇次ユウジと申します。臨時のため、一週間という短い期間ですが、どうかよろしくお願いします」


 武術トーナメント一年生の部優勝者と酷似したその姿に、大講堂ホールの生徒たちはどよめく。


「……父さん……」


 その中で一番おどろいたのは、壇上で自己紹介した小野寺勇次ユウジの息子である。勇吾ユウゴもまた寝耳に水だったのだ。その息子ですらこの有様なので、勇吾ユウゴの幼馴染は元より、地元の八子やご町で顔見知りになったリンイサオも、それを禁じることは不可能だった。大講堂ホールの左右に並び立つ教員たちも、二人の女性教員をのぞいて、例外ではなかった。


「――説明に入る前に、まず、一番大切な事を、生徒たちみなさんに前もって伝えます。一度しか言いませんので、よく聞いてください」


 生徒たちのどよめきが静まらないうちに、小野寺勇次ユウジ特別顧問教員は、静まずにはいられない科白セリフを、静まり返った大講堂ホールの生徒たちに宣告する。


「――今回の兵科合同陸上演習は、わたしがこの壇上に立った時点で、すでに始まっている事を――」

『…………………………………………』

「――では開始します」


 校長のような殊更ことさら感もなく、ごく自然な間と言動で告げる。


「――今回に限らず、兵科合同陸上演習には、『交戦規定レギュレーション』という、模擬戦闘における規則ルールの設定が不可欠です。そして、今回の陸上演習における交戦規定レギュレーションのコンセプトは、『限界まで整えた戦闘条件の平等性と均一化』です」

「……え? それって、たしか……」


 多田寺千鶴チヅが、大講堂ホールの左右に並び立つ教員たちと似たつぶやきを漏らすが、小野寺勇次ユウジは気にすることなく続ける。


「――むろん、このコンセプトは、本校の教員たちや、去年から|在学中の生徒たちみなさんが存じている通り、前々回の兵科合同陸上演習から引き継がれている基本方針です。一部隊チーム当たりの人数とその兵科構成の内訳。そして、所持する装備の種類と数も、すべて同一に揃えて実施されました」

「――たしか、前回の部隊人数や兵科内訳構成も、歩兵科四名、工兵科一名、憲兵MP科一名、輜重しちょう兵科二名の計八名だったわよねェ」


 去年から在学している二年生の小倉理子リコが、臨席の同級生に上体を近づけて尋ねる。

 むろん、小声、かつ、特別顧問教員から目を離さずに。


「|――ええ。でも、装備の方は前々回までは揃えなかったみたいけど……」


 尋ねられた二階堂アキラは、尋ねた親友を横目で見やりながら答える。


「――ねェ。輜重しちょう兵科ってなに?」


 二年の女子生徒二人組とは別の一角で、鈴村アイが、右に並んで座っている親友たちに、これも小声で尋ねる。


「……アンタ、二学期に入ったっていうのに、まだそんなことすら知らないのっ!?」


 一番近いリンが、思わず高まりかけた声を、懸命に堪えながら押し殺す。


「――兵糧、被服、武器、弾薬などの軍需品を、前線へ計画的に輸送し、補給させる、『兵站へいたん』を担う兵科のことよっ!」


 押し殺しながらも答えるリンをよそに、特別顧問教員の説明は続いている。


「――そして、今回の交戦規定レギュレーションも、前回のコンセプトにならい、更なる徹底化をはかります」


 今度上がったどよめきは、生徒たちよりも教員たちの方が大きく揺れていた。


「……徹底化って……これ以上、どう徹底しようというのだ?」

「――それは前回の時点でこれ以上の徹底化は不可能と判断されたものだ。しかも、それですら公正な採点がつけられず、軍上層部も納得がいかなかったのだぞ」

「……なのに、いったいどうやってこれ以上の徹底化を……」


 小声で話し合う教員たちを、これもよそにして、特別顧問教員は引き続き説明する。


「――しかし、その内容を現時点いま生徒たちみなさんに公開することは、当演習で設定する交戦規定レギュレーションのコンセプトに反しますので、それは実施日当日の直前までお待ちください」


 その内容を特別顧問教員の口から知りたがっていた生徒たちは、落胆の声を上げたり、肩を落としたりする。


「――それ以外は、前回までと同様、多部隊が一斉に戦闘を並列展開し、一人でも多くの敵部隊兵や敵部隊を打倒・殲滅し、最後まで生き残った部隊を勝利部隊として認定する、敵戦力撃滅方式で採点します。むろん、最後まで生き残った部隊が、そのグループでの対戦における最高点が与えられます。そして、生存人数や打倒・殲滅した部隊人数や部隊数が多ければ、そのぶんも戦果として加算されます。最後まで生き残れずに敗北した勝利部隊以外の部隊は、打倒・殲滅した部隊兵数と部隊数で挙げた戦果で採点順位を決めます。当然、最後まで生き残った勝利部隊の点数を越えることはありません。勝利した部隊以上の戦果を挙げても、自部隊が敗滅しては、意味がありませんからね。そして、どの対戦グループの勝利部隊よりも高い得点を挙げるには、勝利は勿論、自部隊の生存人数と戦果を上回ってないといけません。あと――」

『…………………………………………』


 特別顧問教員の長講に、生徒たちの傾聴のモチベーションは低下しなかった。

 校長とは違い、どこか引き付ける。

 事前に知っている内容にも関わらず。


「――ただ、今回の兵科合同陸上演習において、有益な助言アドバイスや、守るべき制約を、いくつか伝えます。どうかよく聞いてください」


 それどころか、さらに傾聴のモチベーションが向上する。


「――まず、助言アドバイスですが、すでに述べた通り、部隊編成の締め切りは明後日あさっての正午。対戦グループの組み合わせはその翌日の正午に発表します。その前後に、対戦部隊の情報収集や対敵対策を練っても、徒労で終わると思います。交戦規定レギュレーションの全容公開は演習開始直前ですので、その直後が効果的かと思います。それまでの時間と労力は、それ以外の方面に費やすことを推奨します」

『……………………?』

「――次に制約ですが、演習開始時間二四時間前に入ってからの飲食はいっさい厳禁とします。前述したコンセプトに沿うための措置です。この制約を破った生徒は例外なく失格に処します。ゆえに、直前まで食い溜めしておくことを、これも推奨します」

『…………………………………………』

「――そして部隊編成ですが、前回と同じ部隊人数と兵科内訳構成であれば、個人的な関係で繋がった部隊員メンバーでも構いません。所持が可能な装備は教員側こちらで用意します。交戦規定レギュレーションと同様、演習開始直前まで、その種類と数は伏せたままにします。むろん、それ以外の装備は事前に所持することを禁じます。これも前述したコンセプトに沿うための措置です、ただ、部隊長リーダーの選定は、慎重を期することを、これもまた推奨します。個人的な指導者的資質リーダーシップは元より、選出した兵科によっては、部隊の指揮と運用に大きく左右しますので」

『………………………………………………………………』

「――最後に、今回の兵科合同陸上演習において好成績を残す要点コツですが、別に難しくはありません。この学校で学んだことや習ったことを守り抜けば、大差はつかない採点に、他の教員たちと協議して調整します。コンセプトに沿った採点法なので、どうかご安心を」

『……………………………………………………………………………………』

「――では、これにて、今回の兵科合同陸上演習の交戦規定レギュレーション概要説明を終了します。みなさん、ご清聴、ありがとうございます」


 そう言って一礼した後、壇上から降りた小野寺勇次ユウジに、生徒たちはやや間を置いてから拍手を送った。

 校長の演説スピーチよりも長い交戦規定レギュレーションの概要説明だったにも関わらず、傾聴のモチベーションが低下することなく脳内記憶に残ったので。

 エスパーダを使わなくても。

 校長から解散と本日の授業終了を告げられた生徒たちは、その余韻を喧騒に乗せて、大講堂ホールの各所出入口からゾロゾロと列をなして出ていく。


「――はんっ! えらそうに。もっともらしい御託を並べてやがったが、どうせ息子びいきな採点をすんに決まってんだろっ!」

「――なんか色々とこざがしい助言アドバイスをほざきやがったが、だれがしたがうかよっ!」

「――ああ、その辺は徹底ガン無視だっ! 部隊編成は当日までこっちの自由にしていいて言ってたし、ならこっちもその辺は自由にさせてもらうぜっ!」


 その一列に並んでいる佐味寺三兄弟が、悪意をむき出しにした偏見と先入観の語調でそれぞれ吐き捨ると、


『――それまでは勇吾アイツのいる部隊チームの情報収集と対策。そして、それ以外の部隊との密約だっ!』


 その決意をもって総括した。

 他の生徒たちも、佐味寺三兄弟ほどの悪意はこもってないものの、そういった偏見や先入観は、程度の差はあれど、どうしてもぬぐえなかった。


「――いやァ~ッ、すごか先生どォ。さすが、おはんの親父どのじゃ。兄者と比較にならん御仁ごじんじゃな」


 校舎に入ってもまだ別れない豊継トヨツグが、廊下を歩きながら、平行する小野寺勇次ユウジの息子に賞賛と感想を述べる。

 迷惑そうな表情で横から見やっているアイリンをよそに。

 だが、その口調に悪意はなく、偏見や先入観もいっさい混ざってなかった。


「――ありがとうございます。津島寺つしまじさん」


 勇吾ユウゴは礼儀正しく応える。


「――豊継トヨツグでよか。そいよりも、部隊編成はどうすっど?」

「――大丈夫ニャ。部隊員メンバーはあと一人で決まるニャ」


 それに答えたのは有芽ユメである。


「……へ、一人?」


 その隣で歩いているイサオが首を傾げる。たしか昼休みで勇吾ユウゴと同じ部隊チームに入ることを表明したのは、された当人を含めても、まだ六人である。あと二人はまだ未定のはずなのだが、


「――もしかして、豊継コイツをワイらの部隊チームに入れるつもりなん?」


 その疑念が脳裏によぎると、有芽ユメを再度見やって問いただす。


「――違うニャッ! そいつじゃニャいニャッ!!」

(……な、なんで激怒するんや……?)


 有芽ユメの迫力に押されたイサオは思わずのけぞる。


「――残念じゃが、おいは勇吾ユウゴと同じ部隊チームには入らんど。そげんこつしたや、勇吾ユウゴと戦えんでな。おいは別部隊にさせてもらうど」

「――それは残念ね」


 リンは肩を落とす。


「――ホントね」


 同様につぶやいたアイを横目で見て。もし豊継トヨツグが自分たちの部隊チームに入ったら、歩兵科なのに、憲兵MP科のイサオよりも戦力にならない勇吾ユウゴの幼馴染を、その理由で外せると考えていたからである。豊継トヨツグの存在と強さを知ってから、休みなく。武術トーナメントに出場したこの四人の歩兵科の生徒たちの中で、唯一、一回戦負けを喫したアイの『実績』と、佐味寺三兄弟を一人で『集団私刑フルボッコ』した豊継トヨツグの『実績』を比較すれば、その判断は是非もなかった。


「――やっと見つけたど。弟者」


 豊継トヨツグの背後から、掛けられた当人よりもさらに野太い同じ方言の声が、その左右に並ぶ勇吾ユウゴたちにも聴こえた。


 一同は同時に足と止めて身体ごと振り向くと、掛けてきた当人と対面する。


「――おお、兄者」


 その第一声が、豊継トヨツグの口から上がった。

 勇吾ユウゴたちも、豊継トヨツグの兄の姿を認めた瞬間、その事実に抵抗なく納得した。

 多少の差異はあれど、弟とほぼ同じ容貌と体躯だからである。

 ただ、弟よりも――


「――身長が――」


 ――低いと言いかけたアイの口を、リンが迅速にふさぐ。いくら豊継トヨツグ身長の低さを指摘されても、激昂どころか、喜ぶという謎な性格だからといって、その兄までもそうとは限らない。リンはそのような理由と判断でとっさに行動したのである。


「――ないかたか?」


 その証拠に、豊継トヨツグの兄が、不審な目つきで問いかけて来た。問いかけられたリンは、予感の的中を確信しつつも、アイの口をふさいだまま、


「……い、いえ、なにも――」


 首を横に振る。

 だが、


「――なかわけがなか。最後まで言え。おいはおはんらの先輩じゃぞ」


 不審な目つきがさらに険しくなる豊継トヨツグの兄の表情を見て、窮地に立たされるリン

 ――に、


「……イ、イヤ、この場におらへん浜崎寺よりもデカい先輩ひとやなァ~と思うて」


 機転を利かしたイサオが、これ以上は望めない大きな助け船を出したので、この場にいる誰もが穏便に流せる――

 ――と、思いきや、


「デカい言うなァァァッ!!」


 なぜか激昂した。

 それも、兄よりも背が高いはずの豊継おとうとが。


(――えええええええええええェェェェェェェェエェェッ?!)


 イサオたちは驚愕の叫びを心の中で上げる。


(――なんでデカいと言われて怒るのォォォォォォォォッ!?)


 兄よりも背が高いはずの豊継トヨツグに対して。


(――普通、逆やろォッ!?)


 ビックサイズで出したはずの助け船が、よりによってその弟の豊継トヨツグの砲撃で轟沈されたイサオにとって、それは一入ひとしおであった。


「……………………?」


 ただ、この七人の中で一番背の高い勇吾ユウゴだけが、状況をのみ込めてないのか、不思議そうな表情で自分以外の六人に視線を送っている。

 無論、相対的な意味なので、この年齢での男子の平均身長よりも、ミリ単位とはいえ、低い事実に変わりはない。


「――ほう、デカいと言われちょるんか。弟じゃ」


 イサオのセリフに反応した豊継トヨツグの兄は、険しさが増した目つきで、自分の実弟を見やる。


「――前々めめから思っちょったが、ないごで兄のおいよりも弟のおめの方がデカいんじゃ? おいが先に生まれた上に、毎日おめと同じ釜メシば食っちょるのに、おいがおめよりチビなんはないごてだ? わっぜおかしか話ど。おめ、ないかおいに内緒で背がたこうなんこつしちょるんでなかとか? もしあんなら吐けいっ! 洗いざらいっ! そいまでおんれから離れんどっ!」

 兄に襟首を掴まれた豊継トヨツグは、しゅうとめよろしくなグチと、893ばりの脅迫を織り交ぜた理不尽な要求を受ける。だが、実兄の厳しい視線に耐え切れず、顔ごと視線をそらす。そして、助け船を出した張本人のそれが、その際に合った瞬間、


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」


 殺戮さつりく的なまでの眼光がギラギラと放ちまくる。

 『目は口ほどに物を言う』がごとく。


(――えええええええええええェェェェェェェェエェェッ――)


 イサオは愕然の絶叫を内心で上げる。


「――いやイヤ、無理やって。そないなこと事前に予見せいやなんて。たしかにデカいと言われたら怒る理由はわかったやけど――」


 と、納得まじりに反論したかったが、通用どころか、兄弟そろって逆襲を受ける可能性すら出てきたので、これも心の中で留めるより他に方策がなかった。他の三人も、とばっちりや流れ弾を回避するために、イサオからさりげなく離れつつある。


「――ホラ、ユウちゃんもっ!」


 その際、アイが棒立ちしている幼馴染の手を引っ張る。

 もちろん、押し殺した声で。

 まだ状況を把握してない様子な勇吾ユウゴの姿を、イサオが横目で視認すると、その間に一人の女子生徒が横切り、襟首を掴まれたままの豊継トヨツグの前に立ち止まる。

 髪型こそ毛先が内巻きのボブカットだが、


「――お久しぶりです。津島寺つしまじ|さま」


 豊継トヨツグに挨拶したその女子生徒の声質は、一流プロの女性声優よりも音楽的で清楚に聴こえた。

 容姿も声質のそれにふさわしく、まさしく、『超絶美少女』という言葉の稀有な見本だった。


「――この前は助けていただいて、本当にありがとうございました。今までお礼を伝える機会がなくて、ごめんなさい」


 その美人度は、観静リン平崎院ひらさきいんタエと比較にならないほどである。

 若い上にツリ目でない分、小野寺勇次ユウジの妻よりも上かもしれない。

 それだけに美しいのだ。

 一度でも見かけたら、何度記憶操作されても消去が不可能なくらいに。


「――だいぞ、おはんは?」


 ――なので、豊継トヨツグが襟首を掴まれながらも首を傾げて誰何すいかした以上、豊継トヨツグにとって初対面なのは、間違いなかった。

 ただ、その美しさに見惚みとれた様子がないのは、超絶美少女にとって存外の極致みたいであったが。


「……無理もありません。あれから随分と経った上に、一度しか会ってないのですから」


 その超絶美少女は落胆の素振りを見せずに丁寧な口調で話を続ける。


「……ハッ! アカンアカンッ!」


 連続記憶操作事件の際に美女耐性をつけたはずのイサオが、頭を振って我に返ると、


「――私です――」


 そう言って豊継トヨツグに詰めよる超絶美少女の前に立ちはだかる。


「――誰だが知らへんけど、もう堪忍したってェやァ。これ以上の新キャラ初登場は――」

「――浜崎寺はまざきじユイです」


 イサオたちが知っている既存キャラの再登場に、


『……………………………………………………………………………………………………へ?』


 ……誰よりも疑った。

 自分たちの耳目を……。

 ……あまりにも激し過ぎる衝撃と落差に、


「ウソつけっ!!」


 や、


「マジで誰だよっ?!」


 といった類のツッコミは、いっさい上がらなかった。

 ――否、上げられない。

 誰一人……。


「――少し見ない間にもの凄く綺麗きれいになりましたね。まるで別人ですよ、浜崎寺さん」


 ただし勇吾ユウゴはのぞく。

 それもツッコミではなく、ただの感想である。


「少しは疑えやァッ!! 別人か本人かをォッ!!」


 この天然ナチュラルボケに対して、イサオは即座にツッコミを発動させた。


「――うーん。やっぱい知らん。おはんような女子おなごば助けた覚えなど」


 その間、豊継トヨツグユイのやり取りは続いている。


「――じゃっどん、こん学校に入学したあと、名前ば忘れたがその男子おとこどもにイジメられちょった瀕死寸前の女子おなごなら――」

「――それですっ! それが私ですっ!」


 超絶美少女のユイは身を乗り出して主張するが、


「ウソつけいっ!」


 一喝のごとく一蹴された。


 ガーン。


 ――を口に出して言った超絶美少女のユイは、ショックを受ける。

 ――が、それ以上にショックを受け、かつ、さらに激昂したのは、


「~~おんれりゃぁ~~! いつん間にかこげな美人ばゲットしよったんじゃァ~ッ!」


 豊継トヨツグの兄――津島寺つしまじ影満カゲミツであった。


「――女子おなごに興味がなかおんれとちごうて、おいは女子おなごにモテたい一心で陸上防衛高等学校に入学したんじゃっ! おんれが停学中に開催した武術トーナメント二年生ん部で、念願ん優勝を果たしたこんハクば出せば、どげん女子おなごでもモテると思うちょったら、『チビ』っちゅう理由でどん女子おなごもフリよる。せやのに、なんで停学中だったおんどりゃがこないな超絶美少女が寄って来るんやっ!? おかしいやんけェッ!! オイ豊継トヨツグ。ホンマはワイと同じくモテたいんやろっ! べっびんに興味なさげな表情でクールぶりおおってっ! 弟のクセに生意気やでっ! ワイより背が高いやからって、ワイを差し置いて抜け駆けするやなんて、ズルいと思わへんのかァッ!!」

「――ちょいちょい。セリフんの後半が大阪弁に変わっちょる変わっちょる」


 イサオがツッコミなのか注意なのか、自身すら不明な指摘を、なぜか薩摩弁でしてしまうが、影満カゲミツはいっさい無視して実弟の首を締め上げ続ける。


「……に……にいさん。その、女の子、は、ほんと……に……知ら……な……い…………て…………」


 弟にいたっては標準語でなんとか抗弁を試みるが、その顔色は実兄の首絞めでみるみると真っ青になる。


 ガーン。


 そのショックをまた音声として口に出す超絶美少女のユイ

 だが、それでもめげずに、今度は自分が豊継トヨツグを助ける番だと言わんばかりの決意と表情でその兄をいさめる。


「――おやめください、お兄様。お二人は兄弟ではありませんか。背の低さなんて、血の繋がった兄弟の絆に比べたら、取るに足らない些末事ですわ。ですから、デカいやチビなんて言葉に――」

「デカい言うなァ~~ッ!!」

「チビ言うなァ~~ッ!!」

『どうしろとォ~~ッ!』


 リンアイは絶叫する。

 どうしようもない事態に。

 むろん、


「……どうしようもニャいニャ……」


 である。


 ガーン。


 津島寺兄弟から怒声の斉射を受けた超絶美少女のユイは、三度みたびショックの効果音を口で上げるが、今度ばかりはそれに耐え切れなかったのか、背中から銃で撃たれたかのように白目をむいてのけぞる。そしてこれもその比喩のままに倒れるが、幸い、近くにいた有芽ユメがとっさに受け止めたので、廊下に横たわらずに済んだ。

 いずれにせよ、津島寺兄弟は、勇吾ユウゴたち六人をほっといたまま、昼休みの某女性士族教師たちと同水準レベルの争いを続けながら去って行った。


「……ニャんだったの、あの兄弟……」


 ユイを抱きとめた有芽ユメは、その二人の後姿が消えたあと、激しい疑問に駆られるが、むろん、だれも答えることはできなかった。


「……豊継トヨツグさんの兄さんも、僕と同様、武術トーナメントで念願の優勝を果たしたのに、まったく報われてないみたいですね。かわいそうに……」


 ――なお、その一年生の部優勝者が、涙と同情まじりにほざいた戯言たわごとはまったく答えになってないので、だれも取り合わず、記憶する気もなかった。

 どの記憶媒体ストレージにも。


「……う、うーん……」


 そのあと、有芽ユメに抱えられているユイが、うめき声を上げる。

 それを聞いた五人は安堵した。

 勇吾ユウゴユイが生きていたことに。

 それ以外は 浜崎寺ユイと名乗った超絶美少女の容姿が、自分たちが記憶している浜崎寺ユイのそれである事実に。




 ――その頃、陸上防衛高等学校に在籍する校長以外の全教員は、工兵科の授業にも使われる実習室に集まっていた。むろん、今回の兵科合同陸上演習に関して詳細な説明を受けるためである。どの教員も、大講堂ホールで聞いた内容以外、いっさい知らされてないので、それ以外の仔細な説明の要求は当然であり、校長もそのために実習室への集合を指示したのだ。それでも、寝耳に水の事態に、教員たちは、副校長と同様、困惑を隠せず、各所にある共用実習机の席で、各々の個性に沿った顔つきでそれを披露していた。

 もっとも、それを言うなら、国防軍上層部からの突然で早急な要求も同様であった。

 陸上防衛高等学校の在学生に対する軍事能力と成績の提示がその内容である。

 国防軍と同時に創設した陸上防衛高等学校の卒業生は、防衛大学への進学者を除くと、そのほとんどが国防軍の各部署に配属され、任務に従事するのが通例だが、その能力の低さに懸念の声が国防軍の上層部でも上がっていた。しかし、それは今に始まったことではなく、設立してから抱えて続けていた慢性的な問題である。しかしそれも、その後に設立した防衛大学へ進学すれば、差し当たっての問題は無しというのが、軍全体における共通した判断と認識であった。

 にも関わらず、それを覆すような今回の事態に、陸上防衛高等学校の教員たちは、前述の状態となり、その上、在学生の軍事能力を正確な採点でつけられる交戦規定レギュレーションの提出まで要求されては、なおさらだった。その問題は軍事教育機関である陸上防衛高等学校でも前々回から取り組んでいるが、上層部が納得いくような結果は残せないまま、現在の状況に至っているのである。

 国防軍の上層部は、無論、校長以外の陸上防衛高等学校の教員たちに、子細な理由を述べなかった。しかし、国防軍がそのような催促を急かす以上、ある程度の推測や推察はつく。


「――『東浮遊大陸』の情勢が一変したのか?」

「――かもしれないな。というより、それしか考えられない。国防軍の創設目的も、名称の通り、その大陸諸国を始めとする外敵の侵攻に備えるために組織したのだから」

「――なんでも、四国よんこくに分裂していた『東浮遊大陸』諸国が、最近になって統一したという情報が入ったらしい」

「――おいオイ。その情報の出所って、今でも軍部が保護管理下に置いている、その大陸からの亡命者たちであろう。そもそも、アスネ圏外にある『東浮遊大陸』の情勢にしたって、いったいどうやって入手したのかすらわからないのに、信じてもいいのか? その亡命者と情報を」

「――仕方あるまい。我々では裏が取れない以上、信じるしかない。亡命者に関する詳細は軍事機密なのだからな。それに、その情報は裏社会でも根拠のないウワサとして流れている」

「――さすがに民間やアスネにまでは流れてないが、それも時間の問題だろう」

「――だが、これまで『東浮遊大陸』からの軍事侵攻が一切ない事も考え合わせると、『東浮遊大陸』に関する情勢と情報の信憑性は、決して低くはない」

「――もしそれが事実なら、『東浮遊大陸』諸国を統一した国家が、その時点で、我が国の侵攻を企図しても不思議ではない。今回の要求が、その国に対する軍事的な国防強化の一環だとすれば、合点がいく」

「――『東浮遊大陸』の国なら、我が国を敵視しているのは、あの第二次幕末で明らかだからな。そもそも、その第二次幕末にしたって――」

「それ以上は言うなっ! それだってウワサの域にすら達してない憶測なんだっ! 軽々しく口にしたら、軍人としてのかなえの軽重を問われるぞっ!」


 軍人気質が旺盛な国防軍所属の男性教員たちは、つい盛り上がってしまった話題が、それこそ軍事機密に抵触しかねない内容まで踏み込んでしまっている事実に気づくと、いったん声のトーンと頭を下げてから、話題を変えて再開する。


「……とにかく、この大事な時とタイミングで実施される今回の兵科合同陸上演習に、臨時とはいえ、民間の教員を、その最高責任者として抜擢するなんて、校長はいったい何を考えているんだ?」

「――副校長の話では、創設されたばかりの国防軍の要職に就いていたが、ほどなく辞職したそうだ。その理由までは副校長も知らないみたいだが」

「――どちらにせよ、聞いたことがない名だ。小野寺にしても櫂寺にしても」

「――だがその経歴が事実なら納得がいく。今回はその縁と覚えがあっての臨時抜擢だな。でなければ、我々が必死に考案した交戦規定レギュレーションを、校長が鶴の一声で却下するわけがない」

「――おまけに、自分の息子がこの学校に在学しているとあっては、目的が見えすいている。まぐれで果たした武術トーナメント優勝のの実績だけではまだ足りないようだ」

「――さぞご子息に有利な交戦規定レギュレーションだろうな」

「――少しでもその疑いがあったら、徹底的に追及しよう」

「――ああ、そんな誰も覚えてない過去の威光が、生粋の軍人たる我々にまったく通じないことを、平民上がりの民間士族に思い知らせてやるぞ」

「……そんな威光を振りかざす男性ひとにはとても見えなかったけどねェ……」


 最後のセリフは多田寺千鶴チヅがつぶやいた感想である。むろん、彼ら男性教員とは別の共用実習机なので、今の小声は彼らの耳には届かなかった。千鶴チヅもまた国防軍に所属する士族の女性教員だが、軍人的な気質にとぼしく、民間の教員と見られても、当人ですら不思議ではないと思っている。そして、一八年振りに思わぬ再会を果たした小野寺勇次ユウジにいたっては、軍人どころか士族にすら見えず、むしろ平民にしか見えない。その傾向は第二次幕末の動乱の最中に出会った時から、そんな時代に似合わず漂っていたが、再会した時のそれはさらに拍車をかけていた。少なくても世俗的な権勢欲とは無縁な気質であった。ゆえに、男性教員たちの偏見と先入観に塗れた会話に、寸分も同調しなかった。


「……………………」


 そして、そこに向けられていた多田寺千鶴チヅの視線は、反対の隣席に座っている武野寺勝枝カツエに転ずる。男性教員たちに対して注いでいた冷めた目つきが、心配と不安の眼差しに変わる。小野寺勇次ユウジと再会してからの親友の様子が明らかに変わり、それは今でも続いている。複雑にからみ合った感情が、表現しがたい表情として揺れ続けている。


(……いったい、なにがあったのかしら……)


 ……あの時、初めて出会ったかい勇次ユウジ武野たけの勝枝カツエ、そして、小野おの景子ケイコとの間に……。


「――諸君、待たせたな」


 その声を聞いた瞬間、実習室にいる教員一同はほぼ同時に起立し、入室した陸上防衛高等学校の校長に敬礼する。軍務の一環として開いた公式の職員会議である以上、軍事教育を任とする国軍の教員たちにとって、当然の行為である。ただ、その敬礼は民間や政治家でも多用されているお辞儀じぎだが。


「――うむ。全員、座りたまえ」


 腰を下ろした教員たちは、相変わらず『自分には威厳がある』と思い込んだままの校長を教壇ごしに注視する。そんなものなどまったく感じないのは、校長の左に控えている副校長も同様だが、それでも、とりあえずそれを信じさせる緊張感を漂わせておく。それは実習室の一角に座っている武野寺勝枝カツエや多田寺千鶴チツも例外ではないが、その緊張感を本格的に漂させるようになったのは、今回の兵科合同陸上演習における事実上の最高責任者が、副校長よりも後ろの位置でたたずんでいる姿を認めてからである。


「――諸君には誠に申し訳ないことをした。私の独断専行に振り回されて。しかし、それだけせっぱ詰まった状況と、それをひっくり返せるだけの『回答』であると、校長の私が判断した末のことである。『宿題』を出して来た軍上層部に対して。むろん、自身をもって提示できる内容だ。ゆえに、諸君にはこれからその説明を受けてもらう。『宿題』の『回答者』たる彼に。これは校長わたしの言葉だと思って聞くように」


 そう言って校長が離れた教壇に、『回答者』である糸目の壮年が代わって立つ。


「――みなさま。始めまして。本校に在学している小野寺勇吾ユウゴの実父、小野寺勇次ユウジです。校長のおっしゃった通り、今回の兵科合同陸上演習において、その監督と参加生徒たちの指導を一任されました」

『!?』

「――臨時とはいえ、身内びいきと思われてもしかたのない民間教員の一時的な雇用に、不満と不安を抱きながらも受け入れてくれて、ありがとうございます」

『!?!?』

「――それに先立ち、大講堂ホールで説明した今回の兵科合同陸上演習のコンセプトが、従来のそれらと差して変わりのない内容に、これも皆様方の不満や不安を募らせる結果になったのは本意ではありませんでした。しかし、今回の兵科合同陸上演習で高い成果を上げるには、それに参加する生徒たちに対して、現段階での全容を伏せておかなければならないゆえの、やむを得ない措置でした」

『……………………』

「――もちろん、実施に当たって、皆様方の協力は不可欠です。それでは、大講堂ホールでは明かさなかった交戦規定レギュレーションの全容を、これから説明します」


 ――こうして、始まった。


『…………………………………………』


 ――教員たちは無言で聞き入り、無言のまま聞き終えた。


『………………………………………………………………』

 

 そして、その余韻も無言で噛みしめる。


『……………………………………………………………………………………』


 説明を受けたその内容は、一言で表すなら、『その発想はなかった』である

『……まさか、そんな方法で徹底化がはかれるとは……』


 それが、各教員たちが内心でつぶやいた感想であり、総意であった。


「――なにか質問はございませんか?」


 勇次ユウジに促された教員たちは、目が覚めたような表情で我に返ると、意表を突かれたような口調で次々と質問する。

 しかし、小野寺勇次ユウジの、教員たちに対する返答は例外なくよどみがなく、明晰であった。


『…………………………………………………………………………………………………………』


 教員たちの質疑が出し尽くすと、実習室に沈黙が漂う。

 だが、それは決して悪い空気ではなかった。


「――それでは、次回までにみなさんの意見を反映した修正案をまとめ、提出します。ご清聴、ありがとうございました」


 勇次ユウジは礼儀正しくお辞儀して締めくくる。

 最初の挨拶と同様。


『…………………………………………………………………………………………………………』


 非の打ち所もつけ入る隙もない特別顧問教員の態度に、教員たちはなにも言えなかった。

 言葉として表現が不可能なほどに。

 ――なので、


 ……パチパチパチパチパチパチ……


 散発的で力の無い拍手でしか、表現できなかった。

 それは、小野寺勇次ユウジと旧知の間柄な多田寺千鶴チヅも例外ではない。


「…………………………………………………………………………………………………………」


 例外なのは武野寺勝枝カツエであった。

 言葉で言い表せない他の教員たちとは別の意味で、旧知の男性士族を無言で見つめていた。

 睨んでいるともれる眼差しで。




「……うーん、どうしたらいいのかなァ?」


 陸上防衛高等学校の保健室で、アイは背もたれのない円形の椅子に座ったまま腕を組む。


「――あの説明じゃ、対策の立てようがニャいニャ」


 有芽ユメアイと同じ姿勢で苦慮する。


「――とりあえず、足りない隊員メンバーの勧誘は、ユウちゃんとイサオに任せたけど……」


 それはリンも同様であった。

 三人の女子生徒たちは、今回の兵科合同陸上演習に対して、可能な限りの最善策を、正三角形の輪を作って講じているのだが、いっこうに思い浮かばず、首を捻りあっているのである。

 『三人寄れば文殊もんじゅの知恵』のことわざを疑いたくなるほどに。

 その横ではユイ寝床ベットでうなされているが、意識が回復する様子は、こちらもいっこうに見られず、三人の気を揉ませている。当然、全快にはほど遠い状態である。もっとも、全快になった時期が、一瞬でもあったかどうか、はなはだ疑問――というより、どういう状態が全快を指すのかすら不明なので、仮にその時期があったとしても、『気殺』のごどく見逃しているに違いなかった。もしそれが超絶美少女様式モードのことを指すなら、話は別だか。


「――でも足りない隊員メンバーって、あと二人でしょ?」


 アイが確認の問いを二人にかける。


「――ええ。それも、輜重しちょう兵科の生徒に限られているわ。それ以外の兵科の生徒を加えるのは、今回の交戦規定レギュレーションに抵触するから、選択の余地はないわね」


 リンがそれに答えると、アイが更なる疑問を呈する。


「――リンちゃんから大講堂ホールで聞いた輜重しちょう兵科についてまとめると、色々とある兵科の中で最も戦闘に不向きな兵科みたいね」

「――そうよ、アイちゃん。前線から離れた後方での支援が本業の兵科だから、直接戦闘になんら寄与しないわよ。憲兵MP科や工兵科よりも」


 リンがうなずくと、アイは大声を上げる。


「――それじゃ、足手まとい以外の何者でもないじゃないっ!? そんな二人を抱えながら戦わなきゃならないっていうのっ!?」


 それでもアンタよりはマシだと思ったリンは、それを言語化しようと口を開くが、


「そんニャことはニャらニャいニャッ! バカにするニャッ!」


 有芽ユメが立ち上がって機先を制したので、無言のうちに閉ざざるを得なかった。


(――なぜ歩兵科の有芽ユメが怒るの?)


 という疑問を内心で抱きながら。

 その怒声で刺激されたのか、


「……ここ、は……」


 ユイの意識が回復する。

 それを聞いた途端、


『目が覚めたのねっ!』


 三人の少女が寝床ベットの横際に殺到する。


「よかった、ユイちゃんっ! 生きていてっ!」

「あなたが死去するととても困るところだったのよっ!」

「ニャにがニャンでも訊きたいことがあるからニャっ!」


 異口同音まじりな声を立て続けに上げて。


「……な、なに? 訊きたい、こと、って……」


 ユイが臨終寸前の声でうながすと、三人の少女は、これも異口同音ながらも、声を揃えて問いただす。


『――どうしたらあんな超絶に美しい顔になれるのっ!?』


 を。


「…………演習、に、ついて、じゃ、なくて…………」


 それについての相談が、混濁する意識の中で聴こえていたユイは、確認のために問い返すが、


「そんなもんどうでもいいわっ! こっちが先よっ!」

「早く教えなさいっ! いったいどうしたらそのゾンビヅラからあの超絶に美しい変貌をとげれるのかをっ!」

「みんニャが保健室ここユイたんの意識回復を待ってたのもそのためニャんだからっ!」


 魑魅魍魎な答え方と迫り方に、ユイは恐怖すら覚え、口ごもる。が、上布団つきの寝床ベットで身体を覆わられた状態と、リン曰くの『ゾンビヅラ』では、それを表現することは不可能だった。

 ましてや、命の危険までも覚え始めては、要求の拒絶も不可能だった。

 元よりそのつもりはないとはいえ。

 だから答えた。


「……『美氣功びきこう』……」


 と。


『…………………………………………………………………………………………………………』


 三人の少女は、女性なら誰もが求めて止まない究極の美貌を手に入れる方法を、入手済みの当人の口から得ると、その意味を底なし沼よりも深く吟味するため、額を寄せ合う。

 大講堂ホールでの交戦規定レギュレーション説明を傾聴よりも超える真剣さで。


「……そういえば、松岡流の氣功術が使える多田寺先生も、実年齢よりも若く見えるわ」

「……同様の武野寺先生も、その友達ほどじゃニャいけれど、充分若々しいニャ」

「……ユウちゃんの母さんに至っては、その二人よりも若々しくて、美しかった。これはもう、同じ流派の氣功術を会得マスターしているとしか思えない。いえ、違いないわっ!」


 ――三人は寝床ベットに横たわっているユイを同時に一瞥し、元に戻すと、中断した吟味を再開する。


「――ユイちゃんはそれを自力で編み出し、会得マスターした」

「――それも、新型の氣功術で」

「――ニャら、アタイたちに会得マスターできニャい道理はニャいニャッ!!」

「――しかも、そのギアプは市場に出回ってるから、それもギアプ化すれば、リンちゃんでも会得マスターできるわ」

「――それに、修練を重ねれば、効果を永続されられることだって――」

「――不可能じゃ、ニャい――」

「………………………」

「………………………」

「………………………」


 そして、額を寄せ合っていた三人の女子が、決然とした表情で立ち上がると、さっそく取り掛かる。

 むろん、中断した兵科合同陸上演習の対策考案再開ではない。

 三人はふたたびユイ寝床ベットに殺到する。


「……待っ、て……」


 ふたたび殺到されたユイは制止の声を上げるが、


「――ニャにを待つのニャ!? ユイたんっ!」

「――そうよ。まさかいまさらその方法を教えないなんて言い出さないでしょうね? そんなのズルいわっ!」

「――別に教えなくてもいいわ。あたしのテレハックでユイのエスパーダや脳内記憶を隅々すみずみまで読み取るまでだからっ!」

「……そ、そうじゃ、なく、て……」


 鬼気迫る勢いで身を乗り出す三人に、ユイはふたたび恐怖を覚え、言葉に詰まる。こればかりは、先刻と同様、病弱で虚弱体質な身体だけが原因ではない。ユイの脳裏に藪蛇やぶへびの二文字がよぎったが、今となっては後の祭りであった。


「……『美氣功びきこう』、には、欠点、が、ある、の……」

「――欠点?」


 アイは不信そうに眉をしかめる。


「――ニャによ、それ?」


 有芽ユメが同様の表情で問いただす。


「……それ、を、会得マスター、した、ら、取り、返し、の、つか、ない、代償、を、払わ、なければ、ならない、の……」

「――究極の美貌が(現段階では時間制限があるとはいえ)手に入るなら、どんな代償だって無料タダ当然で払ってやるわっ! だから教えなさいっ! その代償とやらをっ!」


 悪魔に魂を売り飛ばす勢いで促されたリンの要求に、ユイは決して許されない逡巡を犯すことなく告げ始める。


「……そ、それは……」

「――やっぱムネやろ、ムネ」


 校舎の廊下を歩いているイサオは、胸元で持ち上げるような両の手つきで熱弁する。


「……ムネ?」


 右隣で並行する勇吾ユウゴに対して。


「――せや。やっぱオンナがオンナたらしめる部位っちゅうたら、そこ以外に考えられへんわ。どないに考えても」

「……そ、そう、なの……?」

「――勇吾ユウゴ。よく考えて見いや。オンナにあってオトコにないもんっちゅうたら、やはりそこしかないやろ。オンナの魅力はその一点に尽きるわ」

「……………………」

「――それに比べたら、シリなんて大した魅力なんざあらへんって。だってムネほどのぎょうさんな個人差なんてあらへんし、第一、シリならオトコにだってオンナと同程度にあるやんけ。そうは思わへんか?」

「……う、うん。そ、それよりも、隊員メンバー集めを……」

「――せやから、オンナの魅力はムネにあるんや。それも、巨乳サイズのな」

「…………………………………………」

「……せやのに、この学校の女子どもはのきなみショボイ。唐竹で垂直に斬っても、先端すらカスりもせいへんくらいに。特に、リンども女子四人組のムネはオトコよりもあらへんのやないかと疑ってまうほどや。これやとオトコと大して変わりあらへんやないけ。これでオトコしかないアレをアソコにくっつけたら、正真正銘のオトコの完成や。蓬莱院はんがうとった……えーと、なんやったっけ……ああ、『男の』やのうて」

「………………………………………………………………」

「――そうは思わへんか? 勇吾ユウゴ

「……………………………………………………………………………………」

「……………………?」


 熱弁を振るい続けていたイサオも、親友の様子に異変を感じ始める。そして、それが何なのか察すると、


「――ははァん。さては苦手やな。このテの話は」


 人と意地の悪そうな笑みが浮かぶ。


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」


 それを証明するかのように、引き続き無言でうつむいている勇吾ユウゴの顔色が、熟したトマトと化す。


「――ホホホ。純粋ウブなヤツよのう。この程度の話でこないな反応リアクションをするやなんて」


 そこに遠慮なくつけこんだイサオは、勇吾ユウゴの左耳に、


「――なんなら、今度、ワイが密かに収集したそのテの秘蔵の静止画と、これも秘蔵の動画を、おまいのエスパーダに送ったるわ」


 悪魔の囁きよろしく吹き込んだ瞬間、勇吾ユウゴの頭上から蒸気機関車よりも熱い蒸気が噴き上がる。

 糸目の顔面に至っては発光レベルの濃さで赤くなっていた。


「――安心せい。女子どもには内緒にしたるさかい、それまで楽しみに待っとれ。ただ、そのテのモンはアスネの精神感応テレパシー通信で送受信やりとりすると、アス管が黙っとらんから、それを保存してある記憶銀行メモリーバンクへ直接おもむかへんとアカンのや。せやから冗談シャレ抜きの話、待っとれよ。ホンマに」


 イサオは破顔して勇吾ユウゴの肩を叩き、その耳元から離れる。


「――いっ、いいよっ! そんなのっ! ボッ、僕っ、困るっ!」


 勇吾ユウゴは遠慮するが、イサオはまったく取り合わずに先行し、目的地である保健室のドアを開く。

 ――と、


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!!」

「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!!」

「ニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!!」


 断末魔を超越した絶叫が、入室した男子生徒たちの鼓膜をたやすく貫通した。

 左右同時だったので、脳内に衝突した衝撃は核兵器規模の破壊力で炸裂し、二人の意識をたやすく消し飛ばす。

 むろん、直前までやり取りしていた会話の記憶など、家事オンチの勇吾ユウゴが掃除した後の部屋の汚れみたいに残っているわけもなく、それどころか、物心ついてからの想い出きおくすら、プロの掃除屋をも凌駕する綺麗さで喪失してしまいそうである。裏社会的な意味でも。

 保健室の床にそのまま卒倒した勇吾ユウゴイサオは、床に頭を打った衝撃のおかげで、消し飛ばされた意識が舞い戻ったが、一旦いったんの上に一瞬だったので、ふたたび意識消失の危機に立たされる。胎児のようにくるまった二人の男子は、条件反射さながらの迅速さで両耳を塞ぐが、遮音の効果など素粒子の欠片もなく、引き続き意識喪失の危機に立たされる。それでも、両者は懸命に声を張り上げ、意思疎通をはかるが、


『☆○%♯@○♯%☆@♯☆○%♯@%○@○@%%○@○♯%☆@♯☆○♯☆○%♯%♯@○♯○♯@○%@☆○%♯@○♯%☆@♯☆○%♯@%○♯%@☆○☆@○♯☆○♯%☆○@○@♯☆○%♯@%○@○%@☆○@○♯%☆@♯☆○%♯@☆@☆○♯%☆@○♯☆○♯』


 完全に意味不明イミフと化した三人の絶叫によって、これも完全にかき消される。

 よって、音声でのそれは不可能だった。

 ――ので、


(――なんやァーッ?!)


 精神感応テレパシー通信でしかはかれなかった。


(――わからなァーいっ?!)


 もっとも、はかれたところで、状況の好転はおろか、把握すら不可能だが。


(……つ、つながっ、た……)


 そんな勇吾ユウゴイサオの間に、第三者のそれが割り込む。

 それは浜崎寺ユイであったが、二人ともその相手を認識する余裕などあるわけがなく、応対で精一杯だった。


(――なにがァーッ!! あったんやァーッ!?)


 意識が集団私刑フルボッコされる中、イサオは絶叫のように尋ねる。


(……タ、禁句タブー、を、言っ、て、しまっ、て……)

(――タブゥーッ!?)

(……『美氣功びきこう』、の、代償、が……)

(――ムネがァーッ!! 巨乳までェーッ!! 永久にィーッ!! そだたへんーッ!! ことかァーッ!?)


 文字通りの意味で苦しまぎれだったイサオの推察は、素粒子サイズの図星を正確についていた。

 伏線があったとはいえ、恐るべき直感力である。

 ユイの『美氣功びきこう』は、つい最近あみ出したばかりの、ユイオリジナルの氣功術である。

 イジメから助けてくれた津島寺豊継トヨツグと再会した時のために。

 しかし、時間制限がある上に、反動も大きいので、その場に倒れた。むろん、豊継トヨツグが自分のことを覚えてくれなかった精神的ショックも甚大だった。


(……どう、して、思い、出して、くれ、なかった、の? あの時、とは、別人、の、よう、に、美、しく、見せた、のに……)

(――別人ンーっ!! にしかァーッ!! 見えへんンーッ!! かったんンーッ!! やろォーッ!!)


 もっともなイサオの返答に、ユイは詰まり気味の言葉をさらに詰まらせるが、それでも事情の説明を続ける。むろん、台詞では壮絶にテンポが――以下略。

 『美氣功びきこう』の存在を知ったアイユイ有芽ユメは、その会得を鬼気迫る勢いで聞き出して来た。そして、会得の代償を知った結果、あの狂態と化したのである。

 超絶の美貌かっ!!

 豊満な乳房ムネかっ!!

 究極の二者択一に、アイリン有芽ユメは、塗炭の苦しみを味わっているのだった。


「――あ、止んだ」


 ――事に、勇吾ユウゴが気づくと、イサオに続いて立ち上がり、三人の女子を見やる。

 やっと落ち着いた三人であったが、両眼はビー玉と化し、表情は闘病生活を終えた患者よりも憔悴しょうすいし切っている。そして、ついに力尽きたのか、背中合わせで同時にへたり込む。

 自身のムネに両手を当てて。

 ビー玉な両眼がそれを見下ろしている。


「……どうしたら、いいの……」

「……よりによって、この発育期に……」

「……猶予は、ニャいニャ……」


 こぼした声もやつれ果てている。


「――別に悩むことあらへんやろ」


 その三人の女子に、イサオが語りかける。


「――どの道おまいらにそこまで育たへんのや。オトコよりもムネがない時点で。せやからここは素直に浜崎寺はんの『美氣功びきこう』をと――」




「……うーん、どうしたらいいのかなァ?」


 陸上防衛高等学校の保健室で、アイは背もたれのない円形の椅子に座ったまま腕を組む。


「……あの、説明、じゃ、対策、の、立て、よう、が、ない……」


 ユイアイと同じ姿勢で苦慮する。


「――その前に足りない隊員メンバーの勧誘もしないとね――」


 それはリンも同様であった。

 三人の女子生徒たちは、今回の兵科合同陸上演習に対して、可能な限りの最善策を、正三角形の輪を作って講じているのだが、いっこうにそれが思い浮かばず、首を捻りあっているのである。

 『三人寄れば文殊もんじゅの知恵』のことわざを疑いたくなるほどに。

 その足元の床にはイサオが無造作に転がっている。

 二十四時間死ぬ死ぬ詐欺者フルタイムデストリッカーさながらな状態で。

 三人の女子に対して『禁句タブー』を言った結果――否、末路である。

 その過程は、正しい意味での集団私刑フルボッコであった。

 ただし、その激しさは勇吾ユウゴユイが受けたイジメの比ではなかった。

 それは、一人で三人を集団私刑フルボッコした豊継トヨツグさえ遠く及ばない程であった。 

 その間、勇吾ユウゴは、名実ともに認め合ったばかりの友達が、『九割九分九厘殺し』される有様を至近で目撃したことで、極度の心的外傷後ストレス障害PTSDわずらい、こちらもベトナムからの帰還兵さながらな状態で保健室の隅っこにうずくまっている。

 無頓着な一面が大きい糸目の少年でも、常人とズレた感性と感覚で受け流すには、さすがに無理があり過ぎた。

 津島寺兄弟やユイとは二桁の次元レベル差があっては、さもありなんである。

 イサオの『鉄ヲタ』様式モードに匹敵するといっても過言ではなかった。

 とりあえず、体力スタミナ切れのおかげで、『殺人未遂』のラインは辛うじて越えなかった三人の女子は、激しく乱れた呼吸を整えるまで無言であった。しかし、それが原因なのか、目の前に突きつけられた『究極の二者択一』の現実をチラ見した瞬間、一度目を上回る絶叫――さえ超えた発狂が再開された。そして、今度は三人を落ちかせようとしたユイが『餌食』にされる番となった。三人の女子からすれば、胸囲的には『同志』であるはずのユイが、とても重要な代償を払う必要のある『美氣功びきこう』を独自に開発・会得・使用した行為は、『裏切り』以外の何者でもなかった。リンアイはありとあらゆる手段でユイを自分たちと同じ心理的境遇に『洗脳』した。五円玉もどきのコインを使った催眠や、ゲシュタルト崩壊さながらな囁きの暗示。果てはエスパーダ状の記憶操作装置まで駆使して、当人の意思を無視して無理やり『同志』に加えた。

 この過程も目撃した勇吾ユウゴが、すでに患っている心的外傷後ストレス障害PTSDが、さらに重篤化したのは、言うまでもない。

 だがそのあと、その記憶操作装置で、自分たちの眼前に突きつけられた『究極の二者択一』を、脳内記憶から消去してしまえば極楽になれる事を思いついたアイは、『洗脳』と同様、半瞬も迷うことなく真っ先に実行し、リンもその後にピッタリと続いた。有芽ユメも続かなかったのは、二度目の発狂後、ユイを『餌食』にする前に、保健室の窓から校舎の外へ飛び出して以降の消息が途絶えたからである。幸い、窓は開いていた上に一階なので、死亡の心配はなかった。その証拠に、窓からダイブした花壇に、ダンプで轢かれたカエルみたいな人型の痕跡が、ネコミミつきで残っていた。少なくても、その時点での生存は確かであった。

 とはいえ、それに気づいたのは、三人とも、記憶操作処置を、自他問わず施したあとであった。

 当然、有芽ユメが消息を絶った経緯いきさつなど記憶しているわけもなく、


「……有芽ユメったらこんな大事な時にどこへ飛び出して行ったのよ。それも窓から。ネコとたわむれたいのなら打開策を出してからにして欲しいわ」


 アイが憤慨の表情で不満と愚痴を交互にこぼした。

 『想い出きおくは命よりも大切なモノ』だとして、記憶操作の行為を頑なに否定した人物とはとても見えなかった。

 それを間接的にうながした勇吾ユウゴから見れば、もはや別人にしか見えず、ひたすら保健室の隅っこで震えている。


(……ボクの知ってるアイちゃんじゃない……)


 の一心で……。

 あの二者択一をせまられただけで、あそこまで狂いまくる女子のサガに、男子の勇吾ユウゴは、だだただ恐怖するしかなかった。


「――どうしたの、ユウちゃん?」


 幼馴染の異変に気づいたアイが、尋ねてから立ち上がると、足元に転がっているイサオを、認識や自覚もなく踏みつけたり蹴飛ばしたりしながら近づく。むろん、近づかれた勇吾ユウゴは、無反応ノーリアクションに徹するしか、選択の余地がなかった。下手な反応リアクションは、イサオユイがたどった末路のどちらか、あるいはその両方を強制的に辿らせられるのが、火を見るよりも明らかだった。三人目の『餌食』にされたくない以上、一択しかないそれを選択するしがなかった。

 無反応ノーリアクションの幼馴染に、不審に思ったアイは、


「――もしかして、誰かにイジメられたのっ!?」


 という疑惑が急浮上した途端、

「~~あの士族女子三人組がやったのねェ~~」


 なんの根拠もない――わけではないが、少なくても証拠はないのに、決めつける。


「~~許せないィ~~。いつやったのかわからないけど、アタシのユウちゃんをこ、性懲りもなくここまでするなんてェ~~。今度ばかりは絶対に許さないわっ!」


 ここまでしたのは、間接的とはいえ、アイなのだが、むろん、そんな自覚など、仮にセルフ記憶操作してなくても、あるわけがなく、お門違いな憤怒に駆られる。そして、腰のホルスターから光線銃レイ・ガンを抜くと、報復の対象を捜索すべく、保健室を出ようとつま先を向けたそのドアに、


「――飛んで火にいる夏の虫っ!」


 ――のように現れた入室者に発砲した。


「くたばれっ! 悪邪鬼女アクジャキジョ三人衆っ!」


 逡巡も戸惑いも迷いもなく、三連射で。

 だが、その弾光はどれも相手に命中しなかった。

 躱されたのではない。

 逸れただけである。

 幸いにも。


「――ほうホウほう。さっそく将来国防軍最高司令官となる逸材の力量を試しにかかったか」


 おまけに人違いでなので、なおさらだった。


「――さすが、精鋭のつわものどもがそろった最強の部隊チームだ。優秀で有能な吾輩わがはい隊長リーダーとして率いるに、これほどふさわしい部隊チームはない。苦労して探しまわった甲斐があったというものだ」


 被弾しなかったその男子生徒は、アイの不意撃ちに対して微塵も動じず、むしろ尊大な態度と満足げな口調で独語する。そのあと、出入口で止めていた足をふたたび動かし、一同の注目を浴びながら保健室の奥へと踏み入れる。そして、有芽ユメがダイブした窓の前で立ち止まると、おもむろに踵を返し、室内にいる一同を見わたす。

 尊大な態度は終始崩さずに。


「――ではさっそく今回の兵科合同陸上演習の対策ミーティングに入る。諸君、決して聞き漏らぬよう――」

「ちょチョちょ! 待ちなさい待ちなさいっ!」


 リンが制止の声を入れて中断させる。


「――なに部外者がいきなり他所よそのミーティングを始めるのよっ!?」


 続けて、不満の声を上げる。

 草食系とも野生的とも言えぬイケメンの侵入者に。

 なんとなく残念系な気が、リンはする。


「――ん?」


 その侵入者はきょとんとした表情でリンと正対する。

 右寄りの六四分けで整えた髪を揺らして。


「――おお、そういえば名乗ってなかったな。吾輩わがはいの名は蓬莱院ほうらいんキヨシ。将来国防軍最高司令官となる輜重しちょう兵科一年の逸材だ。その吾輩がこの部隊チーム隊長リーダーに就任した以上、ジンクスに関係なく、学年一位トップは取れたも同然。あとはミーティングで細部を詰めればそれが確実となる。――では、まず最初に各隊員メンバーの役割を発表――」

「――だから待ちなさいって言ってるでしょっ!!」


 リンが再度制止の声を上げる。

 表情も口調も苛立ちが募っている。

 だが、蓬莱院ほうらいんキヨシと名乗った男子生徒の苛立ちは、それよりも更に募っていた。


「~~なんだね、いったい? 吾輩の名なら名乗っただろう」

「――それが聞きたくて待ちなさいって言ったんじゃないわよっ!」

「――安心しろ。保健室のあちこちでなぜか死にかけている負傷者たちなら、吾輩と同じ兵科の犬飼いぬかい釧都クントが復氣功で治療済みだ」

「……はァ~ッ、生き返ったわァ~ッ。文字通りの意味で」

「……僕もです」


 治療を受けたイサオ勇吾ユウゴはセリフ通りの意味で状態を表していた。

 ただ、復氣功に心的外傷後ストレス障害PTSDを治す効果までは無いはずなのだが。


「――でも、あと一人が治らないワン。瀕死の状態から全然回復しないワン」


 二人の治療を施した大柄な少年が、最後の一人に取り掛かりながら蓬莱院キヨシに告げる。

 人語が喋れるようになった犬でもないのに、なぜか『ワン』づけの語尾で……。

 その図体は無理やり二足直立した大型犬さながらに背が高く、肩幅も広かった。

 津島寺兄弟のビックバージョンと言っても差し支えなかった。

 リンとの論争中に、その論争相手の蓬莱院ほうらいんキヨシに続いて入室した男子生徒である。

 保健室のドアに収まらない程の巨躯なのに、リンアイは気づかなかった。

 蓬莱院ほうらいんキヨシがその男子生徒の名を呼ぶまで。


「――気にするな。そこの浜崎寺ユイという女子はそれが平常デフォだそうだ。そんな状態でも吾輩の言葉が耳に入る。だから貴殿も治療を切り上げて傾聴してくれ」

「――わかったワン」

「――うむ。それでは、まず小野寺勇吾ユウゴだが、貴殿には――」

「~~待てって言ってんでしょうがァッ!!」


 リンの苛立ちは頂点に達する。


「~~なんだね、いったいっ!? イチイチ吾輩の説明はなしの腰を折ってっ! 観静君が訊きたかった答えなら全部答えたではないかっ!」


 それは相手も同様であった。


「全部訊きたかった答えじゃないからイチイチ説明はなしの腰を折ってるのよっ!」


 歯車がかみ合わない――というより、歯のない車みたいなカラカラ会話に、リンはうんざりすら覚え始める。

 だが相手もそれを覚え始める。


「――では先にそれを言いたまえっ! 観静君がさっさとそうしないから、的外れな答えで時間と尺を浪費してしまったではないかっ!」

「アンタがアタシよりも先に的外れな答えを勝手に出し続けて生じた浪費でしょうがァッ!!」


 と、リンは力の限り叫び返したかったが、これ以上の反論や抗弁は、それこそ時間と尺の浪費でしかないので、ここは全力で我慢して相手の催促に応える。


「~~なに部外者がいきなり他所よそのミーティングを始めてるのよっ!」


 リンは一字一句間違いなく最初の質問を繰り返す。

 ただし、口調は苛立ちのマグマでえくり返っていたが。

 それに対して、蓬莱院キヨシは、


「――それならすでにキチンと答えたではないか。今までなにを聞いていたのだ? エスパーダの使い過ぎで若年性健忘症わかボケになったとしか思えない愚問だぞ。だいじょうぶか、君の脳は? 君と超心理工学メタ・サイコロジニクスの生みの親が、そんな娘の状態を知ったらさぞ悲しむだろうに。愚かな真似を……」


 眉をひそめて問い返す。

 心底心配そうな表情で。


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」


 問い返されたリンは、頭部の全血管が破裂しかねないもどかしさと腹立たしさに苦悶し、ふたたび発狂の絶叫を上げる。

 ――寸前、


「――リンさんは蓬莱院ほうらいんさんの部隊チーム加入と隊長リーダー就任に納得してないみたいです。僕たちの」


 勇吾ユウゴリンの言いたいことを的確に代弁してくれたので、間半髪の差でまぬがれた。


「――でも、まったくの部外者ではないと思いますよ。蓬莱院ほうらいんと言う名字と称号の組み合わせと言えば、遺失技術ロストテクノロジー再現研究所に所属している超心理工学メタ・サイコロジニクス専門の科学者さんと同じです。つまり、蓬莱院ほうらいんキヨシさんは、蓬莱院ほうらいん良樹ヨシキさんの弟さんではないですか?」


 続けて述べた勇吾ユウゴの指摘に、


『……あ……』


 他の一同は今更ながらに気づく。


「――だから蓬莱院キヨシさんは僕たちの事を知ってるんですよ。僕たちのところへ来てくれたのも、その縁だと思います」

「――うむ。良樹ヨシキあにの言っていた通りの人物で安心したぞ。小野寺勇吾ユウゴ


 キヨシ鷹揚おうようにうなずく。


「……そう言えばどことなく似てるわね。自意識過剰でエラそうなところが」

「……せやな。ちと細部がちゃうみたいやけど」


 アイイサオがそれぞれの口に平手を添えてヒソヒソと交わす。


「……蓬莱院、さん、に、弟、が、いた、のは、知らな、かった……」

「――今までこの陸上防衛高等学校に在学していたこともね」


 ユイの感想に、リンがつけ加える。輜重しちょう兵科生徒の戦闘力では、武術トーナメントに出場しても惨敗は必死だろうし、そもそも輜重しちょう兵科自体、裏方的な業務が中心の非戦闘員なので、目立たなくて当然である。だが、それを言ったら工兵科もほぼ同様である。事実、リンも武術トーナメントには出場しなかった。憲兵MP科なら、軍規に違反した兵士の抵抗に対抗するために、ある程度の戦闘力は求められるので、そこそこの結果は残せるが。


「――でも知ってよかったワン。ぼくも嬉しいワン」


 犬飼いぬかい釧都クントが喜びの声を上げる。

 尻尾があれば最高速に設定したメトロノームばりの速度スピードで振ってそうである。


「……でもアンタは知らないわよ。ねェ、みんな」

『うん』


 キヨシ以外の一同は、リンの同意に首を揃えてうなずく。


 ガーン


 犬飼いぬかい釧都クントはショックを受ける。

 超絶美少女様式モード時のユイみたいに、効果音として声には出さなかったが、それでも幻聴として聴こえそうな大きさである。


「――第一、おまい、どないに見たって純正の人間やのに、なんで犬の吠え声を語尾にするんや? 猫田ならまだしも、人語が喋れるようになったホンマもんの犬やあらへんのに」


 イサオが理解不能としか言いようのない表情で首をひねる。ネガティブなイサオの様子を、犬の嗅覚なみに感じ取った釧都クントは、


「……だってぼく、犬が大好きでしかたないんだワン……」


 しょげた大型犬のようにうなだれる。


「……そないに犬が好きなんか?」


「――ワンッ! 将来『犬』になりたいワンッ! それだけ好きなんだワンッ!」


「……誤解しか招かへん志望やで……」


 つぶやくように伝えたイサオの感想と表情は、沈痛と苦渋に塗れていた。


「……イサオの言う通りよ」


 リンが心配そうな表情でそれに続く。


「――生物学的に考えても、『人間』が『犬』なんかになれる……」


 ……気がするのはなぜ……?


 ……消え入りそうにセリフを中断したリンの胸中に、疑問の嵐が吹き荒れる。

 しかし、ふと視界の一角に映った将来専業主夫志望者の姿を認めた瞬間、ピタリと止む。

 ウソのように。

 意識の有無に関係なく、リンはこれも認めたのだ。

 双方の志望を天秤にかけても、平行に等しい確率である真実に。

 むろん、コンマの後に続く『0《ゼロ》』の数は計り知れないが。


(……認めたくなかった……)


 兆害あっても、一利も一厘もない真実など……。


「――どうやら全員納得したようだな、では、ミーティングを再開――」

「しないでっ!」


 キヨシの言葉を聞いて、現実に意識を戻したリンは三度制止させる。


「アタシはまだ納得してないわよっ! アンタがアタシたちの部隊チーム隊長リーダーになることを。隊員メンバーとしてなら、犬飼いぬかい|くんと同様、入れてあげるわ。ちょうどその枠は空白だったから、渡りに船だけど」

「――フッ」


 だがキヨシは、リンの提案を鼻で笑う。

 あからさまなまでに。


 カチン


 当然、リンは頭に来る。


「~~なにがおかしいのよォ?」


 激情を必死におさえて、リンは問う。


「――観静君のあまりにも低い見識にだ。超心理工学メタ・サイコロジニクスの生みの親の娘とはいえ、しょせん、軍事的な才覚はそれ相応ではないようだな」

「~~それじゃ、アンタの軍事的な見識を拝聴させてもらえないかしらァ~ッ」


 高震度で震わせたリンの要求に、


「――うむ。それでは、観静君の要望に応えるべく、その一端を披露しよう」


 キヨシは当然とばかりにうなずく。


「――と言いたいところだか、その前にひとつ確認しておきたい。貴殿らはどの兵科が隊長リーダーに最適だと思うかね?」


 その質問に、一同は意表を突かれた表情を交わし合う。


「……そ、それは、当然、歩兵科じゃ……」


 アイが恐る恐ると答えるが、


「ないっ! 全然っ!」


 キヨシが激しくかぶりを振って否定する。

 心なしか、テンションを変えて。


「――前線で戦いながら部隊を指揮するなど、並列処理能力者マルチタスクラーでもない限り、まったくの不可能っ! あまりにもナッシングで非現実的だっ!」

「――せやならなんや?」


 憲兵MP科のイサオが問いかける。とは言っても、自身が隊長リーダーに最適な兵科だとは思わないし、それは最初に問いかけた工兵科のリンも同意見――

 ――である以上、考えられるのは、


輜重しちょう兵科っ!」


 しかなかった。

 消去法的に考えて……。


「……なんでや?」


 首を傾げたイサオたちも、当然のことながら、その理由を知りたがる。


「――やはりわからぬか。では教えてしんぜよう」


 キヨシは得々と語り始める。


「――一周目時代の地表には、『アメリカ合衆国』という、世界最強の軍事大国が、世界の警察と称して君臨していた。兄からその存在を知った吾輩は、その国軍を詳しく調べた結果、軍における最高司令官というべき地位の歴代就任者のほとんどが、輜重しちょう兵科の出身者であった事実が判明したのだっ! なぜなのかっ!? それは、自軍の状態把握なら最も適した兵科だからだっ!」


 徐々に上がるキヨシのテンションに、一同は息をのむ思いで聞き入る。


「――知っての通り、輜重しちょう兵科は『兵站へいたん』を担う後方支援に特化した兵科だっ! つまり、自軍の状態を落ち着いて把握することが可能なボジションであり、その経験を多く積める職務なのだっ! 自軍の状態を把握していれば、なにができて、なにができないか、手に取るようにわかるからな」

「――なんだか体調管理みたいな職務ですね、最高司令官って」


 勇吾ユウゴの感想に、キヨシは調子に乗った笑顔を浮かべる。


「――いいたとえだ。個人なら造作もないが、集団となると、その規模に比例して難易度が上がる。前線の敵打倒を優先する傾向の強い歩兵科に、このような体調管理はどだい無理。そんな歩兵科に最高司令官の職務を任せてみろ。風邪を引いた状態なのに、その自覚もなく普通に戦闘させる事態が頻発するっ! それでは勝てるいくさも勝てんっ! 少なくても輜重しちょう兵科よりはな」

「……………………」

「――だから吾輩は輜重しちょう兵科志望で入学したのだ。その認識がとぼしい士族や平民の入学志願者は、こぞって歩兵科を志望するものだから、倍率がどの兵科よりも低くて、華族の吾輩でもあっさり合格した。この調子で成績と実績を重ねれば、念願の第二日本国国防軍最高司令官も夢ではない。だから吾輩はそれが容易なこの部隊チーム隊長リーダーに就任したのだからな。それでは、これからミーティングを始め――」

「――待って……」


 リンが何度目なのかすらわからない制止の声を、げんなりとした表情と口調で上げる。


「……たしかに、アンタの軍事的な見識は見事だわ。それは否定しない。でもだからってアンタに隊長リーダーが務まるかどうかは別問題よ」

「――ほう。なら務まるというわけか。貴殿らのだれかなら。ではさっそくテストして見よう」

「え?」

「目の前に敵が現れたっ! さァ、どうするっ! はい、小野寺!」

「逃げます」

「はい、鈴村!」

「えっ、エェッ?!」

「はい、観静!」

「ちょ、待っ――」

「はい、龍堂寺!」

「なっ、何いき――」

「はい、浜崎寺」

「…………」

「はい、犬飼」

「ワン」

「はい、終了~っ!」


 キヨシはハイテンションな声で次々と問いかけた後、それを告げる。


「――予想通りのダメっぷりだな。合格者が小野寺だけでは、話にならん」


 しかも上から目線で頭を振る。


「――でも、僕は蓬莱院さんに隊長リーダーを務めてほしいのですが」

「――うむ。さすが武術トーナメント優勝者。吾輩が言ったことをキチンと理解した上での推薦に、心底感服したぞ」


 キヨシの表情と声に感銘を受けた驚きが浮かび上がる。


「――では――」

「待・っ・て……」

「……………………」


 キヨシは無言で問いただす。


「何を」


 かを。


「……そのテストのどこに隊長リーダーの適性がわかるっていうのよ?」

「――むろん、敵と遭遇した時の対処をだ。軍事行動において最悪な事態なのはそれだからな。小野寺は最初にそれを吾輩から迫られたにも関わらず、満点に近い合格を出した。それも、最初ゆえに、誰よりも猶予がない状況で」

「――けど、その状況が、それ以外全然わからないんじゃ、その判断が正しいかどうかなんてわかるわけが――」

「そンなもンどうデもエえンじャぁ~~~~~~~~~~~~イっ!!」


 キヨシが音程の振り幅が激しい絶叫をリンの眼前で張り上げる。

 身を乗り出して。


「……なんか、ヘンなスイッチが入ったみたい……」


 アイが幼馴染の背後に隠れてつぶやく。

 声や表情もドン引きに満ちている。

 無認識なまでに平然と突っ立っている勇吾ユウゴとは対照的に。

 元々テンションと情緒が不安定な傾向が強いキヨシであったが、ここまで不安定だと、関わりたく気持ちで満腹であった。


「一番重要なのはどんな状況でも咄嗟とっさの判断や行動ができる、その『咄嗟とっさ』なんじゃァ~~~~ッ! それも、状況の『把握』ではなく、『対処』をォッ! そんな悠長なことしとったら、たちまち敵の餌食になるゥッ! ならとっとと状況に対処した方がはるかにマシなんじゃっ! たとえ対処の内容が間違っておってもォッ! 即断即決即行即応そくだんそっけつそっこうそくおうゥッ! 『兵は拙速せっそくたっとぶ』んジゃァ~~~~いっ!」

「――『神速』ではなくて?」

「――そうとも言い換えられる。だからどちらも間違ってはないぞ、小野寺」


 キヨシは落ち着いたテンションでうなずく。

 スイッチをOFF《オフ》に戻したように。


「……た、たしかに、アンタの言う通りだわ……」


 水で濡らしたタオルを寝床ベットの柵に引っかけて、リンはしぶしぶと言いたげな表情と口調で認める。

 キヨシが眼前で張り上げてくれたおかげて、リンの顔面に絶叫者が飛ばしたツバの飛沫をモロに浴びたのだ。

 寝床ベットの柵に引っかけたタオルは、それを拭き取るのに使ったのである。

 念入りだったので、せっかくの美貌がおたふく風邪のように赤く腫れあがっている。


「……それで言えば、アタシたちに隊長リーダーは務まらないね」

「――うむ。ようやく理解したか。重畳ちょうじょうなことでなによりだ」

「――だったら、こっちも試させてもらうわっ! アンタに隊長リーダーが務まるかどうかをっ!」


 リンの挑戦じみた宣言に、キヨシはあらためて正対する。

 態度は相変わら尊大で不遜だが。


「――いいだろう。で、どのようにだ?」

「――さっきアンタがアタシたちに試したテストよっ!」

「――ほほう。アレか。別に構わんぞ、吾輩は」

「――ただし、一問でなく、六問。それも、さっきと同じテンポで問い続けるわ」

「――いいぞォ。それでも」

「――そして、六問の答えはすべて一字一句ちがう内容で答えること。いくら間違えてもいいからって、全問同じ回答じゃ、試す意味がないからね」

「――OKOK。あとは?」

「――ないわ。それじゃ、いくわよ」

『……………………』


 両者の対決に、他の一同は思わず固唾かたずをのむ。

 両者の間に張られた緊張感にのまれて。

 さながら、西部劇の早撃ち対決である。

 そして、柵に引っかけたタオルから落ちた一滴のしずくが、目に見えない波紋を床に広げた――

 ――次の瞬間――

 リンが口を開いた!


「敵が後方うしろに現れたっ! どうする!?」

「逃げる!」

「しかし回り込まれた!?」

「それでも逃げる!」

「味方がやられた!?」

「見捨てる!」

「崖に追い込まれた!?」

「ダイブする!」

「2《に》たす2《に》は!?」

「4《よん》!」

「3《さん》たす1《いち》は!?」

「4《フォ》ォーッ!!」


 キヨシは答える都度ボーズを変えて答え続けた。

 この場にいない有芽ユメが、武術トーナメント一回戦で見せた光線槍レイ・スピアの刺突連打を回避し続けたようなそれである。

 即答に一瞬の逡巡もなかった。


『……………………』


 保健室に静寂に等しい沈黙が降りる。


「――この勝負。吾輩の勝ち――」


 それを破ったキヨシは、最後に取ったポーズを直立に正すと、


「――だな」


 覗き込むようにリンに勝敗の確認を求める。

 むろん、表情は言わずもがなである。


「……くっ」


 リンは両膝と両手の順で床につく。

 キヨシとは対照に、心底悔しい表情だった。


「~~自信、あったのにィ~~」


 絞り出すように漏らした声も、それにふさわしかった。


「――ハーッはっはッハっハッ。残念だったなァ」


 キヨシ保健室ここの女子たちよりも少しある胸をそらして高笑いする。


「――感情に任せて出した六連続問いにしてはずいぶんと凝った内容だ。間違えたら誰にでも判断ミスがわかる問いを、調子ノリ最高潮マックスになる後半で出して来た上に、異なる問いで同じ答えになる構成で攻めるとは。吾輩以外の者ならまず引っかかっていただろう」


 そして、それが終わると、


「――でもザンネンでチたァ。こんなヒヨコすらひっかからない罠にかかるほど、ボクチンはパンケーキみたいに甘くはありまチぇェん。だからいっぱい悔チ涙出チていいよォ。ボクチンなんかに負けて、ホント、かわいチョう、オオ、ヨチヨチィ」


 うなだれるリンの横顔に近づけて、思う存分おちょくりまくる。

 ドヤ顔とバカにした顔を、超絶な技量で調合ブレンドした表情と赤ちゃん言葉で。


「……………………」


 ショートカットの髪をキヨシに空撫でされたリンは、激怒する気力はおろか、ぐうの音すらなかった。

 完膚なきに打ちのめされては。

 まさに完敗であった。


『……………………』


 一同はかける言葉もなく沈黙を続けている。

 下手ななぐさめは追い打ちにしかならないと悟って。

 キヨシが意図的に下手ななぐさめをしてくれたおかげで、完全に不可能となった。

 上手ななぐさめすらも。


「――みんニャ~ッ! ここにいたニャ~ッ!」


 それを破ったのは猫田有芽ユメであった。

 一同は声の上がった方角に視線を向ける。

 ――と、


「――キャッ!」

「――どっ、どないしたんやっ!? おまいっ!」


 アイキヨシが悲鳴と驚きの声を上げる。

 保健室の出入口に現れた有芽ユメの額がアザで腫れあがっているそれを見て。

 それを視認した勇吾ユウゴだけが、無言で糸目の視線をそらす。

 半瞬にして悟ったからである。

 物理的な手段で『究極の二者択一』の記憶を強引に消去した、その結果であることを……。


「――大変だワンっ! すぐに治療しないといけないワンっ!」


 犬飼いぬかい釧都クントが慌てて有芽ユメの額に手を当てる。


「――あっ!? クンたんっ! 保健室ここにいたんだニャッ! 捜したニャッ!」


 復氣功の治療を受けながら、有芽ユメは傷が完治した顔に満面の笑みを浮かべて歓喜する。


「――ボクもだワンッ! やっとユメたんと会えて嬉しいワンッ! 保健室ここにいると聞いて来たのに、見つからなくて心配したワン」


 釧都クント有芽ユメの顔を嘗めまわしかねない勢いでその周りを回るようにまとわりつく。


「――有芽ユメちゃん、もしかして知り合いなの? この輜重しちょう兵科の大柄な男子生徒と」


「――そうだよ、アイたん。アタイの彼氏ニャ」


 ピタッ!


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』


 時が止まったような沈黙が、不意打ちのごとく再度保健室に到来する。

 有芽ユメの返答に、誰よりも真っ先に自分の耳を疑ったからである。

 その事実を知らない一同が。

 そして、


『えええええええええええええええェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!』


 驚愕の絶叫に取って代わる。


「ウソやろォツ?! それっ!?」

「なんでアンタみたいなキワモノキャラに彼氏なんてできるのよっ!?」

「そうよっ! アタシでさえ幼馴染の関係からランクアップできずに苦労しているっていうのにっ!」


 それが収まると、激しい疑問に駆られるが、


「――そうだったんですか。よかったですね。猫田さん。とてもやさしそうな男子ひとと彼氏になれて」

「――犬派と猫派は相性がいいという通説が、一周目時代からあるが、どうやら真実のようだな。兄の言った通り。どうりで犬飼もこの部隊に入りたかったわけだ」

「…………………………………………………………………………………………………………」


 それは半数であり、残りの半数はいたって平常運転であった。

 驚愕はしたものの、それは一瞬しか続かなかったので。


「いったいどんな経緯いきさつで結ばれたのよっ!?」

「ええから教えいっ! その結ばれ方をォッ!? 気になってしゃーないわっ!」

「ランクアップの参考にさせてもらうわっ!」


 一方、異常運転中の半数はこぞって有芽と釧都クントと馴れ初め話に食いつく。

 捕食中の肉食獣さながらな激しさで。

 むろん、驚愕の衝撃からまったく立ち直ってない。


「~~そんニャに知りたいのォ~ッ。運命の赤い糸で結ばれたアタイたちの恋バニャをォ~ッ」


 有芽ユメはマタタビに酔った猫よろしくな笑顔と仕草で、妖艶とは無縁の不似合いな色っぽさを醸し出すが、有芽ユメでなければヤクでラリッているとしかたとえようがないところである。


「――なら教えるワン。ボクとユイたんの出会いを」


 ――それは、先月まで続いていた夏休みのある日であった。

 一ヶ月に及ぶ学業面での負担から開放された有芽ユメは、それで空いた時間を超常特区中のベットショップ来店コンプリートに注ぎ込んだ。むろん、猫好きなのに、その猫に嫌われているという、最悪な謎相性はまったく解消されてないので、有芽ユメが来店したペットショップは、拷問中の拷問室さながらな阿鼻叫喚の地獄絵図が展開された。その結果、閉店に追い込まれたペットショップが続発したほどである。有芽ユメは無数のひっかき傷から血を流しながらも、その都度復氣功で治して続行――もとい、強行した。そして、この事態を危惧したペットショップ協会からの通達が間一髪間に合わず、来店を許してしまったそのペットショップで、有芽ユメはついに出会ったのだ。

 犬好きなのに、その犬に嫌われているとしか思えない噛み傷と血だらけな巨躯の男子と。

 奇しくも、同じ学校の異なる兵科に在学していた。


「――それが――」

「――おい、蓬莱院弟。はよミーティングを始めろや」

「――今回の兵科合同陸上演習で好成績を残すには、隊長リーダーとしてのあなたの力量が不可欠だわ」

「――お願い、ユウちゃんやアタシたちを勝たせて」

「ニャぜそこで傾聴を中断するゥッ?!」


 有芽ユメは理解不能な叫び声を上げて問いただすが、


「やかましいィッ!! ワイらはそないな血染めの赤い糸で結ばれた恋バナを最後まで聞いたるほど時間と寿命があり余ってないんやァッ!! ホンマ、時間と寿命のムダ遣いやったでっ! 返せやっ! ワイらの寿命と時間っ!」

「まったくよっ! おかげで赤い糸のイメージが素粒子レベルで粉砕されちゃったじゃないっ! どうしてくれるのよっ! このイメージっ! 記憶操作でもしない限りぬぐいようがないわっ!」

「今は兵科合同陸上演習の対策を協議することが先決よっ! 四の五の言わずに黙って参加しなさいっ!」


 返った来たのは、文句と非難の叱咤の三連射であった。

 どれも例外なく怒声がこもっていた。


「――よくやってくれた、猫田有芽ユメ。貴殿のおかげで、吾輩の隊長リーダー就任に懐疑的だった一同がこぞって支持するようになった。一番の懸案事項だった問題を察知し、かつ、迅速な解決に導くとは、小野寺以上の才覚とファインプレーだったぞ」

「――犬飼さん。痛くなかったですか? そんなに犬に噛まれて。狂犬病を発症しなればいいのですが……」

「…………………………………………………………………………………………………………」


 残りの半数も完全に的外れな賞賛と心配と無言であった。


『…………………………………………………………………………………………………………』


 ――こうして、血染めの赤い糸で結ばれた猫派と犬派のカップルは、欲して止まない反応リアクションを、誰からも得られることなく、一週間後に控えた兵科合同陸上演習のミーティングが、蓬莱院キヨシ隊長リーダーの主導で開始されるのだった。

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