第7話 終章

 ――こうして、コラボ祭の開催前に起きた一連のテロ事件は、その前日の朝を迎えることなく終結した。

 首魁しゅかいとその片割れの二人は八子やご町の外への逃亡を許してしまったので、解決には至らなかったが、それ以外の構成員メンバーは残らず確保した。

 これにより、八子やご町のローカルテロ組織は完全に壊滅し、脅威を取り去ることに成功した地元の警察は、この事実を迅速かつ大々的に報道し、地元の住民や観光客が抱いているテロの恐怖の払拭に尽力した。結果、警察の発表を受けた地元の住民や観光客は、署長の安全宣言に心から安堵し、兼ねてより懸念されていたコラボ祭は、予定より一日遅れたものの、無事開催される運びとなった。

 小野寺一家、及び、龍堂寺イサオと観静リンは、ローカルテロ組織壊滅の最大の功労者として、安全宣言が終わったあと、アスネで全国民に感覚同調フィーリングリンク生放送されている人間カメラの前で、署長から感謝状を授与された。そして金一封も授与されたが、これは自警団としての活動にかかった費用――物体探知装置のテレ運運送費と、その機材の使用に消費した精神エネルギーの代金などが含まれていた。要は金一封の名を借りた経費の肩代わりである。そのため、金一封にしては破格なまでに多額であった。

 しかしそれは、小野寺家の敷地内にあるプレハブの再建費に、その全額が充てられる次第となった。

 勇次おっとの留守中に、事件解決の祝いと、夏祭りの出店に出す予定の料理や食べ物を、景子つまが作ろうとした結果である。

 野外実験場として公的な認可を得ていなければ、家屋火災として警察や消防が処理してしまうところであった。

 無論、『実験』である以上、火災保険は適用されないので、全焼したプレハブの再建や、屋内にあった調理機材の買いなおしは、全額自腹で賄わなければならなかった。


「…………………………………………………………………………………………………………」


 焼け崩れるプレハブの光景を目の当たりしたイサオは、呆然以外に取りようもない状態で、ひたすら立ち尽くしていた。

 その背後を、リンは横切ったが、イサオが目の当たりにしている光景には一顧だにすらしなかった。

 まるでこの事を確信のごとく予期していたかのように。

 いずれにしても、ローカルテロ組織の脅威におびえていた地元の住人が、小野寺家の敷地内で行われた『実験』に対して、関心や注意を払うことは、ついになかった。

 いつものことだと言わんばかりの反応リアクションである。

 すっかり慣らされている様子であった。

 それに対して、イサオは、


「……慣れてええんか? これ?」


 テロよりも深刻な疑問を、深刻にていするが、それに答えた地元の住人は、これもついに現れなかった。

 リンも含めて。

 ただ、黒煙が上がるそれを、なんの予備知識もなく見かけた観光客に対しては、『地元の名物です』と、最後まで目を合わすことなく答えていた様子を、イサオのちに目撃したが。

 それでも、景子ケイコは出店を出す準備を強行していたが、それはコラボ祭の運営スタップたちによって断念に追い込まれた。その一人であるアイの父親、権之助ごんのすけにして見れば、最悪、『血祭り』にされるところだった夏祭りを、『火祭り』にされては、元も子もなかった。ので、景子ケイコの意思を風の便りで知った瞬間、権之助ごんのすけの脳内に充満していた景子ケイコの巫女姿が跡形もなく吹き飛んだ。そして、意識を現実に引き戻すと、それに対処すべく、町長やコラボ祭の運営スタップの全員を急遽招集し、景子ケイコの翻意を、やっとの思いでうながすことに成功したのだ。

 邪馬台国の女王、卑弥呼に願いを請う下僕たちのごとく。

 無論、土下座で。

 コラボ祭の開催が予定より一日遅れになった原因は、この説得にかなりの時間を使ったからである。

 そして、この事実は観光客に対していっさい伝えてないので、コラボ祭の順延はテロ騒動の影響によるものだと、信じて疑わなかった。


「……テロよりも脅威だった……」


 このセリフは、卑弥呼に擬した景子ケイコを背に、なんとか説得に成功したアイの父親が、肩を並べて歩く町長に対して漏らした感想である。

 卑弥呼に擬された景子ケイコは最後まで腑に落ちなかったが。


「――なんにしても、よかったですね、勇吾ユウゴ

 勇次ユウジは小野寺家の玄関で草履ぞうりいている息子に言う。父子ふたりとも、紺を基調とした色の浴衣を身に着けている。むろん、今夜から開催されるコラボ祭に参加するためである。


「……うん……」


 草履を履き終えた勇吾ユウゴは、立ち上がってうなずくが、どこか浮かない表情であった。


「――どうしたのですか?」


 それを見て取った勇次ユウジは、穏やかな口調でその理由を息子にうながす。勇吾ユウゴは間を置いてから答えた。


「……もし、七年前、僕が誘拐犯から逃げる時、アイちゃんの手を取っていれば……」

「――辛い想い出が長く続くことはなかった――と、思っているのですね」


 勇次ユウジは息子の言いたいことを先取りする形で問い返す。


「……うん……」


 勇吾ユウゴは浮かない表情で繰り返し答える。


「――そうですね。たしかに、そうすれば、そんなことにはならかったでしょう」

「……………………」

「――でも同時に、勇吾ユウゴが自らの意志で勇気を持とうとは、しなかったかもしれません」

「――――――――」

「――いえ、もしかしたら、時間の問題だったかもしれません。いつか直面する事態であったかもしれませんし、直面しない可能性もあった。それを回避する手立てだってあったかもしれない。けど、仮にあったとしても、最後まで続けられるとは限りませんし、たとえ最後まで続けられたとしても、それが勇吾ほんにんアイさんのためになるのか。それなら、他にやりようがあったのでは。とはいえ、それがなんなのか、見当もつきませんし、第一、ある保証さえない。たとえ、見当がつけられたとしても――」

「……と、父さん。そんなことを言ったら――」

「――ええ、際限キリがありません」


 勇吾ユウゴの父親は穏やかに笑って見せる。

 振り向いた息子と同じ糸目の眼差しで。


「――だから、やめましょう。仮定の話は」

「……………………」

「――いくらそれを重ねて思い悩んでも、過去は決して変えられないのですから」

「……………………」

「――だから、変えることができる未来を、これからも変え続けて行きましょう。過去を教訓にして」

「……うん。そうだね」


 勇次ユウジの息子は静かにうなずく。

 父親そっくりの穏やかな笑みで。


「――ユウちゃんっ!」


 ――返した直後、玄関の引き戸が勢いよく開け放たれる。

 嬉しくてたまらない声と同時に。

 そこに現れたのは、勇吾ユウゴ自らの勇気ちからで未来を変えた、その証明と象徴の化身であった。

 ツーサイドアップの髪型にあどけない顔立ちの幼馴染――鈴村アイが、まさにそれである。

 身にまとっている桜模様の白い浴衣がまぶしく映る。

 コラボ祭で賑わう八子やご町の夜景を背景に。

 真昼よりも明るく、活気的であった。


「――アイちゃんっ!」


 勇吾ユウゴも幼馴染のそれに劣らぬ声で応えると、


「――行こっ!」

「――うんっ!」


 幼馴染アイが差し出した手を握って一緒に玄関を飛び出す。

 勇次ユウジに見送られて。


「――ホンマ、良かったで」


 それをサイドビューで眺めていたイサオが、一息をついたような表情と口調で言う。


「――ホント、そうよね」


 隣に並んでいるリンに。

 リンもまたイサオと同じ表情と口調で応じた。


「――アタシも誘ったことを失念するほどに大変だったからね」

「――そうそう。せやから、今回は堪忍せい。代わりにワイがつきあったるさかい、一緒に行こうや、コラボ祭に」

「――うーん、そうねェ……」


 リンは真剣な顔で考え込む。


「――なんで悩むねんっ?! 勇吾と愛あのふたりちごうて、ワイらの障害になるようなもんは――」

 ――まだ、残っていた。

 小野寺家の門の前に。

 むろん、リンイサオに対してではない。

 そこで立ちはだかるように佇んでいる一個の人影は、二人の幼馴染に対して向けらていた。

 アイがその人影を視認した瞬間――


「……杏里アンリ、ちゃん……」


 息が止まる思いで地元の友達の前で立ち止まる。

 とびっきりの笑顔が消失し、不安にとって代わる。

 同時に立ち止まった勇吾ユウゴも、表情を消して押し黙る。


「――ずいぶんと嬉しそうな笑顔カオね」

「……………………」

「――そんな笑顔カオ、アタシ、見たことがないわ。小野寺をイジメていた時でさえ、そんな笑顔カオはしなかった」

「…………………………………………」

「…………………………………………」


 両者の間に友好的とはいえない沈黙がわだかまる。

 だが、長くは続かなかった。


「――小野寺」


 杏里アンリは不意に士族の子弟を名字で呼ぶ。


「――はい」


 勇吾ユウゴは臆することなく、だが真剣な表情と口調で返事する。


「――なぜ、あの時、幼馴染よりも先にアタシを逃がしたの? そんなに大切な幼馴染なら、アタシよりも先に逃がすべきでしょ。必死な思いをしてまで助けに来たっていうのに」

「……………………」

「――どうしてなの? 教えて」

「……………………」


 勇吾ユウゴは沈黙するが、これも長くは続かなかった。


「――アイちゃんが怒ると思ったからです」

「――っ!」


 思わぬ返答に、杏里アンリは驚きに絶句する。


「――大切な友達を危地に残して、自分だけ先に安全な場所へ逃がされることを望むようなアイちゃんでは、決してありませんから」

『……………………』

「――そんなことをすれば、それこそ、今度こそ、絶交されてしまいます。僕は、それが、イヤだった……」

『…………………………………………』

「……ただ、それだけの、ことです……」


 勇吾ユウゴが言葉を切ると、両者の間にふたたび沈黙が降りる。

 だが、今度のそれは決して非友好的ではなかった。


『………………………………………………………………』


 しかし、今度の沈黙は長かった。

 永遠に続くのではないかと思えるほどに。

 それは、杏里アンリが無言で踵を返して去って行った後も続いた。


「――とりあえず、判断は保留、様子見、というところね」


 両者のやり取りを見守っていた勇吾ユウゴの母親が、あでやかな浴衣とボリュームのあるウェービーロングの髪をなびかせながら、無言で杏里アンリを見送った息子とその幼馴染に歩み寄って告げる。


「――よかったわね、アイちゃん。絶交されなくて」

「……うん」


 アイは笑みを浮かべてうなずく。三日前の夜、杏里アンリに土下座して歎願した時、絶交を覚悟していた。杏里アンリから見れば、絶対に許せない真実であった。土下座した頭を踏みつけられても仕方がないと思っていた。

 ……けど、


「――さ、行ってらっしゃい。待ちに待っていた夏祭り。思いっきり楽しみなさい」


 景子ケイコから背中を押された勇吾ユウゴアイは、『うんっ!』と声を揃えてうなずくと、ふたたび走り出す。

 手を取り合って。

 玄関で繋いでからずっと離さずに握っている手を。

 コラボ祭が開催された地元の町中の賑わいが、二人の幼馴染を待っている。

 勇吾ユウゴアイはそれを目指して一直線に向かう。


「――行きましたね」


 景子ケイコの隣に立ち止まった勇次ユウジが、妻と同様、安堵に似た表情で見送る。

 息子とその幼馴染の後姿を。

 妻に告げたその言葉も、それに準じていた。


「――一時は――いえ、七年前の時から、一体どうなるのか、不安で仕方なかったけど、これでもう大丈夫ね、あなた」

「――そうですね」


 夫は万感の想いを込めてうなずく。


「――ですが、訳ありな幼馴染になってしまいましたね」

「……そうね」


 うなずいた妻の表情に翳りが差す。


「――なにも、そこまで夫婦わたしたちに似なくてもいいのにねェ。いくら両親わたしたちの息子だからといって――」

「……そうですね」


 夫が口を閉ざすと、妻との間に、表現しがたい沈黙で覆われる。その間、リンイサオが、こちらの空気を読んでくれたのか、無言で門ごと通り過ぎ、勇吾ユウゴアイの後を追う。

 その後姿が消えても、いまだ続く沈黙。


「――景子ケイコ


 ――を、勇次ユウジが破った直後、


「してないからっ!」


 さえぎるように景子ケイコが叫ぶ。


「――後悔、してないから……」


 声を震わせて。


「……あなたと、結ばれたことを……」


 おびえた表情で。

 目は合わさず、うつむき加減になる。

 幼児さながらの頼りないそれは、とても勇猛果敢な士族には見えなかった。

 女性とはいえ。


「――わかっています」


 勇次ユウジは穏やかすぎる口調と笑顔で念を押す。

 妻の横顔を糸目で見ようとはせずに。


「――ただ、確認したかっただけです。人の心は、うつろうものですから。当人の意思に関係なく、どうしても」

「……そうね」


 景子ケイコは安堵の吐息をこぼす。

 勇次ユウジはようやく妻の横顔を見る。


「――申し訳ありません。景子あなたを疑うようなことを言ってしまって」


 夫の謝罪に、景子ケイコは首を横に振る。


「――気にしないで。確認したかったのは、わたしも同じだから」


 夫の糸目に自分のツリ目を合わせて。

 小野寺の姓を持つ夫妻は、しばらくの間、そのまま見つめ合う。

 そして、以心伝心のごとく、同時に視線を戻す。

 コラボ祭で賑わっている八子やご町の夜景を。

 いつの間にか取り合っていた小野寺夫妻の手に、包み込むような力がこもる。

 離したくない一心が、それに集約する。

 意識する必要も余地もない、自然を極めた自然さだった。。


                                 ――完――

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