第5話 ローカルテロ組織VS自警団

「……う、うーん……」


 杏里アンリは苦しげな寝声を立てながら、うっすらと両目を開く。

 混濁していた意識が、時間が経つにつれて、視界とともに鮮明になると、地面に横たわっていた身体の上半身を、湿った地面に両手をついて起こす。


「……ここは……?」


 そして、緩慢な動作で周囲を見回すと、陽月の薄明かりで照らされた闇夜の森林が、どこを向いても、どこまでも続いていた。


「……どうして、こんなところに……」


 ――自分がいるのか、杏里アンリは思い出そうとする。

 だが、なかなかうまくいかない。

 それもそのはずである。

 常に装着しているエスパーダが、右耳の裏にないのでは。

 そこに手をやったことで、杏里アンリは初めて気づく。

 背後に横たわっているもう一人の女子の存在に。

 ツーサイドアップの長髪を地面に寝かしたその後姿は、


「――アイちゃんっ!?」


 ――にしか見えなかった。

 杏里アンリは慌てて立ち上がろうとして、思いっきり前から倒れ込む。


「……くっ……」


 その衝撃で苦痛に半面を苦痛にゆがめる杏里アンリ

 それにより、これも初めて気づく。

 自分の両足が結束バンドで縛れていることに。


「――なんでこんなものがっ!」


 杏里アンリは苛立ちに逆毛だった表情と動作でそれに手を伸ばす。

 ――が、


「――おっ、気がついたか」


 背後から投げつけられた声で、その手が中途で止まる。


「――久しぶりだな、萩原」


 それも、聞き覚えのある声だった。


「……まさか……」


 杏里アンリは上体だけ起こした姿勢で背後を振り向く。

 その先にたたずむ人影も、見覚えがあった。


「……なんでアンタが、ここに……」


 杏里アンリの童顔が怒りと意外さをないまぜた表情に豹変する。


「――それはこっちのセリフだよ」


 その杏里アンリは杏里と同年代の少年であった。

 驕り高ぶった上から目線の表情や態度は、華族の子弟や子女によく見られる傾向であった。

 士族にも。

 その根源が、華族の場合、虎の威を借りた狐な身分の高さなら、士族のそれは己の強さを頼みにした武力ぶりき本願である。

 杏里アンリの目の前にいる少年は、その双方がバランスよく備わっていた。


「――まさかこんなところに移り住んでいたとはなァ。逃げるように金原かなはら村を去ったと思ったら――」

「だれのせいでこうなったと思ってるのよォッ!!」


 杏里アンリが怒りの叫びを放つ。この境遇に追いやった元凶の片割れに。


「――アタシたち家族に死ぬほどの仕打ちをしておきながら、他人ひと事のようにしゃあしゃあと言うなァッ!!」


 だが、その少年は平然と聞き流す。


「――当然の報いだろう。第二次幕末じゃ、なんの貢献も果たさなかった下劣で低能な平民が、士族の子弟たるオレに意見や注意をするからだ。お前の親どもが、生意気にも」

「――っ!」

「――だから思い知らせるために当然の報いを受けさせてやったんだ。てめェの親どもがしでかしたことを棚に上げて逆恨みするんじゃねェよ」


 士族の少年は傲慢に言い捨てる。


「――なのに、そんなオレを、警察は殺人の容疑で指名手配しやがったんだっ! この前まで、このオレに楯突いた生意気な平民の少女オンナをイジメ殺してやっただけなのに。ふざけんじゃねぇぞっ! なんでそれくらいのことで警察に追われなきゃならねぇんだよっ!」


 それこそ逆恨みな事も。


「――おかげで現在いまじゃ、八子町ここのローカルテロ組織にアゴで使われるハメになっちまったよ。それも、平民のリーダーになァ。ホント、超ムカつくぜっ!」


 それも当然の報いである。


「~~ああ、もういいやっ! こうなったらってやるぜっ! お前らをっ!」

「――っ?!」

「――あの生意気な平民は人質おまえらを見張ってろって、このオレに指図しやがったが、そんなものクソくらえだぜっ! やってらんねェからなっ! こんなことっ!」


 士族の少年はうなり声を上げながら猛然と杏里アンリに詰め寄る。


「……い、イヤ……」


 杏里アンリは恐怖にひきつった表情と口調で首を振る。そのため、結束バンドに関係なく、両脚に力が入らず、動かせない。縛られてない両の掌を、せまり来る士族の少年に対して振り動かすだけである。むろん、効果などなく、平民が率いるローカルテロ組織の末端構成員にまで落ちぶれた士族の少年は、その手を乱暴につかむ。

 ――前に倒れ込む。

 杏里アンリの目の前で、前のめりに。


「……え……?」


 なにが起こったのかわからず、杏里アンリは倒れ込んだ士族の少年の頭頂部を、こぼれる寸前だった涙目で見つめる。


「――大丈夫っ!?」


 安否の声が杏里アンリの鼓膜を鋭く突いたのは、その後であった。

 杏里アンリは声が聴こえた方角に顔と視線を上げると、一人の少年が立っていた。

 倒れた少年の背後に。

 こちらも、見覚えのある上に、倒れた少年と同じ身分の子弟である。

 ただし、その顔は傲慢と無縁な糸目のそれであった。

 それを視認した杏里アンリは、


「――小野寺勇吾ユウゴっ!?」


 と、思わず声を上げる。


「――みたい、だね。よか、った……」


 勇吾ユウゴは安堵の吐息を漏らす。感覚同調フィーリングリンク杏里アンリ生命兆候バイタルを確認した上での判断である。

 まだ意識が戻らない幼馴染に対しても。


「……はぁ、ハァ、はァ、はァ……」


 その途端、勇吾ユウゴはよろめく。息づかいはすでに荒く、今にも倒れそうであった。よく見ると顔中が汗まみれなことに、杏里アンリは気づく。昏倒寸前の状態に等しかったが、横の樹木にもたれることで、かろうじて踏みとどまった勇吾ユウゴは、自分のエスパーダに手を置くと、精神感応テレパシー通話を対象の相手にかける。


「……リンちゃん。見つけた。二人、とも、無事、だよ……」


 声帯を使って通話するのは、意識が疲労で朦朧としているため、内心の思考発声でははっきりと伝えられないからである。


(――ホントっ?! よかったァ……)


 応答したリンは安堵する――間も与えず、


「……急いで、テレ管の、テレタクで、空間転移テレポート、させて……」


 勇吾ユウゴは必死に伝え続ける。

 

(――でも、距離が遠すぎて、安全な警察署までの空間転移テレポートに必要な精神エネルギーのチャージに時間がかって、すぐには――)

「――僕のを、使って。今から、そっちへの、空間転移テレポートに、必要な、精神エネルギーを、萩原、さんに、注ぎ、込む、から――」


(――なに言ってるのよっ! そんなことしたら、ユウちゃんが活動不能の状態になりかねないわっ! それも、テロ組織が潜む危険地帯のただなかで――)


 リンは制止を呼びかけるが、


「いいから早くっ!!」


 勇吾ユウゴは押し殺した声で急かす。


「時間がないんだっ! 急いでェッ!!」


 それも、形振なりふりを度外視した声で。


(……わかったわ……)


 リンは観念したかのように了承する。

 それを聞いた勇吾ユウゴは、よろめきながらも杏里アンリの手前まで近づくと、傲慢な士族の少年が掴もうとしていたその手を掴む。


「――ちょ、離し――」


 掴まれた杏里アンリは振りほどこうと自分の腕を上げるが、


「――お願い、じっとして」


 勇吾ユウゴは離さない。


「――アンタ、アタシにこんな事して、ただで――」


 杏里アンリは嫌悪感をあらわになおも叫びかけるが、


「――僕をイジメたいんならあとでいくらでもさせてあげるっ! 恥だってきちんとかくっ! だから、今は僕の言う通りにしてっ!」


 せっぱつまった勇吾ユウゴの説得と迫力に呑まれ、何も言えなくなる。


(――いいわ、ユウちゃん。もう充分よ――)


 リンから精神感応テレパシー通話で伝えられると、勇吾ユウゴは手を離し、杏里アンリとの距離を置く。


「――対象を、こっちの視界に、収めた。そっちは――」

(――ええ、確認したわ。感覚同調フィーリングリンクしたユウちゃんの視界に、対象の姿を――)

「――じゃ、緊急空間転移テレポートをっ! 急いでっ!」


 リンはこれ以上の問答を繰り広げることなく即座に実行した。

 断腸の思いすら浸らさせずに。


「――アンタ、どうし――」


 そして杏里アンリは、そこまで言いかけたそれを残して勇吾ユウゴの前から姿を消した。

 自身の意思に関係なく。


「――リンちゃんっ!」

(――大丈夫。無事、警察署に空間転移テレポートしたわ――)

「……そう。よかった……」


 勇吾ユウゴはふたたび安堵の表情を浮かべる。

 しかし、それによって気が緩んでしまい、引きずられる形で、これまで保っていた意識が――


「――ユウちゃん?」


 ――呼びかけられたことで喪失を回避した。

 勇吾ユウゴは糸目の視線を向ける。

 呼びかけてくれた――


「――アイちゃん」


 に。


「――杏里アンリちゃんを、先に逃がしたのね。空間転移テレタクで」

 手足を縛られたままの状態で上体を起こしたアイは、確認の質問を、幼馴染にする。


「――うん」


 勇吾ユウゴは短く答えながら近づくと、短刀カッター様式モード光線剣レイ・ソードで結束バンドを切りはずし、幼馴染の自由を取り戻す。


「――僕たちも早く――」

「――ええ」


 アイは緊張のはらんだ声と表情でうなずく。


「――リンちゃん。次の空間転移テレポートの準備は――」


 勇吾ユウゴ精神感応テレパシー通話で進捗状況を訊くが、


(……………………)


 応答はない。


「――リンちゃん? リンちゃんっ!」


 何度呼びかけても。


「……どうしたの? ユウちゃん?」


 アイに不安な表情で尋ねられた幼馴染は、エスパーダに触れていた手を下ろすと、


「……故障、した、みたい。……僕の、エスパーダが……」


 絶望に青ざめた口調と表情で、その事実を伝える。正確にば、エスパーダの精神感応テレパシー通信機能なのだが、いずれにしても、精神感応テレパシー通話や感覚同調フィーリングリンクが使えないのは確かである。そしてその二つは、空間転移テレタクの利用に不可欠な機能だった。

 故障の原因は装着者の過剰な酷使であった。一刻を争う事態で一杯いっぱいな精神状態の影響をモロに受けたのだ。なまじ装着者の精神エネルギーが膨大なだけに、掛かる負荷に耐え切れず、故障を早期に招く結果となってしまったのである。


「……どうしよう」


 勇吾ユウゴは途方に暮れたつぶやきをこぼす。アイのエスパーダはテロ組織によって没収されてしまっている。勇吾ユウゴ直接接続ダイレクトアクセスでは安全な場所の町まで精神感応テレパシー通信が届かない。となると、残された逃走手段は、二本足しかなかった。だが、精神的にも肉体的にも疲労が困憊な状態の勇吾ユウゴや、身体能力や肉体的仕様フィジカルスペックの低いアイでは、安全な場所にたどり着くのに相当な時間を要する。勇吾ユウゴの感覚では、そこからここまでの距離が、少なくても一〇キロ以上もあっては。むしろ、この距離と足場の悪い森林の中を全速力で走って、アイ杏里アンリのところまでたどり着けただけでも驚嘆に値する。


「……とにかく、ここを離れよう……」


 それでも、それでの逃走を、勇吾ユウゴは選択する。それしかない以上、そうするより他になかった。ここに留まるのはどう考えても危険である。来援よりもテロ組織が駆けつけてくる確率がとても高い。この事にテロ組織が気づかないとは思えない。一刻も早くこの場から去る必要があった。

 それを聞いたアイは無言でうなずき、今にも倒れそうな幼馴染の後姿を、心配そうな顔で追う。

 ――が、


「――待って」


 制止の声をかけて立ち止まる。

 数歩ほど進んだところで。


「――エスパーダなら、あるわ」


 そして、それに続いたセリフに、勇吾ユウゴは停止したその場で身体ごと振り向く。


「――そいつが持っているはずよ」


 幼馴染が指さしたその先に、一人の少年が湿った地面に倒れている。

 杏里アンリを犯ろうとして背後から勇吾ユウゴに倒された傲慢な士族の子弟である。

 その少年の右耳の裏に、三日月状の小型機器がある。


「――そうか。それなら――」


 勇吾ユウゴが上げた声や表情に、意表を突かれた喜びが充満する。そして、さっそく回収に向かおうと歩き出したその矢先――


「――なにやってんだ。お前は――」


 立ちはだかれてしまう。

 突如出現した一人の男に。

 アイの隣で立ち止まった勇吾ユウゴの表情が、恐怖と戦慄に激変する。

 そのアイも。


「――人質の監視すらできないのか。危うく逃げられるところだったぞ。太助たすけの息子が遠隔透視リモートビューイングで気づいてくれなければ。まったく、これだから士族のお坊ちゃまは……」

 その声で気がついたのか、『士族のお坊ちゃま』は緩慢な動きながらも、上体を起こして立ち上がる。焦点はぼやけているが、回復は時間の問題であろう。


「――だから平民ごときにアゴで使われるハメになるんだよ。あとでそのリーダーにこってり絞られろ。もう戻っているからな」


 男は相手を見やらずに言う。

 男の視線は正面の少年少女から離せないでいるので。


「――また会ったな」


 男はその二人に対して言う。


「――それも、その夜のうちに」


 嗜虐的サディスティックな笑みで。


「~~~~~~~~」


 言われた二人は震え上がる。

 骨の髄まで。

 無理もなかった。

 言ってきた相手の男が、あの須賀直道なおみちでは。

 須賀の左右には、同時に出現した男たちが立ち並んでいる。

 久川比呂ヒロ空間転移テレポートで瞬時に駆けつけたローカルテロ組織の構成員メンバーたちである。

 須賀だけでも充分なおつりが来るのに、その仲間まで来られては、どうしようもなかった。

 闘うにしても、逃げるにしても。

 勇吾ユウゴは完全に進退がきわまった。

 実家から遠く離れた山奥な上に、エスパーダの精神感応テレパシー通信機能が故障していては、来援の見込みは皆無である。

 ましてや、前回のようなタイミングでなら絶無である。

 ここは小野寺の家ではないので。

 この状況の打破は、完全に小野寺勇吾ユウゴの力量次第となった。

 幼馴染にそれを委ねるなど、いたって論外。

 勇吾ユウゴは三度試されているのだから。

 一度目は逃げてしまった。

 二度目は逃げかかってしまった。

 そして三度目は――


(……逃げられない。逃げてはいけない。絶対に……)


 そんなことをすれば、今度こそ終わりである。

 幼馴染との仲は。

 だから――


(――立ち向かえ。立ち向かうんだ。須賀直道アイツに――)


 全身を支配する戦慄と恐怖に、必死にあらがう。

 ありったけの勇気を、自分のうちから振り絞って。

 ――いる、のに……


(……どうして、どうして、動けないんだっ?!)


 勇吾ユウゴの表情が今にも泣き出しそうなそれになる。

 両足は所有者の意思に従わず、微動すらしない。

 太い釘で打ち込まれたかのごとく。

 闘える身体状態コンディションでないのは、自身が一番よくわかっている。

 体力スタミナはここまでの距離を全力で疾走したため、ほどんど残されていない。

 精神エネルギーも杏里アンリの緊急テレタク逃走に、ほぼすべてを使い果たし、こちらも同じ有様である。

 精神体分身の術アストラル・アバターも、当人の精神状態うんぬん以前に、精神エネルギー不足で使えない。

 ヤマトタケル様式モードになれたところで、体力スタミナ不足では、大した戦闘力は発揮しない。

 ……それでも……

 ――それでもっ!


(――闘わないと、立ち向かわないと、いけないっ!!)


 隣で震えている幼馴染を守るためにも。

 同じ過ちを繰り返さないためにも。

 けど、


「――今度は逃がさねェぞ。七年前の時みたいに、そこの女の子オンナを置いて――」


 ――行きそうだった。

 一歩ずつ近づいて来る須賀の言う通り。

 その威圧感に、勇吾ユウゴは完全に呑まれる。

 脳内は真っ白になり 五感も喪失する。

 なにも考えられなくなり、感じなくなる。

 意識すらも、完全に。

 そんな勇吾ユウゴが取った行動――

 それは――


 ――須賀に背を向けて走り出すことだった。


 その場で踵を返して。

 脇目はいっさい振らなかった。


「――――――――っ!?」


 それを横目で視認したアイの両眼が大きく見開く。

 須賀がいる正面に視線を固定させたまま。


 ――小野寺勇吾ユウゴは、

 ……逃げて、しまった……。




「――で、こういうことになってしまったっていうのか?」


 久島健三ケンゾウに問われた久川比呂ヒロは、申し訳なさそうな表情で後頭部を掻く。


「――まァな。例の士族のボンボンが、ヘタを打ってこの有様さ」

「――なにやってんだよ。この大事な時に余計な手間と仕事を増やしやがって」


 健三ケンゾウは失望をむき出しにせずにはいられなかった。双子のツインテール女子たちに無理やり連れて行かれたのは想定外だったが、当人たちの言う通り、すぐに戻れたので、テロの準備に支障は生じなかった。その間は比呂ヒロが代わりに構成員メンバーを指揮統制していた。

 リーダーの意図に沿って。

 小野寺の家に構成員メンバーの一人を空間転移テレポートで送り込んだのも、その一環である。

 即席で結成された自警団の本部にテロ組織を忍び込ませ、この件をアスネで流し回れば、ゲリラテロ予告の落書き以上の効果と成果を挙げられると、テロ組織のリーダーが判断したのだ。

 双子の女子たちに連れ去られる前に。

 ただ、その人選に際して、自身の実父が名乗りを挙げて来た時は、リーダーを代行することになった比呂ヒロは即断できなかった。

 自分や健三ケンゾウよりも因縁の深い一家なのは承知しているが、それゆえに、自身の感情を優先に暴走する恐れがあった。かといって、問答無用で首を横に振れば、実父の不満が蓄積し、今後むかえる今よりも大事な局面で暴発してしまったら目も当てらない。ので、やむを得ず、撤退のタイミングはこちらが見計らうという条件つきで送り出したのだ。その人数を実父一人に絞ったのも、余計な随員は実父の機嫌を余計に損ねるだけで、それでは実父を送り出す意味がなかった。欲をかけば、小野寺の家で適当な規模で暴れ回り、テロ組織が自警団の本部を荒らしまくっている光景の動画も、ライブ中継としてアスネに流したかったのだが、流石にそれは危険リスクに見合った効果や成果を得られないと思いなおし、潜入に留めたのである。

 事実、自警団が出払った隙を突いて潜り込ませたその本部の留守番が、小野寺流総合武術道場の師範と主席師範代であった。その両者を遠隔透視リモートビューイングで目撃した比呂ヒロは、想定外の事態に驚きながらも、ただちに実父を緊急空間転移テレポートさせたのだった。

 それが一瞬でも遅れていたら、実父は自警団に捕まっていた。

 いつでも空間転移テレポートさせられる態勢を堅持してよかったと、比呂ヒロは今でも思っている。

 その実父である須賀直道なおみちは、これである程度留飲が下がったのか、以前ほどの不満や懐疑は抱かなくなったように、その息子は看取する。リーダーが下した人質逃走の追跡命令に、素直に従事している事象が、その判断を補強する。それも、構成員メンバーを率いて。いつになく積極的で能動的な行動に、健三ケンゾウ比呂ヒロも感嘆を禁じえない。


「――逃がすなっ! 絶対に捕まえるんだっ!」


 須賀直道なおみちは逃げた人質を追って、足場の悪い森や茂みをかき分けて進み続ける。その後を、テロ組織の構成員メンバーたちが、放射線状に展開して追随する。


「――せっかく捕まえたっていうのに――」


 須賀の口から忌々しげなぼやきが零れる。こんな状況でなければ、せっかくの苦労を台無しにてくれた士族のボンボンの横っ面に、愚痴や文句の山を、土砂崩れのような激しさで浴びせたかった。

 陽月の明かりがあるとはいえ、深夜である。その上、頭上に広がる森林や樹木に、行く手までもさえぎられては、視界が悪いだけでなく、追跡もままならなかった。それは人質も同じ条件のはずなのだが、その姿は一向に見えずにいる。足跡や折れたての枝が、唯一の追跡手段であったが、それも中途で途切れ、完全に追跡の手掛かりを失った。現在、久川太助たすけの息子も遠隔透視リモートビューイングで捜索しているが、発見の知らせはない。とにかく、今は見失うまでに人質が逃げて行った方角を頼りに、森林や茂みをかき分けて行くしかなかった。照明ライト追手こちらの位置を逃走者あいてに知らせるだけなので使用は控えている。

 そのような訳で、追跡の難航を覚悟した須賀の視界に、


「――ん?」


 陽月の明かりに反射する光り物を、その下に発見する。

 その場でかがんだ須賀は、足元に落ちてあるそれを拾い上げ――


「――なんだ? この鷹のバッジは?」


 ――しげしげと見つめる。


「――やっぱりそこに落ちていたみたいです」


 ――と、伝えたのは、後続の構成員メンバーたちからではなかった。


「――勇次ユウジさんの言うとおり――」


 伝えた対象も。


「――っ?!」


 予想外の遭遇者に、テロ組織の構成員メンバーたちは驚きながらも身構える。先頭に立っている須賀直道なおみちも、鷹のバッジを横に投げ捨てて光線剣レイ・ソードを抜く。

 伸長させた青白い刀身の切っ先を、正面の暗闇に向けて。

 その奥からであった。

 遭遇者の声が聴こえて来たのは。


「――また会ったわね」


 続いて上がったその声は、明らかに自分に対して投げかけられたものであった。

 第一声と同じく、女性の声。

 だが、第一声者とは明らかに別人の声である。


「――今度は正面で――」


 それも、第一声者よりも大人びた、聞き覚えのある声。


「――っ?!?!」


 ――に、過剰な反応を見せた須賀は、構えた刀身の光度を最大値まで上げ、森林に囲まれた闇夜を明るく照らす。

 この状況となっては、照明ライトの使用を控えても無意味である。

 不規則に並び立つ木々の間から、その女性の姿があぶり出される。

 両肩の家紋が特徴的な道着を身にまとった姿が。

 小野寺流総合武術道場の道着である。

 それも師範の。


「――よく考えたら、肉眼じかで会うのは、これが初めてですね。お互い――」


 同時にあぶり出された人影も、小野寺流総合武術道場の道着を身に着けている。

 師範の隣に立つこちらは、師範代の上に、男性だが。


「――七年前は加害者と被害者の身内という関係上、警察が会わせてくれませんでしたから」

「――本当はわたしたちの手でお前やあとの三人を下したかったけど、(息子に)先を越されて悔しかったわ」


 勇次ユウジ景子ケイコの小野寺夫妻は、ついに初対面を果たした因縁の須賀直道なおみちに対して、それぞれの口調で感慨にふける。

 むろん、気分は爽快と無縁である。

 果たしてもちっとも嬉しくない初対面なので。


「――どうしよう。ユウちゃんとアイちゃんの現在位置を知る唯一の手段が……」


 勇次ユウジの隣に並んだ観静リンが、危惧を募られた声で夫妻に伝える。鈴村アイが萩原杏里アンリも含めて消息を絶ったと知った時、リンは迷わず超常特区に居る窪津院くぼついん亜紀アキに連絡し、遺失技術ロストテクノロジー再現研究所にある物体探知装置を、テレ運(テレポート運送の略称)で八子やご町への転送を依頼した。ここで起きた事の次第も簡潔に伝えて。そして、事態を把握・了承した亜紀アキの迅速な処理と行動により、連絡してから間を置かずに小野寺の家の中庭でそれを受け取ると、ただちに使用したのである。

 アイが常に所持している鷹のバッジを手掛かりに。

 むろん、その形状データは、保存してある記憶銀行メモリーバンクから引き出して。

 そして、前回と同様、鷹のバッジがある位置の特定に成功すると、小野寺勇吾ユウゴが即座にそこへ向かった。

 文字通りの意味で、一直線に。

 引きとめる間もなかったリンとその両親は、現場の警察にこの事の報告と準備を急いで済ませると、勇吾ユウゴに遅れて進発した。

 物体探知装置から定期的に送信される鷹のバッジの現在位置情報を頼りに。

 勇次ユウジ以外の師範代たちは、師範の指示で道場に待機する次第となったので、森林しかない山奥に入った自警団員は四名だけである。

 地元の警察もそのあとに続く予定だが、足並を揃えるのに時間がかかる上、それだけに警察力のすべてを割くわけにはいかず、現場で執っている署長の指揮能力をもってしても、管轄内の状況把握と、変化による対応の態勢と現状の治安維持が精一杯であった。

 そういった事情なので、テロ組織が潜伏している山奥に入った自警団だけが、直面した事態に対応できる組織的な部隊だった。

 その最中に、誰よりも真っ先に向かった勇吾ユウゴから、テロ組織に拉致された鈴村アイと萩原杏里アンリの二人を発見した旨を、テレ通で知らされたリンは、心の底から安堵した。だが、その後の、萩原杏里アンリを先に逃がすための緊急空間転移テレポート即時実施要求には面食らってしまった。流石のリンも判断に迷ったが、勇吾ユウゴのせっぱつまった要求に押し切られては、迷うことすら許されず、なし崩し的に実施することになった。テレ管にはすでに事情は伝えているので、準備は整っていたが、空間転移テレポートさせる対象の空間転移テレポート距離が想定より長く、確保していた精神エネルギーの量をオーバーしてしまったのだ。その危惧がリンの判断を迷わせていた理由のひとつであった。しかし、その旨を勇吾ユウゴに伝えたら、今度は勇吾ユウゴ自身の精神エネルギーで代用する提案を、本人からされたのだ。それも判断に迷ったもうひとつの理由であったが、それでも押し負けて実施したのは前述の通りである。

 しかも、その直後、勇吾ユウゴとのテレ通が途絶えてしまったことで、危惧が飛躍的に増大した。一刻もはやく勇吾ユウゴアイの元へ向かわなくてはならなかった。もはや、発信器代わりとなった鷹のバッジを手掛かりに。

 それでも、その反応が、こちらに近づきつつある事実に、一時は安堵したが、それが途中で停止したまま、一向に動く気配がないことで、ふたたび危惧にとって代わった。しかし、勇次ユウジから単に鷹のバッジを落としただけではないかと告げられると、若干は緩和した。そして、前方から複数以上の気配を感じ取った小野寺夫妻に注意されて、気配を殺して慎重に進んでいると、そこから須賀直道なおみちが上げた声を聞いて、確信したのだった。


「……テロ組織に捕まってなければいいんだけど……」


 しかし、依然として二人の友達を発見できない事実に変わりがなく、リンは心配を募らせる。

 それに対して、隣に立つ勇次ユウジは、穏やかで落ち着いた口調で、


「――それは大丈夫です。もし二人とも捕まっていたら、捜索自体、していません。にも関わらず、こんなところでいまだ続行しているのは、向こうもまだ発見できていない証拠。そして――」

「~~キサマらァ、なんでこんなところにィ~~」

「――わたしたちとの遭遇も想定外であることも――」


 ――証明してくれた須賀のセリフも拝借して、リンを安心させる。


「~~あの小僧といい、どうしてわかったァ? 人質の居場所をォ~~」


 須賀は怨嗟を込めた声で問いただす。勇次ユウジからすれば、今更な上に愚問である。それは息子と遭遇した時点で質すべき内容なのに、相手とタイミングがズレている。どうせ怨恨の感情が先行して失念していたのだろうが、今更な愚問であることに変わりはない。第一、テロ組織の一員として再び誘拐を犯した元誘拐犯の質問に答えてやる義理や人情などまったくないので、声を立てずに笑ったのは、至極当然の反応リアクションである。

 それは妻の景子ケイコも同様であった。

 その景子ケイコが、一歩前に踏み出す。

 威嚇するような足音をたてて。

 須賀は一瞬ひるむが、すぐに立ち直ると、側背に並び立っている構成員メンバーたちに、目の前の三人を包囲するよう、無言で指示し、完了させる。

 その動きに応じて、勇次ユウジ景子ケイコは背中合わせになる。

 その間にリンを挟んで。

 しかし、悠然としたその動きに、危機感や緊張感は皆無であり、余裕すら窺える。

 ただし、眼光だけは、油断なく。


「――観静さん。これで全員? テロ組織は」


 景子ケイコが背後にいるショートカットの少女にノールックで尋ねる。


「――待ってください。いま、物体探知装置の様式モード遠隔操作リモートで切り替えています」


 沈着な口調で答えたリンであったが、


「――少なくても、あの二人はこの中にいないみたいです」


 視線を左右にめぐらしながら、そのようにつけ加える。むろん、『あの二人』とは、テロ組織のリーダーとその幹部――久島健三ケンゾウと久川比呂ヒロである。


「――恐らく、どこかで静観しているのでしょう。遠隔透視リモートビューイングで」


 勇次ユウジが静かな声で答える。


「――ですが、この場だけでも、二〇人はいますね」


 周囲の気配を探りながら。


「――目視で確認できた数よりも多いわ、あなた。伏兵の存在は確実ね」

「――いずれにしても、こちらから動くのは、得策ではない状況です。わたしたちを地中に転移・圧死させる隙を、空間転移能力者テレポーターに窺われていては」

「――観静さんが、その対策として開発した試作品を全員身に着けているとはいえね」

「――けっ、景子ケイコさんっ! それを口に出して言ったら、その空間転移能力者テレポーターに聴かれて――」

「――大丈夫ですよ、観静さん。遠隔透視リモートビューイングは、遠方の光景は見えても、そこで発せられた音声までは聴こえませんから」


 穏やかな口調で勇次ユウジに宥められたリンは、


「――あっ、そうか」


 失いかけていた落ち着きを、思い出したかのように取り戻す。


「――とはいえ、この状況を長く膠着させるわけにはいきませんね。アイさんや息子が気がかりですし、ここはまず、相手を挑発――」

「――お前らか。あの第二次幕末の動乱で成り上がった、小野寺という士族の家名を持つ夫婦どもというのは――」

「――するまでもなかったようですね」


 勇次ユウジは肩をすくめる。

 三人を包囲している環の一角から、テロ組織|に所属する構成員メンバーの一人が、自分から前に出て来たので。

 隣に並んでいた須賀の険しい視線を無視して。

 少年の声質に似合わず、尊大な物言いが、勇次ユウジの苦笑を誘った。

 実際、妻の前に出て来たその構成員メンバーは、息子やその友達と同年代の年頃であるのだから、夫妻から見れば青二才もいいところである。

 小野寺夫妻やリンも顔までは知らないが、その少年は萩原杏里アンリを大の士族嫌いに仕立て上げた士族の子弟である。もっとも、最近になっても続けていたその行為が原因で指名手配され、現在は八子やご町のローカルテロ組織にアゴで使われるところまで落ちぶれてしまっている。その凋落ぶりを目の前にいる三人が知れば、失笑すること間違いなしであった。鈴村アイや萩原杏里アンリにいたっては言うまでもない。この状況下では、そんな余裕はなかったのが惜しまれるが。


「――だとしたら、どうなの? 士族のおぼちゃま」


 景子ケイコは相手の態度にふさわしいそれで対応する。挑発を挑発で返された士族の少年はいきり立つが、なんとか自制すると、怒りに震わせた声で口を開く。

 正面の小野寺景子ケイコに人差し指をさして。


「――お前、『桜華組』の生き残りなんだってな。オヤジから聞いた話じゃ――」

「……………………」

「――なんでも、第一次幕末の『新選組』さながらな活躍を、第二次幕末でもしていたそうじゃねェか。オンナのクセに」

「…………………………………………」

「――けど、しょせんはオンナ。オトコのオレにかなうわけがねェ。ましてや、戦闘のギアプを装備したオトコ相手では、なおさらだぜ。あの平民のヤロウは、肉体的仕様フィジカルスペックの低いオレじゃ、戦闘のギアプに適合しねェなどとほざきやがっていたが、そんなの、氣功術のギアプで底上げすれば、問題なく適合するじゃねェか。現に他の構成員ヤツらも、そのふたつのギアプで例外なく戦闘力が向上したっていうのに、よくもまァ、ダマしてくれたもんだよォ。このオレを」

(――あ、そうなんだ。それなら、間違いなくあの二人にも反応するわ。さっそくアイツに知らせないと――)


 それを聞いたリンが内心で独語すると、自分のエスパーダに手を置く。

 その間、士族の少年はさらに口上を垂れる。


「――お前らを倒したら、あの平民に復讐リベンジしてやるぜ。このふたつのギアプを組み合わせれば、無敵だからな。お前の『瞬歩』なんか、足場の悪い山奥ここじゃ使えねェし、使えたとしても、オレにはいっさい通用――」


 ――した。

 士族の少年は、瞬時に間合いを詰めた小野寺景子ケイコの青白い斬撃を、無防備かつ棒立ちの状態でまともに受け、そのまま叩き伏せられた。

 反応らしい反応や、認識らしい認識も見せぬまま。

 なんの苦もなく、あっさりと、であった。


「――残念、だったわね」


 景子ケイコは皮肉げな口調と表情で一撃で倒した士族の少年を見下ろす。


「――生憎と、足場の悪さで使えなくなるほど、小野寺流の移動術は非実戦的ではなくてよ」


 眼差しも皮肉げだった。


「――肉体的仕様フィジカルスペックだの、戦闘のギアプだの、氣功術のギアプだのと、色々と聞き慣れないことをご大層にのたまっていたけど、結果がこれじゃ、口ほどにもないとしか言えないわね。『瞬歩』の中では最も遅い『一速』なのに」


 そして、そこまで言って視線を上げると、


「――息子は『三速』まで反応できるようになったわよ」


 正面の須賀を睨んで言い放つ。

 いささか親バカ的な内容ながらも。


「……くっ!」


 しかし、威嚇としては充分ずぎる効果だった。

 須賀はあからさまに怯み、あとずさる。

 それは他の構成員メンバーにも波及し、包囲の環が弛緩する。


「――勇次ユウジさん、この場にいる相手の正確な位置の特定が完了したわ。いまからその情報を送信します」

「――お願いします、観静さん」


 二人のやり取りを背に、景子ケイコは須賀と対峙する。


「――息子が世話になったね。七年前の件も含めて」

「……………………」

「――おかげで、色々と苦労させられたわ。アンタに関わった人たちは」

「…………………………………………」

「――はっきり言って、うんざりなのよね。いいかげん、終止符ピリオドを打たないと、うっとうしくて仕方ないわ」


 景子ケイコは近所話みたいな調子で語っているが、迷惑そうな表情の裏側には、言葉では言い表せない憎悪が見え隠れしている。それを無意識に感じ取った須賀は、ヘビに睨まれたカエルの如く、ただただ聞き入っている。


「――だから、打たせてもらうわ。その終止符ピリオドを、この場で」


 その宣言に、須賀の背筋に戦慄の冷刃が駆け上がる。


「――感謝しなさいよ。アンタの望み通り、決闘に応じてあげるんだから。アンタが七年前の犯行に及んだのも、それが目的だったんでしょ」

「――――――――」

「――アンタのような卑劣漢の望みを叶えてあげるのは本意じゃないけど、しかたないわね、この際」

「――――――――――――――――」

「――さァ、どうする?」


 景子ケイコはうながすように問いかける。


「~~そんなの、決まってるだろうがっ!」


 須賀は咆えた。

 自身を奮い立たせるかのように、全身を侵食しつつあった恐怖をねじ伏せる。

 そして、残存する構成員メンバーに視線を放つと、


「――お前ら、手を出――」

「――せる状態ではありませんよ。すでに」


 須賀のセリフを先取りした勇次ユウジが、須賀の傍に立っていた。

 それこそ、すでに。


「うわワァわァぁっッ?!?!」


 驚愕した須賀はうわずった叫びを上げながら反射的に飛びずさる。


「……なっ?! ナッ?! なッ?! ナっ?!」


 口もろくに動かせなくなるほどに。


「……えっ?! エッ?! えッ?! エっ?!」


 それはリンも同様であった。


 しかし、須賀よりも早く混乱から立ちなおると、無意識に周囲を見回す。

 包囲していたテロ祖機の構成員メンバーが、一人残らず倒れていた。


「……い、いつの間に……」


 リンはふたたび愕然となる。

 背後に立っていたはずの勇次ユウジが、前方の須賀の隣に現れていた事象も含めて。

 まるでキツネにつつまれたようであった。

 狐さながらの糸目なだけに。


「……いったい、どうなって……」


 茫然と立ち尽くすリンであったが、あることに気づくと、エスパーダに手を置き、テロ組織と遭遇してからの見聞記録ログを脳内で再生する。

 そして、等速で脳内視聴を続けていると、


「……やっぱり……」


 推測が確信に変わる。

 リンの視覚に映っていたのだ。

 勇次ユウジが次々とテロ組織の構成員メンバーを倒していく姿を。

 それも、迅速な動きで。

 しかも、物音のひとつすら立てずに実行していた。

 さずがに『瞬歩』ほどではないので、その行動はリンの動体視力でもなんとか追えていたが、それでも驚嘆せずにはいられなかった。


「……台所で料理していた小野寺母子ふたりのフォローと同じだわ……」


 その小野寺母子ふたりですら認識が不可能な小野寺流隠密術――『気殺』に。


「……そ、そんなバカな……」


 それに対して、須賀はいまだに驚愕から立ち直れないでいる。第二次幕末の動乱を経験した元士族とはいえ、『気殺』の存在は豆知識のレベルでしかないが、それでも、誰にでも使える技ではないことは、武術の心得がある者なら、容易に想像できる。少しでも身動きしたら、たちまち存在が認識されてしまうあろうことも。なのに、あれだけ派手に立ち回っておきながら、まったく気づかせないとは、とても信じられなかった。


「……人間業ではない……」


 としか……。


「――さァ、これで邪魔者はいなくなったわァ」


 その声に、目の前の現実に意識を引き戻された須賀は、目の前で対峙している相手に、視線も引き戻される。


「――よかったわねェ。その心配がなくなってェ」


 その相手たる景子ケイコから皮肉たっぷりに言われて、須賀の精神は縦横無尽に揺さぶられる。


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」


 ねじ伏せたはずの恐怖と戦慄で、ふたたび。

 テロ組織に加入してから一滴もアルコールを摂取してないのに、それと同様な症状におちいる。

 足取りも千鳥足よりもおぼつかなくなる。

 いつ倒れてもおかしくない自身の身体を、


「……くっ……」


 かろうじて支え切る。

 自身の二本足で。

 士族としての意地プライドが、それを許さなかった。

 わずかしか残っていないとはいえ。


「……………………」


 その姿に、景子ケイコはわずかながらも感心する。大抵の相手は、これで戦意が絶無になるのだが、だからといって容赦はしない。夫の兄が署長である八子やご町の警察に突き出すのは、色々と迷惑なちょっかいを出すこの士族くずれに、三度もさせないほどの強さで心をヘシ折ってからである。むろん、夫がヘシ折り済みのテロ組織の構成員メンバーも、同様に引き渡す。

 そのリーダーや幹部も、例外ではない。

 その二人の背後に見え隠れする黒幕も。


「……………………」


 一方、なんとか踏みとどまった須賀であったが、勝算はない――

 ――わけでなかった。

 須賀は相手を見据えると、光度を通常までに抑えた光線剣レイ・ソードを上段に構える。


「……………………」


 景子ケイコも前屈立ちで抜刀の構えを取る。

 両者とも無言で。

 通常の剣では届かない間合いで対峙する。

 刀身を早斬りのように伸長させれば、話は別だか。


「――さァ来いっ! 『瞬歩』でっ!」


 自身に喝を入れる形で、須賀はそれを誘う。

 小野寺流前屈立ち式突進型移動術を。


「――いいわ。望み通り、使ってあげる」


 その宣言に、須賀は内心でほくそ笑む。

 こちらの挑発に乗った証を見せつけてくれたのだから。

 光線剣レイ・ソードの端末から伸びた青白色の刀身は、上段の構えなので、切っ先は背後だが、実は柄尻えじりからも刀身が伸びていたのだ。

 ただし、こちらの刀身は無色透明の様式モードにして。

 目に見えないその切っ先は、相手に向けられていた。

 当然、無色透明なので、相手には見えない。

 見えない以上、認識できるわけがない。

 『気殺』と同じである。

 そうとは知らずに『瞬歩』を使えば、串刺しは必然である。

 それも自ら。

 神速なだけに、相手の間合いを一瞬で侵略するそれが、仇となるのだ。

 自滅同然に等しかった。


「――今度は『二速』でね」


 景子ケイコはつけ加えるように宣告する。

 それを聞いて、須賀は内心で確信する。

 自身の勝利を。

 相手の動きが見えなくても、相手が到達する位置さえわかれば、見えなくても支障はない。

 すなわち、目の前に。


(――さァ、来いィッ!!)


 と、須賀が内心で咆えた直後――

 ――景子ケイコの姿が消失した。

 『瞬歩』で。


 待ちに待っていた瞬間に、大きく口を開いた須賀は、


「――――」


 ――てずに敗北した。

 右側頭部から地面に側転して。

 左のこめかみに景子ケイコの横肘打ちを喰らった勢いで、そのまま直線的ダイレクトに叩きつけられたのだ。

 視認も反応もできないまま……。


「――残念、だったわね――」


 その態勢と残心を解いて立ちなおした景子ケイコは、冷ややかな目つきで、気絶した状態の須賀直道なおみちを見下ろす。


「――罠がミエミエだったわよ。無色透明の刀身よろしく」


 だから、須賀の前ではなく、その真横に向かって『瞬歩』で突進し、そこでいったん止まったのである。そして、そこで立ち方を変えると、真横に向いたまま、真横へ移動し、そのまま須賀のこめかみに横肘打ちを叩き込んだのだ。

 小野寺流騎馬立ち式横跳びサイドステップ型移動術――『蟹歩かいほ』で。

 『瞬歩二速』と同等の速度スピードである。


「――これでこの場にいるテロ組織の構成員メンバーは一掃しましたけど」


 見届けていた勇次ユウジが現状を述べると、


「――観静さん、反応はどうですか?」


 視線を転じて尋ねる。


「――ええ、付近にはありませんわ。遠方のふたつだけを除いて」

「――わたしも感じないわ。人の気配や殺気は――」


 景子ケイコリンの後に答える。


「――わたしもです。では、確定ですね」


 そう言って勇次ユウジは緊張のベルトを緩め、


「――助かりました、観静さん。観静さんがテレ運で取り寄せてくれた物体探知装置のおかげで、相手の正確な人数と位置が把握できました」


 年少の少女に礼を述べる。


「――あれだけ雑多な人数で取り囲まれては、ノイズが激しくて、気配の察知も精度が落ちますからね。誰にも気づかせずに全員を倒すには、厳しかったです。さすが、超心理工学メタ・サイコロジニクスの生みの親の娘にして、過日の連続記憶操作事件解決に導いただけのことはあります」

「――物体探知装置――だっけ? 助かったわ、リンさん。本当、すごいわね」

「――え、ええェ、そ、そんなァ……」


 景子ケイコからも礼を言われて、リンは照れくさくなる。第二次幕末の動乱を戦い抜いた歴戦の士族夫妻から賞賛されては、それこそ、さすがに、こそばゆかった。


 物体探知装置の機能でテロ組織の人数と位置が正確に把握できたのは、鷹のバッジ盗難事件の際に起きた偶然が契機きっかけだった。

 盗まれた鷹のバッジの探索に、試作段階だったその装置を使用した時、探知したのは、鷹のバッジではなく、記憶銀行メモリーバンクに保存してあったその形状データであった。

 その時はその時に求められていた機能が発揮できず、落胆したが、後になってリンは気づいたのだ。

 形状データに反応したのなら、ギアプにだって反応するのではないかと。

 形状データやギアプも、人間の記憶を元に構成されているので、その意味で差異ちがいはない。

 そして、その事件が解決したあと、誤探知した時の機能構成を再現し、実験した結果、予想通りとなったのである。

 消息を絶ったアイの位置を特定するために取り寄せた物体探知装置に、その機能は組み込み済みであったが、まずはそれを優先したので、この時点では使用しなかった。この機能に切り替えたのは、鷹のバッジを持ったテロ組織と遭遇した後だった。リンはそれを遠隔操作リモートで実行し、ギアプを入力した相手の座標地図マップを、小野寺夫妻に転送したのである。

 ただ、ギアプの種類は千差万別なので、テロ組織にしか反応できないギアプを選択する必要があった。また、戦闘のギアプも千差万別なので、当てにはならない。残されたのは、氣功術のギアプである。戦闘のギアプを発揮させるには、肉体的仕様フィジカルスペックの向上が可能な氣功術のギアプが不可欠であり、幾種類もある新型の氣功術のギアプの中で、それらの使用に必須なギアプ――リミッターの呼吸法に限定し、それを八子やご町の広大な山奥に範囲を絞り込めば、テロ組織の現在位置とその人数の特定は難しくなかった。

 あとは、テロ組織の全員が、リミッターの呼吸法のギアプを入力インプットしているかどうかであったが、それは傲慢な士族の子弟が自ら暴露してくれたので、その懸念は払拭された。

 むろん、味方にリミッターの呼吸法のギアプを入力インプットしている者は一人もいないので、敵味方の識別に困ることはなかった。


「――残りは、リーダーと幹部の二人だけになったわね」


 景子ケイコが現状を再確認する。


「――けど、逃がすつもりは毛頭もありません。だから単独で向かわせたのですから」


 それに夫が応じると、


「――大丈夫かな、あの二人を相手に」


 リンが懸念を示す。


「――大丈夫ですよ。あの二人の注意をわたしたちに向けさせたのはそのためなのですから。それに、わたしたちに施してくれた対策も、観静さんが同様に施してありますし」

「――そう、ですけど……」

「――それに、残りの二人も、この事態に動揺を禁じ得ないでいるはず。その心の隙を突けば、一人で事足ります。信じてあげましょう」


「……そう、ね」


 リンはうなずく。

 最初こそ心配そうにためらっていたが、やがてその表情に信頼の明るさが灯る。

 中学からの馴染に対する。


「――不安なら、わたしが増援に向かうけど」


 景子ケイコの提案に、夫はうなずく。


「――そうですね。それでは、そうしましょう。息子とアイさんの捜索を兼ねて行動した方が、効率的ですから」


 勇次ユウジはそのように今後の方針を固める。


「――では、さっそく行動を――」


 と、言いかけて、


「――する前に、少し嫌がらせをしておきますか」


 年齢としと顔つきに似合わず、イタズラ小僧のような表情を、勇次ユウジが浮かべて見せると、年の差のある二人の女性は心得た表情で両目を閉じる。

 勇次ユウジも閉じているも同然な糸目をつぶって、頭上に光線剣レイ・ソードを掲げる。

 その先端の端末から、青白色の光が閃いた。

 アナログカメラのフラッシュさながらに、周囲の森林を一瞬だけその色に染めあげた。

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