才能と志望が不一致な小野寺勇吾のしょーもない苦難

赤城 努

第一巻 -想い出という名の記憶の架け橋-

第1話 序章

「……はぁ、はァ、ハぁ、ハァ……」


 闇夜に染まった街中の路地裏を、一人の少女が、はげしく息をきらしながら疾走している。

 汗だくでこわばった顔には疲労の色が濃く、身につけている紺色の学生服ブレザーも、全身からふき出る汗を吸って重そうである。

 それが少女の疲弊に拍車をかけていた。

 学生服ブレザーの長袖が路肩の積荷に引っかかって破けるが、それに気づく様子はない。

 ひたすら漆黒の路地裏を駆けぬけて行く。

 今にも力尽きそうな両脚に必死にムチを打って。


「――どうして、どうして『精神感応テレパシー通話』ができないのっ!? 『エスパーダ』にはなんの異常もないのにっ!」


 右耳の裏に装着してある三日月状の小型機器に触れながら、少女は悲痛な声で疑問をさけぶ。原因は不明だが、これでは警察に助けを呼ぶことも、『テレポート交通管制センター』に連絡して振り切ることもできない。特に、後者の空間転移テレポート交通システムの利用ができないのは、この状況では痛恨の事態であった。空間転移テレポートさえ使えれば、事態は瞬時に好転するのに。


「……どうしよう。このままじゃ、アタシ、アイツらに――」


 少女は恐怖に震えた声でつぶやきながら背後を振りむく。

 自分が通りすぎた路地裏が闇夜の奥まで続いている。

 しかし、それだけだった。


「――誰もいないっ!?」


 少女は驚くと同時に首をかしげる。ついさっきまで背後から複数の追手がせまりつつあったのに、いつの間にか姿を消したのである。


「――もしかして、追手を振り切ったっ!?」


 その結論に達すると、少女は喜声を上げかける。「やったっ! これで助かるわっ!」と。

 だが、


「――いや、単に先回りしただけじゃ」


 冷然とした声が、少女の前方から投げ込まれた。


「――?!」


 正面に視線をもどした少女は、息を呑む思いで足をとめる。

 そこには、声の主らしき一個の人影が、少女の行く手をさえぎっていた。

 まるで少女が来るのを待っていたかのように。

 その人影は路地裏の隙間から差す薄明かりに姿をさらしていた。

 黒のジャケットと黒のスラックス、そして黒のニット帽で身を固めた、全身黒ずくめの服装であった。

 華奢きゃしゃな体つきからして、どうやら女性のようである。

 口調は年寄臭いが、自分と同年代の少女であるのは、声質からして明らかだった。


「……あ……ああ……」


 それらを認識した学生服ブレザーの少女の身体がふたたび恐怖で震えだす。目の前にたたずむ黒ずくめの少女は、顔も黒のサングラスと黒のハンカチで隠しているので、判然としないが、学生服ブレザーの少女は知っていた。

 その黒ずくめの少女の正体を。


「……くっ……」


 学生服ブレザーの少女は全身の震えを懸命におさえながら、目の前の黒ずくめの少女から逃れようと、身をひるがえして走り出す。

 しかし、一歩も進まないうちにふたたび足を止める。


「……い、いつの間に……」


 振り切ったはずの追手たちが、逃亡者の目の前に立ちはだかっていたからであった。

 全員黒ずくめの少女とおなじ服装で、異なるのは体格と性別であった。前者は屈強で、後者は男性のようである。物腰と雰囲気からして、黒ずくめの少女と同年代の少年たちのようである。

 その人数は五人。強行突破ができるくらいなら、最初から逃げるという選択などしなかった。

 学生服ブレザーの少女は前後を挟まれた。

 追手の黒ずくめの少年たちが、待ち伏せしていた黒ずくめの少女の仲間である事実も、学生服ブレザーの少女は知っていた。


「――鬼ゴッコは充分に楽しんだかえ」


 黒ずくめの少女が上品だがなぶるような口調で学生服ブレザーの少女にたずねる。


「……や、やっぱりアンタだったのね。アタシが命よりも大切にしていたものをメチャクチャにしたのは。……いえ、『アレ』だけは例外だけど……」


 身体ごと振り向いた学生服ブレザーの少女は、震える声で黒ずくめの少女に正面から問いかける。


「――そうじゃ。おぬしは知ってはならぬ秘密を知ってしまったからのう。それも、われらにとって重大で危険な秘密を。じゃが、まさか元に戻っていたとは思いも寄らなかったわ」


 答えた黒ずくめの少女の口調には、意外さを禁じえない響きがこもっていた。


「――いったいだれなのじゃ。おぬしを元に戻したのは」

「――し、知らないわよっ! そんなヤツ」

「とぼけても無駄じゃ。だれがおぬしを元に戻したのか、どんな方法で元に戻したのか、洗いざらい吐いてもらうか。そのためなら、どんな手段もいとわぬぞ」


 黒ずくめの少女は、冷ややかな眼差しと口調で宣言する。だが、その後、口調を一転させて、


「――とうても、この手段が一番てっとり早いのじゃがな」


 そう言うと、右耳の裏に装着してある三日月状の小型機器に右手をそえる。それを見て、学生服ブレザーの少女は黒ずくめの女の意図を迅速に察する。


「――『テレハック』で強引にアタシの記憶を読み取る気ねっ! そうは――」

「――無駄じゃ。おぬしのマインドセキュリティレベルでは、わらわのテレハックは防げぬ」


 黒ずくめの少女は言う。それでも学生服ブレザーの少女は諦めずに、自分の右耳の裏に装着してある三日月状の小型機器に素早く右手を置き、テレハック防止以外の手段に移すが、


「それも無駄じゃ。警察や『テレポート交通管制センター』に『精神感応テレパシー通話』を試みても。おぬしの周囲にはそれを妨害する粒子の膜を張らせたのじゃから。わらわがおぬしを目撃した時にのう」


 それを聞いて、学生服ブレザーの少女は愕然となる。そんなことをされたら、外部との連絡手段は、断たれたも同然である。


「……そ、それじゃ、もう……」


 つぶやいた学生服ブレザーの少女は肩を落とし、目を閉じてうつむく。

 沈黙の子鬼が少女の周囲で踊りまわる。

 観念した学生服ブレザーの少女の哀れさをあざ笑うかのように。


「――おや、意外じゃのう。だれが元に戻したのか、本当に知らぬようじゃ」


 その間に、テレハックで学生服ブレザーの少女の脳内記憶をすべて読み取った黒ずくめの少女は、困惑の帯びた声を漏らすが、すぐに平静さを取り戻す。


「――じゃが、それを突き止める手がかりがない訳じゃない。問題はこれをどうやって……」


 三日月状の小型機器から手を離し、沈思する黒ずくめの少女を、学生服ブレザーの少女はおびえた目で見やる。


「……あ、アタシをどうする気なの?」


「――そうじゃのう。秘密を知った者はされるのが相場となっておる。『超異変』前の『一周目時代』では、そういった事例が横行しておったし、それは『超異変』後の現在の『二周目時代』でも例外ではなかろう。本来ならそれにならうのが無難なのじゃろうが……」


「……そ、それじゃ……」


 青ざめる学生服ブレザーの少女に、黒ずくめの少女はなだめるような口調でつづける。


「――安心せい。殺しはせぬ。だれがおぬしを元に戻したのか、それがわかる、いい方法を、たった今思いついたからのう。だからとりあえず今は生かしておいてやる。じゃが――」


 そして、途中で口調を変えて一拍を置くと、


「――その代わり、おぬしが一番大切にしているものを、もう一度メチャクチャにさせてもらおうか。おぬしの言う、自分の命よりも大切なものを。無論、われらの関する記憶情報が洩れぬように処置してのう」

「……そ、それってまさか――」


 それがなんなのかを悟って、学生服ブレザーの少女は一段と青ざめ、声と全身も一段と震わせる。


「――やっ、やめてっ! それだけは――」

「そうはいかぬ。おぬしは知ってしまったのじゃぞ。わらわの正体が『黒巾党ブラツク・パース』であるという、重大な秘密を。なのに、それを洩らさぬよう処置するだけで済ますわけがなかろう。『計画』に支障をきたす要素はことごとく排除せねばならぬ。なにせ、この『第二日本国』を根底から揺るがす壮大な『計画』なのじゃから。万が一他者に知られれば、おぬしを含めた『第二日本国』の愚民どもを敵にまわす事態になる。そんな愚行を犯すほど、わらわは甘くはない」

「……そ、そんな……」

「――不運だと思ってあきらめるのじゃな。あの場に出会でくわしてしまったことを悔やむがよい」


 そう言って黒ずくめの少女は学生服ブレザーの少女にむかって歩き出す。


「……イ、イヤ……」


 学生服ブレザーの少女はゆっくりと歩み寄って来る黒ずくめの女から逃れようと後退あとずさる。しかし、背後に並び立つ黒ずくめの少年二人に、両腕と両肩を押さえつけられ、身動きが取れなくなる。


「イヤッ! 離してっ!」


 学生服ブレザーの少女は身をよじって逃れようとするが、膂力りょりょくに差があり過ぎるため、振りほどくどころか、逆に地面にねじ伏せられる。

 黒ずくめの少女はその学生服ブレザーの少女の眼前で立ち止まり、その場にしゃがみ込むと、黒の手袋に覆われた細い手を伸ばす。

 地面にねじ伏せられている学生服ブレザーの少女の頭部に、ゆっくりと。


「――お願いっ! やめてっ! 命よりも大切なものを、またメチャクチャにするのはっ! 『アレ』だけなら別にいいからっ!」


 悲痛な声を上げる学生服ブレザーの少女の頭部に、黒ずくめの少女の掌が乗せられる。

 そして、黒ずくめの少女の掌に力がこもった、その瞬間――


「いやぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァーッ!!」


 断末魔に似たさけびが、街を染める闇夜の空にひびきわたった。


「――さて、どうするのかな。ふたたび起きてしまったこの事態を、小野寺勇吾は――」


 ぐったりと横たわっている学生服ブレザーの少女を見下ろしながら、黒ずくめの少女は、愉快げに独語するのだった。

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