現代的な悪魔
P氏は会社帰り、河川敷沿いの歩道を歩いていた。
昼間は親子連れや犬の散歩に来た人々で賑わっているこの場所も、夜になると人通りはほとんどない。明かりも薄暗い街灯がぽつぽつ設置されているだけであまり安全ではないのだが、ここが1番近道なのでいつもここを通っていた。
今日1日の会社での出来事をぼんやり頭の中で振り返りながら歩いていると、前から誰かが歩いてきた。P氏は特に気にせずに歩いていると、その人物はP氏の前で急に立ち止まって言った。
「すみません。契約を結んでいただけませんか?」
P氏は突然話し掛けられた事に驚いた。
「誰だ?」
とP氏が言うと、相手はちょっと困ったような間を開けてから返した。
「…そうですね…誰かと言われると難しいのですが、『悪魔』と名乗っておきましょうか」
「俺は会社帰りで疲れてるんだ。からかうなら別の人にしてくれ」
そういってそのまま進もうとすると、相手は
「からかうつもりはありません。真剣です。」と言った。
改めて相手を見ると、見た目はP氏と同じぐらいの年代でごく普通のサラリーマンのようなのだが、街灯のぼんやりした明かりに照らされているその姿からは、なぜか異質な印象を受けた。
「さっき契約とか言っていたが、一体なんの契約なんだ?」
「単刀直入に申し上げますと、あなたの寿命10年分を頂きたい。代金は現金でお支払いします。」
ずっしりと重いバッグを渡された。開けてみてください、と言われるがままに開けてみると、そこには札束がぎっしりと入っていた。P氏の年給の数倍はありそうな量だ。
「偽札などではありませんので、安心して下さい。番号も全てバラバラです。」
P氏は念の為に中央の透かしを近くの街灯で照らして見てみたが、確かに本物のようだった。
P氏は驚きを隠せなかった。
「いや、これは驚いた……」
「いかがでしょう。どうなるか分からない先の事をあれこれ心配するより、お金を好きに使って今を楽しむ方が良いでしょう。そうではありませんか?
お客様はお金が貰えて喜び、また私は寿命が貰えて喜ぶ、ウィン・ウィンのお話しという訳でございまして…」
「しかし、こううまい話が転がり込んで来るわけがない。なにか騙そうとしているんだろう」
「そんな事はありません。…そうだ。こちらをご覧になってください。今までに契約を結ばれた方々です。契約後に感想を伺うことになっているのですが、およそ9割以上の方に満足して頂けています。」
P氏は疑い深くその人達の顔を見つめていたが、その中にひとつ気になる顔を発見した。
「あ、あ!」
「どうかされましたか?」
「こいつ……おい、こいつはどのくらい前に契約をしたんだ?」
「そうですね……ざっと2ヶ月ほど前、でしょうか。」
「そうか、あいつ、どうりで……」
実は、P氏が見つけたのは同じ会社の同期の男だった。そして、その男は、少し前からなぜか急に羽振りが良くなっていたのだ。仕事帰りによく高級なバーに行っているらしいとの噂は、P氏の耳にもよく入っていた。
P氏は悩んだ末に言った。
「分かった!俺も契約しよう。」
「本当でございますか?」
「ああ。先の事を色々悩むよりも今を楽しむ方が優先だ。」
「ありがとうございます。」
悪魔は深々と頭を下げた。
「では、こちらの書類にサインをお願いします。」
P氏は言われた通りにサインをした。
「では、これで契約は完了です。それでは……お客様の寿命、10年分もきちんと頂戴いたしました。実感は湧かないかもしれませんが……」
P氏は少し不安ではあったが、それよりも金を手に入れた喜びの方が打ち勝っていた。
「いやあ、礼を言うよ。ありがとう」
「喜んで頂けたようで、何よりです。では。」
悪魔はP氏に別れを告げてそのまま河川敷を進み、閑静な住宅街を通り抜けて、とある建物に向かった。
門をくぐり中に入ると、髭をたくわえた老紳士が出迎えた。
「おお、よく来てくれた。どうだ、仕事のほうは順調かね?」
「はい、お陰様で。今日も1人契約出来ました。こちらが契約書になります。」
「うん、なるほど…確かに確認した。
しかし、君のアイデアには脱帽したよ。
素晴らしい。」
「いえいえ、それ程でもございません。
前時代的な商売が成り立たなくなってしまって、ちょうど困っていたんです。
人間はもう若さや権力にはすっかり興味を失ってしまいましたから。
だから、簡単に人を動かせる現金を渡すのが1番手っ取り早い。――そこで、ぱっと閃いたのですよ。寿命と引き換えに現金を渡せるうまい方法が。」
悪魔がP氏に渡した金は、P氏が将来貰う予定の10年間の年金のちょうど半分ほどだったのだ。
「お客様はお金が貰えて喜び、私は寿命が貰えて喜び、政府は払うべき年金が減って喜ぶ。
これぞまさしくウィン・ウィン・ウィンの商売という訳です。」
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