第65話 鉄の男の話

誰かがゴホンッと咳ばらいをした。


「……さて、皆さん。横道はそこまでにしておきましょうか」


司会役の横山である。

眼鏡の端ををクイッと人差し指で上げて直しながら全員を見渡す。


高級スーツ姿に、知的な鉄の表情。


この男、こんなご時世なのにわざわざビシッと高級スーツを着こなすたたずまいからも伺える通り、クールで真面目の二枚目な男である。

”あの日”以前はとある大手銀行の中間管理職であったらしく、頭のほうも非常に切れる。将来有望で幹部候補と言われていた通り、このご時世においてもそのリーダーシップは健在、いつの間にやら代表の一人であり食料や燃料等の資材管理のリーダーとなっていた。


そんな横山であるが、他の9人と決定的に違うことがあった。

彼は、猫嫌いなのである。

幼少期、大の猫好きである祖母のおかげで実家は猫屋敷と化しており、そのせいか軽い猫アレルギーが発症。そうでなくても、猫屋敷の子供はからかいの対象となりやすい。少々暗い小・中学生生活を送ったという悲しい過去があるのだ。

幸いにも自ら希望した寮付きの有名私立高校に合格・入学したことにより猫の呪縛から解放された訳なのだが……


(はぁ……、何が悲しくて、また猫屋敷状態に置かれなければならないんだ)


この、有様である。


横山もこの札幌コミュニティ創設時からのメンバーであるが、人がどんどん増えていくに従い、彼にとって予想だにしない喜ばしくない事態となっていった。


ゾンビの脅威が始まって以来、個々に対処するより集まって防衛したほうが良いとのことで、塀に囲まれたこの学校に避難民が続々と集まりだした。

集まってきたのは人だけではない。彼らが飼っていたペット達も一緒に集まってきたのだった。

災害時の避難所では問題になることが多いが、今回は食料が不足していた訳でも土地がない訳でもないこともあり、ペット連れ避難は比較的大きな問題にはならなかったのだが……


そしたら集まる集まる、猫、猫、ネコ、ねこ!


もう、猫だらけ!

犬とか他の動物はほとんど来ないのに、猫ばかりが集まってきたのだ。

何故か避難民が連れてくるペットは、猫だらけだったからである。


その比率、現在9:1。もちろん、9の数字が猫の比率である。

コミュニティが10,000人を超えた現在、流石に学校施設外にも広がっているコミュニティなので全部の飼い猫が学校施設にいる訳ではないのだが、それでも100匹近い猫が自由に施設を歩き回っている状態なのである。コミュニティ全体では4,000匹はいるのではなかろうか。実際、ゾンビが駆除された安全圏を歩けば、当たり前の様に猫集会に遭遇する。


これは異常な数値である。

”あの日”以前の統計によれば、全国で飼い犬は約900万頭、飼い猫は約1,000万頭存在すると言われていた。ほぼ1:1の比率と言えよう。それが、このコミュニティでは先の数字である。統計学的とか難しいことを持ち出すまでもなく、異常な数値であることが理解できるだろう。

更におかしいのが、人口:ペットの頭数。

”あの日”以前の統計では、1億3,000万人:1,900万頭で、比率7:1。

そして、このコミュニティでは1万人:4,500頭だから、ぼぼ2:1と言ってもよい数字なのだ。

しかも、先から言う通り、その大半が猫なのである。猫屋敷どころか、猫コミュニティと言ってもいいであった。


横山にとっては拷問のような状態なのであるが、出て行かないのには理由があった。

単純に安全確保がいまだできていない陸路移動に同行するには「猫嫌いだから」という理由は弱いのもあるが、実は他のコミュニティもここと似たりよったりの状況らしいからでもある。

まあ、一番の理由は、この大きくなったコミュニティの資源管理ができる適任者が他にいないということが大きかったこともあるのだが。横山は、意外と律儀と言うか、損な性格をしているのかもしれない。



「はっくしょいっ! ……失礼」


横山は、眼鏡の端ををクイッと人差し指で上げて直しながら全員を見渡す。

その高級スーツには浮遊していた猫の毛が。知的な鉄の表情には鼻水が貼りついていたのだった。


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