第8話 ご子息様に私、ノックアウト

 私は驚いて二人の顔を何度も見比べた。


 部屋の中にも英国紳士風の服装に、サラサラしたストレートの黒髪。もう一人のエーリオとしか言い様のない瓜二つの男性。しかし、扉の向こうにいた彼は、良く見れば、エーリオよりも年の頃は上のようだった。私と同じくらいの年齢だろうか。美青年を成長させたようなその姿はやはり美しく、さらには大人の色気をも漂わせていた。そして上品な佇まいは、やはり王家の気品を感じさせる。きっと彼がこの部屋の主、ご子息様なのだろう。

 私が見惚れていると、私の手を握る方の美青年であるエーリオが、エーリオ似の彼に満面の笑みで話しかけた。


「やぁ、エーリオ。噂の人魚を連れてきたよ。君への献上品ってやつ」


 この、若エーリオが放った言葉は私の頭の中を混乱に陥れる。


 ――姿が似ている彼らは、名前までも同じなの? しかし、若い方のエーリオの口ぶりからすると、この人がご子息様であってるのだろう。けれど、ご子息様にため口って、こっちのエーリオは何者なわけ??


 私の思考が頭の中をぐるぐると駆け巡る。私が困惑しながら両者を交互に見比べている、大人エーリオことご子息様が口を開いた。


「おい、チェルヒェ」


 ――あれ? チェルヒェ? 新しい人出てきたんだけど……


「からかうのはよせ」


 私が更なる困惑を迎えたところで、大人エーリオが若エーリオにスパンと言った。すると、私の隣でくすくすと笑いながら若エーリオが姿を歪ませる。初めて会ったとき、何もないところから現れた時のように、空間が歪んで――。


 黒髪ストレートの美青年は一瞬にして、赤毛の癖っ毛猫っ毛の青年に変貌を遂げた。美青年というよりも少し可愛いあどけなさを残した青年がいたずらっぽい笑みで佇んでいる。服装も英国紳士風、片手にシルクハットの出で立ちから赤いチョッキのラフな姿に変わっていた。


「サプライズだよ」


 青年は悪びれる様子もなくクスクスと笑って、


「驚かそうと思ってさ」と付け足した。それはどちらに対してなのか。


「なんだい? サバが空に浮かんだような顔をしてるじゃないか」


 呆気に取られている私に、若エーリオ――もといチェルヒェが、してやったとでも言うような楽しげな表情を向け、私は少しだけ殺意が沸いた。驚きを隠して冷めた目線を突き刺してやると、


「チェルヒェ、黙りなさい」と、ご子息様もピシャリと彼に一喝してくれた。チェルヒェは肩を縮こませて、唇を尖らせる。


 その様子を見ながら私は日中、彼と初めて接触したときのことを思い出した。姿を消していた時の、戸惑う私を見てクスクス笑っているいたずら妖精のようだった彼。そんな第一印象に反して、姿を現した時は気品高く上品な印象の見た目だったから、そこで大きなギャップを感じたのだったっけ。少しミステリアスと思ってしまったのだが、でもそれは、いたずら妖精のような性格の彼が正反対ともいえるような性格の上品で気品高いエーリオを真似したから、というだけのことだったのか。


 理由が分かってしまうと、なんだか可笑しくて私はクスリと笑ってしまった。そして、不意に、誰かが私の手をそっと触れた。その感覚に私の意識は目前のことに引き戻され、気がつくとご子息様は私の前に跪いていて、私の右手をとると大切そうに撫でていた。


「人魚殿、チェルヒェが失礼なことをしてすまなかった。私はエーリオ・ヴィットリーニ。ここヴィットリーニ王国の国王であるカルロ・ヴィットリーニの第一子だ。そしてこいつは、私の遣い魔で友人のチェルヒェというのだが、どうもイタズラが好きで仕方ないんだ」


 エーリオはそう言ってて、そして、私の手の甲に口づけをする。それは、触れるか触れないかのような仄かなキスだ。これはまるで、黒騎士に口付けされるお姫様のような気分じゃないの! うひゃー、くすぐったい!


 普通の人にされたなら軽く引くだろうこのシチュエーションだが、しかし、ご子息様の姿はとても様になっていた。


 ――これは文化なのです! ここじゃ普通の挨拶なのです!


 脳内に住む理性の私は何故か敬語で騒いでいる。そう、特別な意味など無いのは百も承知だ。だが、その理性に反して身体の血流は勢いづく。私は昂る気持ちを抑えるために、脳内で西洋知識の欠片を必死で絞り出して叫んだ。


――これは文化です! 挨拶なのです!

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