第4話 透明な……笑い声?

 私は一人、誰もいなくなった部屋でニヤニヤしていると


「あーあ、喋るべきじゃなかったのに」という言葉が、どこからともなく聞こえてきた。私は部屋に誰かいるのだろうか、と布団から出て探しはじめた。ベッドの下……いない。クローゼットの中……いない。机の下にもいなかったし、もしやと思い、机の引き出しを覗いてみたけれど、何もなかった。この部屋は広い部屋だが、隠れられそうなところはあまり無かった。どこだどこだ、とキョロキョロ見回す私に、声の主はクスクス笑って、


「探しても無駄だよ」といたずらっぽく喋った。一体どこから見ているだろうか。私が思案していると、いたずらっぽい調子で青年のような声が言葉を続ける。


「それにしても、こんなところで喋ってしまうなんて……失敗だったね」


 声の主はクスクス笑い、そして――。


「命の保証はないよ?」


 恐ろしい声でそう言った。私は気味が悪くなり、再び周囲を見回してみる。が、やはり誰もいなかった。


「えっと……どなたでしょうか? そして、どこにいるの?」


 私は尋ねる。すると、


「ここさ」という声は、私の右耳のすぐそばから囁かれた。私は驚き、勢いよく顔を右に回すのだが、そこには誰もいなかった。そしてもちろん、何も無かった。けれども耳には、確かに囁かれたという、吐息のくすぐったさが残っていた。

 何故だか私の頬は火照り、心臓が跳ねた。よくよく考えると、耳元を誰かに囁かれるなんて、今までの人生でそんなこと無かった。私は急に恥ずかしくなり、咄嗟に右耳と胸に手を押し当てて熱を静めようとする。しかし、なかなか思うようにいかず、心臓はドキンドキンと騒いでいた。


 見えない誰かは近くでクスクスといたずらっぽく笑っている。私はその様子に、声の正体は危険な存在ではないような気がした。いたずら好きの、妖精かもしれない。


「お願い、姿を見せてよ! 命の保証は無いってどういうこと? よかったら、助けて欲しいのだけれど……」


 私は再び見えない青年に声をかけてみる。


 すると、笑い声の聞こえるところ、何もなかった空間が歪みはじめる。そしてそこから、なんと英国紳士のような格好をした青年が現れたではないか。サラサラの黒髪に白い肌、整った顔立ち、思わず見惚れてしまうほどの美青年だ。彼の立ち姿は、ただ立っているというそれだけでも、とても上品かつ気品高い雰囲気をあふれ出させていた。それはいたずら妖精のような第一印象とはあまりにもかけ離れた姿で、私はどこかチグハグとしたようなミステリアスな雰囲気をその青年から感じ取った。

 青年は片手にシルクハットを持ち、胸の前に置いている。そして、会釈をひとつ。その様子はなんだか不思議の国のアリスに出てくるイカれた帽子屋――マッドハッターを彷彿とさせて、私に一抹の不安を生じさせた。しかしそれでも、私はまず、現れたのが人間の姿であることに安堵する。


「やあ、僕のことはエーリオと呼ぶと良いよ。君はアリスかい?」


 美青年が口を開くと、しかし、いたずらっぽい笑みがやはり浮かべられていた。彼の名前はエーリオと言うらしい。しかし、私がアリスとはどういうことなのか。


「アリス? アリスではないと思うのだけれど」

「でも人魚でもない。違うかい?」


 彼の問いに困惑しつつも私は答えるが、エーリオはまたよく分からない質問で返してきた。


「――? 人魚じゃないよ。当たり前でしょ」

「じゃあ、アリスだ」


 アリスか人魚の二択しかあり得ないのだろうか、彼の言ってることはよく分からなかった。この世界は話が通じない人ばかりなのかもしれない。


「違うってば。アリスじゃなくて、私にはちゃんと名前が……」

――あれ?


 自分の名前が思い出せなかった。私が戸惑っていると、


「アリス、君に良いことを教えてあげよう」と、エーリオは不敵な笑みを浮かべて言った。それはいたずらっぽいというよりも、底意地の悪い笑みだった。


「この城では人魚の振りをした方が懸命だ。でないと殺されてしまうよ。君と……ついでにこの辺りの村人の千人くらいもね」


 どういうこと? 私がその言葉の真意を聞こうと思ったとき――


 コンコンコン


 扉をノックする音が聞こえた。


「誰か来たね。では一時のさよならだ。僕はどこにでもいるし、どこにでもいない。安心するといい」


 エーリオは帽子を被りながらそう言って、透明に戻ってしまった。そして間もなく――。


「失礼します」


 今度は人間の形をしたメイドが現れた。


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