アンデッド①




ノイズ・ルーチェスは『不死』であること以外は普通の人間であった。むしろ、それ以外は平凡な男であるといっても過言ではない。しかし、彼が普通であれば普通であるだけ、その異常を目の当たりにしたとき、誰もがその得体の知れなさに戦慄する。


ノイズの前では、どんな異常者も赤子同前だった。


生きているものであれば誰しもが恐れる『死』の恐怖が、彼には、ないのだから。


「だが、俺にとってはそれこそが恐怖だ」


裏を返せば、どんなに苦しくとも、辛くとも、ノイズは死ねない。


死ねない恐怖。


それがどんなものなのか。ブラッドには想像もできなかった。先ほどまでのクレイ討伐で、満身創痍、絶体絶命だと思われたあの瞬間、ああ、死ぬのだなと漠然と覚悟したブラッドには。


異常者も、生まれた時から異常者ではない。中でも特に危険視されていたクレイでさえ、行方を眩ませば親が心配してくれるような普通の子供であったという。


「なら、お前は一体なんだ?」


異常者は、大概気が狂っている。だから危険なのだ。


けれどノイズは違う。自分が化け物である事を酷く冷静に受け入れている様に見える。生まれた時からそれが普通であったなら、その冷静さも頷けるのだが。


生まれつき不老不死、というのも可笑しい話だ。それにしたって、彼は普通すぎるのだ。普通すぎて、彼が異常であることを忘れる程に。


「俺は、……化け物だよ」


そう言って、彼は語り始める。

彼が受け入れざるを得なかった、その時の事を。




ノイズは、ある時まで自分が化け物であるという自覚がなかったのだという。異常と普通の違いを考えることすらもない、ごく一般な成人男性。両親は既に他界していたが、天涯孤独ではなかった。愛する女性が、側にいたからだ。


女性の名前は、ロゼッタ。思春期の頃から苦楽を共にし、愛を育み、結婚もしていたというのだから驚きである。二人の間に子は出来なかった。ノイズが不老不死の化け物である事が起因しているかどうかは定かではないが、彼には生まれつき子種が無かったのだ。


ロゼッタは、それでもノイズと共にいる事を選んだ。そんな彼女を幸せにしてやりたいと、そう思う事は当然だった。


二人の関係に影が差したのは、三十歳を過ぎようとしていた頃の事。


彼女の様子が可笑しい事には気づいていたが、理由を聞いても口を割ってくれない彼女を、それでも宝物のように大事にしていた事は、彼の穏やかな口調から見て取れた。愛おしそうに、懐かしそうに、ノイズはロゼッタの名を口にした。基本的に穏やかな気性のノイズとロゼッタが喧嘩になる事など、ほとんどなかったようだ。


だからこそ、何が起きているのかノイズには分からなかったのだ。心当たりは皆無に等しい。どうして話してくれないのかと、そう思っていた。二人は確かに愛し合っていたし、信頼もしあっていた。彼女が彼に不満があるとしても、話を聞く限りでは、二人はそれを口にしあえる関係であった。


なら何故、彼女が口を閉ざし、そして、我慢は限界を迎えたのか。


「あいつは、ある日突然、俺にナイフを突きつけた」


そう言ったノイズの顔には、どうしようもないやるせなさが滲んでいた。今なら分かるのに、彼女が苦しんでいたその理由が。なのに、また同じ事が起こっても、きっと気づけなかっただろうという、その不甲斐なさ。


「彼女は、美しい瞳からボロボロと涙をこぼしながら、震える声でこう訴えた」


『なぜ、あなたはいつまでも変わらないの』


『不死』という言葉と必ずという程ではないが、共にされる言葉。

それは、『不老』である。


しかし、その時はまだ、まだ普通に、たった三十年程しか生きていなかったノイズには分からなかったのだ。彼の中で『年齢』という概念がすでに崩壊していることなど。


『私は、あなたの隣に並べるように、努力して、綺麗なままでいたかったのに』


後で聞けば、ノイズには幼い頃の記憶もあるのだと言う。だからそれまでは、順当に年は取っていた筈なのだ。けれど、彼女は、ロゼッタだけはそうは思わなかった。


『私ばかりが、どうして醜く老いていくの?』


「言われるまで、彼女の滑らかな肌に、ほんのすこしの皺が刻まれている事には気づかなかった。目じり、頬の下。首回り」


しかしどんな風になったとしても、ノイズにとって、ロゼッタは美しいままだった。愛しい女性が、そんな事で醜く見えるわけがない。


「俺は、彼女を宥めるために必死に言葉を探した。ああ、ロゼ、そんな事を思い悩んでいたのか。気づかなくてごめん。大丈夫だよ、君はとてもきれいだ。…ってな」


けれど彼女は、そうは思わなかっただろう。


努力をしても、若い時のままで居られず、どんどん自分の肌は老いていくのに、愛しの彼は、何にもせずとも昔と変わらない。


「俺が慰める度、ロゼの顔は歪んでいった」


そして、こう言うんだ。


『あなたには、分からないのね。学生の頃から、あなたは何一つ変わらない。私だけがどんどん醜くなっていくみたいで、辛いの。分かってる。あなたがそんなことを気にしてないことくらい。でも、それが、辛いの』


「そこで俺は漸く気づいた。いつから、彼女の、花が綻ぶような笑顔を見なくなったのかって」


彼等はまだ三十代。老けているとかいないとか、そんなものは誤差の範囲。ただ、そんな慰めは意味を為さない。ノイズは顔が整っている部類であるし、彼が言うにはロゼッタも美人であった。


それなのに、美しく綺麗でありたいという女性の方に、先に老いが来てしまった。そして、いつまでも、その差が縮まらないのではないかという恐怖。彼女は、それに囚われてしまっていた。


そして、結果として、彼女のその予想は、当たっていたのだが。


「それでも、ロゼは俺を愛していると言ってくれたし、俺も愛していたんだ」


周りから見れば、お似合いのカップルであった事は間違いなかった。彼女は、幸せだったはずだ。


「けど、もう耐えられないって。辛いんだって。そういって泣くロゼを、俺は抱きしめてやろうとして」


  近づいた。


  ロゼッタの手に、ナイフがあるのを知りながら。


「彼女がそうしたいのなら、それでも良いと、思った。彼女を愛していた。彼女の恨み言さえも、美しいと思えた」


羨ましい程、彼等は純愛だった。


ノイズは、そのまま、彼女を抱きしめた。ナイフが刺さるのも構わずに。


思い出すように、ノイズは自分の胸に手を当てた。


衣服は破れ、晒されたその胸には、彼が彼女に付けられたという傷は愚か、先ほどクレイに付けられた傷すらもない。


「朦朧とする視界の傍らで、彼女も、自らをも刺したのが見えた。その頬を撫でて、彼女にキスをした」


  最後の口づけは、鉄の味がした。


『ごめん、なさい、ノイズ、ごめんなさい…』


  愛してる。

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