魔法使いと首飾りと遠い約束

海月大和

幼女が自分を魔法使いだと言い張る

 通算で2万歩目だった。


「ん?」


 踏み出した左足の裏に変な感触を感じたのは。


 なんか踏んだな。そう思って右腰に付けていた歩数計から足元に視線を移すと、肌色のものが見えた。


 それが何なのか理解すると同時、


「ぬおぅ!」


 俺は素っ頓狂な声を出して足を引いた。


「え~っと? これは、どう見ても……」


 足だった。それも子供の。裸足のちっちゃな足が茂みの中からにゅっと生えている。


 特に何をしたという訳ではないけれど、なんとなく、俺は悪戯をした子供のように恐々と辺りを見回した。


 街から4キロほど離れた小さな山の麓。山と山の間を通る小道には、人っ子一人いない。


 森のど真ん中、草木を除けただけのほとんど獣道に近いこんな場所に、子供の足? しかも裸足。なんだろう。すごく犯罪の匂いがするよ?


「とりあえず、このままにはしておけないよな」


 と言っても、子供の踝から先は茂みにすっぽり入り切っているので全く見えない。引っ張り出した方が早そうだ。


 引っ張ったら足だけでした、とかイヤだなぁ。なんて物騒なことを考えながら、俺は華奢な踝を掴んだ。温かい。どうやら第一発見者として事情聴取、などということにはならずに済みそうである。


「ふっ!」


 ぐっと足を踏ん張って、一息に頭まで引きずり出す。


 出てきたのは十歳くらいの女の子だった。そして、その子は非常に変わった格好をしていた。


 簡潔に説明するならば、魔法使いのよう。魔術師でも魔導師でも、まあ呼び方はどうでもいいが、テレビゲームのそういった職業の人が着るような、ゆったりした灰色のローブを身に着けていたのだ。そのくせに裸足。


 なんともけったいな状況である。誰か俺に一から十を知るような洞察力と推理力をくれ。わりと本気で願う。


「ん……」


 よく分からない現状に頭を悩ませていると、小さな声が聞こえた。俺が起こす前に少女は目を覚ましたようだ。


 のっそりと身体を起こした少女は俺を見上げ、それから周りを見回し、首を傾げて悩んだあと、ハッと何かに気付いた様子で再度俺を見上げた。


「あなたもしかして、ロリ――」


「違います」


「……。ロリ――」


「違うから」


 ファーストコンタクトは誤解を解くところから始まった。






 曰く、自分は魔法使いである。


 曰く、カラスとのレース中に不注意で箒から落っこちてしまった。


 曰く、実年齢は三桁を超している。


 目覚めた少女はそうのたまった。


「え~と……」


 随分と突拍子もないことを言う。まあ、大人が言うなら頭は大丈夫かと心配するところだが、子供が言うならばむしろ夢のある話だ。えっへんと胸を張る様子も微笑ましい。  


 ここはむやみに否定せず、子供の話に付き合ってみようか。俺は屈んで少女と目の高さを合わせ、言った。


「へぇ~、そうなんだ。それは大変だったねぇ」


「全く信じてないでしょ」


「うっ……」


 鋭い切り返しに思わず呻きが漏れる。即効で見抜かれた。


 いやいや、まだいけるさ。子供の夢を守るんだ。


「そ、そんなことないよ?」


「嘘。これっぽっちも信じてない。目を見れば分かるわ」


「目を……?」


「うん。泥水みたいな目してるもの」


 そんな濁ってねえから! っていうか泥水みたいな目って明らかにヤバイ奴だろ。というツッコミが喉から出かけたが、どうにか飲み下した。さすがにこんな子供に容赦のないツッコミをする訳にはいかないでしょう。


 少女がふぅ、と年齢に似合わない深い溜め息を吐いた。


「まあ、あなたみたいな反応が普通でしょうね。いいわ。証拠を見せてあげる。あなた、ちょっと下がって」


「えっ? どうして?」


「いいから。ほら早く」


 怒ったように言われて俺が一歩下がると、少女は目を閉じ、何かをぶつぶつ呟きはじめた。


 遊びにしてはずいぶんと凝ってるなぁと思っていたら、なんと少女の周りに風が吹き出した。風は少しずつ強くなり、少女の周りで渦を巻く。


「――――!」


 一際強い口調で少女が言葉を放った瞬間、渦を巻いていた風がぶわっと周囲に拡散した。


 俺は目を瞬く。


 な、何だったんだ、今のは? 明らかに自然現象じゃなかったぞ。


「これで――」


 神秘的な余韻が残る中、少女は声を紡ぐ。この場の空気を完全に支配する彼女の言葉は、抑えた声なのに凛と響いた。


 ごくり。俺の喉が鳴る。


 少女はゆっくりと目を開いた。


 俺は彼女から目を離せない。


 『これで』? 何だ。どうなったというのだ?


 次の瞬間、俺は少女の口から驚くべき言葉を聞いた。


 それは――


「これであなたの今日の晩御飯はイカスミパスタになったわ」


「ショボっ!! あんな仰々しいことやっといてそれ!?」


 何だったんだあの演出は! あの神々しい雰囲気は! 勿体つけた喋り方は!


「しかも何の証明にもなってねえし!」


 耐え切れずにツッコミを入れた俺を、少女は呆れたような目で見る。


「これでもまだ信じられないというの、あなたは?」


「今ので何を信じろと!?」


 少女はやれやれといった仕草で溜め息をつき、


「しょうがないわね。じゃあ、あなたの明日の朝食が春雨ヌードルになる魔法を……」


「ほとんど変わんねえよ!! 信じてほしいのかほしくないのかどっちなんだお前は!? そんでなんでメニューのチョイスが微妙なのばっかなんだよ!」


 あまりにも少女の言動がふざけ過ぎていて、もはや言葉遣いとか態度とかを取り繕う必要性を感じない。俺は全力でたたみ掛けるように突っ込んだ。


「あらごめんなさい。あなたの反応が予想以上に面白くて。ついつい悪ふざけをしてしまったわ」


 全身全霊の俺のツッコミを受け流して少女は言う。そして人差し指で宙に何かを描く真似をした。


「えっ……」


 今度こそ俺は本気で驚いた。なんたって俺の目の前にト音記号が浮いているのだから。アルコールランプの炎みたいなそれは、少女がふっと息を吹きかけるとたちまちに消えてしまった。


「どう? 信じる気になった?」


 絶句している俺を、挑発的な目で、嬉しそうに口元を曲げて、少女が見上げてくる。


 あんなものを見せられては反論する気力も出てこない。俺は疲れたように零した。


「信じるしかないだろ、こんなもん」


「ふふん、よろしい」


 そう言って得意げに笑う様だけは、歳相応に見えた。








「あなたの願いを一つだけ叶えてあげるわ」


 ぴしっと俺を指差して少女は告げる。


「願い?」


「そう、願いよ。何かあるでしょう?」


 オウム返しに答えた俺を真っ直ぐに見据えて少女は頷いた。


「そりゃああるけど、なんでいきなり?」


 突きつけられた指をやんわり下ろさせながら、俺は訊ねた。ドのつくオレンジ色のボールを集めた記憶はないんだが。


「警戒しなくてもいいわよ。魔法使いの掟に従うだけだから、対価とか見返りは必要ないわ」


「そんな掟があるのか?」


「ええ。人間に正体を明かしたんなら、ついでに願いでも叶えてあげたら~? っていう掟」


「激しくテキトーだな。掟なのに疑問系なのかよ」


「今ならセットで呪われた市松人形をプレゼント~」


「いらねえよ!! 善意に悪意を紛れ込ませんな! ……ちなみにそれ貰ったらどうなるんだ?」


「三日後に」


「三日後に?」


「頭頂部がハゲる」


「頭頂部のみ!? リアルに恐ろしいな!」


「欲しい?」


「要らんわ!」


「勿体ない。普通に買うと三十万もするのよ?」


「高ッ!? しかも普通に売ってんのそれ!?」


 一体誰が買っていくんだろう。むしろそっちの方が気になる。


「で? あなたは何を叶えて欲しいの?」


 掛け合い漫才が一段落したところで、改めて少女は訊いてきた。


 俺が叶えてほしい願いといえば、一つしかない。


「人を……」


 ちょっと躊躇ったが、俺は話すことにした。


「人を、探してほしい」

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