第31話 中流家庭のお昼

「とりあえず、お茶でもどうぞ……」

「いただきます」


 冷蔵庫から持ってきた、ペットボトルの茶をグラスに注いで渡す。

 正座している海智留みちるは受け取るとすぐに飲み、


「助かります。少し喉が渇いていたもので」

「え?」

「殿方のお家にうかがうのは初めてなので。緊張しています」

「あー、なるほど……」


 言われてみれば、正座した上に、軽く握られた拳がある。背筋が伸びすぎているのも、緊張のためなのだろう。


「もっと、雑然としたお部屋を想像していました。なので、今日は一日かけて天さんのお部屋を掃除するつもりで来たのですが」

「いやいやいや、そこまでしなくていいって。部屋の掃除くらい、いつも自分でやってるから」


 ブツが見つかってしまったので、天の方はもう緊張感が無くなっている。何故か、疲れすら感じていた。

 とりあえず、貸す予定の本を渡す。


「少し、拝見してもいいですか?」

「うん、いいよ」

「では」


 と一冊目を取り出して、海智留みちるは読み始めた。

 うん、なるほど、おお、これは、などとこぼしながら、読み進めている。本に没頭するタイプらしい。

 たっぷり三十分ほどかけて、第一巻を読み終えた。その顔は、どことなく満足そうだ。


「こんなに良いものをお借りしていいのですか?」

「うん、いいよ。約束だし、俺はもう何度も読んだし」

「ありがとうございます。帰ったら寝食を忘れて読みます」

「いや、食事と寝るくらいは普通にね……」


 かなり喜んでもらえたようだ。天としても嬉しい。

 ただ、本は十数冊ある。海智留みちるが持つには辛いだろう。


「本は届けるよ。っていうか、送るついでに持っていくから」

「よろしいのですか?」

「もちろん」


 海智留みちるも、肩の力が抜けてきたのか、固さも和らいできた。

 そこで、扉が控えめに叩かれた。


「天? ちょっといい?」

「ん? なに、母さん」

「ちょっとちょっと」


 隙間からのぞくように、母が手招きしてくる。


「ごめん、ちょっと待ってて」

「はい。……あの、続きを読んでもいいですか?」

「うん、ゆっくりしてて」


 部屋の外には、母だけではなく、父もいた。どちらも神妙な表情をしている。


「どうしたの?」

「どうしたのじゃないの!」


 母が器用に、小声で叫ぶ。


「あの子、この前の子よね?」

「ああ、うん」


 この前、というのは、海智留みちるを助けた時のことだろう。


「何があったの?」

「何がって、いや……」


 一時、結婚を求められた。とはさすがに言えない。


「あの日の次に、お礼っていってパンを貰ったくらいで……」

「それだけ?」

「えーっと、他には……」

「昨日、友達と遊ぶって言って出かけてたわよね? もしかして、あの子と?」

「う、うん」


 答えると、母は目頭を押さえた。父は、何故かしきりにうなずいている。


「うちの子にも、ついにアオハルが……」

「いや、パン屋さんみたいなこと言わないでよ。せめて、セイシュンと言ってよ」

「天、吊り橋効果とはいえ、せっかくのチャンスなんだからね? 付き合うなら、しっかりとしなさいよ?」

「いや、別のそこまでの仲じゃないよ……」

「今日、お昼はどうしようかしら? あの子も一緒よね? おうどんの予定だったけど……」

「うどんでいいでしょ」

「パスタの方がいいかしら?」

「こだわらないでよ……」


 勝手に盛り上がる両親を落ち着かせたものの、昼食はパスタになった。

 そして、当然のように、海智留みちるを紹介することとなったのだった。

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