第67話彼の今後②


「そんなのだめです! ライゼルさん1人が外国をぶらぶらしたところで、夢喰いを簡単に見つけられるとは思えません。絶対あの人たちの方が、ライゼルさんより一枚も二枚も上手です。だったら、無償の警備員としてここの城館で働く方が、よっぽどお互いのためになると思います!」


 ようやく彼の言葉を飲み込んだところで、私は大きく首を振る。

 力一杯の反対に、ライゼルさんは口ごもってしまう。


「それは……」

「そりゃあ、ここに居づらい気持ちはわかりますよ。クリュセ、未だにライゼルさんに冷たいし。……私も、意地悪なことを何度も言ったし。でも、それを気にして外国に行くって言うなら、私も態度を改めるよう努力しますから——」

「そんな、君が……」

「カトレア殿。これは、私から勧めたことなんだ」


 見かねたように、フィラルド先生が口を挟む。


「はじめライゼルも、責任逃れのような真似はしたくないと言っていた。叶うことなら、救われた恩を君たちに返したいとも言っている。

 ……確かに、ライゼルは許されぬ罪を犯すところだった。それが未遂に終わったとしても、彼がこの国でやるべきこと、償うべきことは多くある。だが、ライゼルは未熟だ。今の彼が、君たちに返せるものはあまりに少ない」


 警備員としてなら、それなりに頑張れそうだけど……。ここで余計な口を挟むわけにもいかず、黙って私はフィラルド先生の言葉に耳を傾ける。


「私は弟子を強くしてやりたいと思うあまり、剣術ばかりを仕込んで、そのほかのことを疎かにしてしまった。そのせいで、私は彼の視野を狭めてしまった」


 ライゼルさんの顔をこっそり見上げる。

 ……確かに、視野が狭い。


「それに、騎士団という悪意を向けられやすい環境に彼を放り込み、黙って耐え忍ぶことばかりを強要させた。結果ライゼルは、何事も内に溜め込む癖をつけてしまった」


 ……確かに、内に溜め込みすぎていた。


「彼の未熟は、私の浅慮と指導不足が原因だ。だから、甘いとはわかっているが……出来ることなら、彼に外の世界を知る機会を与えてやりたい。1人きりで世界に放り出されれば、否が応でも己の限界を知ることになる。そうすれば彼も少しは成長することができるだろう」

「……つまり。ライゼルさんは流浪の旅をして、自分の駄目さを自覚して、いつか視野が広くて意思が強く頼り甲斐のある男の人になって戻ってくると?」


 私が問うと、ライゼルさんから「グゥッ」と潰れたカエルのような音が聞こえて来た。

 そんな彼の様子に、フィラルド先生は苦笑を漏らす。


「それは、ライゼル次第だが。私はそう願っている」


 言いつつ、フィラルド先生は笑いながらも鋭い瞳をライゼルさんに向けた。ライゼルさんはぐっとへこんだ表情を引き締め、深く頷いた。


「努力します。……彼女が、許してくれるなら」

「……」


 どうしよう。ライゼルさん、ちょっと武者修行してきた方がいい気がしてきてしまった。視野が狭くて意思が弱く頼り甲斐と度胸のないライゼルさんより、視野が広くて意思が強く頼り甲斐も度胸もあるライゼルさんの方が、誰だって好ましいに決まっている。

 強く反対してしまった手前、今更「やっぱりいってらっしゃい」と掌を返すこともできず、次に言うべき一言を考えていると、ふと疑問が頭に浮かんだ。


「あれ? そもそも、どうしてその許可を私に求めるんですか」

「君がいなければ、私は全てを失っていたからだ」


 即答されるけど、何だそれ。意味がわからない。


「その——君を殺していたとしたら。私は、先のことを考えることも、自分の弱さに向き合うこともなく、ただ周囲を巻き込み破滅していただろう。君が行動し、私を許してくれたからこそ、私は自分の将来を考えることができるようになった。だから、この選択の是非を、君に委ねたいと思って……」

「そんなものを委ねられても困ります。勝手にして下さい」

「だが、救われたからと好き勝手な行動をしては、君の温情に対してあまりに無責任だろう」


 うう、しつこい!

 やっぱりライゼルさんは、視野が狭くて意思が弱く頼り甲斐と度胸がなくて判断力に欠ける人だ。フィラルド先生の言う通りだ。この性根は叩き直されなければならない。


「わかりました。そこまで言うならいくらだって許可します。もう外国に行って、じゃんじゃか荒波に揉まれて来てください。……その代わり、条件があります」

「な、なんだろうか」


 ライゼルさんは姿勢を正す。今なら何を言っても聞いてくれそうだけど……己の欲は引っ込めておこう。


「ライゼルさんすごく強いのに、肝心なところで中途半端というか、敵に対して甘いところがありますよね。相手を攻撃するとき、いつも『苦しまないよう一発で仕留めてやろう』とか考えているでしょう」

「えっ」


 私はそこまで自惚れ屋じゃない。

 子供のころからずっと修行漬けだったライゼルさんと、お嬢様として18年生きてきた私の間には、埋めようのない経験の差がある。

 いくら極限状態のなか、何十回も同じ戦いを繰り返したからといって、本来私みたいな婦女子がライゼルさんの攻撃を簡単に避けられるはずがないのだ。


 でも、避けられた。

 ライゼルさんの攻撃って、急所ばかりを狙ってくるせいで、すごく読みやすかったのだ。

 きっと手足を斬ったら可哀想だなんて考えて、一発即死を狙ったに違いない。


 ……ある意味、ライゼルさんが甘々だったからこそ、私は今こうしていられるわけだけど。

 これから心を入れ替えて強くなるというなら、そのあたりの甘さは直してもらいたい。今度は、セレニアちゃんを人質にとられても、敵の頭をスパンとちょん切って、血の雨を降らせるくらいの迷いのなさを見せて欲しい。


「あれ、ライゼルさんが強いからできるんでしょうけど、相手からするとすごく攻撃が読みやすいです。外国に行って、そのまま旅先で死なれちゃったら私がすっごく気まずい思いをする羽目になります。だから、誰も太刀打ちできないくらい強い剣士になるまで、あのお情けは封印して下さい」

「え……は……?」


 どうして私がそんなことを言うのかと、ライゼルさんは大きな目をぐるぐると動かす。けれど、当然ながら反論はできないようで。

 やがて彼は、からくり人形のように何度もカタカタと頷いた。


「あ、ああ、わかった。その通りに、するよ」

「——あ。それと、大事なことを聞き忘れていました。ライゼルさん、その後セレニアちゃんには正式に告白したんですか。そのあたり、セレニアちゃんに聞いても教えてくれなくて」

「……!」


 ライゼルさんは目を見開いて、額にぶわっと汗を浮かばせる。それから、気まずそうにフィラルド先生をちらちらと見た。

 身内の前で恋バナを持ちかけられる、何とも形容し難い恥ずかしさは理解できる。でも、ここで逃亡を許すわけにいかない。

 答えを聞くまで納得しないぞ、と目で語って見せると、こちらの意思を察したようで、ライゼルさんはこほんと咳払いを1つして言った。


「いや、していない。さすがにこの状況と立場でそんなことはできなくて」

「……はい?」


 結局まだだったのか。あれだけお説教したのに!

 あの夜の怒りが少しだけ燃え上がったけど、どうにか気持ちを沈めて、私はゆっくりと既婚女性らしく穏やかに言った。


「ライゼルさんが態度を決め切らないまま旅に出ちゃったら、セレニアちゃんはきっと困ります。素敵な男性と出会っても、ライゼルさんに遠慮して、思う存分恋愛に没頭できないなんてこともあるかも。そうなったら大迷惑です。重罪です。

 だから、まず正式に告白して、彼女との関係をはっきりさせた上で、旅に出るかどうか決めて下さい。それが出来ないうちは、この国を——いえ、この屋敷を出ることを禁じます」

「いやだが、こんなことをやらかした私が彼女にあれこれ言うのは……。私のような人間が、セレニアに好意を持つこと自体が、そもそもおこがましいことで」

「ライゼルさん」


 私は、右足を構える。


「蹴りますよ」


 うぐっとライゼルさんは息を飲み、足の間に警戒を走らせた。

 そして、無駄に言い訳がましいお口を閉じて、こくこくと頷く。……ちょっと無理やり感はあるが、了承してもらえたようだ。


「……はい、じゃあ中にどうぞ」


 そう言いながら、私はサロンの扉を勢い良く開いた。——すると、ごん、と扉に何かがぶつかる音がする。それに重ねて、「きゃっ」と可愛い声が小さく響いた。

 慌てて中を覗き込めば、額をおさえてあたふたするセレニアちゃんの姿がある。ありゃ。


「セレニアちゃん、もしかして今の話、全部聞いていたの?」


 訊ねると、セレニアちゃんは赤くなった額に手を置いたまま、恥ずかしそうに頷いた。そして、ぶつけていないはずの頬まで真っ赤に染め上げる。


「は……はい。はしたないことをしてしまいました……。でも、どうしてもお話の内容が気になってしまって……」


 か、かわいい。


 いてもたってもいられず、扉に張り付いて盗み聞きをしているセレニアちゃんを想像したら、それだけで胸がきゅんとした。ふと隣を見れば、やはりきゅんとしている様子のライゼルさんの横顔がある。

 ちょっとイラッとした。


 でも、猛烈に好きってそぶりを見せたまま黙って外国に行くなんて、当て逃げみたいな真似を許すわけにもいかない。それに、セレニアちゃんはまだライゼルさんのことを(好きなのかどうかはともかく)大事に思っている様子である。なら——


「そういうことなので、ちょっと2人で話して下さいね!」


 ライゼルさんをサロンの中に押し込める。その僅かな間に、中に残っていたハリエがするりと廊下の外に出て来た。素晴らしい対応力だ。


「あの、お義姉様……これは……」


 セレニアちゃんは落ち着きなくライゼルさんと私の間で視線を惑わせる。こんなに慌てた顔を彼女が見せるのは珍しい。


「セレニアちゃん。嫌だったら、中止するけど」


 私の言葉にセレニアちゃんははっとして——それから、きゅっと口元を結ぶと、首を横に振った。


「……いえ。兄さんが私にお話しがあるというなら、伺おうと思います」

「わかった。じゃあ、私は廊下で待っているから。もし身の危険を感じたり嫌になったら、すぐ声を出してね。

 ライゼルさん、逃げちゃだめですよ」


 それだけ言って、私はぱたりと扉を閉めた。

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