第24話ループ8+α -4



「は? 恋?」


 単語の意味を受容しかねて、私はついつい聞き返す。

 公爵は大真面目な顔で、私の言葉に頷いた。


 ……はあ?


「あ、あの。貴方に恋されるようなエピソードなんてこれまで一度もなかったはずです。というか私、公爵様に会ったの、今日が初めてですけど」

「……」


 私の言葉に、公爵は沈黙する。

 ——え? 私、間違ってないよね? 人生をちょっと振り返ってみたけれど、銀髪の美青年との出会いなんてイベントなかったはず。


 そもそも、私はこれまで人生のほとんどを領地で過ごしてきた。ど田舎に引きこもっていたのに、王都近郊で暮らす公爵が私に恋をするなんて、物理的に不可能なはずである。


 大穴で、王都旅行中に一目惚れされた——という可能性も一応考慮したが、ちょっとおこがましすぎる発想だったので、脳内会議で却下しておいた。


「君は覚えていないだろうが……。以前、君の長兄であるモーリス殿が王都の剣術大会に参加した時に、一度君と会ったことがある」

「ご、ごめんなさい。全く覚えていません」


 公爵はぐっと顔を引き攣らせたが、すぐに首を振り「それもそうだろうな」と悲しそうに言った。

 モル兄様が参加した剣術大会自体は確かに行ったし覚えている。でも、私の記憶には血湧き肉躍る剣戟の数々しか刻まれていない。


 というか……


「モル兄様が大会に参加したのって、4、5年くらい前だったような気がするのですが」

「6年前になる」

「……は」


 6年前。そのとき私、12歳。

 いや、そんなことは問題ではない。この人は、つまり6年前から——


「ずっと君が好きだった」

「いやいやいや……」


 許容できない急展開に、私は首を振りつつ三歩後退する。

 時空の歪みというやつが、公爵の頭も歪ませてしまったのだろうか。この人の言っていることはあまりに突飛すぎる。


「貴方、ついさっき離婚も考えるようなことを言っていましたよね。どうしたんですか、急に」

「それは、事情があって」

「事情? どんな事情があれば、好きな子を無視したり馬鹿にしたり放置したりできるんですか。これまでの行動と仰っている内容が噛み合わな過ぎて、理解できません」

「く……」


 歯痒そうに公爵が声を漏らす。そして言葉を探すように視線を惑わせて、またもごもごと言う。


「まず、その、無視については——単純に、君とどう話せばいいか分からなくて……。君のことを直視できなくて、つい君を遠ざけてしまった」

「つまり、私と話すのが恥ずかしくて、私を避けていたって言いたいのですか」

「ご、語弊はあるが。概ね間違いではない」


 それを認める方がよっぽど恥ずかしいよ。

 耳を赤くして、思春期男子のようなことをもじもじ言う公爵を見ていると、私の耳まで徐々に熱くなっていく。


「じゃ、じゃあ、パーティーの時のあの言葉は? 結構ひどいこと言っていましたよね」

「あのとき共にいたのは、騎士団の貴族組だ。彼らは階級意識が強く、私が平民出身のライゼルと親しくしていることに以前から批判的だった。『ヴラージュ家は卑しい人間ばかりを取り立てて、貴族社会を泥で汚す気だ』とな。その上君との婚姻が決まり、彼らの反発はますます激しくなった。……だから、彼らを納得させるために、あのようなことを口にするしかなかった」

「そんな連中のご機嫌とりをするためなら、私とバルト家をいくら馬鹿にしたって構わないと?」

「構うに決まっているだろう! ……だが、今は先生にとって大事な時期だ。先生の騎士団長就任には、貴族組の支持も必要だ。だから、私は彼らが望むような発言をして……」

「……」

「それが、君を愚弄していい理由にならないとは分かっている。本当にすまなかった」

「……」


 す、筋は通っている。

 通っているが「へえそうなんだ」と言うこともできなくて、私は震える声で更に追及する。


「貴方の言うことが全て本当だとして……じゃあ、どうしてこんな所にいるんですか」


 さっきの会話も含めてこれまでに3回、私は公爵と顔を合わせている。そのいずれでも公爵からは「話しかけるな」という意思を全面に押し出された。

 それに、結婚初夜に新婦との用事をすっぽかすなんて、大きな拒絶行為に他ならないはず。

 

 いくら恥ずかしくてお話できなかったなんて可愛らしいことを言われても、これまでの拒絶の理由として受け入れることなど、出来るわけないのだ!


「す、好きとか言われても。新婦に声もかけずこんな所に引き篭もっている人の言葉なんか、信用できません!」


 だから、どうか今までの言葉は冗談だと言って。

 そんな思いを込めて声を張り上げると、公爵が口元をぎゅっと結んで、何故かひどく辛そうに眉間に皺を寄せる。

 そして絞り出すような声で、ぼそりと言った。


「……君が、言っているのを聞いたんだ」

「はい?」

「私と夫婦になるのは無理だと。私のような人間とは、同じ空間にいることすら耐えられないと、叫んでいただろう」

「……あ。ああああ……」


 お腹の底がきゅっと冷えて、喉から震えるような声がせり上がってくる。

 まさか。まさかそれは。


「ど、どうしてそれを……」


 公爵ははじめ、ライゼルさんの部屋にいた。だから私の部屋から漏れる騒音も耳にしただろう。

 だけど、隣山から聞こえる遠吠えだけで狼の雌雄を判別できるほど耳の良い兄様が、「何を言っているかまでは分からなかった」と言っていた。だからこの人に、私が何を騒いでいたかなんて、知る機会はなかったはず。


「ライゼルの部屋を出て、主寝室へ向かおうとした時……考えたんだ。夫婦になったというのに、私は君に急な婚姻の理由を説明することも、想いを伝えることも出来ていない。そんな状態で、見知らぬ男の部屋に向かうのは心細かろうと思って——主寝室には向かわず、君の部屋に向かった」

「私の……部屋に……」

「そして君が、私を激しく拒絶しているのを聞いたんだ」


 ……アウト。

 完全なるアウトだ。

 いつだったろう。公爵には聞こえていないから、セーフなんて喜んだのは。

 下の部屋には聞こえなくても。部屋の前に立つ人には、そりゃあ聞こえてしまうだろう……。


「ずっと君の部屋が騒がしいのは知っていた。だが、君の部屋の前に立って、これまで聞こえていた物音が、全て私を拒絶するが故に鳴り響いていたものだと分かったら——とても、君と顔を合わせる気になれなくなってしまった」


 『お兄様は落ち込む時といじけている時いつもここにいらっしゃるので』——と、セレニアちゃんは、図書室で佇む公爵に言っていた。

 ああ。その通りだったんだ。本当に公爵は、落ち込んでいたんだ。


「義父上からは、君が婚姻にとても乗り気だと聞いていた。だから、あの時の君の言葉はあまりにも衝撃的だった」

「あわわわ……」


 徐々に明かされて行く私のやらかしに、足が震えて立つことすら難しくなってくる。

 私としても衝撃的すぎて、これまで公爵と交わした会話の数々が、走馬灯のように頭を駆け巡った。


 ——その時。以前抱いた違和感が、ふっと解消されるのを感じた。

 公爵は西棟2階にあるライゼルさんの部屋を出て、中央棟の主寝室へ向かった。しかし途中で用事を思い出して中央棟の図書室へ向かったところ、お手洗いへ向かうライゼルさんと遭遇し、彼に「図書室へ向かう」と告げた——と前回のループで説明された。

 でもこれっておかしい。ペトラが以前、「西棟は1、2階しか中央棟と繋がっていない」と教えてくれた。それなのに、西棟2階から中央棟4階の主寝室へ向かいつつも、途中で同じ中央棟にある図書室へと方向転換した公爵が、(本当かは分からないけど)西棟のお手洗いへ行く途中だったライゼルさんと遭遇するはずがないのだ。

 だって、主寝室へ行くにしろ図書室へ行くにしろ、まずは西棟2階から中央棟2階へと移動することになる。そこから目的地を変えるのに、わざわざまた西棟へと戻る必要はないのだから。


 けど、公爵が実は私の部屋に寄っていたとしたら。

 公爵は西棟2階のライゼルさんの部屋を出たあと、3階の私の部屋へと向かって、私の叫びを聞く。そして主寝室へと向かう気力が無くなり、西棟2階へと降りて中央棟へと移動しようとしたところ、途中でライゼルさんと出会い、彼に「図書室へ向かう」と告げた。

 これなら、話の流れに違和感はない。


 つまり。つまり、公爵の言っていることは、嘘や冗談ではなく——。


「君の意思を直接確認しないまま強引に婚姻を進めて、君を傷つける結果になったとひどく後悔した。君が望むなら、この婚姻自体をなかったことにするべきかと……そんな考えすら頭を過ぎった」

「あ……あの……」

「先ほども……。君が、まるで私に関心がないことに、耐えられなくなり——つい、君を突き放すような物言いをしてしまった」

「そっ、そう、なんです、か……」

「だが、もし……。日中の私の言葉が原因で、君を怒らせていたのだとしたら……。どうか私に、もう一度機会を与えてほしい。口にした言葉を簡単に取り消せないことは理解している。それでもまだ、君を諦めたくはない」


 言葉の1つ1つに、冗談や偽りの響きはなかった。

 公爵はごくりと息を飲むと、ゆっくり片膝をついて、私を見上げる。そしてはっきりと、力強い声で言った。


「カトレア。どうか私の、生涯の伴侶になってくれないか」


 一応、もう妻なんですけど——。


 この後に及んで私の頭の中にはしょうもない返答が浮かんできたけれど、それを口にすることは出来なかった。


 目の前で王子様みたいに綺麗な男の人が、私に向かって真剣な愛の告白を口にしている。

 まるで夢物語のような光景にしばらく呆然とするしかなかった。けれど時間が経つごとに、現実が私のことを追いかけてくる。

 そして明らかになった真実にタコ殴りにされた瞬間、脳がカーッと煮えたぎって。


 気付けば私は、その場を走って逃げ出していた。



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