【8品目】 サイコな彼女が洗脳を受けたのか? それとも、洗脳の末に彼女はサイコとなったのか?『愛、感謝、そして全ては宿命』
愛、感謝、そして全ては宿命(上)
高校の卒業式の翌日、綾芽(あやめ)は故郷を飛び出した。
かなり特殊ともいえる自身の故郷の人間関係に疲れ果てていた綾芽であったが、これから4年間通うことになる大学の正門をくぐった時にはやはり、”友となる者たちとの出会い”を望んでいた。
その望みは見事に叶い、綾芽は入学直後より、同じ学科の瑛子(えいこ)、静佳(しずか)、夢美(ゆめみ)の3人と、とりわけ親しい友人関係を築き始めることができた。
けれども、綾芽と彼女たちの出会いから約1年8カ月ほどの年月が経過した今、その築かれた友人関係に小さな亀裂が入り始め、いや、”自らその亀裂を生じさせている者”がいた。
日が暮れなずむ夕刻。
綾芽、瑛子、静佳がいる大学のラウンジスペースは人もまばらであった。
キョロキョロとせわしなく眼球を動かし、周りを確認した瑛子が切り出す。
「……ねえ、夢美が今、ハマっている”愛の伝達者・玉門ホト”って人、本当にヤバいよwww」
瑛子は、今にもブホォと噴き出すのをこらえているようであった。
綾芽も、瑛子が意地悪い気持ちで笑っているのではないことは分かっている。
彼女もまた、自分や静佳と同じく、夢美のことを心配しているのだろう。
しかし……夢美がハマりにハマっている”愛の伝達者・玉門ホト”なる女性が、瑛子の趣味であるネットサーチによって(全てが事実であるかは分からないが)想像以上にヤバい人物であったのだろう。
「見てよ、これwww 夢美も、なんでこんなおばさんを信じて崇めようと思うかなwww」
瑛子が自身のスマホを、綾芽と静佳に見せる。
肩を寄せ合うようにして、瑛子のスマホを覗き込む綾芽と静佳。
「………………………………」
そこには、”年甲斐もなく白拍子のコスプレに初挑戦しちゃいました☆”風の衣装を身に付けている、ふっくらまんまるというより全身が肉でタプタプした白い毒饅頭を思わせるおばさんが微笑んでいた。
顔だけが白浮きしていることが明らかに見て取れるほどに、ファンデーションを塗りたくっている。そして全体的な厚化粧がなせる業なのか、それとも単なる趣味であるのか、口元は深紅の紅でニュルンと決めている。
まあ、誰しも年はとるものだし、生まれ持った容姿や趣味について、とやかく言うのはここでやめておこう。
”愛の伝達者・玉門ホト”について、一番ツッコミどころがあるのは、その下にある自己プレゼンの文章だ。
※※※
天界よりつかわされし、愛の伝達者・玉門ホト
きっと、今のあなたは苦しくてつらい……
でも、そんなあなたの苦難にも意味はあります。
愛、感謝、そして全ては宿命なのですよ。
定められている宿命より、足掻き逃れようとするのではなく、受け入れて身をゆだねてみましょう。
幼少期より数々の神秘体験を体験し続けてきた、愛の伝達者・玉門ホトが、あなたに宇宙からの真なる声を、魂の震えとともに伝えます。
大切な方を亡くした方へ、玉門ホトは天国へのチャネリングも行っております。
★そして、今ならなんと、玉門ホトが宇宙のエナジーを注入したパワーブレス(天然石)を先着10名様に、税込み39,000円(サンキュー価格=感謝価格)で、溢れる愛とともにプレゼント★
※※※
読み終わった綾芽もププッと笑いを漏らしてしまっていた。
しかし、隣の静佳はその名前も外見も性格も何もかも、おっとりとしたお嬢様のため、ここで笑っていいものかどうか困惑しているようであった。
綾芽の笑いを見た瑛子は、もう自身の笑いを押さえることはできないようであった。
「ヤバいよwww いろんな意味でヤバいwww 何よりまず、”玉門ホト”って……夢美は気づかないのかな? 私たち国文学科なんだから、それくらいは知識として知っとかなきゃいけないと思うんだけどwww」
現在はほとんど使われていない言葉であるが、”玉門”も”ホト”も女性の陰部を意味していることも、綾芽も理解していた。本名じゃないとは思うが、名字も名前も女性器を意味している響きとはダブルでヤバい。
そのほか、この自己プレゼン文の中には、天国と天界が混在している。文章の推敲すらきちんとできていない。
ツッコミどころ満載の愛の伝達者だ。
綾芽や瑛子のように笑いを滲ませることなく、笑って聞いていた静佳が口を開く。
「……”でも、そんなあなたの苦難にも意味はあります。愛、感謝、そして全ては宿命なのですよ”か……この人、”私の妹”みたいな状態にある人や悲惨な事故や事件に巻き込まれて亡くなってしまった人を前にしても、同じことが言えるのかしら?」
静佳の言葉に、綾芽や瑛子の笑いも一瞬でサッと引っ込んだ。
静佳には、10才ほど年の離れた妹がいる。
綾芽と瑛子は、彼女の妹には直接の面識はない。ただ、静佳が言葉少なに話してくれた限り、彼女の妹は先天性の病気によって小学校に通うこともできず、ずっと入院生活が続いているらしかった。そして、これからもその入院生活半永久的に続く可能性が高いとも……
「……そうだね。絶対にそんなこと言えないよ」
綾芽はすかさずフォローに入った。
そのフォローをさらに強化なものとしてくれるためが、瑛子もコクリと頷くいた。
友達に気を使わせてしまったことにハッと気づいた静佳は、”ごめんね”と言うように肩をすくめた。
「ね、静佳、綾芽。実は私も、スピリチュアル系の本とかたまに読むんだ。新しい発見もあるし、そうだったんだ、と腑に落ちることだってないわけではないし、”読み物”としては面白い世界だとも思うよ。でもさあ、”夢美みたいに”生活すべてがスピリチュアル一色になりつつあって……自分と同じ人間である人を1人の教祖として、何もかも捧げんばかりに崇めるのって相当に危険だよね」と、瑛子が言う。
「綾芽の言ってること、すごく分かるわ。夢美は、この奇矯なおばさんに崇めて、もう依存の域まで行ってると思う。極端な意見だけど、お金を出せと言われたら、いくらでも出しそうだし、”お金を手に入れるためなら手段も選ばなくなりそう”。心配だわ」と、静佳も言う。
「……私も夢美が心配ってのはあるよ。けど、もう段々話合わなくなっちゃってるし……もう、あの娘(こ)、私たちの言うことなんて聞きゃしないよ、絶対。あからさまにCOをすると、ややこしいことになりそうだし徐々にFOしていけたらな……って感じかな」と、瑛子。
「? ……何? そのCOとかFOって?」
静佳が首を傾げる。
「COはカットアウトってこと。縁を切るってこと。鎌で切るようにすっぱりとね。んでもって、FOはフェイドアウト。徐々に距離を置いていくってこと」
某大手掲示板の――それも独身の大学生なのに鬼女(既婚女性)板の住人であるらしい瑛子が淀みなく答える。
せっかく友達となる縁があった夢美との付き合いをフェイドアウト。もしくは、最悪の場合はカットアウトを選択しなければならない事態にまで来ていることは、彼女たちの話を黙って聞いている綾芽も分かっていた。
口には出さないが、やっぱり友情にも”賞味期限”なるものはあるのだ。
自分たちと夢美の友情の賞味期限は、迫りきているのかもしれない。
「あ! 皆、ここにいたんだ!」
湿っぽくなっていた空気に、突如割り込んできた明るい声。
その主は、まさに今、FOすべきかCOすべきかといった話題の”主人公”の夢美であった。
それも白い毒饅頭を思わせるメイクをその顔にほどこした夢美であった。
入学当初の夢美のメイクはそれほど濃くはなかった。しかし、目の前にいる夢美のファンデーションは完全に白浮きしていた。その全体の調和から浮いている顔の唇には、真っ赤なリップがニュルンと引かれている。
何も知らない者が夢美を見たなら、彼女の年代的に、外国人美女(あえて例を出すなら少し前のテ〇ラー・スウィ〇ト)に憧れてメイクを真似たものの、かなりやり過ぎて違和感しか感じさせない、メイクが超ドヘタな女子大生にしか見えないであろう。
でも、綾芽も瑛子も静佳も分かっている。
夢美のこの不自然にも程があり、気持ち悪いの一歩手前まで言っているメイクは、彼女が心酔している”愛の伝達者・玉門ホト”を真似たものだと……
「ねえねえ! これ、見て! すごいでしょ!」
いろいろと引いている綾芽たちの様子には気づかず、夢美は左手の手首に巻いたピンク色のブレスを、ジャラッという音とともに突き付けてきた。
”それ”って、まさか? と綾芽も、瑛子も、静佳もハッとする。
綾芽たち3人が顔を見合わせるよりも早く、夢美自ら得意気にブレスについて語り始める。
「これ、ホト先生が宇宙のエナジーを注入してくれたブレスなんだ♪ 先着10名限定のね♪」
あのサンキュー価格の39,000円のブレス……それを買ったんかい?
原価はその販売価格の10分の1にも満たないのは明らかな安っぽいブレスを買うより、もっと他のことにお金を使った方がいいんじゃ……
だが、綾芽たち全員一致している心の声にも気づかず、夢美はなおもうれしそうに――とってもうれしそうに喋り続ける。
「ほら、ホト先生から、直筆のお手紙までもらっちゃった♪ ホト先生が言うには、私の魂の波動や霊格は抜きん出て高いって。私とホト先生は、前世でも今みたいに師弟の関係だったって♪ だから、ホト先生は私のことをすっごく特別に思ってるって!」
「……………………」
唾を飛ばさん勢いで話し続ける夢美とは正反対に、綾芽たちは3人揃ってチベットスナギツネのような顔へと変化していく。いつもにこやかな顔を滅多に崩すことは少ない静佳ですら。
魂の波動とか、霊格とか、前世とかよりも、来年からはより一層、地に足をつけて卒論や就活の挑まなければならないというのに。
それに、ホト先生の直筆のお手紙、”あなただけ特別”といったニュアンスでの金づるの囲い込みにまんまと夢美はひっかかっている。
そもそも、玉門ホトにしたって、夢美が大学生とはいえ、まだ未成年であるということを知っているはずだ。それなのに、こうして(自分自身に”芯なるもの”を持っていない、頭の弱い学生より)なけなしの金を甘い言葉で引っ張ろうとしている。どのみち、碌な者じゃないだろう。
「この手紙の中にはね! ホト先生のレッスン合宿の申込用紙も入ってたの! なんと、再来月にリピーターさんたちだけを集めて、沖縄にあるなんとかって島での泊りがけのレッスン合宿よ! だから、バイトのシフトもいっぱい入れちゃったwww 実はこれからもバイトなんだ!」
レッスン合宿なるものに、どれくらいのお金がかかるのかは知らないし、聞く気もないが、きっと夢美の手首にある”宇宙のエナジーがたっぷりと注入されたブレス”以上のお金が、島までの移動費も含め、必要となることは間違いなさそうであった。
綾芽は、夢美の厚く塗られたファンデーションの下に、濃い隈が隠されていることに気づいた。それに彼女の目だけはやけにギラギラと輝き続けているも、改めて全体を見れば少し痩せたというか、水気が無くなったようだ。
レッスン合宿の費用を捻出するために、食費を削り、バイトも増やして相当な無理をしているのは明らかであった。
手をヒラヒラと振りながら、夢美は去っていった。
残された綾芽たちは、重苦しい沈黙の中で顔を見合わせた。
「……なんだか怖い。絶対にいつか、飲み込まれるよ」と瑛子。
”いつか”というより、もう飲み込まれる寸前に夢美はいる。
「夢美の第一印象って、元気なスポーツ少女っていうか、はつらつとした感じで、スピリチュアルとか一番笑い飛ばしそうな感じに見えたんだけど、まさかあれほどハマるとはね……もうゆっくりと距離置いた方がいいよ」
自分のスマホに表示されたままの、玉門ホトの滑稽な写真へと目を落とした瑛子の顔はもう笑ってはいなかった。
もちろん、綾芽も静佳も笑うことなどできなかった。
瑛子が言った通り、自分たち3人はこのまま夢美とゆるやかにふわっとFO(フェイドアウト)していくつもりであった。
しかし、そうはいかなかった。
あのラウンジスペースでの件の約2週間後、静佳の妹がついに亡くなってしまった。
”ついに”という言い方は誤解を招くかもしれないが、もう病状が快方へ向かう見込みなど皆無に等しかったらしい静佳の妹は、その短き生涯を閉じたのだ。
葬儀の日は、雨が降っていた。
静佳の妹がこの世で過ごした時間は9年と4カ月であった。
静佳の顔をそのまま幼くし、もっと肌も白く、頬も顎も細くさせたような、あどけない少女が遺影で微笑んでいた。
綾芽も瑛子も、故人とは直接の面識はないが、友人である静佳の家に招待されて夕食をご馳走になったこともあり、喪服に身を包んで葬儀に参列していた。喪服を着るという経験は初めてであった綾芽は、遺族の方たちに失礼はないか不安であった。
綾芽の隣に座る瑛子も、ほぼ新品であるだろう喪服に身を包んでいた。
そして、おそらく静佳が知らせたのか、夢美も葬儀に参列していた。
玉門ホトに異常な程に心酔している夢美であるも、遠目から見る限り、例の白い毒饅頭のような化粧ではなく、常識的な格好で参列しているようであった。
静佳は、喪主である父親や母親たちとともに親族席に座っていた。白いハンカチで流れ落ちる涙をぬぐい続けている彼女は、肩を震わせていた。
出棺、火葬、骨上げ、還骨法要と、葬儀は厳粛に執り行われた。
故人の肉体的な苦しみにも満ちた生とあまりにも早すぎる死に、参列した誰もが追悼の意を示していた。
外から聞こえてくる、さらなる哀しみを誘うかのごとき降りしきる雨の音が、遺族だけでなく参列者たちの心をも震わせていた。
葬儀場を後にする前、綾芽も瑛子も、静佳に声をかけた。
「綾芽、瑛子……今日は本当に来てくれてありがとう」
鼻を啜った静佳は、どこか遠い目で雨が降りしきる外へと目をやった。
「どうして、こんな日に雨降ってるのかしら……あの子は……あの子は毎日、病室からの景色しか見ることができなかったのに。せめて……晴れた日に送り出してあげたかったな。晴れ渡った綺麗な青空を登って天国へと……っ……」
静佳の言葉に、綾芽の胸も痛んだ。
瑛子などすでに涙を滲ませ始めていた。
静佳が幾度目にもなるであろう押さえきれぬ涙をぬぐった、その時――
「静佳……妹さん、とても残念だったね」
夢美がやってきた。
遠目にはきちんと葬儀にふさわしい格好で参列しているように見えていた夢美であったが、至近距離で見るとそうではなかった。
なんと……!!!
夢美の左手首に、あの玉門ホトのピンクのブレスが光っていたのだ!!
おそらく瑛子も、そしても遺族である静佳も気づいているに違いなかった。
この距離で気づかないわけなどない。
一般的に葬儀の時につけても可とされているアクセサリーと言えば、華美でない真珠のネックレスもしくはイヤリングぐらいであるだろう。だが、夢美は明らかにマナー違反であり、遺族の感情を逆撫でする可能性だって含んでいるチャラチャラとしたブレスを喪服の袖よりのぞかせている。
「……夢美も本当に今日は来てくれてありがとう」
静佳は夢美のブレスには何も触れずに、葬儀に来てくれた礼のみを彼女に伝えた。
そこで夢美もすぐに帰れば良かった。
しかし――
「あのね、静佳。ホト先生が静佳の妹さんのことを特別に霊視してくれたんだ。静佳の妹さんは若くして亡くなってしまったけど……それも宿命だったんだよ。妹さんは静佳と静佳の家族たちに、愛と感謝と……そして、妹さんの場合は”忍耐”をも伝えるため、この世にやってきて、その役目を終えたから、次の段階へと入るために天界へと旅立っていったんだって。だから、そう涙を流し続けることは……」
「夢美!!」
綾芽が夢美を諌める声に、瑛子の声も重なり合った。
葬儀の場で”こいつ”はなんてことを……!
遺族である静佳の前でなんてことを……!
だが、夢美はなおも続ける。得意気に続ける。
「ホト先生の霊視には間違いはないよ。若くして亡くなることを妹さん自身が生まれる前に決めてきたんだから。それと……ホト先生は『葬儀の場は、後に残された人たちの無念や哀しみが渦巻いている重苦しい空間だから、エネルギーを吸われないようにちゃんとこのブレスをつけていきなさい』って……重苦しい負のエネルギーに引きずられることのないように……」
今すぐこいつの口をふさいで、ここから引きずり出さなければ……!
けれども――
綾芽と瑛子が夢美の口をふさぐよりも早く、静佳の右手が夢美の頬をパァン!と打った。
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