第191話


アゴールが慌てて降りてきた理由……それは階下からとてつもない殺気を感じたからだそうだ。


「仕方がないよね。『妊婦の自覚がない妊婦が目の前にいる』んだもん。赤ちゃんを守るにはどうしたらいいか、みんなだって殺気立つよね〜」


説明を簡略化したが、間違ったことは言っていない。誰も補足しようとしないし、アゴールもそれで納得している。だいたい『誰かに狙われる可能性がある』なんて、妊婦本人に教えてもストレスを与えるだけだ。逆に、それを周囲が理解して注意すればいいこと。


「さ、もう準備はいい?」


そう聞くと「ええ。お願いできる?」と頷いた。


「どうする? 先に庁舎に行ってからダイバと合流する?」

「そうだね。昨日は途中で仕事を放棄してしまったから、みんなに謝罪しなくちゃ」

「それはダイバに押し付けていいと思うよ。……別の意味で揉みくちゃ騒ぎになりそうだけど」

「エミリアさん?」

「だって『妊娠がわかった』んだから。今日一日は、祝福の言葉が悪意と共に押し寄せると思った方がいいよ」

「悪意も、ですか」

「そう。ねたみやそねみ。ダイバもアゴールも有名人だからね、いい意味でも悪い意味でも」


二人は有名人だ、様々な意味で。有名税と言ってしまえば『仕方がない』といえるだろう。しかし、有名だからこそ恨みも憎しみも買いやすい。だが相手の特定はしやすい。しかし、逆恨みは相手を特定しづらい。『小さな親切大きなお世話』ということもあるのだ。


「アゴール。今日は妖精たちが守ってくれる。だから心配しなくていいよ」

「エミリアさん、妖精たちって……」

「私がね、家からでないようにするため、だって。アゴールを送ったら、私は家で大人しくすることになってるから」

「じゃあ、これを持っていきな。グークース四つと今日のおすすめランチセットだよ」


シューメリさんが、ドンッと大きなかめを床に置いていく。いつもは三キロのかめを購入してるが……これは三十キロはある。


「あの……これは?」

「ああ、私たちからのお礼だよ。カワイイ孫ができるっていう吉事きちじをもたらしてくれたんだ」

「それだけじゃないよ。今日だけでも、妖精たちをアゴールのガードにつけてくれるんだ。私らが今すぐできるお礼なんて、こんなもんで悪いけどね」


グークースの一つはサーモン。タマネギとピーマンと一緒に酸味の弱いお酢に漬けられている。これでホイル焼きにするのが妖精たちの好物だ。野菜だけをフライパンで温めて、魚のムニエルや肉にかけるなどのアレンジがエミリア名義のレシピとして登録されたため、食堂でも人気メニューになっている。酸味が少ないため、子供でも食べられると人気だ。


《 ヤッター! 鮭のグークース! 》


妖精たちが涙石から飛び出して、かめの縁に乗って飛び跳ねたりかめにスリスリする。


《 これ、何日分あるかなー? 》

「さあ? でも、今日頑張ってきたら、夕飯は……?」

《 グークースのホイル焼きー! 》


妖精たちが声を揃えてリクエストをしてくる。


「……ちゃんとお仕事してくれたらね」

《 わかってるって。『人をキズつけない』でしょ? 》

《 アゴールの仕事を邪魔しない 》

「アゴールだけじゃなく、仕事をしている人全員だよ」

《 仕事をしている人の邪魔をしない 》

《 アゴールに向けられる悪意には注意する 》

《 悪意ある相手は気付かれない場所で叩きのめす 》

《 ダイバがアゴールの邪魔をしないようにする 》

《 邪魔するならダイバ遊ぶ 》

《 アゴールは優しくあつかう 》

《 ダイバには気を使わなくていい 》


ん……? 途中でおかしな部分があったような。


「……ピピンに叱られないようにしなさいよ」

《 わ、わかった! 》


ピピンは白虎と一緒に出てきてて、今も白虎の背に乗っている。珍しくリリンも一緒だ。

今の会話も聞いていたんだから、私が聞き逃したこともちゃんと聞いていただろう。


「じゃあ、みんな。ちゃんとお仕事してね」


かめに手を触れて収納していく。白虎たちは涙石に戻り、妖精たちも風と水の妖精以外は涙石に戻っていった。


「じゃあ、行こっか」

「ああ。エミリア、妖精たちも。庁舎まで頼む」


アゴールと私の周りを水の妖精が魔法『しゃぼん玉』で覆う。アゴールを促して底に座ると、風の妖精が風で浮かせて店外へ。そして空へ飛んでいく。このタッグだと風圧でシャボン玉がわれることもない。

そして、たった五秒で庁舎の入り口まで到着した。

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