第12話「戦いの前、悪魔の綱」
ロクスレイを襲った凶刃は、身体を裂く寸前、奇妙な挙動をした。
それはまるで空間が固定されたように、ピタリと刃が止まったのだ。
これには剣を振ったクレイも驚くと同時に、バランスを崩して落馬した。
ロクスレイは事態を飲み込めないまま、ともかく鹿のヴェッリに飛び乗り、手綱を操る。そして、そのまま踵を返してクレイの部隊から離れていった。
ロクスレイは鹿のヴェッリを走らせるうちに、思考を巡らせる余裕ができてきた。
「あれはまさか、フラスクの言った<外交特権>?」
ロクスレイは予言の時、異空間での出来事を再度思い出す。あの時、最後の記念のようにフラスクから唐突に指輪を渡され、その意味を飲み込めないでいた。
『あなた達は交渉の際に殺されることも、捕らえられることも無くなります。逆に交渉の最中に殺すことも捕らえることもできません』
渡されたときには意味を捉えかねていたが、これは交渉を生業とする者にとっては護身の剣にも勝る代物だ。ロクスレイは自分の幸運に感謝した。
そうなると問題なのはこの<外交特権>なる権能、どこまで効果があるか疑問だ。対象は交渉相手と自分にだけなのか、何時から何時まで効果が出るのか。皆目検討もつかない。
これはあまり頼りにしすぎてはならない、幸運のお守り程度に考えるべきだろう。
そう考えていると、今度はロクスレイを追いかけるように、放物線を描いて無数の矢が飛んできた。
数はさほどないものの、狙いは悪くない。ロクスレイに直撃するコースだ。
「わ、わわわわ!」
ロクスレイは慌てる。けれども、ここでもまた<外交特権>の権能が発動する。
降ってきた矢がロクスレイをハリネズミに変えようとした瞬間、その挙動が奇妙に捩曲げられ、かすりもしなかった。
「一体、どういった原理なんですか。これは」
ロクスレイは自分の親指に付けられた指輪に畏怖と感謝の念を覚えながらも、走りつづけた。
しばらくそうしていると、どうやら弓の射程外に出たらしく矢はもう降って来ない。騎馬による追撃もなさそうで、ロクスレイはようやく安堵した。
「さて問題は、これからですね」
ロクスレイは鹿のヴェッリを走らせながら、これからの行動について思案を巡らせるのであった。
「進路をすぐに南南東の森に向けてください! 行軍も早めて、武器以外は捨ててください。急いで!」
ロクスレイの血相を変えた指示に使節団の皆は何事か察したらしく、言われた通りに動いた。
人と鹿の糧秣は捨て、余分な衣服も投げ、その他消耗品やあまつさえ贈呈物や土産物も置き。使節団は隊列を維持しつつも駆け足で近くの森に走った。
少なくともそうすれば、見通しのよいこの荒野よりも森の方がまだ逃げきれる確率が高いのだ。
「外交官殿、黒百合騎士団の武器を捨てさせましょう。このままだと追いつかれますぜ」
ミラーが忠告する通り、黒百合騎士団の武器は重荷だ。荷台で運んでいる火薬はもちろん、携帯している長槍も載せているため歩みが遅い。ロクスレイの護衛部隊だけなら、皆鹿に騎乗しているため今の三倍の速度は出せる。
黒百合騎士団の兵士を鹿に同乗させるという手もあるが、鹿の頭数が足りない。それで乗れるのは黒百合騎士団の半数だけだ。今この場で捨て置く人間を選ぶなど、到底できる選択ではない。
黒百合騎士団は逃げるのに足手まとい。そう感じているのは一人や二人ではなかった。
「ロクスレイ、私達は逃げ切れそうにないわ。ここは黒百合騎士団が足止めする。ロクスレイ達は逃げて、ことの次第を国王様に伝えて」
ミリアがそう言うと、後続の黒百合騎士団の皆も同時に頷く。実戦がまだないとはいえ彼女らにも矜持というものがあり、覚悟もある。足を引っ張る現状に甘えるくらいなら一戦を、という考えが総意なのだろう。
とはいえ、はいそうですね。とロクスレイが納得するわけもない。
「そんな冗談、太陽神キルヒだって笑いやしませんよ。ミリアは特別顧問と言っても使節団の特使なんですよ。貴女に何かあったら私達全員の首が飛びますからね! もっと自分の立場を弁えてください」
「じゃあ、どうするって言うの? このまま全員追いつかれて虐殺されるのを黙って見ていろって言うの? そんなのお断りよ。私達は女である前に、黒百合騎士団の一員。ここで朽ちるとしても、捕まって辱めを受けるにしても戦ってならば――」
「だから、それで困るのは貴女以外の全員なんですよ!」
話していてもラチがあかない。その間にも後ろからタルーゴ共和国の部隊が迫ってくる。これでは森に着く前に補足されて背後を強襲されるのは目に見えている。
ここは、決断するしかない。
ロクスレイは新たな命令を全体に伝えた。
「ここで迎え撃ちます! 護衛部隊は一度鹿から下りて集まってください。そして黒百合騎士団は予備も含めてできうる限り銃を持たせてください」
皆、ロクスレイに言われたままに動く。その顔にはそれぞれ決意と、少なからず不安の色が見て取れる。それもそのはず相手は百人、こちらはその半分の五十人、歴戦の猛者なら覆せる数だがこちらの大部分は初陣だ。数の劣勢、場数の少なさがもろに出る可能性もある。
だが、それは遠征に出る前からわかっていたことだ。だからこそ、ロクスレイに備えはあった。
「護衛部隊は領地から持ってきたアレを準備してください。手順は以前訓練した通りです。出来次第、再度騎乗して遊兵としてミラーの下で動いてください。こちらは黒百合騎士団と共に動きます。隊長は、ミリアに任せます」
「わ、私がっ!?」
ミリアは戸惑うものの、ロクスレイにとってはこれが最善手だと考えていた。
「私は副隊長としてミリアをサポートしますが、黒百合騎士団の指揮は任せます。正直にいえば、銃について知っていても運用について私は無知です。ここはミリアが適任だと思います」
「で、でも私は実戦なんて経験したこともないし、ロクスレイが指揮した方が……」
「貴女しかいないんです。私は、ミリアを信じています。黒百合騎士団との結束と、その力を」
ロクスレイはその場しのぎとはいえ、つい思ってもいないことを口にしてしまった。いや、正確には絶大なほど信頼を置いているわけではなく、ほんの少し期待する程度は信頼しているのだ。
ミリアは想像以上に、ロクスレイの信じているという言葉に元気づけられたらしく。彼女は背をきちんと伸ばし、号令した。
「黒百合騎士団! これが初めての戦闘であり、正念場である。この戦いは黒百合騎士団にとっての歴史となる戦いよ。それは誉れ、そして後に続く仲間達への貴重な轍となる。一斉果敢なる奮起を期待するわ」
黒百合騎士団はその言葉に鼓舞され、士気は否応にも上がった。黒百合騎士団にとってここでの戦いは勝ち負けがどうあれ、他の部隊の注目を浴びる戦いになる。それによって、黒百合騎士団の今後の評価が決まる大事な一戦なのだ。
ロクスレイは正直感心した。場数を踏んだ兵士相手に唯一初心者の黒百合騎士団の優位は、そのがむしゃらな勢いだ。戦いに慣れ、平静を保てるようになり忘れてしまいがちな後先考えない姿勢は、諸刃の剣だが通常のポテンシャル以上の戦いができる。
ミリアはそれが分かっているのか、いないのか。その場の部下達を盛り上げていった。
「ところでロクスレイ。領地から持ってきたアレとは何? もしかして秘密兵器か何かなの」
「秘密兵器といえばそうですが、武器ではありませんよ」
ロクスレイは荷台に近づき、護衛達と共に荷解きを手伝う。そして使節団にとって、おそらく生命線となるアレを引きずり出した。
「言うなれば、これは<悪魔の綱>とでも呼びましょうか」
ロクスレイはそう言って残虐そうに、薄く笑った。
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