第10話「見覚えのある物乞い」

 式典が終わり、ロクスレイは一人で宿泊している宿の帰路にいた。


 ロクスレイは最後まで議員と軍幹部に銃を含めて色々な説明をしているうちに、いつの間にか護衛にも黒百合騎士団にも、ついでにミリアにも置いていかれてしまった。


 なので今は仕方なく、一人で街路を歩いていた。


 置いていかれたとはいえ、今回の式典のデモストレーションは成功だ。タルーゴ共和国にはこちらの軍事力がただならぬものという印象を与えたわけだし。外交交渉にもプラスに働くだろう。


 ところで、銃を未開発国に無償で与えるのは危険だと思う人もいるかもしれない。それは元々あった軍事技術の開きを、一気に詰め寄られる可能性があると危惧しているからだろう。


 事実、フサール王国でマスケット銃が開発された際、民生品が永世中立商業国家のランタン同盟を通じて、敵国であるモグリスタ共和国に渡ってしまい。モグリスタ共和国は独学で銃の運用方法を会得してしまった経緯がある。


 しかし同時にこのような例から、民間に出回っている銃についてまで技術の漏洩を阻止するのは難しいと判断され。ならば銃の売買で利益を得る方が得策であると議論の決着がついたのである。


 銃が売れれば、当然消耗品の鉛や火薬が売れる。そうなれば、銃という利権が得る莫大な稼ぎはフサール王国の増強につながるのである。


 ロクスレイがそんなことを考えていると、道端で声を掛けられた。


「太陽神マレイに誓ってお願いしやす。お恵みをくだせい。旦那様」


 夕闇になって人通り少なくなっている街角で、壁を背にしてボロ布で身体を包んでいる人物が座り込んでいる。


「物乞いですか」


  ロクスレイは何となく親切心が出て、財布から銅貨三枚を取り出した。そしてそれを、座り込んでいる物乞いのお椀の中に投じてやったのだ。


「ありがてえ、旦那様。――って、何だコレはボロス銅貨じゃないでねえか!」


 ロクスレイは気づく、今物乞いに与えたのはテムールで多く流通しているミッソス銅貨だ。ここはタルーゴ共和国、テムール流通の貨幣ではパン一切れだって買えやしない。


「すみません。ついうっかりしていました。こちらをどうぞ」


 ロクスレイは間違いを謝り、ボロス銅貨を三枚。物乞いに与えてやった。


「待て待て待て。謝罪の意思があるならもっと恵んでくださっても罰はあたりませんぜ。旦那様。御恵みは信仰の重さに比例した前払い。あの世でいい思いをしたくば善行を重ねた方がいいでさあ」


 物乞いにしてはずうずうしい、とも思いつつもそれは一理ある。ある宗教では下々への奉仕が信仰へのそれであるように、物乞いへの恵みも信仰の形なのだ。


 ただ問題があるとすれば、ロクスレイが祈る神はこの土地にいないことくらいだ。


 ロクスレイは気前よくボロス銅貨を六枚追加してやると、物乞いは快く受け取ってくれた。


「ありがとうごぜえます。旦那様。ところで旦那様に一つ助言を上げましょう。これは多めにくださったお礼でさあ」


 物乞いは立ち去ろうとするロクスレイを呼び止めて訓示のように、こう言った。


「ロクスレイ、お前はもっと相手の顔を観察すべきだ。相手の顔のしわ、口角のゆがみ、頬の変化、どれ一つをとっても相手の心象と意図を測り取る貴重なサインだ。見逃すべきではないぞ」


 ロクスレイは自分の名前を呼ばれてハッとした。何故物乞いが自分の名前を知っているのだろう。この地域でロクスレイの名前を知っている人物はかなり限られるはずなのに。


 ロクスレイは忠告通り、物乞いの顔をまじまじと見る。そこには滝のように流れ落ちる白髭と、少年のような悪戯っぽい笑顔があった。


 そして、その顔にロクスレイは見覚えがあった。


「――トーマス・サンソン?」


 それは予言の時、異空間で出会った外交の使者、その一人だった。




「いやはや、こうして出会えるとは幸運幸運。俺もまだ三柱神に見放されていなかったようだな」


 街の裏道に入った場所。ゴミの入った樽や資材の置かれている、建物と建物の小さな隙間にある道で、ロクスレイとトーマスは密会していた。


「ここはアルマータ帝国と敵対している国なのでしょう? 何故そのような場所に貴方がいるのですか?」


「それは語るも涙、聞くも涙。新大陸を目指して港から船で出発したは良いものの。タルーゴ共和国の軍艦に出くわしたり、嵐に呑まれたりして船は難破し、助かった俺だけが沿岸からタルーゴ共和国首都まで何とかたどり着き。こうして物乞いをして潜伏していたのだ。すると、偶然にも異空間で出会った使者の一人であるロクスレイを見つけたわけだ。いやはや長かった、長かった」


「……よくそんな無計画な旅路で命を落としませんでしたね。そこまでしてフサール王国に何の用があったんですか?」


「そいつはもちろん。交渉よ、交渉。詳細はそちらの国の重鎮に会うまで話せぬが、かいつまむとそちらの国に迫る危機を報せに行くためだ」


「危機? 何のですか?」


「おっと、そこまでしか話せぬな。後は、そちらの国に行くまでは命を取られようと話せぬなあ」


 トーマスはそう言うと、表通りまで響くような声でガハハッと笑うのであった。


「うむ。声がでかかったか。外交官は平和の仮面を被った密偵と言うからな。密偵に密偵が付くのは自然の理だろう」


 トーマスがふと、不思議なことを言ったかと思えば、ロクスレイの周囲が突然暗くなる。


 それは頭上から影が迫っている証拠だった。


「っ!」


 ロクスレイは後ろに跳び、トーマスはそのまま待ち構え、影の一人をその剛腕で掴んだ。


 何事か、とロクスレイが周りを確認すると、トーマスの目の前にフードを目深に被って顔を隠した男達が二人いる。もう一人は運悪く、トーマスに捕まっている。


 フードの男達は皆短刀で武装しており、トーマスに敵意むき出しだ。


「おうおう。俺も人気者だのう。これくらい可愛い姉ちゃんが寄って来ればいいのになあ」


 トーマスはそんな軽口を叩きつつ、手の平で掴んだフードの男を、両腕で組み付いて首を捻る。


 トーマスは「まず一人」と呟いて、糸の切れたように動かなくなったフードの男の一人を地面に投げうった。


「では死合おうか。ふらちな殺し屋ども」


 ロクスレイはこの密偵達の素性を悟る。おそらく監視のため、タルーゴ共和国の誰かから跡を付けるように言われたのだろう。外交官と銘打っても、所詮は別国家の従属人、隙あらば貴重な情報を盗まれるのが世の習いだから、警戒したのだろう。


 その任務の途中、国に仇なす人物が目に入れば、こうなるのは必然だ。


「私は手を貸しませんよ。これは貴国とタルーゴ共和国の問題ですからね」


「おうよ。若人に手を借りるほど、この大髭のトーマス、軟ではないな」


 トーマスはそう言うと、巨躯に隠されていた片手斧を一本取りだす。対する密偵二人は後ろのロクスレイを気にせず、トーマスとの間合いを測るように短刀を前に構える。


 互いにしばらく武器と武器が触れ合う距離で機会を伺い。先に仕掛けたのは、トーマスの方だった。


 トーマスは手首で片手斧を器用に扱い、相手の短剣を叩き落とすように振るう。


 密偵達も簡単に短刀を撃ち落とされてはたまらないと、武器と身を引く。


 トーマスは躱されたと知ると今度は、近くに落ちていた資材を拾い上げる。そしてそれをアンダースローで密偵達に向かって投げた。


 密偵の内、トーマスから見て右手の密偵が短刀で資材を撃ち落とす。トーマスはその隙を見逃さない。


 トーマスは己の片手斧を、密偵の振り払った短刀を持つ手に絡ませる。短刀こそ払えずとも、そうすれば自然と短刀を握る指を傷つけた。


 密偵の一人は傷つけた指を庇い、反射的に短刀を手放してしまった。


「もう一つっ!」


 トーマスは振り上げるようにして、密偵の一人を片手斧で斬り上げた。ついでに斬りつけた密偵をもう一方の密偵の盾として、敵の追撃を避けた。


 無事な方の密偵は、傷ついた仲間の密偵に邪魔されて二の足を踏む。


 トーマスの攻撃は終わらない。トーマスは片手斧を器用に操り、斬りつけた密偵の首を引っ掻けるようにして引き付け。倒れる身体を肉の盾にした。


 そして無事な方の密偵に向け、傷ついた密偵の身体を突き飛ばしたのだ。


 無事な方の密偵は意表を突かれて避けるのも間に合わず、傷ついた密偵の身体を受け止めるしかなかった。


 トーマスは更に二人の密偵の身体を蹴飛ばす。蹴飛ばされた二人はやっと支えていた身体がもつれ、狭い路地の壁にぶつかるようにして倒れこんでしまった。


「三人目っ!」


 トーマスは振り上げた片手斧を無事な方の密偵の頭に叩き込む。片手斧を叩きこまれた密偵の頭は、スイカのようにぱっくりと割れて中にあるピンク色の脳漿がはじけた。


 念のためにか、トーマスは動かないもう一人の密偵の頭も同じようにかち割り、息の根をしっかりと止めた。


 ロクスレイはほとんど一瞬の出来事に息をのむ。このトーマスと言う男。相当戦いの場数を踏んだ人物のようだ。やはり、その身体に刻まれた古傷は見せかけではない。


 トーマスは片手斧に付着した血を密偵の服で拭い、ロクスレイに話しかけた。


「話を戻そう。俺はそちらの国との交渉人、となればそちらの国の客人も同然だ。まさかその客人を自分の国に招待せぬほど無作法な国ではあるまい」


 ロクスレイはトーマスが暗に言っていることを理解する。どうやらこの男、使節団を自分の護衛に使うつもりのようだ。


「そちらとしても悪い案ではあるまい。アルマータ帝国との窓口と貴重な情報をくれるのだから歓迎すべきではないか。それとも、外交官一人の考えで国交を閉鎖するつもりかな?」


 トーマスはそう、軽くロクスレイを脅したのであった。

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