第8話「タルーゴ共和国との交渉」

 ミリアがシラテミスの大使に要求したのは以下の三点だった。



 一つは商人が要求した物資搬入許可証の速やかな発行。二つ目はタルーゴ共和国からの商人や旅人の通行と物資搬入搬出の許可。三つめは関所でのタルーゴ共和国出身者の検閲強化を指示することだった。



 最後の一つに限っては、ロクスレイも王都に手紙を書き、自分の意見を他人の意見のようにして具申した。こうした方が、ロクスレイ一個人の考えではないように見せて、意見が通りやすいのだ。



 ロクスレイは手紙や、通貨の両替、食料などの消耗品の購入を終えると、旅商人の案内を受けてタルーゴ共和国に旅立つことになった。



 旅商人にとっても護衛に騎士団がいた方が頼りになるのか、ひどく乗り気のようだった。更に団員たちは見目麗しい女性なので、俄然やる気が出るのだろう。



 旅人を連れて出発し、十日も進めば最初のタルーゴ共和国の街に着いた。



 その街はシラテミス王国の建物に似ていて、積み上げた石をコンクリートで塗り固める様式で家が建てられていた。それでもシラテミス王国と違い、石の壁にむらはなく、高い建築技術が予想できた。



「寒い国では暑い国より建築技術が進んでいると聞きますが、ここは当てはまりそうにないですね。もしかしたらフサール王国以上の建築技術かもしれませんね」



 ロクスレイは街の役人と面会すると、首都での面会を要求した。役人はこちらの望み通り、すぐに首都へ使者を走らせてくれた。



 街の役人は早馬で、この場合本当に馬であった、往復二十日はかかると言われてしばらく街に滞在することとなった。



「と言っても、情報収集以外にすることがありませんね」



 ロクスレイはとりあえず、馬を観察することにした。タルーゴ共和国の馬はペネット王国の駄馬と比べると、洗礼された肉体をしていた。



 走るための脚はすらりと長く、体格も大きい。首筋も長く、適度に発達したももは人を乗せて走るのに適した身体つきであった。



「こちらの地域では馬は乗り物なのですね。うちのトーライ鹿よりも速いかもしれません。王都への土産に何匹か欲しいですね」



 ロクスレイが馬をつぶさに観察して、周りの住人達に白い眼を向けられていると、遠くでメイの声が聞こえてきた。



「何だコレ? 何だコレ。何だコレ!」



 メイは基本無口なのでこんなに取り乱すことは普段ない。ロクスレイは何かあったのかと、急いでメイの元へ駆けつけた。



 人だかりがある場所にたどり着くと、メイはある動物の周りをぐるぐると囲み、楽し気にしていた。



「これは牛……テムール大陸にはいない種ですね。本の記述で知っていますが、本物は初めて見ました。ですが、首が二つ?」



 ロクスレイが目撃したのは、牛? のような生き物であった。まず首が二つあり、そうなると当然頭が二つある。首から下は子持ちのニシンのように太い胴体を持ち、身体を支える脚はずっしりとしている。時たま邪魔なハエやメイを、尻尾を振って追い払おうとすることがある。



 メイは牛から尻尾のビンタを喰らっても、はしゃぐことを止めはしない。



「メイ、牛の尻尾は糞にも触れているから汚いですよ。洗ってきなさい」



「汚い!? 汚い、汚い」



 メイはロクスレイに注意されると、どこか水洗いできる場所を探してピューッと風のように走り去ってしまった。



「楽しそうにしてますね。他の皆はどうしているでしょうか」



 ロクスレイは他の者達を探して街を散策すると、さっそく見つけた。



 居たのは露天商の目の前で集まる黒百合騎士団の女性達、そしてミリアもいた。



「ロクスレイ! この生地を見なさいよ! こんなに柔らかで、上品で、光沢があって。テムール大陸の麻製品とは比べ物にならないわ。買って帰りましょう!」



「帰りならいいですが、そのベルベット、おそらく高いですよ。聞いて見なさい」



 露店の商人は表に王らしき人物と、裏にペガサスという架空の生き物が描かれた、ムナル金貨を見せ。三本指を立てた。



「三ムナル金貨……レクトーンで言えば、六レクトーンくらいでしょうか」



「――嘘でしょ! 私の月給の三か月分くらいあるじゃない」



 ちなみにロクスレイの月給で言えば、五ヶ月分くらいである。ミリアの身分を考えればこの給料差は仕方がない。



「緻密な仕立ての上、上質な絹製品。そのくらいはしますよ」



「……貯金を全額両替すれば。それに幾らかフサール王国に流せば原価の三倍以上の儲けが出るはずだわ。買えば買うほど、お得に……」



「密輸なんてしないでくださいよ。外務大臣に報告しときますからね。それに繰り返すようですが、今は買っても邪魔になりますからね」



「み、見るくらいならいいじゃない。こうして異国の情緒に触れるのも仕事のうち、でしょう」



 間違いではないが、女性の購入欲を満たすのが仕事の内ではない。とはいえ、今は急な仕事もない。このくらい見逃してやるべきだろう。



「ところでウィルとミラーはどこに行きました?」



「彼らなら、情報収集に行く、と街の中へ入ったわ。意外に真面目なのね」



「……女か酒、でしょうね」



 ミリアはロクスレイの言葉を聞いて、ああなるほど、と合点がいったようだ。





 タルーゴ共和国の最初の街で二十日過ごした後、タルーゴ共和国の首都より帰還した使者から外務大臣への面会許可の書状を受け取った。また、この書状があれば首都にたどり着くまでの幾つかの街の通行も許可されるそうであった。



 ロクスレイ達はタルーゴ共和国の最初の街から、首都に至るまでの道を、街ごとに辿っていき。きっかり二十六日かけてタルーゴ共和国の首都にたどり着いたのであった。



 長い旅は皆の疲労も大変であったが、それ以上に贈物の搾取がひどかった。



 街を通るたびに、街の役人から暗に贈物の一部をよこせと圧力を掛けられたのだ。ロクスレイは、これはタルーゴ共和国の最高権力者への贈り物だと、理を説いて回った。それでも首都に到着したころには贈物は半分になってしまっていた。



「タルーゴ共和国の政治事情も大概ですね。ここまで贈賄を要求されるとは思いもしませんでしたよ」



 ロクスレイはそんな悪態を、誰にも聞かれないように吐いた。



 ロクスレイは首都にたどり着くと、黒百合騎士団を一度待機させて、ミリアとメイ、ウィルとミラー、それに護衛を加えた人数で議事堂へ向かった。



 途中、門の守衛に呼び止められたので外務大臣からの書状を見せ、ついでに守衛に五マラクーダ銀貨。フサール王国のレクトーンで言えば十分の一レクトーンくらいだろうか。それをチップとして手渡した。



 守衛は喜んで、ロクスレイとミリアのみを議事堂に案内すると、取次の小姓が現れて外務大臣の部屋まで案内してくれた。この時も小姓に十マラクーダを支払うのを忘れなかった。



 本来、チップや賄賂はフサール王国にとって悪徳だが、ここタルーゴ共和国では役人がそうであるように贈賄が通常なのだ。だから、物事を円滑にするにはこのくらいの出費も致し方がなかった。



「ようこそ、フサール王国の方々、長旅でお疲れでしょう。どうぞ椅子へお座りください」



 出迎えたタルーゴ共和国の外務大臣はクラシカルでゆったりとした絹の服を着ており、腰はベルトを留めたやや古典的な服装であった。



 髪は頂点部分が禿げており、残りは白髪。中肉中背で、柔和な笑みは人格の良さを表しているようであった。



 外務大臣はロクスレイ達を広々とした豪華な革の椅子に案内する。椅子の中には綿が入っていて、座り心地はよろしく、ロクスレイとミリアはほんのひと時夢心地となった。



 けれども、いつまでもそうして疲れを癒している場合ではない。三人は早速、交渉に入ることにした。



「私はタルーゴの外務大臣を任されている、マルケル・デイドウ。本使殿と副使殿の話は手紙より伺っております。わざわざタルーゴ共和国まで足を運んでくださり、感謝の念を拭えません」



「私はロクスレイ・ダークウッドです。フサール王国の書記局書記長をしている外交官です。まず、御目通ししてくださり、ありがとうございます」



 続いて、ミリアが慣れない敬語で続く。



「ミリア・サトクリフですわ。サトクリフ外務大臣の三女、書記局特別顧問の特使でございます。若輩ですが、よろしくおねがいしますわ」



「聞くところによると、本使殿は王族の遠縁だとか。こちらこそ、恐縮です」



 ミリアが上手いこと挨拶を終えてから、ロクスレイはある目録を差し出した。



「こちらはフサール王国より僅かながらの贈物です。タルーゴ共和国にお納めください」



「これはこれは、ありがたいことです」



 デイドウ外務大臣は目録を受け取り、目を通す。そこにはテムール産のトーライ鹿十頭、鉄の武具各種、金の盃五つ、銀の盃五つ、そして最後に銃を十丁と書かれている。



「このトーライ鹿とは?」



「そちらは三本の角を持つ、騎乗用の鹿であります。家畜としても適した性格をしており、馬と同じように扱えます。聞くところによれば、通常の鹿は縄張り意識が高く家畜に向かないと聞き覚えておりますが、トーライ鹿は問題ありません」



 隣で聞いているミリアは、初耳だ。と言わんばかりに目を丸くしている。それはそうだ。これはこの世界と別の世界での知識だ。ミリアが知る由もない。



「そうですな。普通、鹿は家畜に向いていない。何より凶暴な害獣ですからな」



 デイドウ外務大臣が引き続き目録に目を通していると、やはり最後の銃についての項目に興味を持ったようだ。



「この銃と言うのは?」



「銃と言うのは筒の中に火薬という爆発的な燃焼をする粉を使い、火種を用いて鉛の弾を射出する道具です。大きな音で威圧し、扱いやすい一方。弓よりも命中率が悪い。いわば観賞用の類ですよ」



 最後の言葉以外は事実だ。ただし観賞用と言うのもあながち間違いでもない。今回渡した銃は民間でも出回っている火縄銃の方なのだ。



 火縄銃とフリントロック式マスケット銃は元々同じマスケット銃だ。違いは火種を燃えた縄に頼るか、火打石に頼るかという点だ。前者は雨に弱く、後者は比較的雨に強い。撥水性の紙の実包を使えば、さらに機能的だ。



「面白いですね。実物を見なければ分かりませんが、観賞用と言っても兵器に転用できそうなものですな」



 デイドウ外務大臣も鋭い。ロクスレイの戯言のような嘘をすぐに見抜いてしまった。



「なるほどなるほど。では贈物の話はここまでとして、本題に移りましょう」



 そう言うと、デイドラ外務大臣は目に力を宿し。交渉に本腰を入れる態勢となった。



 ロクスレイも負けじと、穏やかな顔に闘志の光を込めた。

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