第百五話:命名


 鍛冶屋の片づけを終えた時には既に太陽は南に上っていた。

 王との謁見は朝早くに行い、その後に鍛冶屋に来たのだが思った以上に片付けに時間を取られてしまった。

 店内が盗賊にでも荒らされたかのような散らかり様になってしまったので仕方ないが。


「お主にも困ったものだ」


 金属生命体に声をかけるも、知らんふりを決め込んでいるのか何も言わない。

 危害を加えようとするのが悪いのだと言わんばかりに。


 ブリガンドが駄目なら、もう一人の方に当たってみるか。

 

 というわけで、今度は細工師のレオンにも会ってみる。

 店はサルヴィの街を貫く大通りから一本外れた路地にある。

 大通り程ではないにせよ、それなりに人が行きかい賑わいのある道を進むとひっそりと水晶と宝石を示す図柄の看板が置いてある家を見つけた。

 周辺の煉瓦造りの民家と何も変わらないが、これが彼の工房だ。

 異なるのは、出入り口となる扉に施されている装飾だ。

 エルフの間では広く伝わる、流れる風が幾つも紡がれているような紋様が金細工で描かれている。


「たのもう」


 店の中に入ると、レオンは店の奥にある長い大理石の机の上で、装飾品と思しき物を加工していた。

 輪状の金属が二つある。それほど大きくない事から耳飾りか。

 碧色の宝石もあるが、これは耳飾りにはめ込むのかもしれない。


「いらっしゃい。今日は何がご入用かな?」


 加工の手を止め、レオンはこちらを向いて立ち上がった。

 いつ見ても中性的な見目麗しい顔は、しかしその耳がエルフほど尖っておらずハーフエルフである事を示している。

 

「これを見てほしいのだが」


 レオンの居る所まで趣き、机の上に金属生命体を置いた。


「ソウイチロウこれは? 金属に関してはブリガンドが適任だと思うけど」

「あ奴が見ても分からなかったから、お主に見てもらおうと思ったのだ」


 金属生命体は表面に「こんにちは」と文字を浮かべる。

 レオンは一瞬だけ目を見開くも、すぐに笑みを浮かべて顎をさすった。


「魔法生物かと思ったけど、そうではないんだろう。君が持ち込むからには」

「かいつまんで言うと、この金属は俺たちと同じ命、確固たる意志を持っている」

「なるほどね」


 そう言ってレオンは金属生命体にそっと触れ、手触りを確かめるように撫でた。


「滑らかだね。手に吸い付くような感触は素晴らしい。何時までも触っていたいが、一つ試してみてもいいかな?」

「何をするんだ?」

「マナを流し込んだらどうなるかと思ってね。どんな人間でもマナは体に流れているけど、たまにその流れが滞る事がある。その時、他人から流してあげる事で滞った流れが良くなるんだけども」

「果たしてどうなるだろうな。金属であれ生体ならば何らかの反応は示すかもしれんがな」


 レオンはかつて魔術師として冒険者稼業をやっていた。

 魔術師は体に流れる魔素マナを使い、魔術を放つ。

 故に魔素マナの扱いに長けている。

 また魔素マナの持てる容量の多さも魔術師の素養を決めるものであり、そういう意味ではレオンは卓越した素養があった。

 勿論魔術の扱いも素晴らしいもので、上級冒険者としての腕前も持ち合わせていた。

 しかし、同業者の粗暴な振舞いとその日暮らしに等しい生活に徐々に疲弊し、嫌気がさして引退してしまったのだ。


 レオンの掌からぼんやりとした淡く青い光が生じる。

 魔素マナの光は生命、魂の色に似ている。

 魂は確かに青白く光っていた。

 あの魂ぐらいの女王が扱う、幾多もの魂たちの光。


 魔素マナを通された金属生命体は、その表面に縦長の六角形を規則的に並べたような、非常に細かい紋様が青く浮かび上がる。

 しかもそれは何らかの拍動をしているかのように、明滅している。

 

「ほう」

「これは何を意味する?」

「うん、わからない」


 レオンの答えに、俺は思わずずっこけそうになってしまった。


「只の金属だったらこのような紋様は浮かび上がらないよ」

「何らかの仕掛けが施された物ならそうでもないのでは?」

「そうかもしれない。しかし僕には、この光は彼の鼓動のように思えるよ」

「鼓動……」

「そして、この紋様の細かさはもしかしたら紋様一つ一つが彼の体を構成する組織なのかもしれない」

「体を構成する組織とな」

「以前、アルケミストの誰かに聞いた事があってね。生物の体は細胞という、とても小さな組織から構成されているとか」


 それは知らなかった。


「その細胞が寄り集まって、僕らの肉体は構成されている。彼のこれも同じはずだ。少し体組織をもらえたらもう少し詳しく調べられるかもしれないけど、それは彼が許さないだろうね」


 やがて青く淡い光は薄れて消え、元の黒い球体に戻っていく。


「他にも、何かを通すと見えてくるものがあるかもしれない。それこそブリガンドがやろうとしていた衝撃や熱を加えるとか、あるいは圧力を加えるとかね。あるいはいかづちの力を流してみるのも面白いかもしれない。だがそれは苦痛を伴う」

「彼が望むことではないな」

「だとすると、僕に出来る事はこれ以上はないかな。すまないね、力になれなくて」

「いや、ひとつ分かった事があればそれで十分だ。ありがたい」


 頭を下げると、それには及ばないと返事をもらう。


「それで君は、迷宮の地下七階まで降りたんだって? 凄いじゃないか」

「しかし、また仲間が一人抜けてしまった」

「おや、それは大変だ」

「出来ればレオン、お主に手助けしてもらえたら嬉しい」


 俺の誘いに、レオンが肩をすくめて首を振った。


「僕は冒険者を止めて久しい身だよ。命を張って迷宮に潜る勇気はもう持ち合わせていない。勘弁してくれ」


 流石に期待はしていなかったが、やはり駄目だったか。


「君にこんな事を言っても仕方ないが、迷宮に呑み込まれないよう気を付けてくれ。君に死んでほしくない。寝覚めが悪くなるからね」

「人はいずれ死ぬ。お主よりも先に俺は死ぬぞ。そうだろう長寿のハーフエルフ」

「迷宮の中で屍を晒し、魔物に食われて消えるのと、ベッドの上で周囲の人に見守られながら亡くなるのならどっちがいいか、考えずともわかるはずだよ」


 レオンは俯き、何かを思い出すかのような遠い目をした。


「長く生きているとね、他人の死は多く見聞きするさ、流石に。でも何時になっても慣れるものじゃない」


 溜息を吐くレオン。


 侍は戦場の中で死ぬ事を誉とする。

 御家の為に死ぬ事で礎となり、ひいては家名を守る事に繋がるからだ。

 故郷に居た時は勇敢に戦い死ぬのが侍の本領であると、誰もがうそぶいていた。

 それも一つの答えだ。


 今の俺の考えは違う。


 どんなに情けない姿をさらし、泥の中を這いずり血反吐を吐こうとも生き抜くのだ。

 仲間の為に。

 彼女の為に。

 生きてこそ繋げられる道もあるはずだ。

 今ならそう思える。


「老人の忠告は肝に銘じておこう」


 俺の言葉に、やれやれと言わんばかりにレオンは苦笑いを浮かべた。



 

 店を後にし、俺はイブン=サフィールに戻る。

 長椅子に座り、長机の上に鞄を置いて金属生命体を取り出した。

 その時、一つの事を思い起こす。


「お主に名前を付けてやろう。金属生命体では呼びづらくてしょうがない」

(名前など、必要なのか)


 金属生命体は文字を返す。


「俺たちが呼びづらいのだ。名前があった方が馴染みやすくもなろう」

(で、あれば好きなように名付けるが良い)


 それで、どのような名を付けるか。

 腕を組み、天井を方へ首を向けてうんうんと悩む。

 やがて頭の中に、ひとつ閃くものがあった。


「アラハバキだ。お主はこれからアラハバキと呼ぼう」

(好きに呼ぶが良い)


 名づけをし、満足した所でアラハバキに対する疑問が浮かび上がってくる。


「どうやって言葉を覚えたのだ?」

(AztoTHと意思疎通を図る際、思念のやり取りによって意思疎通した。その際に彼の思考、知識が一緒に流れてきたので記憶したのだ)

「自由を得た今、お主は他に何を思う?」

(私は生まれた時より一つであり、AztoTHと出会うまで群れという存在を知らなかった。君達と出会い、仲間と言うものを知った。君達に興味がある。群れ成すものは助け合い生きている事を知ったが、理解には及んでいない。私の理解の中では、助けてもらった時は恩というものを返す概念があると記憶している)


 だが、どうすれば恩返しになるのか知らないと彼は言った。


「今、俺の籠手はもうボロボロになってしまっている。鍛冶屋に修理に出そうかと思っていたが、ブリガンド曰くこれはもう直しようがないと。新たに作るか仕入れるしかないとな」


 だから籠手になってくれないか。

 言おうと思ってその言葉は呑み込んだ。

 別の話でも振ろうとしたその時だ。


(分かった。その籠手なる防具となって身を挺し、君を守るとしよう)


 文字を出した後、アラハバキは形を変じて籠手となった。

 今装備している籠手と寸分たがわぬ、しかし全てが金属の籠手だ。

 

「良いのか?」

(恩は返さねばならないのだろう。それに、鞄の中に入ったままでは外の様子が伺えずに暇を持て余していた。外の風景が見えた方が刺激があってよい)

「打撃や斬撃をまともに受ける事になるが、大丈夫か?」

(鍛冶屋の時は不意を突かれた形になったから、驚いてあのような反撃手段に出てしまった。受ける覚悟さえあれば何の問題もない。それに、私は宇宙を長年漂ってきた。恒星の放つ熱や宇宙の極寒、放射線にも耐えてきた。何より私は自らの体を再生できる。修理は必要ない)

「自己再生まで出来るとは驚きだ」


 ならば、有難く着けさせてもらおうではないか。


「有難い。今後はお主と共に戦っていこうではないか」


 ひとまず籠手となった彼を机に置き、俺は時を待つ。

 やがて日が傾き夕暮れとなった頃合いに、部屋の扉を叩く音が聞こえた。


「入ってくれ」


 声を掛け、入って来る人影は二人。

 ノエルとアーダルだ。


「二人とも、首尾はどうだった?」


 俺の声に、二人とも首を振る。


「やっぱり、迷宮の深層に挑めるような冒険者の登録は少ないわ」

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